第一章 第一歩

第1話 ギルドにて


「真逆、ここまで駅馬車の乗り心地が悪いとは...。旅商人が痔になるという噂もあながち嘘ではないようで......」


王都から駅馬車で三日。王国の端、デルトラ平原にそびえ立つ神が創りし天を貫く巨塔。通称『バベルの塔』。

その塔の根元に円状に広がるバベルの町。バベルの塔から持ち運ばれてくる様々な素材を売買する商店が軒を連ねる。当然、バベルの塔目当ての冒険者相手の宿屋、酒場、娼館。果ては賭博場まで。この街で買えぬモノは塔の最上階にある財宝ぐらい、と呼ばれる程である。

その町に降り立ったアイリスは痛む小ぶりな尻を労わりながら賑わう大通りを歩いていた。


「町に着いたのならばすぐさまギルドにて冒険者登録を済まそうと思ってはいましたが、これでは試験も受けられそうにない...」


理由は当然、硬い駅馬車の椅子で尻は痛むし馬車に慣れない身体が固まっているからだ。


一昔前の冒険者というモノは傭兵であったり孤児や身元の分からぬ者が遺跡なんぞのダンジョンに潜り、トレジャーハントをする......という無法者や無頼漢達の総称であるのが一般であった。

しかし数百年前に突如としてバベルの塔を含む「至高神が創り出した4つのダンジョン」が現れてから、冒険者は夢見る者達の憧れの職業になっていた。

王国としても、バベルの塔から持ち帰られる金銀財宝であったり珍しいモンスターの素材であったりなどは喉から手が出るほど欲した。

なので冒険者を正式な職業と認めたのだ。

また、当時の戦乱で溢れかえっていた難民達の為に冒険者ギルドを設立して難民達の素性を申告制ではあるがまとめ上げ、管理し、職を与える事が出来たのである。一石二鳥どころか何鳥になるか分かったものでは無かった。



それが数百年の時を経ながら冒険者は立派な職業として王国に迎え入れられているのである。

が、冒険者と名乗って悪事を働いたりまともに活動出来ずにただ死ぬだけの人種も居たので、当然の事ながら適性試験というものが生まれたのだ。

アイリスは駅馬車の中で、どういう試験をするのか、だとか難易度などの情報は既に集めていた。

結果はアイリスも簡単に合格出来るレベルだった。

情報があるかないかでは大違いであるからだ。情報の大切さは貴族としての暮らしで良く分かっている。


「まずは宿屋。少し奮発して個室の方が良いでしょう。出来れば鍵が掛かる部屋でないと...」


身の危険だとか。今持っているこの大金が、だとか。主に安全のためだ。アイリスは女性だ。しかも自分で言うのもなんだがそれなりの顔をしていると思っている。胸が小さいのがたまに悩みどころだが、男装をしやすいので一長一短といったところか。


「男であればこういう苦労はしなかったんでしょうね...そもそも勘当されることもなかったですし」


独り言を呟きながら、御者から聞いたメモ通りに道を歩く。

大通りから少し外れた小さな飲食店が並ぶ通り。通りの看板には「クローバー通り」と書かれていた。その通りの中腹に、目当ての宿屋はあった。


「幸運の四つ葉亭...ここですね」


縁起担ぎを兼ねた店名に随分とくたびれてはいるがよく整備されている外見に清掃された玄関。少なくともハズレではないであろう。縁起担ぎの店名も合わさり、アイリスの気分はとても良い。


店内に入ると受付にビッグベアーのような大男が居た。

その目はじろり、とアイリスを品定めするかのように下から上まで舐めるように見ている。アイリスがこの行為に不快感を抱かないのは店主の真意が理解出来たからだ。


(まぁ明らかに小綺麗な格好の顔も見た事がない女が来店してくればどこのボンボンだと疑いますよね)


冒険者相手の宿に貴族が泊まることは基本的にない。つまるところ、十中八九厄介ごとなのだ。


「すいません。三日分の宿を取りたいのですが部屋は空いていますか?」

「...........何も反応しないのかい?」

「女の身です。慣れておりますし?」


仮にも女性の肢体を品定めするかのように見た皮肉だ。前述の通りアイリスは怒りを抱いている訳ではないのでちょっとしたお返しだ。


「厄介は持ち込むな」

「これから冒険者になろうとしている独り身の女が厄介だと仰られるのですか?」

「そうじゃない......。まて、しかもまだ冒険者ですらない、だと?......分かった。俺の負けだ。三日分だな。部屋の希望は?」

「個室。鍵のかかる部屋を」

「ウチは全室個室だ。一人用でいいな?飯は?前金でも取り扱ってるぞ」

「取り敢えず今晩のみでお願いします。翌日以降の利用ははその場で支払えば?」

「そういうこった。この奥に飯処がある。そこで部屋番を言いな......。鍵だ。3階の一番奥。風呂は近くの共同風呂だ。水浴びしてぇなら裏庭の井戸でやれ。ほかに質問は?」

「ありません......。はい、代金ですわ」

「確かに。ようこそ塔の町バベルへ。貴方に良き休息があらん事を」


一度店主に認められれば話はスムーズだ。成る程、この宿は雑多な冒険者は本来泊まれぬ宿なのだろう。相部屋や雑魚寝部屋がない宿は冒険者にとって高級宿だ。あの駅馬車の御者はアイリスの身分を勘付いていたか、はたまた悪戯目的だったのか。もはや分からぬ事だが今はどうでもいいだろう。


指定された3階奥の部屋鍵を開け、中に入ればベッドと荷物入れ用の棚。机に椅子、それに貴重品用であろう床に固定された鍵付きの鉄箱。ベッドは綺麗にシーツが張られていて、さらりと肌触りが良く、ベッド自体も柔らかい。多少値段が張る理由も、よく分かる。


閑話休題。


翌日。

昨晩は荷ほどきする前にベッドに転がったらいつの間にか太陽は沈んでいたりで結局何も出来なかったりしたが、今日は念願の冒険者ギルド初来訪の日であった。

クローバー通りから大通りに出て塔の根元まで歩く。根元にあるアイリスの実家並の大きさを誇る施設こそ、冒険者ギルドだ。玄関に立つ看板にも勇ましくその文字が踊っていた。


ギルド内に入れば様々な装備の冒険者達で賑わっている。アイリス風に言えば、社交界に近かった。

とりあえず受付を目指し、その歩を進める。何人かに観察されはしたが初心者など珍しくないのだろう。たどり着いた受付でも淡々と処理をこなされた。


「まずは冒険者登録用紙に必要事項を記入して下さい。申告制ですが、貴方本来の情報をそのまま記入をお願いします」


受付嬢に促されながらアイリスは登録用紙の空白を埋めていく。とはいっても名前と年齢、出身地と得意な事を書く程度の簡潔な用紙だ。流石に『剣の名家』であるマルセイユの性を使うわけにはいかないので母の旧姓であるダウェンポートという性を書く。彼女のミドルネームでもあるので嘘ではない。

こういうものは嘘を書かない方が良い。嘘を映し出す「真実の鏡」というマジックアイテムが存在する以上、ギルドには存在する筈だからだ。


「では23番の番号札をお渡ししますので昼の鐘がなり次第、当ギルド裏庭にお集まり下さい」

「分かりました。ありがとうございます」


お礼を言って受付を後にする。

さて困った事に昼の鐘までは時間がある。

町を見回ろうと思っても地理も何も知らない身。道に迷って集合に遅れるわけにはいかず、彼女はギルドに併設されている酒場で時間を潰す事にした。


席が空いて居なかったので酒場の奥へ進むとそこだけぽっかりと人が居ないテーブルがあった。黒いコートにフードを被った一人の男が業物と見える大剣を壁に立て掛け、そこに座っていた。溢れ出ている不機嫌なオーラと殺気の影響で誰も座らないのだろう。


「席、空いていますか?」


そんな不干渉地帯に空気を読んでか読まないか。

店員でさえ近寄ろうとしなかったこのテーブルにアイリスという女は突っ込んでいった。


「見れば、分かるだろう」

「ではお言葉に甘えまして失礼しますね。店員さんすいません、果実酒とソーセージをお願いします」


新たに殺気を飛ばされても涼しい顔で男の対面に座るアイリス。注文を取りに来た酒場の店員の引き攣る顔も気にせずに注文を済ませ、そのまま代金を支払った。


周りの喧騒も少し静かになり、酒場からの視線をアイリスは浴びる。だが気にする素振りも見せず、給仕が持ってきた果実酒で喉を潤した。


「......俺を、知らんのか?」

「この果実酒美味しい......。こほん、存じ上げませんが少なくとも貴方が私に危害を加えるような方ではないとは分かります」

「ほう?」

「というよりもこの酒場で態々、このようなか弱き女に暴力を振るう暴挙、取られます?」

「後で、というのは考えないのか」

「娼館にでも行かれて下さいとしか」


「ど、どうぞ...」と震える声の給仕に差し出されたソーセージの盛り合わせをアイリスは受け取った。

いつもの作法で食べようと無意識に動いた手を一旦止めてフォークでソーセージを刺してそのまま齧り付く。その姿でさえどことなく上品さが醸し出されている。

その笑顔はソーセージの美味に酔いしれていた。


「貴族のボンボンか?痛い目を見ないうちに家に帰りな」

「礼儀作法しか誇れるものがない貧乏一家から追い出されて家なしですので、帰る家もありません」


また場に重い空気が流れ込む。


「......死ぬぞ」

「それも運命ならば受け入れましょう。ですが運命は抗うもの。足掻いた先にあるものが死であるなら本望です」

「訳の分からん女だ。名前は?」

「女に先に名前を聞くのはマナーがなっていないのでは...?失礼。冒険者の先輩であろうお方に無礼を働きました。お許しください。アイリス、と」

「アイリス......か。顔と名前は覚えた。俺の名はカイル。此方こそ淑女に無礼を働いた。詫びよう。何か飲むか?」

「では果実酒のお代わりを」

「......店員、果実酒を一つ頼む」

「かっかかかしこまりましたぁ!」


あの給仕、新人さんでしょうか?とアイリスは果実酒を飲み干しながら店員を見る。

その女性給仕の頭には獣人特有の耳と萎縮しきったしっぽがぶら下がっていた。

アイリスが妬むような豊満な胸には初心者マーク。やはり新人のようだ。

新人女性給仕も不幸だろう。彼女は先日の給仕になったばかりで研修中の身であった。先輩店員達も偶々フロアに居らず、対応せざるを得なかったのだ。


さて、そんな給仕に心の中でごめんなさいしたアイリスは新しい果実酒をちびちびと飲みながら目の前に座るカイルと名乗った男を見る。目元はフードに隠れて見えないが、見え隠れする頬には大きな切り傷がある。体つきも相当鍛えられている彼は恐らく上位の冒険者だ。

バベルの塔についての情報を聞こうかと思ったが法外なモノを対価に要求されても困るので彼女は目の前のソーセージと果実酒の美味に舌鼓を打った。


「あっ、もうこんな時間。失礼しますカイルさん。これから冒険者講習がありますので」

「......まだ冒険者ですらなかったのかお前は」

「貴方のような男性の顔に驚愕の表情を受かべさせられた事を光栄に思います。果実酒、ご馳走さまでした。では」


カイルの言葉を待たずにアイリスは立ち上がり、受付へと向かう。皮肉は一切なく、強者に力以外ではあるが一本取れた事を彼女は誇りに思っていた。


ギルド裏庭。

そこには20名ほどの冒険者希望であろう者たちが屯していた。

粗末な武具しか持たぬ者からしっかりとした装備を持つ者まで様々だ。

集団を後ろから眺めていると、彼らに声が掛かった。


「只今より冒険者試験を開始する。番号順に呼び出す。一番!」


一番と呼ばれた青年が前に出る。

今から行われる試験は戦闘技能を測るらしい。


ギルドの試験官であろう冒険者と冒険者希望の者達が順番に試験官との試験に挑んでいく。終わった者は順番に裏庭から出て行った。

そして最後に残ったのはアイリスだった。


「君だな?死神カイルと同じテーブルに座るだけでなく果実酒まで奢ってもらったという肝の座った女性は?」

「えぇ。その通りです。ですが死神とは。彼の方は紳士に見えましたが」

「ただの噂話から着いた異名さ。君が気にしないのであればそれでいい。さ、試験を始めよう。得物はラックから好きなものを取れ」


冒険者として年季が入った男性が促し、アイリスは武器ラックに置かれた武器の中から迷いなくショートソードを選んだ。訓練用に刃を潰されたショートソードは少し重かったがアイリスは気にも留めなかった。


「準備は良いか?開始は君のタイミングで始めてくれ」


男は隙なく構え、アイリスもショートソードを構える。

一度深呼吸をして息を整えた彼女は腰を浅く落とし、男との間合いを一気に詰めた。

上段から放たれた剣筋を読み切ったように男は軽くいなしてアイリスとの距離を取ろうとする。

すかさずステップを踏んで間合いを詰め、斬りかかる。それも軽く躱された。

地力が違い過ぎる、とアイリスは心の中で舌打ちをする。実家では父にある程度の稽古はつけて貰っていてもやはり本業とは何から何まで敵わない。


それでも、とアイリスは男に食らいつき斬り結ぶ。

何度も。何度も。

息が上がり呼吸が乱れる。

腕が重い。

足も泥沼に嵌り込んでいるかのようだ。

汗がジワリと肌から垂れる。

音が聴こえずらい。

自分の心拍音と相手の行動から発せられる衣摺れの音や足摺の音だけが世界を占めているかのようだ。

せめて剣を受け止めさせるぐらいは、と更に食らいつく。

目に汗が入ったのか、左目が少し痛む。

感情が高まって来たからであろうか、世界も少し遅く見える。

あの『現象(スキル)』を使った訳ではない筈なので恐らく錯覚だろう。


だが均衡はそこで終わった。剣が宙を斬ったその瞬間に、アイリスは足を蹴られて地面に倒れこんだ。

「ふぎゅっ!」と何処から出たか分からない情け無い声と共に、試験は終わった。


「...何処かで剣の教えを受けていたとみえる。剣に殺気も力もないのはしょうがない。剣筋は甘いが才能はある。足捌きとその恐れ知らずの踏み込みは中々のモノだ。体力もある。良い冒険者になれるだろう。試験は終わりだ。呼吸を整えたら別室に向かいなさい」

「ひゃ、ひゃい......」


アイリスは地面に倒れたまま、荒い息で呼吸を繰り返していた。

中々どうしてこの教官、人をよく見る才能があるのか言葉が上手いのか評価が嫌味たらしくなく心地良い。指摘されたものも以前からアイリスも課題だと気付いていた事だった。


「あー地面が冷たくて気持ちいい......」

「さっさと移動しなさい」

「私で最後なんですからもうちょっと.........」

「次の試験官も待っているのだがね...おっ?」


教官が何かを見つけたように声を上げる。アイリスも釣られて教官の目線の先を見た。

12、3歳の少年が急いでやって来たのか荒くなっている息を整えている最中だった。


「遅れた!!!!!!番号札6番!アルフレッド!!!!!!」


自分の番号と名前を怒鳴るように叫んだ少年はまた息を整え出す。


アイリスとアルフレッド。後に腐れ縁として共に切磋琢磨し、冒険者として共に歩む事になる二人がの初の顔合わせの瞬間だった。


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