第5話 呪い


(正直言って、飛び出すんじゃなかったと後悔してる)


アルフレッドは、波のように襲い来るスライムの大群を相手に孤軍奮闘していた。


(スライムのヤバさは、十分に分かっている。でも、体が抑えきれなかった)


スライムの体は溶解性の液体で出来ている。触った者の装備どころか血肉すら容赦なく溶かす。

その溶解する速度こそ微々たるもの。すぐに拭き取れば良いだけ。

だが時間を掛ければ、当然それはダメージになる。


(こいつら、ブヨブヨしていてただ殴るだけじゃ核にダメージが通らない!)


外に居るスライムは粘性を持っている程度だが、バベルの塔のスライムは弾力があった。

それもアルフレッドの誤算の一つ。

そしてもう一つ誤算があった。

スライムの波の奥。最初は気付かなかったが、冒険者の手が波に呑まれているのが見えたのだ。

見えてしまえば、もう逃げる事は出来なかった。体が、前へ前へと自分を押し進めていく。

見捨てられない。

助けたい。


RingRing...


その想いがアルフレッドの思考を支配していく。逃げたい、止めたい、その感情が消えていく。体が焼けるように痛む。グローブは既に半分溶けた。足も、胴も、体を守る部分がスライムによって溶かされていく。それでも懸命に拳を振るい、足を振り上げ、スライムを屠っていく。痛みは体を蝕み続けるが、思考は体を突き動かし続ける。もう何匹屠ったか分からない。どれほど波を押し退けたかも覚えていない。


RingRi...


「助け、たい」

「私は貴方を助けたいのですがね。アル」


一陣の風が、アルフレッドの顔を撫でた。

途端、群がっていたスライムが爆ぜる。文字通りに。

唖然とするアルフレッド。

その横に、アイリスが並び立った。


「パーティメンバーに逃げ帰れとはどういう事ですか?一応、貴方がパーティリーダーですが、貴方の勝手な判断だけで行動するとは言語道断です。ここを切り抜けたら貴方の奢りで反省会ですよ!」


アイリスは飛びかかって来た一匹のスライムを斬り伏せながら、アルフレッドを叱る。まるで悪戯をした子供のように。

アルフレッドはまだ状況を理解出来ていないようだった。


「うわっぷ!なにすんだ!」

「ライフポーションです。全身軽い火傷状態なのでしょう?多少和らぐ筈です。あと、スタミナポーションです。飲んでください」

「ドロドロしてるから飲みたく...」

「飲め」

「......はい」


アイリスはアルフレッドにライフポーションの中身を頭から身体中にぶち撒いて、更にスタミナポーションを押し付けて無理やり呑ませる。傷の痛みは薄まり、疲労感が和らいで体力が多少は戻る筈だ。


「今度こそ撤退しますよ」

「それは、出来ない」

「此の期に及んでまだそんな事を言いますか!」

「違う!人の手が見えた!あの大群の奥に!」


アルフレッドの言葉でアイリスがスライムの大群の奥を睨む。

が、なにも見えない。通路の奥は暗く、蠢く地面は見えども人影など見えもしない。


「ですが、撤退すべきです」

「ッ!だからお前だけで逃げろって言っただろ!」

「同じ問答を繰り返すつもりですか?同じパーティメンバーを一人残して去る訳にはいきません。貴方が撤退しないと言うのであれば」


アイリスは腰ベルトに差したスタミナポーションの蓋を開け、一気に飲み干した。


「私も付いて行きます。後ろと、援護はお任せを」

「勝手にしろ!死んでもしらねぇからな!?」

「えぇ、勝手にします。生きるも死ぬも。行くも逃げるも。全て私の自由に」


二人揃って横に並び立ち、拳と剣を構える。

まさか初めての冒険がこうも波乱万丈とは思いもしなかった。ゴブリンはまだしも、スライムの大群。初心者が到底立ち向かえるものではないのだろう。だが、こうしている。

気分は高揚している。

アイリスはニッと口の端を吊り上げて笑いながらスライムを見据え、


「行きましょう!」

「あぁ!行くぜぇぇ!」


二人揃って大群に突進した。


まず、アルフレッドが相変わらず相談もなしに前に出る。アイリスもそれが分かっているのであえて何も言わずに飛び出している。

ライフポーションとスタミナポーションは残り5個。「奥の手」も残してあるが、ギリギリまで残すべきだと判断する。

アルフレッドは的確にその拳でスライムの核を破壊していきながらひたすらに前への道を切り開いていく。アイリスはそれをサポートしながら二人に近寄るスライムを切り裂き、時間を稼ぐ。瞬間的に目を金色に光らせ、周りを注視し、より距離が近いスライムから斬る。それを繰り返しながら、アルフレッドの体調も管理する。ダメージが蓄積しているように見えればライフポーションの中身をアルフレッドに撒き、行動が鈍っているようであればスタミナポーションを投げ渡す。

こうして二人はひたすら前に進んでいく。その度にスライムを殺しながら、前に、前に。


(流石に『勇者の目』を使い続けるとキツいですね......!)


アイリスは産まれた時から至高神からの祝福を受けていた。その一端が『勇者の目』とアイリスが名付けている現象スキルだ。

発動している最中は思考が加速し、凡ゆる動きを捉えることが出来る現象。しかし、使用する際の反動は大きい。制御出来ていなかった幼少期には意図しない使用で目が見えなくなった時期すらあった。その為、訓練に訓練を重ね、瞬間的に使う事によってある程度自由に使用出来るようになっていた。

それでも、積み重なれば負担は大きくなる。鈍い頭痛がアイリスに襲い掛かり、目に激しい痛みが走る。まるで眼球を針で刺されているかのような痛みだ。


だがここで止まるわけにはいかない。

未熟さは承知だ。『勇者の目』を使わなければ、この場は切り抜けられないと分かりきっている。しかしヒールポーションもスタミナポーションも使うわけにはいかない。それどころかこの痛みには効かない事は過去に証明済みであるが故に無駄になる。耐えるしかない。


「アル!スタミナポーションです!これが最後!」

「お前が使え!俺は行ける!」

「ですが!」

「飲めつってんだ!それともドロドロが嫌いか!?」

「知りませんからね!」


心の中で謝りながらスタミナポーションを一気に呷る。カラカラに渇いた喉に絡みつき噎せ掛けるがなんとか堪え、飲みきった空き瓶をスライムに投げ付ける。

スタミナポーションを飲んでも焼け石に水だ。

息は上りきり、腕に力も入らなくなってきていた。

だがそれでも、と。体に喝を入れて前を向く。

気付けば、スライムの大群も残り少なく、大群の背後には壁が見えていた。


「さっきの魔法みたいなのは!?」

「もう出来ませんよ!あとは『奥の手』が一つしか残ってませんが使いたくありません!!」

「今が使う時だろ!ここで使わずにどこで使うんだ!?」

「......、ああもう!こればかりは後で請求しますからね!」


『奥の手』を使う事が最善手。アイリスは分かっていても、どうしても使う気になれなかった。「お守り程度に」と軽い気持ちで買ってみたモノ消費してしまうのだ。流石にこんな序盤も序盤で使う事は出し惜しみしてしまう。

バックパックの側面ポケットから、薄っすらと緑色に輝く石ころを取り出す。

手のひらの中で光るその石は仄かな暖かさを帯びている。

アイリスはギュッと握りしめ、頭の中で金額を反復しながら意を決して石に魔力を紡ぐ。


「現象せよ、<白刃風>!」


魔力を紡いだ石をスライムの大群に向かって投げつける。投げられた石は眩いほどの光を放ちながら四散する。

四散した石は風を伴いながら爆発し、前方を埋め尽くしていたスライムの大群の殆どを文字通り「斬り裂いた」。


「す、すげぇ!」

「惚けていないで行きますよ!あと少しなのですから!」

「ッ!おう!!」


残りのスライムは十数匹。

疲労しきった体ではあるが、殲滅するのは容易かった。


「はぁー、はぁー、はぁー」

「ふぅー、ふぅー、ふぅー」


肩で息をしながらアルフレッドはその場に座り込む。アイリスはショートソードを杖代わりになんとか立っていた。


「お、終わった...生き延び、たな」

「えぇ......そうです、ね」


アイリスは背後を振り返る。

そこには夥しい量の銅貨が転がっていた。

数えるのも馬鹿らしくなるレベルだ。

一体何匹倒したのか、それすらも分からない。


「さっきの、魔法だったのか?」

「半分正解。風の魔石に魔力を織り込んで即席の魔法にしたんです。最初のはまた別ですが。それより魔石一個、いくらするとお思いですか?」

「えっと、銀貨一枚?」

「銀貨十枚」

「うっそ!!?」

「本当です。後で雑貨屋にでも行って値段を見ればいいです。ポーション代を合わせて大損ですよ今日は......」


アイリスは大きく溜息をつく。おおよそで見積もって出費は銀貨二十枚も下らない。1ヶ月分の食費が吹き飛んだ事になる。

その事実を知ったアルフレッドも顔を青くする。流石に「俺には必要なかった」とは口が裂けても言えないからだ。

アイリスが居なければ今ここで息をしているかすら怪しい。


「金、ないんだけど」

「でしょうね。期待はしていません。ですので今後の働きで返して頂くということで」

「マジかよ...今後も付いて来るってことか?」

「当たり前です!貴方を一人にしておけば野垂れ死ぬということが確信出来ました。一度冒険を共にした者として放っておくわけにはいきません」


アイリスにしてみれば当初の「アルフレッドについて行く」という目的が達成出来ただけで万々歳なのだが、いかんせん金銭的出費があまりにも酷い。天秤に吊るしてもやはり出費の方が傾くのだ。苦い顔を隠せなかった。


「それで?例の見えた腕というのは?」

「......。アレだ」


アルフレッドが指差す方向。

この通路の際奥であろうその壁には一つの宝箱と、壁に追い詰められたように天に腕を伸ばす白骨化した冒険者らしき骸骨。

アルフレッドが見た腕というのはアレのことなのだろう。この結末が『分かっていた』アイリスは再度溜息が出そうになったがグッと堪える。ここまで耐えたのは無意味だったという訳だ。


「俺、何してんだろうな」

「こういう事もありますよ。さ、早いところあの箱を開けましょう。流石にミミックというわけではないでしょうし」

「やめてくれよな、そういう怖い事言うの...」


アイリスは座ったままのアルフレッドに手を貸して、そのまま引き起こした。

二人揃って宝箱を開ける。


「せーの、でいきますよ」

「りょーかい」

「せーのっ!」


鍵のかかっていなかった宝箱はたやすくその口を開き、中にあった物を露わにさせる。


「なんだこれ?」

「なんでしょうかこれ...?」


その中にあったのは透き通った水晶玉だった。

用途は不明だが、最奥にあるということはそれなりの価値があるのだろう。


「なにか釈然としませんが生きてるだけ儲け物、ということにして帰りましょうか。もうヘトヘトですし」

「賛成。だけど銅貨拾いも残ってるよなぁ...」


二人合わせて、来た道を見る。大量に転がる銅貨を見て二人揃って溜息をついた。

拾わずに帰りたいところだが彼らには一枚でも銅貨が必要だ。拾わないという選択肢はない。


「拾って帰りますか...」

「だな...」


疲れた顔と声で頷きあい、銅貨を拾いながら彼らは初めての冒険を終えたのだった。


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