第33話

 片手に鉄製の火かき棒を持った、麗しき王女。

 両手に杖と木の棒を持った、可愛らしい魔術師。

 暗視スコープをかけて、ボウガンを持って先頭を走る俺。


 奇妙なパーティーの逃走劇が始まった。

 サイレンこそ鳴らないが、気付かれたのは間違いないないだろう。

 まずは、カテリーナ達に救出成功とだけ伝える。

 返事が来る前に、異変に気付いたのはルシィ。


「何か来ました。魔物みたいです」

 赤外線でもまだ捉えていない、マナが見えるってそういう事か。

 このスコープはもう要らないな、外してヘッドライトにする。


 足音も立てずに行く手を塞いだのは、灰色狼の倍はありそうな獣。

 黒く硬そうな毛皮と、ライトの光をよく反射する黄銅色の瞳。

 だが、これくらいなら想定内だ。


 ウェストポーチから、市販のもので一番濃いアンモニア水の栓を抜いて投げる。

 くらえハーバー・ボッシュ法、二十世紀で最高の発明の一つだ。

 鳥やコウモリの糞を肥料にしてるこの世界に持ち込めば、革命が起きるな。


 鼻先にも降りかかり、ぎゃん! と鳴き声をあげて獣が飛び退いた。

 ついでに、爆竹に火を付けて投げつける。

 更に後退していく、もう尻尾が足の間に入っているし。


 その隙に駆け出す。

 今度は二人を先にして、断崖を渡って来た場所へ。


「ルシィ、他にも何かきてる?」

「う~ん、何か居るみたいですけど、近くには」

 それは良かった、逃げ切れるもしれない。


「それよりも、臭いです」

「ええ、臭いですね」

 酷い、確かにアンモニア水が右手にかかってしまったが……少し手を嗅ぐ。

 うわくっせ!


 助けを待ってたはずなのに、二人の少女は逞しい。

 暗い庭を一気に走り抜けて、塀も飛び越えて、あっという間に目当ての大木へ。

 二人は、木にかかるザイルを見て、それを掴んで渡ろうとする。

『こ、こんな高いの無理ですぅ!』と言われるよりはマシだが、幾ら何でも大胆すぎる。


「ちょ、ちょっと待って! これを!」

 救助用のハーネスと、滑車。

 これを付ければ対岸まですぐだ。

 ただ、ドレスやローブの上にハーネスを着けると、裾がまくれてしまうのだが。


「わたくしが、こんな格好をしてしまうなんて……」

「着けなきゃ駄目ですか? ビーチェかわいそう」

 本当に、大胆なんだか繊細なんだか。


 ぶーぶー言いながらも、底の見えない断崖と谷を、思い切りよく渡ってゆく。

 途中で止まっても、悲鳴もあげずに引っ張って回収されるのを待つ。

 王女と再会出来たカテリーナは、本当に嬉しそうだ。


 最後に、自分とリュックを吊るし、来た時と反対方向で引っ張って貰うが……

 頭のすぐ上で、バサバサっと羽音がする。

 そんなに大きくはないが、こいつはガーゴイルってやつか。

 数匹が襲いかかってくる、兵士は一生懸命に引いてるが、俺や荷物が引っ張られなかなか進まない。

 やめて痛い! 揺れる怖い! 谷の中ほどで宙吊りになった。


 何か武器を取り出すのも無理だし、兵士も俺に当たりそうで槍も弓も使えない。

 それに、ザイルは尖ったものに弱い。

 肩にかけていたボウガンが落ちた、二秒ほどして水に落ちる音がした。


 水に落ちれば助かるって高さではない、だがザイルを握るので精一杯だ。

 ガーゴイルに切られる前に、誰か何とかしてくれ!


 サガ! と叫んで、ルシィが杖を構えた。

 空気の塊のようなものが、すぐ上を飛んでいく感じがする。

 精霊を使うのは得意だと言ってたが、当たってないし威力も微妙な気がする。


「そうじゃない」

 イリスがあくまで冷静にルシィに声をかけた。

 俺には対岸を見守ることしか出来ない。


「私も手伝う。続いて唱えて『我、時と精霊の導き手』」

「わ、我、時と精霊の導き手!」

『風よ誘いと糧に従い』

「風よ誘いと糧に従い!」

『アストライオスの盟約を果たせ』

「アストライオスの盟約を果たせ!」


 ルシィの杖が、鈍く光を持った。

「いいわ。サガに当てないように、撃って」

「撃ちます!」


 次の瞬間、目の前をジェット機でも通り過ぎたような衝撃があり、耳が聞こえなくなった。

 頭上を飛んでいたガーゴイルは、一瞬で何処かへ消え去った。

 振り返ると、ザイルをくくり付けている大木が、音もなく倒れるのが見えた。


 必死でザイルでしがみつき、腕にも巻き付ける。

 ふわっと体が浮く、やっぱり切れた!

 崖に叩きつけられたが、ザイルに締め付けられた腕の痛みで、意識だけは保てた。


 やばい、ガーゴイルに食い殺される次くらいに、まずい状況になった。

 ザイルに付けたカラビナがずるっと滑る。

 このままでは…………そこへ、目の前にハシゴが降りてきた。

 必死でそちらを掴む。


 ハシゴはぐいぐいと、凄い力で持ち上げられる。

 やっと崖の上に頭を出したところで、兵士が抱えて引き上げてくれた。


 ルシィが何か言ってるが、まったく聞こえない。

 耳をとんとんと叩くと、どんっとルシィが体当たり、いや飛び込んできた。

 死にかけた気がするが、その涙に免じて許すことにしよう。

 そっと、栗色の頭を撫でた。



 馬の蹄が聞こえる。

 ようやく、耳が治ってきた。

 四人の兵士が十二頭の馬を連れて駆けてくる。


 これだけ素早く救出できると思ってなかったので、あたりはまだ暗い。

「来ます」

 イリスの言葉に、全員が館の方を見る。

 見通せぬ闇の中へ、大きな何かが飛び立った気がした。


 持ってきたリュックの一つは、谷底へ消えてしまった。

 これから、ドラゴンとの追いかけっこが始まる。

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