第9話

 元の世界に帰られます? ルシィの問いは唐突だった。

 もちろん、売り上げ金をもって、『はい、さようなら』と言うつもりはない。


 だが、なんと答えようか。

 もっとこの世界を見てみたい、商売を続けたい、手広くがっつりやりたい。

 どれも、何か違う気がする。


 答えを急かすような茶色の瞳に、余計に頭が混乱する。

 何か言わねばと思った時、ポケットに入れていた物に指が触れた。

「こ、これ、昼に商人がくれたものなんだけど!」

 引っ張り出して、ルシィに見せる。


 商品をまとめて買いたいと言った、商人の名刺。

「これを貰って考えたんだけど、大きな街でもっと沢山売れればと思ったんだ」

 思い付きではない、考えていたことだ。ほんの少しだけど。


 ルシィは黙って青銅の板を受け取って、両面を眺めながら言った。

「これは、王都メディオラムの商人さんのものですね。商標と、裏は紹介状になってます。それで、王都まで売りに行くつもりですか?」

 実は分からない、出来ればもっと金儲けはしたい。

 だがお金だけでなく、色んな人に喜んで貰えるのは嬉しく、充足感があった。

 それに、この世界に来るのは、別の楽しさもある訳で……悩んでから、答えを決めた。


「ルシィと一緒に食べるご飯は、凄く美味しい。もちろん、料理も上手いよ! あっちだと何時も一人で食べてたから……。それで、こっちで稼ぐために、王都にチャンスがあるなら行ってみたいんだ。せっかく来たこの世界を、もっと見てみたい。だから、これからも来て良いかな?」

 終わりまで聞いてから、まあ、良いでしょうって感じで、青銅板を返してくれた。

 これで正解だったのかな、これでも天空城から飛び降りる気持ちで吐き出したのだが。


「それで、一人でメディオラムまで行くつもりですか?」

 そりゃ電車で終点までって訳にはいかないよな、そもそも場所も知らない。

 荷物を抱えて、見知らぬ土地を一人彷徨うのはごめんだ。

「あのー、良かったら一緒に来てくれない?」

 直ぐに返事が貰えると思ったら、ルシィが悩みだした。


 何時もは整然としたルシィが、珍しく困っている。

「うー実は、王都までって結構日数がかかるんです。その間は泊まりですから……」

 そ、そういう事か。

「だいじょうぶ、何もしない! 部屋は別に取るし、何なら俺は外で寝たって!」

「そ、そこまで心配してません!」

 どっちだよ!


 妙な空気になってしまった。

 現状をどう打開すべきか…‥と、そこへポンペイさんが入ってきた。

 木の腕を持ち上げて、入り口の方を指す、ルシィへの合図だろう。

「え? お客さんですか?」

 そう言ってルシィはこの空気から逃げ出した。

 良いタイミングだな、ポンペイ。


 からからの喉に、水で割った麦酒を流し込むと、戸口の方からルシィが呼ぶ。

「サガヤさーん、出てきて貰えますかー?」

 何事だろうと、玄関へ向かうと、黒いケープを付けた初老の紳士が立っていた。


 こちらを見て少し驚いたようだが、そのままにこりとして、話しだした。

「お昼にアンナ達がお世話になったようで、一言お礼を申さねばと。子供たちの食事が済むのを待っていたら遅くなってしまい、申し訳ない」

 わざわざ神父様にいらしてもらうなんて、とルシィが答える。

 この人が教会と孤児院の神父か、教会に気を付けろと言われたが優しそうだ。


 神父さんは俺の方を見て、落ち着いた口調で喋る。

「高価な物を持っているので、どうしたと聞いたところ、ルクレツィアに貰ったと言うので。今聞きくと、貴方から頂いたそうですね。ありがとうございます」

「いえ、そんな。ルシィがそうしたいと言ったから手伝っただけで、僕はなにも」


 神父さんは、優しそうに笑って続ける。

「孤児院は、街の皆様の寄付で成り立ってますが、なかなか子供たちに物を持たせてやる事は出来ないので、とても感謝しています。きっと、長く大事にすることでしょう」

 いえいえそんな、と繰り返し答えるがやっとだ。


「それで、これはお礼にと、子供たちが採って来たものです」

 そう言って小さな袋を、ルシィに手渡す。

「まあ、チコの実! 季節はまだ先なのに」

 りんごを二回りほど小さくしたような、果実だ。

「教会の庭で、食べられそうなのをみんなで探したので、召し上がってください」


 ありがとうございます、と揃って礼を言うと、神父さんは最後に一言。

「ルクレツィア、結婚したのなら、式を挙げてあげるから教会においで」

 先程までの会話の影響か、ルシィの頬が沸騰する。

「ちが、違うんです! この方はお客さんで、夜は自分の宿に帰られます!」

 薄々感じてはいたが、この世界、未婚の男女二人は珍しいみたいだ。

 タブー、と言うほどでもなさそうだが。

「そうかね、それは良かった。何事も、きちんと婚姻が済んでからだよ」

 神父さんは、そう言うと帰っていった。


 ルシィは一つ大きく吐くと、チコの実の袋を振り回しながら、食卓に戻っていった。

 追いかけて席に付くが、なんとなく目が合わせづらい。

「神父様、いい人なんですけど、堅いんですよねえ。やっぱり魔術はお嫌いみたいで、師匠が亡くなった時も、魔術師より教会の治療院を手伝わないかって言われました。マナを使って人を元気にするのも、道具を便利にするのも、同じなんですけどね」


 ルシィはそう言って、チコの実をくれる。

 見た目よりも硬い殻を剥くと、水気たっぷりの実が出てきた

 酸味とそれに甘さも凄い、食後にぴったりだ。

「日持ちして美味しくて、このあたりの名物なんですよ」と、ルシィが教えてくれた。


 家へ戻る時、ルシィが一枚の皮紙をくれた。

 この国の地図だ。

 今夜はこれを見て、これからの事を決めよう。

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