第2話


 頭の一部が動きだして、たぶんまだ生きてる事に気が付いた。

 いつの間にか、仰向けに寝かされていて、近くで声がした。


『何か話してるな、意味は分からないけど』


 激しくぶつけた鼻を中心に暖かくなり、急速に痛みも呼吸も楽になった。

 寝てる時に、鼻呼吸が出来ないとつらいものなあ、これでゆっくりと寝れる……。


『また誰かが話している、今度は聞き取れそうだな』

 浅い眠りの中で、周りの音だけを拾っている状態だ。


「これで通じるはずじゃ」

「ありがとうございます! このままだったらどうしようかと」

 穏やかな老人と、若い女性の声だが、妹……ではないな。


「それにしても、面倒な事をしでかすものじゃな」

「本当にすいません。あの、それでお代の方は」

「これ自体は高い物ではないが、しばらく使えるようにしておいたので、金貨で十五枚じゃな」


 何かの取引現場だろうか。

 ぼんやりと会話を聞きながらも、徐々に意識がはっきりしてくる。


「えーと、ではこれで」

「ほい毎度。マナの補充は、お主でも出来るじゃろうて」

「はい、ありがとうございました」

「では、またな」


 話は終わり、人が遠ざかる気配がする。

 このまま目を閉じていれば、また直ぐに寝れそうだ。

 しかし、何か大切なことがあった気がするが、なんだっけ。


 聞こえた会話を、反芻してみた。

 金貨、金貨と言ってたな……金貨と言ったらコイン、コインと言ったら通貨。



「……ふわっあ! 俺の暗号通貨!」

 急に思考が繋がって、ベッドから跳ね起きた。

 寝ている場合ではない。


「あれ、何でベッドに?」

 俺の寝床は、買った時の半分の厚さしになったせんべい布団のはずだけど。


 右、左と見回して、上を見る。

 次に手元を見てから、鼻を触ってみるが異常はない。

 夢だった? いやいや、ここは知らない部屋だ。


 広さは八畳くらいで、床も壁も古い教室のような板張り。

 右手には大きな窓と、左手には小さな机とランプ、その先に扉。

 そして天井には何も無い、照明器具が付いてない。

 曇りガラスから弱い日差しが差し込むが、お洒落な飲み屋なみの明るさだ。

 ベッドの正面にある本棚には、立派な背表紙の書物がならんでいる。


「何処だよ、ここ」

 自分の部屋でもなければ、病院でもない。

 不安になって胸に手をやると、上半身が裸な事にやっと気づいた。

 もう一つ、首からはペンダントがぶら下がっていて、それに赤いガラス玉が付いてる。


「なんだこれ……」

 手に持ってみると、意外と重い。

 さっぱりわからないが、手触りは現実だった。

 その時、カチンと軽い金属音がして、扉が開く。


「あっ! 良かったぁー、目が覚めたんですね!」

 入って来たのは、若い女性。

 足首まである長いローブと、左手には水差しとコップを乗せたお盆。

 こちらを見る目に警戒の色はなく、むしろほっとしている様子だ。


 栗色か亜麻色、明るめの髪を結わって頭に乗せ、目も同じ色調。

 髪をまとめているので、落ち着いて見えるが、二十歳は超えないと思う。

 ベッドの横まで、てくてくと歩いてくると、じっと見てきた。


 なんだろう、好奇心って瞳だが、これは照れくさい。

 緊張に耐えきれずに、『ここは、あなたは』と聞こうとしたのだが。


「本当にごめんなさい!」

 それよりも先に彼女は、がばっと頭を下げた。

 いきなり何事かと、事情をを飲み込めぬままに、栗色の頭を見つめていた。


 しかし、彼女の頭を見ていると、段々と、こちらが優位に居る気がしてくる。

 謝られると言うことは、あちらに落ち度があるのだろう。

 と言っても、あの床の底抜け、穴あき事故以外は考えられないけど。


 もしかすると、ここは大家か建築会社の手配した部屋で、彼女はその関係者。

 そう考えれば、辻褄も合うが、ここは度量を見せておこう。

 妹くらいの年齢の女の子を怒鳴るのは、気分も悪い。


「あーっと、君が謝る事じゃないよ。ただし責任者を呼んでくれるかな?」

 精一杯の威厳を出してみる。


「いえ、あのー、責任者はわたしなんです……」

 起き直った彼女の一言に、威厳も何処かへ吹き飛んだ。

「……はい?」

 続けられた彼女の言葉に、更に固まることになった。


「えーっと、魔法の素材を探す為に魔法陣を開いたんですけど、座標が大きくずれたみたいで……この大陸の何処かか、もっと遠くに居たあなたを、拾いあげてしまったんです」

 一息にそこまで言って、もう一度ごめんなさいと付け加えた。


 すまないが、まったく意味がわからない。

 何から尋ねるべきか困惑していると、どうぞとコップに水を注いでくれた。

 うん、冷たくて美味しい。

 少しだけ落ち着いたが、出てきた質問はずれていた。


「じゃあ、ここはどこ?」

「ここは、サグレサ国のフェアンって街です」


 これも、まったく聞いたことがない。

 地理が得意とか苦手とか、関係ないレベルで初耳だった。


「一応聞くけど、ヨーロッパかな?」

 軽く小首をかしげて、知らないと伝えてくる。

「けど、君は日本語を喋ってるよね?」


 我ながら、良いところに気が付いた。

 日本語が通じるなら、ここは絶対に地球の何処かだ。

 しかし彼女は、俺の胸にぶら下がっている赤いペンダントを指さして言った。


「その魔法の導具のお陰なんです。鼻から大量に出血してたので、お医者様に診てもらったら、この辺りの人ではないと。だから言葉を訳してくれるそれを……」


 何となく鼻を触ってみたが、もう異常はない。

 けど、俺がこの辺りの人じゃないってのは、異常なんだが。

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