第4話 バベルの塔


薄暗く、少しカビ臭いバベルの塔1階。

アルフレッドとアイリスの二人の初心者冒険者はゆっくりと、しかし確実にその足を進めていた。前衛として夜目が利くらしいアルフレッドが前に立ち、後衛としてアイリスがカンテラを掲げながら油断なく周りを見渡している。


「もっとこう、華々しいものかと思ってたぜ。冒険っていうのは」

「私もです。ある程度は覚悟していましたが、何か試練を与えられているような感覚になりますね」


流石に緊張しているのか、アルフレッドの口調も少なく声量も控えめだ。

それでも声は通路に反射して響く。

まるで世界が二人だけになったかのような。


Ring...


二人の耳に、鈴の音色が聞こえてきた。

微かに。まるで聞き間違えるぐらいにほんの少しだけ。それでも確かに聞こえてきた。


「......。聞こえました?」

「鈴の音か?聞こえたぞ。たぶん他の冒険者じゃないか?」

「態々モンスターを呼び寄せる音を鳴らす冒険者が居ますか?」

「居るかもしれないだろ。ほら、鍛錬とか」

「それはあまりにも危険なのでは......ッ!正面!!」


アイリスは叫びながらアルフレッドを押し退けて前に立ち、左手に持つバックラーで飛び込んできた投げナイフを防ぐ。

カンテラを前に掲げ、投げられたナイフの先を照らし出す。


「なんだ!!?」

「見ての通り敵襲ですアル!ゴブリンが五体。これだけの接近が気付かなかったのは次回への反省ですね!」

「話してたのが悪かったな!突っ込む!明かりを頼んだぞ!」

「ちょ、まっ待ってください!」


アイリスの制止を聞かず、ナックルグローブを構えたアルフレッドが一瞬消えてゴブリンの群れに突っ込んだ。


「でやぁぁぁ!!」


アルフレッドが繰り出した拳の一撃が一匹のゴブリンの頭を捉え、その頭蓋を砕く。返す刀でもう一匹に狙いを付け殴り付けるが寸前で躱され、アルフレッドは舌打ちした。その背後から迫っていたゴブリンを回し蹴りで吹き飛ばし、一旦距離を取る。


「上手い事いかねぇ!」

「当たり前でしょう!?バベルの塔から生み出されるモンスターは野外のモンスターとはレベルが違うのですよ!」

「先に言ってくれ!」

「ギルドの試験官が試験中に話されて、って貴方遅刻してきたんですねそういえば!」

「うるせぇ!今はその事はいいだろ!?」


言い合う二人だが、その間を待っていてくれるモンスターではない。

残った四匹が一斉に二人に襲いかかってきた。


「まずっ!」


アルフレッドがアイリスを援護しに行こうとするが分かれた二匹が行く手を阻み、それを許さない。


「アイリス!」


叫ぶ。だが二匹はアイリスに飛び掛かろうとしている時だった。アルフレッドは己の愚かさを呪った。だが、それもすぐに杞憂だと知ることになる。そう、彼はまだ知らないが彼女は女の身でも勇者の末裔なのだ。


「見縊らないで頂きたいですね。初代剣の勇者様の加護ぞあれ!」


アイリスはカンテラを腰に下げ、既にショートソードを腰に巻いた鞘から抜き出していた。


左から飛びかかってきたゴブリンをバックラーでいなし、右から来たゴブリンをショートソードの『会心の一撃』で真横に斬り裂く。

ゴブリンの斬り裂かれた腹から血が吹き出てアイリスの右半身を赤く彩るが、アイリスは気に介した様子はない。そして体制を崩されて地面に転がっていた残りの一匹の腹を渾身の力で踏みつけ、逆手に持ち替えたショートソードをその口に突き立て、思い切り捻った。

ゴブリンは断末魔の叫びを上げながら絶命した。

アイリスはショートソードを引き抜き、アルフレッドと対峙していたゴブリンにショートソードを投げ付ける。避けきれなかったゴブリンはその首にショートソードが突き刺さり、そのまま倒れ伏した。

残ったゴブリンもアルフレッドの拳の一撃を受けて即死した。


「いっちょ上がり、だな。敵影はなし......。だけど急に来られるとやべぇな......」

「次回への反省と致しましょう?今悔いていてもしょうがないですし」


ゴブリンに刺さったショートソードを引き抜き、血脂を布で拭い取りながらアイリスはアルフレッドに声を掛けた。


「前衛がしっかりしてなきゃいけなかったのに、ごめんな?」

「大丈夫ですよアルさん。気にしていませんし、それに遠慮はいらない、でしょ?」


アイリスは悪戯な笑みを浮かべながらアルフレッドにそう応える。


「顔が血塗れなのにそんな笑顔されると、すっごい怖いぞ...」

「あら失礼。......良し、では先に進みましょうか」


バベルの塔のモンスターは死ぬと塔に吸収されるように消える。二人が倒したゴブリンも例外ではなく、消えたその跡には一枚の銅貨が残されていた。

これもまたバベルの塔のような至高神が創り上げたと言われるダンジョン特有の現象だ。

至高神が創り出したと言い伝えられている世界にいくつかダンジョンは存在する。

ダンジョンはこの世界に住まう人々に「試練」を課すかのように罠やモンスターを生み出す。そしてそれを乗り越えた者には必ず「報酬」が与えられるのだ。

モンスターが消えた跡に財貨などが残る事もまた「試練への報酬」と考えられていた。


ゴブリン五匹分の銅貨を拾った二人は歩みを進める。

次は油断せず、周りを見て、仲間に気を使う。

遠慮はせずとも仲間を頼れば先程のように危うい場面は少なくなる。一人でやりたがっていたアルフレッドも多少はアイリスの意見を汲み取ってくれたようだった。


「しかし、先程の鈴の音はなんだったんでしょうね」

「知らねーよ。考えてもしょうがないだろ」

「まさかモンスターが湧き出てくる時の音だったり、して」

「まさか。神さんもそこまで親切にやってくれねーだろ」

「ですよねぇ」


静かに他愛ない話をしながら、二人は進んで行く。

先程の鈴の音。それがどうにもアイリスは気になった。

冒険者の持ち物説も、塔がモンスターを生み出す時の音説もどれもピンと来ない。

考え、思考に耽りそうになったところを頭を振って振り払う。

考えるなら宿に戻ってからで十分だ。


先程のゴブリンを倒してから、二人はただ道なりに進むだけだった。


「待て、前に何かいる」


バベルの塔に侵入してから半時間後だろうか。

前を歩くアルフレッドがアイリスに制止を掛けた。

アイリスはその声に反応してランタンを下ろしてショートソードを引き抜く。


「スライムだ」

「スライム......対象を溶かして捕食すると伺っていますが、それほどなのですか?」

「一体一体はそう強くない。ヤツらには核があるからそれを壊せばただの液体になる。だけどこいつらは基本ジメジメした場所にいやがる。洞窟とかにな。あとこいつらは基本群れて動く」

「あの、それって非常に不味く、ないですか...?」


目の前に居た一匹のスライム。その後ろから見えてくる、通路を奥まで埋め尽くすスライムの大群。

いや、通路どころではない。


「更に厄介なのが、こいつらは壁や天井にも張り付ける」


アイリスは自分の顔から血の気がサッと引いたのを実感した。

薄暗い通路。床も、左の壁も、右の壁も。そして天井も。黄緑色をしたウネウネと動く物体。スライムが所狭しと詰め込まれていた。


Ring...


再度、鐘の音鳴った。まるで試練を与えるかのように二人の耳に現実を伝えてくる。

アイリスとアルフレッドの二人に、思考する暇すら与えないように。

それと同時に、もはや数も分からないスライムの大群が二人に襲いかかってきた。


「ッ!アル、撤退を!」

「ふざけんな!こんな初めての冒険で逃げ帰るなんて出来るか!一生冒険初日からオメオメと逃げ出した情けない冒険者ってレッテルが貼られるんだぞ!」

「だからといってこの群れは無理です!」

「だったら一人で帰れ!」

「なっ!?」


二人とも唐突に訪れた試練に頭が回っていなかった。アルフレッドは既にスライムとの戦闘に入っている。それどころか、周りをスライム達に囲まれていっている。


アイリスは焦った思考する。

撤退すべきだ。

どんなレッテルを貼られようと、生きていれば幾らでも再起を図れる。

無謀だ。

こちらは準備をしてきた。

だがそれもあの大群の前では無意味だ。

だからといって、逃げろと?

彼を、アルフレッドを置いて逃げろと?

巫山戯るな。冗談も程々にしろ。


不思議と、焦りは消えていた。

残ったのは冷静な頭と、「彼を助ける」という信念だけだ。


「我は...剣の勇者の末裔たるマルセイユの三女において血を引き継ぐ者なり......。初代剣の勇者様の加護ぞあれ」


アイリス・D・マルセイユは勇者の末裔だ。

その血と、至高神からの『祝福』が彼女を勇者の末裔たらしめる。


アイリスはバックパックを展開して、必要な物を腰ベルトに無造作に差し込んで行く。

そして準備の終わったアイリスは深呼吸をしながらショートソードを引き抜き、目を見開いて足に力を込める。


「いざ...!」

低く構えながら走り出す。

目の前の地獄へ。

目の前の絶望へ。

その瞳を僅かに『金色』に染めながら。

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