「幕間」

煌々と芝や砂場、塗装のはげた滑り台や、鎖の錆びたブランコを照らしていた白熱球。その光を侵食するかのようにじわじわと薄明るい色をにじませてゆく空。墨でも溢したようなのっぺりと重い色をしていたそれがぼやけてゆくのを、ぼんやりと眺めるひとりの男がいた。


 その男は、夜の入りからずっと、くすんだ青いベンチに腰かけていた。


 私はそれを見ていた。彼の背は恐ろしく広く大きく、しかし何かから隠れるようにその背を丸め、小さく縮こまってでもいるように頼りなくも思えた。丸めた背、亀のようなそこからぬっと、首と頭だけで空を眺めていた。夜に溶け込むような黒いパーカーに、黒いパンツ、黒いスニーカー。星空のような小さな黄色の点が、スニーカーに浮かんでいるのが目についた。男は時折、誰にともなく言葉を吐いた。




 「また夜は来るだろうか。」


 「彼らはまだ生きているのだろうか。」


 「私は、」




 延々と繰り返される問いに答えなどあるようにも思えず、ただただそれを発することに意味があるのだろうと思った。いずれも知る術のないものばかり。疑念、あるいは不安からくる言葉なのだろうという印象。


そして空が白みはじめたころ。彼の黒ずくめが景色から切り離されはじめたころ。白いスーツに身を包んだ男が現れた。頭上に乗せた白いシルクハットをひょいと摘み上げて挨拶をする彼。そちらを見ようともしない黒い男はしかしきっちりと見えているとでもいうように、ようやく投げる相手を得た言葉を溢す。




 「空の合間にどうだい、しばらく聞いちゃあくれないか。」




 ぼんやりと水に墨を一滴落としでもしたかのように広がる声だった。白い彼へじわりと染みわたるような静かで重くたるい声。一歩を踏み出しかけた白のその足は、行き場をなくしたように落ちる。白に言葉はなかった。




 「……お前さんはそんなこと、ちいとも考えりゃあしないんだろうが。私には不安でたまりやしないんだ。」


 


 白は沈黙を守り続けた。彼の脚元から黒の声によって、怨嗟のようなそれによって、ずずうっと染まっていくような錯覚すら覚える。どろりとしたものがどこからともなく湧き上がってかの白の裾を手繰り寄せ心臓か喉笛かを狙ってそう、ずずうっと。


 からり、と、どこかで音がした。




 「また夜は来るか。あいつらぁまだ生きてるのか。私は昨日までのことを覚えているが、その“昨日まで”を生きたのはほんとうに私なのか。私はいつから私なのか。私はいつまで私なのか。次の夜を迎えるのは、私なのか。」




 黒の姿が、蜃気楼のようにゆらりと揺れた。


 周囲が明るくなるにつれゆらゆらと行き場を無くしでもしたかのように頼りなく揺れる黒は、のっぺりとしたその顔を上げ、白を見た。目も鼻も口もなくただフードの黒よりも一層濃く重く広がる奥の黒。


 白はその顔の明度をほんの僅か下げ、己のネクタイを整えながら静かに言う。




 「考えたところで何が変わりますか。」




 そんなことを考えているから、揺らぐんです。


 溜息と共に付け加えられたその言葉が終わらないうちに、先ほどよりも大きな、からん、という音がした。太陽が頭上に輝く。白の明度がぱっと上がり、淀み濁ったような灰色に変わりつつあったスーツが、ぱん、と本来の白を取り戻す。


 


 私たちは、過ぎ行くだけ。




 真っ白な球状の頭をした紳士はそのままゆったりと青いベンチへ向かい、腰かける。


 毎度聞かされる黒い彼の話にはいい加減うんざりしていたが、それも彼の性質なのだと思えば我慢もできた。人々は彼に包まれ、言いようもない不安を自覚したり、涙を流したりする。過ぎ行くだけだと自覚している紳士にとっては些細な問題が、どうやら彼や人々にはひどく重要なことらしかった。紳士はまた、人々が自分のためにその問題を忘れることさえある点についても自覚している。だからこそ毎度同じ口上を聞くのだった。


 同じ姿をし、同じ記憶を持ち、同じ時間を繰り返す黒い彼。


 白い紳士もまた、同じものなのだから。


―――


2016/01/17

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にこごりのうわずみ 魚倉 温 @wokura

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