第3.5話
無事に戻れたまでは良かった。
しかし、手遅れだった。
丸一日の出遅れは、致命傷になった。
直ぐに売りたい人、他の暗号通貨に換えた人、新興通貨が使えるまで待つ人、底値まで待つ人。
今直ぐに買いたい人は居らず、ストップ安も無いからどんどん下がる。
チャートが垂直降下したあとに、売れた時は買い値の半額だった。
どうしよう、胃がズシンと重い、頭もふらふらで泣きそうだ。
妹よ、不甲斐ない兄ですまん。
あと1年余りで大学の学資はとても……ちらっと、床の穴が目がについた。
あの奇妙な体験の後、変わった事はなくて、起きて穴がなかったら、夢だと思っただろう。
直ぐに消えると思っていた穴は、今も黒々と口を開けている。
「こうなっては、やるしかない。リスクを恐れては何も出来ない」
詐欺師か情報商材屋みたいなことを呟いて、穴に手を伸ばす。
あの魔法世界とこの世界を、自由に行き来出来るなら、チャンスがあるかも知れない。
この世界の物なら、何でも売れるのではないか。
いや、魔法の文物をこちらで売り捌けば、幾らになるか見当もつかない。
独占販売だ、数百万円どころか、数千万円だって稼げるかも。
やるしかない、このままではジリ貧だ。
それに、あの穴のせいで損害が増えたのだ、責任をとって貰うべきではないか。
そして今度は、自分の意志で穴をくぐる。
とりあえず、上半身だけ抜け出してあたりを見回した。
彼女は居なかったが、見覚えのある魔法陣の部屋へと、転がり出た。
扉の前で、ここに入った時を真似て、右手をかざしてみたが開かない。
軽くノックをしてみるが、外に人の気配もなくて、よくよく見ると、扉にはドアノブや取っ手もない。
どうやって開ければ良いのか、『開けゴマ!』無駄だった。
大きな窓はなく、暖炉も消えているが、煙突から出るのは無茶ってものだ。
それに、無理をしなくとも、待っていればここに来るだろう。
セキュリティがしっかりしてると言うことは、大事な場所だから。
待ってる間に、ゆっくりと部屋を見てまわる。
不思議なものが沢山あるが、勝手に持ち出して売ったら駄目だよなあ。
彼女に協力なしには、右も左も分からない世界で、物を売ったり買ったり出来ないもの。
室内には、小さいがとても明るいランプがあった。
手に取ってみると、その勢いで炎が揺らいでも明るさが変わらない。
これなら夜に本を読んだって、目が悪くならないだろう。
ランプの側面に、小さなダイヤルのようなものが付いていた。
好奇心に負け、少しねじってしまう。
「うわっ!」
一気にランプの光量が上がった。
反射的に目を閉じてしまい、危うくランプを落としそうになる。
何とかランプを床に置いて、その場で半回転。
目に入った光が暴れ終わるまで、しばらく待つしかない。
その時、扉の開く気配がして、女性の声がした。
『・・・・・・・・・!』
この声は聞き覚えがある。
声の主が後ろに立つ気配がして、首に何かをかけられた。
良かった覚えててくれた、このペンダントがないと、話も出来ない。
「あのー大丈夫ですか?」
のんびりした問いに、大丈夫と答えて、まばたきを何度か繰り返す。
ようやく視力が戻ってきた。
「あのランプをいじったんですね。光の調整が出来ない、失敗作なんです」
少し笑いながら教えてくれる。
「あれも失敗作なんだ」
我が家に通じた魔法陣とランプ、失敗作しか見てないのだが、これは余計な一言で、悲しそうな顔にしてしまった。
「すいません。まだ未熟なもので、半分くらいは失敗するんです……」
魔法を教えてくれる人や、魔法学校とかないのかな。
彼女の事も聞きたいけど、他に話したいことや、聞きたいことがある。
「えっと、良ければ話をしたいんだけれど」
「はい、もちろん構いませんよ。実はわたしも、遠くから来た人と、お話をしてみたかったんです」
家の奥にあった魔法陣の部屋から、キッチンらしき場所へ案内された。
机と椅子に食器棚、そこまでは見慣れた物だが、ここにも暖炉がある。
ルシィの格好は、青く染めた長衣にローブを羽織って、手には杖。
その杖を暖炉に近づけるだけで火が付いた、魔法かな?
何から切り出そうか、まずは差し障りのなさそうな事から聞こうか。
「えーっと、また勝手に来て、すいません。頼みがあって来たのだけど、魔術や魔法の道具ってどんなものがあるの?」
唐突な質問だったが、秘密です、と言われることもなく教えてくれた。
「魔術は、マナで道具や自然の物を強化するだけ。魔法は、魔法陣で特別な役割を与えることです。似た様なものですが、この業界では別けられてます」
うむ、よく分からない。
それに業界とは、俗っぽい。
「貴方の付けてるペンダントには、言葉が通じる魔法が使われてます。さっきのランプの炎は、魔術で強く安定させてます。ちょっと強くなり過ぎましたが……」
複雑な事は魔法、簡単な事は魔術なのかな、それなら。
「魔術師も、その魔法を使えるようになるの?」
「もちろんです! 修行と経験を積めば、順に覚えていけるもので、今でも簡単な魔法は使えますよ!」
魔術師から魔道士に、クラスアップするのか。
「いえ、そうではなくて。魔道士は、魔法の商品を作って売っても良いんです。魔術師は、マナを使っての、基本的な仕事だけが許可されてます。どちらも同じ魔法使いで、ぶっちゃけると、資格の違いなんです」
なるほど、まずは魔術師になって、それから魔導師の資格を取るのか。
「そうです! 魔法ギルドの魔導師試験に受かれば、晴れて一人前の魔法使いなんです。」
独占資格や、昔の医師とインターンのようなものか。
これは確かに業界だ。
「ところで、魔術師の仕事って?」
「一番多いのは、道具の強化ですね。この辺りだと農具です」
農具とは地味だなあ。
想像してたのと違う、派手な魔法の道具を、売りさばく計画だったのだが。
「魔術で強化した農具は、全然違うんですよ! 半分の力で、二倍は深く土を掘れますし、草木の根にも邪魔されません。魔術を使った農具の普及で、耕地も収穫も何倍にもなって、飢饉が減ったんですよ。わたし農家の産まれだから、よく知ってるんです!」
がっかりしたのが顔に出たのか、力説されてしまった。
だがルシィの言う通りに、良い道具は生産力を向上させて、余剰人口を産みだし、社会の発展を可能にする。
食料が少ないと、全員で畑を耕すか、奪い合うしかない。
それにしても、出会ってからまだ短いのだが、魔術師のルシィは、何でも楽しそうに話してくれる。
性格もあるのだろうが、会話に飢えてたみたいだ。
気になっていた事を聞いてみた。
「この家には他に誰も? この間から、誰も見かけないけど」
不躾な質問だったが、ルシィに意に介す様子はなかった。
「私の他にもう一人、ポンペイさんが居ますよ」
ポンペイさん?
「ええ、師匠の残してくれた、木製のゴーレムです。失神した貴方を、ベッドまで運んでくれたんですよ、覚えてません?」
もちろん記憶にない。しかし、残してくれたということは。
「師匠の……遺品?」
その言葉に、何かを思い出すように視線をめぐらして、ルシィは語り始めた。
「そうです。この家も、師匠が残してくれました。師匠は、わたしの祖母の一番上の姉、大叔母様にあたるんです。十年ほど前に、わたしがまだ故郷の村に居た時に、父が魔物に襲われて亡くなったんです」
魔物、人を殺すような魔物が出る世界なんだ。
「それからしばらくして、母が再婚する時に、連れ子にするよりも手に職をと、この街で魔道士をやっていた大叔母様にお願いして、弟子にして貰ったんです。その師匠も、二年前に亡くなりました。老衰の大往生でしたけどね」
意外とハードな生い立ちだった。
師匠が亡くなってから二年間、ゴーレムと二人でこの邸宅に住んでたのか。
こういう時、なんて声をかけて良いか分からない。
沈黙になる前に、ルシィが会話を促す。
「さあ今度は、サガヤさんの番ですよ! ところで、サガヤさんって呼んで良いですか?」
もちろん構わない。
「俺も、ルシィと呼んでるわけだから、サガヤでもサガでもサガットでも、好きなように!」
変なのと呟いてから、ルシィは少し笑いながら付け加えた。
「ルクレツィアは、祖母と同じ名前なんです。師匠は、祖母をルシィと呼んでたから、お前もそう呼ぶねって。わたしのお気に入りの愛称なんです!」
それから俺は、魔法のない世界に住んでることや、代わりに発達してる科学技術のこと、妹が一人居ることなどを、ルシィに話した。
彼女は興味深そうに、相づちや質問を挟みながら聞いてくれた。
そして最後に、今回の用件を切り出した。
「この世界の物を俺の世界で売ったり、あっちの物をこっちで売ったりしたいのだけど、手伝ってくれないかな?」
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