第35話

 この世界の魔法使いも、飛べるんだ……。

 四階か五階ほどの高さを漂う男を、唖然として見上げる。


「普通は、飛べませんよ。わたしも飛べません」

 ルシィがこっそり耳打ちしてくれた。


 翼がボロボロになったドラゴンに、大魔導師が語りかける。

「すまぬな、リーザ。休んでいると良い」

 四つほどの魔法陣が縦に並んで、ドラゴンを包み込む。

 治療かバリアか、どっちにしろ厄介だ。


 もう飛び道具もないので、隠れていても仕方がないと、雑木林から出ていく。

 王女とカテリーナの側まで行くと。

「リーザ……?」

 カテリーナがぽつりと呟いた。


 大魔導師はするすると地面に降り立った。

 輝き続けるランプのお陰で、顔も様子も良く分かる。

 百を超えてると聞いたが、髭も髪も白いとこがなく、腰も曲がってない。

 顔には深いしわが刻まれているが、生気に満ちていてせいぜい五十過ぎにしか見えない。


「さて、少し眩しいな」

 声も低く張りがあり、十五歳の姫を攫った変態魔導師とは思えぬ威厳がある。

 ただ、その一言でランプの明かりが急激に落ちた。


 あっ! とルシィが叫ぶ。

「今の一瞬で、ランプに入れてた火の精霊を、取られました」


 魔法は……通用しないかな?

 半円に囲んでじわりと距離を詰める、物理なら通用するだろうか。

 王女の前に出たカテリーナが、質問をぶつける。


「ビンチ殿、なぜ我が国が誇る貴方ほどの方が、このような真似を」

 王女と騎士をゆったりと見つめて、大魔導師は質問で返す。

「妃殿下よ、どうして拒まれるのか」

 この問いには、カテリーナが剣で答えた。


「ベアトリーチェ様は……王女殿下であらせられる!」

 返答と同時に大きく飛び込んで、下からの抜き打ち。

 素早く、殺意の籠もった一閃だったが、ビンチはふわりと空中に逃げた。


 兵士達はそれを読んでいて、一斉に槍を投げつけるのだが、空中で跳ね返される。

 これは……俺の手元にあるのは、ボウガンの矢にワイヤーロープを結んだもの。

 ドラゴンが暴れるようならと準備したが、出番がなさそうだ。


 ルシィとイリスが協力して、何か魔法を使ったようだが、何の効果もない。

 完全に手詰まりな気がする、せめて飛び付くことが出来ればスタンガンでも。


「騒々しいな」

 いきなり、兵士達の足元に、穴が開くか石柱が飛び出す。

 十名の兵士があっという間に穴の底か、宙に舞う。

 飛ぶのが風の魔法なら、今のは大地の魔法か、圧倒的じゃないか。


「さあ、私の元へ……長年の……」

 王女の周囲に風が立つ。

 カテリーナが王女を抱き寄せる、二人の髪が風に乱れて沸き立ち、焼け溶けた金のように美しい。


「その髪は……」

 大魔導師が二人を見つめたまま静止した。

 チャンスだ、走り寄り、ボウガンの矢を振りかぶった……が。


「精霊の巨匠!」

 イリスの呼びかけで、こちらを向いてしまい、慌てて止まる。

 もう二、三歩ってとこだったのに。


「何故このような暴挙を? アカデメイアの皆さま方も、心配してます」

「そなたは、協会の者か」

「はい。エペイオスの娘イリス、事情を伺って来いと」

「エペイオスか。若造には分からぬよ、わしの孤独など……」

 孤独だからって女の子を拐かして良いわけないだろ、このエロジジイ。


「それでは通じません。何故、今になって王女を」

 そうだ、もっと言ってやれ。

「それは、この話を持ちかけた者と、王女を恨むが良い」


 話はあっさりと終わってしまった。

 この狂った魔導師に、何かショックでも与えてやれれば。

 やけくそ気味だが、魔法使いの好奇心に賭けてみる。


「ビンチ! 俺は、異世界から来た!」

 ほお、と注意がこちらへ向く。

「これが証拠の品だ!」

 タングステン鋼線をより合わせた高級ワイヤーロープ、被膜は削ってある。

 投げるから受け取れと、言おうとしたとこで、足元が揺れた。


 空へとそびえる石の柱、十メートルくらいはあるか、その上に俺は居た。

 やばいな、落ちたら死ぬかも、だがこれでやり易くなった。


「確かに、変わっておるの。実験素材にしたいくらいじゃ」

 物騒なことを言うジジイに、ワイヤーロープの一端を投げる。

 目の高さが並んでいた大魔導師ビンチは、素直に受け取った。



 タングステンは、鉄よりも電気を通すはずだ。

 えい、もうやってしまえ! 覚悟を決めた。

 ビンチが手元のワイヤーロープを眺めてる隙に、自分が持つもう一端へ、海外製で違法ギリギリの大容量スタンガンを、思い切り押し付けた。


 体内で、バチンと音が響いた気がした。

 これは痺れるのではなく、痛い!

 神経が直接刺激される、絶対に離すまいとスタンガンを握ったものの、数秒もせずに手から落ちた。


 足の支えが効かず、石柱からこぼれ落ちる。

 だが、視線の先には同時に落下する大魔導師ビンチが。


 カテリーナが剣を構えて走り出す、もちろんビンチの所へ。

 そして俺は、誰かの腕の中へ落ちた。

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