第15話

 爆発したような衝撃で、蹴り飛ばされた。

 獣の瞬発力を侮っていた、心臓をえぐり取られなかったのが不思議だ。

 地面に叩きつけられる直前、街道を挟む丘の上に、人影を見た気がした。


「サガさん!」

「サガ!」

 叫び声が遠ざかる……あとはこのまま……蹴られた胸が、酷く痛む。

 鈍い痛みが繰り返すが、同時に心臓が波打つのも分かる。


 立てそうだ、立たねば。

「また来た!」

「避けて!」

 しかし、そんな隙も与えぬとばかりに、ふわりと羽ばたいたオオコウモリが、両足で襲いかかる。

 横に転がり、なんとか逃げる。


 オオコウモリの爪は、街道に敷かれた煉瓦に食い込んでいた。

 煉瓦の破片を巻き上げるようにして、こちらを執拗に狙ってくる。

 転がって、転がって、何とか馬車の下へ潜り込んだ。


 一息つける、と思ったが、甘かった。

 ガツン! この怪物の一蹴りで、荷台が大きく持ち上がる。

 繋がれたままの馬が、哀れにも鳴いているが、どうにも出来ない。

 荷台が壊れるか、横転するか、その前に捕まるか、何か無いかとポケットを探る。


「こっちよ!」

 オオコウモリの足の向こうに、アデリナの足が見えた、続いてルシィの靴も。

 無茶だ、逃げるか、結界の中に居てくれれば良いのに。


 穴ぐらに逃げ込んだネズミよりも、目の前に出てきた子猫。

 そちらへ狙いを変えたのと同時に、ポケットから目当ての物を引きずりだす。

 右手には、催涙スプレーを持ったまま、左手には百円ライター。


 穴ぐらから飛び出して、自分でも驚くほど冷静に、スプレーのセーフティを外す。

 頭まで届かなくても、これならば。

 即席の火炎放射器の炎が、オオコウモリの背を舐める。

 肉食獣の、獲物に向ける威嚇とは違う咆哮がした。


 効いてる、もう一度だ。

 炎は吹き出したが、同時に翼を広げて羽ばたきをする。

 風に煽られ届かない、こいつは頭も良いのか。


 ところが、風に巻き込まれて消えるかと思った炎だが、勢いを弱めずに蛇のように巻き付いた。

 オオコウモリの反対側で、ルシィが杖をかざしていた。

 火を、操っているのか。

 炎の大蛇を振りほどこうと暴れるオオコウモリに、助走を付けたアデリナが、ナイフを投げつけた。


 見事、短い首に突き刺さった。

 鮮血が吹き出し、オオコウモリが飛び上がる。

 これだけ痛めつければ逃げる、と思ったが、上空で炎を振り切ると、もう一度旋回して戻ってくる。

 嘘だろ……余程に怒りを買ったのか、まるで命令されてるみたいだ。


 こちらに逃げ場はない、まだ戦わないといけないのか。

 何とかスプレーを握り直した時、聞き慣れぬ音色が聞こえた。

 これは……法螺貝の音? 同時に、大勢の足音が。


「盾を上げろ! 馬車を中心に、円陣を組め!」

 大声と共に、五十人、いやもっと多くの兵士が駆け寄ってくる。

 ルシィもアデリナも俺も、屈強な男達に両脇を抱えられ、馬車の影に押し込まれた。


 あっという間に、兵士が馬車を二重に取り囲む。

 前列は盾を揃え、槍を並べ、後列は何時でも槍を投げれる様に担ぐ。

 それを見てか、オオコウモリは頭上を一周だけして、あっさりと南へ飛び去った。


「た、助かった……?」

 今でも信じられない出来事だった。

「サガさん!」

 ルシィが胸に飛び込む……のではなく、蹴られた時、ボロボロに切り裂かれた上着を開く。

「あれ? 怪我はしてない……ですか?」


 胸には、爪の跡と思われる、真っ赤な筋が三本。

 まだ多少痛むが、かすり傷で済んでいた。


「よく頑張ったな、君たち!」

 羽飾りの兜を被った、隊長とおぼしき人が、肩を叩いた。

「ありがとう、ございました」

「いやいや、あれが飛んでるのを見つけた時は、まだ2ミレはあってな。間に合わんかと思ったが、本当に良かった!」


 2ミレは約3キロのはずだ、走っても十五分はかかる。

 そんなに戦っていたのか。


「このあたりに魔物が出るなど、もう十年以上もなかったことだ。直ぐに王都に連絡を送って、警戒させることにする。すまなかったな」

 隊長はそう言ってくれたが、もう一度、三人で感謝を伝えた。



 アグレスと次の街へ、三人ずつ伝令を走らせた後、集団になって進むことにした。

 すれ違う旅人に、先の襲撃と野宿はしないように兵士が伝える。

 エンリコと名乗った隊長が言うには、グライエ山脈には、大型の獣も多く住んでいるが、あれほどに巨大化した魔物は珍しい、とのことだった。


 普段のオオコウモリは、羽を拡げても2せいぜいメートルほどで、果実や昆虫を食べる大人しい動物だそうだ。

 ちなみに食べられる、美味だとか。


 何とか予定の宿にたどり着き、エンリコ隊長達に礼を言ってからわかれた。

 エンリコ隊は、テントで野営だそうだ。

 北の大地で国境警備をして、移動は歩きで野営、しかも薄給。

 この世界の兵士も大変なんだなあ。


「もう一度、傷を見ておきましょう」

 ルシィがそう言うので、癒やしの専門家のアデリナも一緒に見てもらう。

 はだけた胸を、女の子二人に覗き込まれるのは、妙なものに目覚めそうになるな。


「よくまあ、これで済んだわねえ……」

「本当に、死んだかと思いましたよ」

「やっぱり、大量のマナが守ったんだろうね」

「ええ、それ意外に考えられません」


 興味深そうに話すルシィが、杖で胸をつつく。

「これじゃ分かりませんね、ナイフとかで刺してみていいですか?」

 やめてください! 痛いものは痛いんです!

 あれ以来ずっと塞ぎ込む様子だった、アデリナが笑った。


 鎧や剣にマナを付与すると、硬化して、強くなると言うのは前にも聞いた。

 よそ者に付与しても、頑丈になるんだ。

 この世界では、俺は物扱いなのかな、そんなことを考えながら、眠りについた。

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