「骸堀り」

骸掘り


 煌々と嫌味に光るモニタの向こうから、ぺらり、ぺらりと紙をめくる音がする。私はこの音のためにこの状況を受け入れているのではないかとすら、錯覚することもある。もう死んだもの。所謂、デッドメディアというもの。

 紙そのものが、今や絶滅危惧種と化している。

 一時期さかんに謳われた「環境汚染」や「環境破壊」。それらのためではなく、単にコストパフォーマンスの悪さが原因だ。本、新聞、それらの紙媒体の最期は、とても呆気なく、無感動で、涙すらも流れないほど、事務的なものだったという。


 私はそんな「メディアの死に際」に、立ち会ったわけではない。その瞬間にはまだ、生まれてさえいなかったのだから。

 立ち会ってさえいない死を悼むことはできない。

 母親の好きだった、紙の本。一度でいいから触れてみたい、それを捲って、印刷された活字を追ってみたい、と、思ったものだった。もっとも、その時代の文字なんてきっと読むことはできないし、それで得られるものなんて考えたところで大してない。せいぜいが、憧れのものに触れた、という、その程度の感覚だろう。


 「非、効率的。」


 ぼそり。

 モニタの向こうに映る、灰色の大きな紙の束。真ん中折でいくつも重ねられたそれらはがさがさと煩いし、何よりその紙のサイズがとんでもなく大きい。大人の男の膝の上で見てあのサイズということは、今私の目の前にあるモニタなんかよりも、きっとずっと大きいに違いない。

 女の手のひら二つぶんしかない画面に触れながら、思った。


 失うものなんてありやしない。

 紙は死んだ。同じようにして、CDだとか、SDだとか、何かしらを記録しておくための媒体はほとんどが死んだ。私たちの記憶や、先人たちの記録はすべて、視認すらできないほど細かい粒子の波になって、ふよふよと今も、そこいらじゅうを満たしている。細切れにデータ化された、私と誰かの昨日。全人類の三秒前。

 それらの細切れを拾うのは誰にも許されたことで、ただ、個人の、ほんとうに個人的な、プライベートの部分。口に出すのもはばかられるようなものに関しては、特別にロックをかけることが許されているから、結果的に、私の昨日の晩御飯やベッドに入った時間なんかは、どこかの誰かにも「拾われる」けれど、「拾われたこと」すら「知られる」ことはない。

 世界は無知でできている。


 何も知らないから、穏やかに生きられる。

 知らないということを知っていても、それを知らんふりすればいいのだ。それだけの簡単な話。

 私の見る世界は日に日にくすんでいって、今となっては、ただのノイズの塊のようになってしまった。理由は分かりきっている。

 私は知ってしまったから。

 そう。知ってしまったとしても知らないふりさえすればいい。私はそれができなかった。無知を知った私は、生活のすべてを奪われた。命だけが残されて、ああ、とぼんやりしていたところを、拾われた。社会のために尽くすなら、私が「知ってしまった」ことでかけた迷惑をリカバリーする気があるなら生かしてやる、と、とんでもなく遠回しに優しく伝えられた言葉に、私は頷いた。まだ二十年だって生きていなかった当時の私に、死ぬなんて選択肢はなかった。奪われるものは少ない方がいい。手元には多くを残した方がいい。


 かろうじて手元に残った命を元手に始めた、神たる仕事。人間の行動パターンのサンプル収集、というのが表向きの理由。実際に生きた人間の生涯のデータを元につくられた「モニタの中で生きる個人」の生死を握り、見守り、天変地異等収拾したいデータの趣向に合わせてトラブルを発生させて、観測する。そんな胸糞悪い仕事。優越感なんてものはない。

 だってそうだ。

 だって、私はこの仕事を始めてから、ぐんと人間から遠ざかってしまった。人間が好きで、人間の思考を追いかけて、人間の行動を間近で観察して、そう、それこそ昔誰かが紙に活字を打ち出した、猟奇殺人鬼のように。

 人間の最期の表情を、断末魔を、あふれるはらわたを記録し続けた殺人鬼のように、私は人間の、「人間としての」最期の瞬間に立ち会い続けていた。

 あの頃が、私の人生の最盛期だったのだ。


 私が今見守っている、生かしているこのモニタの向こうの彼らも、人間には違いないのだ。データ上の云々とはいうがそれは違う。彼らは正しく生きている。

 だって私が生かしているんだから。

 私は監督不行き届きかなんかできっともうすぐ、唯一残った命すら奪われるんだろう。私は彼らの生き様を見る、そのためだけに生かし続けているのだから。必要なデータ、それらのための試験、試練、すべてを放棄し、神たる私は、母たる私は彼らの生を見守るのみとしたから。


 彼らは私にとっては本ではないのだ。

 知らぬ間に死を迎えていた数多の屍などではなく、ましてや墓標すらない野ざらしの骸なんかでは決してないのだ。

 奪われたわけでもない、初めからなかったものではない。

 しかし私にとっての世界でもない。奪われた、墓標の割れたそれでもない。私に唯一残された命、それが産んだ命。彼らの生の最期のあがきを見届けられるかが、怖い。


 ぺらり、ぺらりと音が虚しく響く。

 がらんどうの部屋、薄っぺらいモニタがいくつか点在するそれだけの空洞に、ぺらり、ぺらりと他人顔で、にやりと笑う。




―――

2017年3月

 喪失感アンソロジー寄稿

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