第29話

 美しく滑らかな翼と、長い首と尾。

 短い腕とは対象的に、牛や馬など一掴みといった巨大な脚。


 余りの威容に、時が止まる。

 その中で、真っ先に動いたのは、カテリーナと馬車の御者。


 王女の馬車を操る大役を任されていた御者は、慌てて転がり落ちると、勇敢にも馬車の扉に取り付いた。

 その行動に、呆けていた全ての人が動き出す。

 王女を救出せねば。


「頭を狙え」

 短い命令と共に、一斉に矢が飛ぶ。

 兵士は盾にしようとしていた馬車をくぐり、または乗り越える。


 カテリーナは既に、馬車まで数歩のところまで辿り着いていた。


「それは困るな」

 よく響く、低い声を合図に、ドラゴンが吠えた。

 肉食獣の咆哮、そんな生易しいものではなかった。

 心臓を掴まれるような根源的な恐怖、誰もがその場で硬直するか、後ずさる。

 真下で聞いた勇敢な御者は、気を失って倒れた。


 カテリーナだけが、無言で走り寄り、車輪を足場に斬りつけた。

 矢も弾き返したドラゴンの鱗に、薄っすらと血が流れる。


「良い鎧と剣だな、騎士よ」

 ドラゴンの背から、一人の男が現れた。

 赤と金で飾られたローブ、どう見ても魔法使いだが。


「我が鎧に、そんなもの効かぬ」

 カテリーナが、今度は脚狙う。

 尻尾を振り回すが、それを潜って避け、こちらだと言わんばかりに挑発する。

 ドラゴンを、何とか馬車から引き剥がしたいのだ。

 それを察知した兵士も後に続く。


 何者だ!? などの無粋なやりとりは無い。

 カテリーナと兵士達の目的は、相手が誰であれ、何であろうと変わらない。


 何かないかと、馬車の荷を探るが……催涙スプレーなんて効くのか?

 いや例え効かなくても、ルシィだってあそこに居るのだ。

 スプレーとライターを手に、立ち上がった。


 一人の兵士が、馬車に飛びつくが、扉は開かない。

「開かぬよ。それに、君たちを殺すわけにもいかん」

 赤金の魔導師が杖を振るうと、爆発したかのような風が舞い起きた。


 近くに居た兵士は吹き飛ばされる。

 これでは、近づくことも出来ない……


 また風が吹く、今度は後ろからだ。

 しかしこの風は、赤金の魔導師の起こす暴風を中和するように、一体となって消えた。


 街道の南から、もう一人、魔法使いが現れた。

「精霊の巨匠よ、何故このような事を」

 赤金の魔導師に問うたのは、王都で何度か見かけたイリスという女の子。

 この力を見ると、魔術師でなく魔導師みたいだが。


「やはり…‥北の大魔導師」

 王女に仕えている魔導師が、ぽつりと呟いた。

 何十年か前に、王と一緒に大トンネルを作ったという伝説の大魔導師。

 それが何でこんなことを。


「七十年前の約定を、果たしてもらいに参った。姫は、わたしの嫁にする」

 なに言ってんだ、このジジイ。


「その様なこと、許す訳がなかろう!」

 激怒したのはカテリーナ、その鎧も剣も、かけられた魔法で鈍く光っている。

 その剣を振りかぶり、真っ直ぐに投げた。


 大魔導師に届くかと思われたが、眼前でぴたりと止まった。

「返すぞ」

 その一言で、剣はそのまま、凄い勢いでカテリーナへと向かう。


「いけない!」

 イリスが魔法を使う。

 しかし、剣の勢いは落ちたが、柄の方から胸甲にぶつかった。

 剣が逆さなら死ぬ勢いで、イリスと大魔導師の力量差も、かなりあるようだ。


「許すも許さぬも、そなたの決めることではなかろう。そちらから申し出があったのだよ」

「なんだと、どういうことだ!?」

 膝をついたカテリーナの問いには答えず、ドラゴンが翼を広げた。


 翼を狙え! と護衛隊長の命令が飛ぶが、槍は魔法で弾かれて、矢はドラゴンを貫くに至らない。

 イリスも他の魔導師も止めようとするが、まったく効果がない。


 その時、ガチャンと馬車のガラスが、中から割れた。

 見えたのはルシィの杖、ガチャガチャと丁寧にガラスを割って、ルシィの顔がひょいっと外を覗いた。

 一瞬だが、目が合った。


 ルシィは笑った気がしたが、直ぐに引っ込むと代わって王女が顔を出した。

 そこから脱出する気か、だがドラゴンはもう上昇を始めている。

 飛び立つなら間に合う、そう思ったが……


 ドラゴンの翼は、風をまとうと羽ばたきもせずに浮き上がる。

 ほぼ垂直上昇で、それも速い。

 遂に馬車と馬を繋いでいた金具が外れ、あっという間に上空へ。


 ベアトリーチェは地上に手を伸ばすが、もう絶望的な高さだ。

 大きな馬車を掴んだドラゴンは、悠々と北の空へと去った。

 あとには、空へと手を伸ばすカテリーナが残された。



 大半の者は、呆然と空を見上げている。

 道の脇に避難していた侍女が泣いている。

 よろよろと飛び出して来たのは、家宰と呼ばれていた家臣で一番えらい人だ。


 王女も攫われたが、ついでにルシィも攫われた。

 追わなければ。

「カテリーナ! 追おう!」

 自分でも信じられないくらい、大きな声が出た。



 我に返ったカテリーナと、護衛隊の動きは早かった。

 まずは散った馬を集める、幸いにも怪我人は出たが死人は居ない。

 二騎をアグレスに走らせる。


 王都にもと思ったところで、イリスから衝撃の情報がもたらされた。


 曰く、七十年前に大トンネルを掘るのに尽力した魔導師ビンチは、時のテオバルド王から、七人居た姫から一人を与えると約束されたそうだ。

 魔導師ビンチは、その時は誰も選ばず、魔法の研究のために北の大地へ引きこもったが、この約束に目を付けた者が居た。


「あの女狐か!」

 憎々しげにカテリーナが吐き捨てる。

 このままでは、第一王女のベアトリーチェが順当に後継者になる。

 だが、その前に他所へ嫁に出してしまえば、継承権が失われる。


 現王妃のテオドラとその周辺にそそのかされたのが、大魔導師。

 現王とテオドラの間には、二人の王子が居るそうだ。


 王妃の策略では、王国軍を動かすのに時間がかかるかも知れない。

 それでも北の辺境には、幾つか駐屯地があるのだが……エンリコ隊長の事を思い出した。

 北の大魔導師の近くの駐屯地が廃止されて、王都に戻ってきたと。


 どうやら、かなり前から練られた罠だったようだ。


 それでも、カテリーナ達は行く。

 すぐに集まった馬は十二騎、選抜された兵士が乗る。

 俺も連れてってくれと言ったが、断られた。


 選ばれた兵士達は、恐れる色もなく、むしろ残る兵士の方が悔しそうだ。

 数人が声をかけてくる、『必ずルクレツィア様も連れ戻します』と。

 カテリーナは、すまないとだけ言って、駆け出した。



 見送る間もなく、俺は馬車の荷台に飛びついた。

 こんなとこで役に立つとは思わなかったと、自転車を引っ張り出す。

 馬には敵わないが、大魔導師の居城まで、たかが三百キロ程度の距離だ。


 フェアンで、現代兵器も買いに戻ろう、ボウガン程度なら直ぐに買える!

 ぐいっとペダルを踏み込もうとした時、後ろに誰か乗った。

 イリスが、私も行くと。

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