第36話

 落ちた先は、若い兵士の腕の中。

 重さに耐えられずに倒れ込むが、お陰で怪我一つせずに済んだ。


 穴から這い出たところへ降ってきたので、飛びついてくれたそうだ。

 この国の兵隊は、本当に頼りになる。


 同時に落ちた大魔導師の元へカテリーナが駆け寄り、両手で剣を振り上げて、突き下ろす。

 剣を突き付けて降伏を迫るなどしない、止めの一突き。

 やったか!   と思ったが、赤い塊がカテリーナの剣に横合いからぶつかった。


 ドラゴンの巨大な頭が、大魔導師を庇っていた。

 鼻先が裂けて赤いものが吹き出すが、千載一遇の好機を逃したかも……。

 むくりと、大魔導師が起き上がる。

 まさか、無傷ではあるまいと思ったが、イリスの言葉は非情だった。


「あのクラスの魔導師は、自動で防壁を発動させる。騎士の剣なら貫けたかも」

 高さ十メートルから落ちても無傷か、電撃で心臓が止まれば良かったのに。


「リーザや、すまぬの。助かったわ。お前は、何時も側にいてくれたな……」

 体を起こして、傷ついた頭を優しく撫でる。

 リーザと呼ばれたドラゴンは、嬉しそうに喉を鳴らすが、カテリーナからは目を離さない。


 竜と大魔導師、こちらは満身創痍の兵士達に王女と騎士と、マナが尽きかけた魔法使いが二人。

 それと手持ちは花火だけになった異世界人。

 ぜ、絶望的じゃないか。


 ルシィとイリスが、そっと寄ってくる。

「最後のマナです。全てお預けします、竜の牙なら防いでくれるでしょう」

 そうだな、諦めるわけにもいかないものな。


 下敷きになってくれた兵士の剣を受け取る。

 何処か折れたのかもしれない、苦しそうに『頼む』とだけ言われた。


 何時の間にか、空が明るくなり始めていた。

 日は地平線の下だが、闇夜は青の混じるグラデーションに。

 現実離れした日常に心が慣れたのか、不思議と恐怖はない。


 カテリーナと並んで立つ、どちらかが竜の気を引き、もう一方が飛び込む。

 たぶんそれしか無いのだろう。

 ふっと妹の事が頭をよぎる、せめて貯金だけでも残してやりたかったな。



 大魔導師ビンチは、静かな眼でこちらを見つめる。

 どちらかと言えばカテリーナを注視している、ならば刺すのは俺の役割になるのかな……。

 だが、緊張が張り詰める前に、ベアトリーチェが割り込んだ。


「これ以上は、もうおやめ下さい。ビンチ様、先程わたくしのせいと仰りましたが、何ゆえでしょう? わたくしには身に覚えがございません。ですが、責があると言うなら、大人しく仰せに従いましょう」

 王女も静かに見つめる。

 やがて、大魔導師が口を開いた。


「見せられたそなたの肖像画が、かつてわしの愛した女性に似ておった」

 だからと言って! カテリーナが憤慨する、当たり前だ。


「わしの最期をそなたに看取って欲しかった、孤独を癒やしてくれるやもと思ってな…‥」

 思わぬ台詞だった。

 若々しく、力のみなぎる大魔導師が、急に小さな老人に見えてきた。


「大魔導師さま、寿命がお近いのですか?」

 おずおずと、ルシィが聞く。

「そうじゃな、あと二十年は生きるかの」

 は? 何をぬけぬけと、同情して損した。


 切れかけたのは、俺だけではなかった。

 王女は、手にしていた剣を、大魔導師の足元へ投げつけた。


「その剣で自害なさいませ。看取って差し上げます」

 強烈な一言に、大魔導師が大きく笑った。

 そんなところも彼女に良く似ていると。


 日が顔を出す。

 闇夜で感じていた魔導師の狂気も、戦いの気配も、すっかり薄れていた。

 電気ショックが効いたのだろうか?


 ドラゴンのブレスに吹き飛ばされた兵士も生きていると聞かされ、他の兵士が救出に向かう。

 どうやら、誰も死なぬ程度に、魔法で保護しながら戦っていたらしい。

 実力の差は、歴然だったわけか。


 その間に、この騒動の経緯を聞いた――――ほぼ昔話だったが。


「わしとテオバルドは竹馬の友じゃった。まだ小さかったこの国で、王家の分家と宮廷魔導師の息子として、共に学んだ仲じゃ。そして同じ少女に恋をした」

 テオパルド、確か大トンネルを作った王様か。


「本来は王座に就かぬテオバルドに、何の因果か王冠が巡ってきた。その為に、この国を富ませる遠大な計画が立ち上がった。それが成功すれば、テオバルドに歯向かう者は居らん。わしは才と力の限り協力した。強大な王となったテオバルドに、わしら二人が愛した女性、小貴族の娘など選べぬと思っておった」

 淡々とした老魔導師の語りは続く。


「だが、テオパルドは選び、彼女も応えた。それはそれで良かった。王族の誰かと結婚せぬかと言われたが、わしは断わった。生涯を魔法の研究に捧げるつもりじゃった」

 そこで大魔導師は、王女の顔を懐かしそうに眺めた。


「そなたの面影がな、彼女にそっくりじゃった……。肖像画を見た時から、どうしても郷愁を押さえきれなんでな。謀略と分かっていたが、乗ってしもうた」


 あらゆる魔法を操り、常人の倍以上の寿命を持ち、友人もみな死んでしまった偉大で孤独な魔法使いの告白だった。


 すまぬと言ったが、この先はベアトリーチェが決めるだろう。

 案の定、困ってるみたいだけど。


「では、わたくしの事は諦めてくださると?」

「そうじゃな、そなたの代わりに、そこのスフォルツァの騎士が来てくれても良いが」

「それは困ります! わたくしが一人になってしまいます」

「ならば、そこの若者を貰おうか。よい実験が出来そうじゃ」

 え、俺!?


「ダメです! わたしが一人ぼっちになってしまいます! 時々なら、様子を見に来てあげますから!」

 嬉しいけど、とんでもない事をルシィが約束した。


「まあよい、最期に良いものが見れた。ヴィスコンティに寄り添うスフォルツァは、時を超えてなお美しい。王女よ、わしが死んだら一度は墓に参ってくれ」

 国葬で送って差し上げますわ、その台詞に笑いながら、大魔導師は去っていった。


 しかし、死人こそ出なかったが、王女を誘拐してこんな大騒動を起こして、これで済むのだろうか?

 その疑問に答えるように、王女が爽やかな笑顔で宣言した。


「王位は、弟のどちらかが継げばよい。そう思うこともありましたが、母上がここまでなさるなら、心を決めましょう。このサグレサの王冠と王笏は、私が継ぎます。その時に、大魔導師ビンチは役に立つでしょう。王国最高の魔法使いで、中興の元勲であることに変わりませんから」


 これにて一件落着……なのかな。

 帰路に着く前に、カテリーナが誰に語るとでもなく言った。


「私の髪は、スフォルツァ家の女性に多い色で、テオパルド王に嫁いだエリザベッタ様も同じだったと。そして、エリザベッタの愛称は、リーザ……」

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