第188話 遭遇

「やっと見つけた」


チラチラと降り始めた雪の中、直人は街角の隅にいる女子の姿を見て言った。

目立つのを避けるように電柱の影に身を潜めるようにして立っていたのは、直人がまさに探していた榊原摩耶その人だ。


「葉島君?」


彼女は光学迷彩『身隠し』を解除すると驚いてそう口にする。

摩耶のいる場所を一目見ては、惑わされるような素振りを全く見せずに摩耶に対して口を開いた直人。彼女が驚くのは自身が得意とする身隠しが直人に通用していないのが明らかだったからだろうか。

しかし、その時摩耶はこの感覚に既視感を覚えた。


「前にも、こんなことありましたね」


そう言う直人が思い出していたのは入学式の時の記憶だ。

あの時も直人は身を隠していた摩耶を一瞬で見破った。


「どうしてだろう。私の身隠しは完璧なはずなのに、葉島君にはいつも見破られてしまうわ」


不思議そうにそう言う摩耶はまだ異能以外にも習得すべき力があることを知らない。


直人が摩耶を見破れたのは五大体術の一つ、サグリの力によるものだ。

サグリを極めている直人にとっては、街往く群衆の中から個人を見つけ出すことなど実に容易いことであり、光学迷彩もそれと同様簡単に破ってしまうのである。


もしサグリを習得した異能力者からも身を隠したいのであれば、サグリとは真逆の気配を消す効力を持つ『ハライ』という五大体術を極める必要がある。

だがそれにしても、人類の極限レベルまでサグリを極めている直人を相手にする場合は、数秒程度の時間稼ぎにしかならないのだが。


「⋯⋯葉島君。一つ、聞いてもいい?」


すると、摩耶が小さな声で言う。

しかしそうは言ったものの、そこから先の言葉に悩んでいるようで、やや躊躇うように直人に対して迷いながらもじもじとしている。


摩耶が直人に聞きたがっているのは、直人が時折見せる強さの片鱗の正体が一体何なのかだ。摩耶の光学迷彩を見破り、異能も使わずにスターズトーナメントを勝ち上がるほどの力。多くの人はそれをまぐれやハッタリと考えるかもしれないが、摩耶は直人の持つ力が本物だと確信していた。


しかし、直人の素性を彼女は全く知らない。

交友関係も闇に包まれ、それを尋ねようとしても霞を掴もうとしているかのようにするりと逃げられてしまう。掴もうにも掴めない異様な存在。


何より彼は彼自身が強者であることを隠したがっている。それは彼の消極的な姿勢を見れば明らかだ。一体何が彼をそうさせているのか、それを摩耶は知りたかった。


「葉島君、貴方は一体⋯⋯」


数秒の間の後、意を決して摩耶は直人に問いかけた。

貴方は何者なのかと。ただ単純にそう尋ねようと口を開いた。


だが、それは突然ある音によって遮られる。


ヴーッという振動音と共に、警告音が辺りに響き始めた。

その音の発信源は摩耶の目の前にいる直人だ。


「すみません、ちょっといいですか」


仕舞っていた携帯端末を懐から取り出し、画面に表示されている赤いハザード画面を見る直人。またも摩耶の問いかけは核心に近づく前に遮られてしまった。


しかし、端末を見た直人はそれを見るや呟く。


「侵入者か⋯⋯?」


フォールナイトに招かれざる客人がやって来た時に、マキと直人の端末に自動で送信される警告通知。それがまさに直人の端末に表示されていたのである。


「⋯⋯榊原さん。走れますか?」


「えっ⋯⋯走る?」


「フォールナイトに誰かが侵入しました。きっと、アニイを狙う人物でしょう」


すると直人は、自身の携帯にあるコードを打ちこんだ。

アニイが何者かの襲撃を受けたかもしれない状況下でも直人が慌てない理由は、マキが予め仕込んでおいた様々な対外用装備の数々にある。


「アニイの魔力を封じている拘束機の中にビーコンを仕込んであります。もしアニイが移動すればビーコンを通じて居場所がすぐに分かるはずです」


すると直人の端末に、ピピッと音を立てながら高速で移動するアニイの位置情報を記す紫色の点がある。これはアニイが移動していることを証明するものだ。

その速度はかなり早い。徒歩や自転車の速度ではないようだ。


「まさか、空路か?」


街のど真ん中をこんな速度で移動できるわけがない。

とすればヘリコプターや飛行機の類での移動のはずだ。


しかし、ここでビーコンの反応に異変が起きた。

ビビッという異音の後に、突然点が点滅すると反応が消えてしまったのだ。


「こんな時に故障か⋯⋯」


チッと無意識に舌打ちしてしまう直人。

恐らくアニイの魔力に長時間触れすぎてビーコンに異常が生じたのだろう。


「せめてここから見えれば⋯⋯」


目を凝らし、ビーコンの反応があった方向に目を向ける直人。

しかし、流石の彼の視力でも空に物体は確認できなかった。


だがここで、摩耶が目を閉じた。

そして暫くしてから何かに気付く。


「東の方角、ここから8キロ先に怪しいヘリコプターが飛んでるわ」


振り返る直人。するとそこには、意識を集中させて何かを追っている摩耶がいる。

感覚を研ぎ澄ませると、まるで一帯を包み込むかのように摩耶から微弱な魔力が放出されているのを直人は感じた。それはまるで、摩耶がレーダーになったかのように。


「榊原さん、もしかして異能でアニイの居場所を⋯⋯」


「でもギリギリよ。あと少し離れられたら追えなくなるわ」


摩耶の空間把握領域はS級異能の枷を外したことで、広大な域に達していた。

今の摩耶は、彼女を中心とした半径数キロの広範囲の全てを把握できる超高性能の人間レーダーであり、そして摩耶はその力を使ってアニイがいるであろう不審な飛行物体を見つけ出すことに成功していた。


その力の精度はもしかすると直人のサグリを越えているかもしれない。そんなことを考える直人だったが、彼はこれ以上それについて考えることは止めることにした。


「急いで追いましょう。今から全速力で走れば追いつけ⋯⋯」


と、ここで口を噤む直人。

鈍感な直人といえど、それが現実的でないことにはすぐに気が付く。


直人の『全速力』とは、マトイを全開にして自身の身体能力を極限まで引き出したうえに強化することで生まれるスピードだ。だが、ヘリコプターの位置を正確に把握できる摩耶は出来れば連れて行きたい。しかし、摩耶が直人の全速力についていけるとは流石に思えなかった。


これがいつもなら、マキに頼んで自動操縦が可能な車を用意してもらったりも出来たが、何故かマキとは未だに連絡がつかない。

もしやマキも敵の手に堕ちたのではないか。そんな可能性も直人の頭に浮かんでいた。


ならもういっそ摩耶を抱きかかえて走ってやろうか。

そんなことを直人が考えたその時だった。


「ヘイ! 君のことをずっと探していたよマヤ!」


ここで突然、直人たちの後ろから朗らかな声が聞こえてきた。

そして直人と摩耶の前に巨漢の外国人が現れる。


「どう? 中々クールだと思わないかい?」


現れたのはアレクだ。しかし恰好がちょっとおかしい。

通りかかる人々が皆釘付けになってアレクを見つめているが、それは彼が他の人々と比べてずば抜けて大柄なこと以上に、その服装が原因だろう。


彼はちょんまげのカツラに裃を着た、いわゆる侍風コスプレをしていたのである。

本人はかっこいいと思っているようだが、今の現代日本の日常風景の中だと完全に悪目立ちしていることに彼は気付いていない。


「アレク! いい加減そんな服装で出歩くのは⋯⋯」


と、ここでさらに甲高い声が後ろから更に聞こえてきた。

がしかし、その声も途中でブツ切れになった。


それはひょっこりとアレクの横から顔を出した少女が、彼女の真ん前にいる摩耶を見た瞬間だった。


「摩耶様ああああああああああ!!??」


ガチャーン!と私物の入ったバッグが宙を飛び、同時に小さな少女も飛んでくる。

そして摩耶の腕を掴むと涙ながらにブンブンと振り始めた。


「摩耶様!! やっと、やっとこうして会うことが出来ましたわ!!」


「り、凜。普段も学校で会ってるじゃない⋯⋯」


現れたのは櫟原凜だ。

その後ろにはいつもの如く赤城原翔太郎もいる。


「もう何カ月も一体どこでお過ごしになられているのですか!? もう永らく摩耶様とも真面にお会いできない時間が続き、私はもう心配でおかしくなりそうで⋯⋯!」


実は、凜は生徒会承認式の一件以降、摩耶とはほぼ会話を交わしていなかった。

また摩耶は凜には自分が今何処にいるのかも伝えておらず、学校でもそれに関する真に迫った話を避けるために、凜だけでなく同じレベル5クラス生とも距離を取っていたため、学校内でも摩耶と言葉を交わす人は皆無に近かったのである。


因みに凜は、あの一件で摩耶に灸をすえられたことで猛省したのか、あれ以降はトラブルを起こすこともなく烈や陽菜たちともそれなりに仲良くやっていた。

しかし敬愛している摩耶から頑なに接触を拒まれている原因が分からず、凜はあの一件を未だに根に持っているからだと思っていた。

凜は摩耶の今の難しい現状をまだ誰にも教えられていないのである。


「もう、もうあんなことはいたしません!! どうかお許しを!!」


そう言うやその場で土下座し始める凜を慌てて止める摩耶と翔太郎。

するとここで翔太郎は、摩耶の後ろに直人がいることに気が付いた。


「⋯⋯⋯」


「何だ。何かいいたそうだな」


「⋯⋯フン」


プイっと顔を背ける翔太郎。

もう直人とは話もしたくないという様子だ。


一方で、そんな彼らの様子を面白そうに見ていたアレクだったが、ここで自分の服装が注目を集めていることに気が付くと摩耶に言った。


「日本に来たら一度これを着てみたかったんだよ。だから凜にこれを用意してもらったのさ。それに、この恰好なら次こそ君に僕の思いが届くと思ってね」


どうやら摩耶にディナーの誘いを無視されたのは悪い意味で根に持っていないようだが、タダでは起きないこの男は斜め上な方向に思考を進化させて戻って来たらしい。


だが何より摩耶は今、アレクに構う余裕などない。

空間把握は相当な集中力を有するだけに、突然現れたアレクはむしろヘリ追尾の邪魔でしかなかったのである。それは先程から凜に対して何かと言いたげではあるものの、殆ど口を開かない今の摩耶の余裕のなさが何よりの証拠だ。


「そういう話は後にしてもらえますか。僕らは忙しいので」


するとここで直人が間に入る。

しかしアレクは直人など目にも入っていない様子で、なおも摩耶に近づく。

そして彼は肩を組もうと摩耶に手を伸ばした。


しかし、直人はここで一歩前に出ると低い声でアレクに告げる。


「やめろ」


そして直人は制止するために、アレクの腕を直接掴んだ。

丸太のように太いアレクの腕を、細身な直人が掴んだところで大した障害にはならないと感じるのが普通だろう。だがその瞬間にアレクの手がピタリと止まった。


「⋯⋯君、悪くないね」


アレクの腕は手形が付かんばかりの強烈な力で直人に掴まれていた。

発達したアレクの上腕二頭筋にミシミシとめり込む直人の指。その握力がどれ程かは、掴まれているアレク自身がよく分かっているに違いない。


そのパワーは、明らかに直人の見た目から伝わる印象から逸脱している。


「アレク!! まさか貴方、摩耶様にご無礼を働いたんじゃありませんわよね!?」


ここでアレクが摩耶にアプローチをかけているのに気が付いた凜が強烈な横やりを飛ばす。するとアレクはあらゆる意味で分が悪いと踏んだのか、両手を上げる。


「マヤはシャイみたいだね。それに僕の愛も今の彼女が受け止めるには大きすぎるみたいだ。でも、いつか君を僕の魅力の虜にしてみせるよ」


バチ―ンと摩耶にウィンクを飛ばすアレク。

しかしそれを見た摩耶は顔を背けると、鳥肌を抑えるように腕をさすっている。

アレクの愛は両者の間に存在する溝をさらに広げてしまったようだ。


しかしそんなことは気にも留めず、彼は満足げに摩耶を見ると、ここで急に緩んでいた表情を引き締め直した。

そして彼は頭にあるちょんまげのカツラを取ると、カツラをポイっと投げ捨てる。


「あまり遊んでても後で教授に怒られちゃうからね。そろそろ仕事をしようかな」


そして着ていた服を投げ捨てると、下からタックトップにミリタリーパンツを着た標準装備のアレクが現れる。

するとアレクは、唐突に摩耶と直人に問いかけた。


「君たちは『アニイ』という名前を聞いたことがあるかい?」


すると、摩耶の空間把握領域が突然乱れた。

それは心理的な動揺故だろうか。


「やっぱり聞いたことがあるんだね。君があのフォールナイトから出てきたのを見てから、ずっとアニイのことを君は知ってると思ってたよ」


「⋯⋯榊原さんを尾行してたのか?」


そう口にする直人の声にやや眉を吊り上げながら肩を竦めるアレク。


「仕事だよ。そうでもなければ、この僕がレディーのストーキングなんてするわけないじゃないか。それに⋯⋯きっと君もアニイのことを知ってるんだろう?」


それは挑戦的にも映る声の響きがあった。

先程の直人の腕の力から、アレクは直人が只物ではないと感じたのかもしれない。


「先程から、あのアニイの強大なエネルギーの鼓動が感じられないんだ。だからきっと、アニイに想定外の事態が起きたんだと確信してここに来たんだよ」


どうやらアレクがここにいたのは、そんな裏事情があったらしい。

もしかすると、さっきの格好は彼にとっては変装のつもりだったのかもしれない。


「そして僕がフォールナイトに向かった先で見たのは、小型ヘリコプターと手足を縛られたアニイ。そして、『スライムフェイス』だったってわけさ」


「スライムフェイス⋯⋯?」


「有名な特殊工作員さ。顔を変幻自在に変える力を持つ厄介な男だよ」


「何故そんな人間がアニイを?」


「⋯⋯それは、君には言えないかな」


直人にそう語るアレクは、まるで事の全てを既に知っているかのような様子だ。

すると彼は突然、自身が持っていた携帯にコードを打ちこんだ。


「すぐに来るよ。僕の愛車がね」


と、その瞬間だった。

キーンという風を切る音と同時に、辺り一帯を突如として暴風が包む。

そしてマーブル状のドットカラーが空中に投影された途端に、空中でふわりと浮く小型戦闘機のような黒い飛行体が現れた。


「僕の愛車、ファルコン・モデルGAさ。空陸両用型の最新戦闘機で、モードチェンジをすればスポーツカーにもなる」


パチンと指を鳴らすアレク。

すると黒い戦闘機は陸に降り立つとあっと言う間に黒く輝く宝石のようなスポーツカーに形を変えた。


それを唖然として見つめる凜と翔太郎。

まさかこんなものをアレクが隠し持っていたとは想像だにしていなかったのだろう。


「これでスライムフェイスの後を追うことにするよ。彼は巧妙に身を隠しながらアニイを連れ去ったようだけど、幸い僕はスライムフェイスのステルスを打ち破れる最高の異能力者を味方にしているからね」


するとアレクは突然摩耶を抱きかかえると、そのまま彼女を車の助手席に乗せた。


「君から伝わる力は素晴らしいものだ。是非、その力を連れ去られたアニイを救いにいく僕のために使ってほしいな」


「そんな、急に⋯⋯」


しかしそれ以上アレクは待ってくれなかった。

颯爽とスポーツカーに乗り込むと車のキーを回すアレク。


「アレク! 摩耶様を何処に連れていくのです!?」


事情を知らない凜はアレクの行動は奇行にしか見えないのだろう。

だが怒りながらそう叫ぶ凜に対してアレクは「行ってくるよ」と言葉を返すと、乗っているスポーツカーのアクセルを踏む。


そしてキュルキュルとホイールが回り急発進した車は、そのままアレクと摩耶を連れ、同時に凜と翔太郎、直人を置き去りにしたまま消え去ってしまった。


「翔太郎!! 今すぐお爺様とお兄様に電話しなさい!! アレクが摩耶様に許しがたい無礼を働いたばかりか、何処とも知らぬ場所に誘拐したと!! 捜索隊も直ちに向かわせねばッ!!」


アレクの意図するところは理解しかねているものの、摩耶が連れ去られたという明白な事実だけは認識できた様子の凜。

アレクの残したスポーツカーの排気ガスの匂いが充満する中、ブチギレモードの凜は翔太郎を置いて摩耶の救出に向かうべく櫟原家本邸へとダッシュする。


しかしその翔太郎は、凜のそんな言葉も耳には一切入ってはいなかった。

それは彼が凜の目には映らなかったある人間の、超人的な行動を目の当りにしたからである。


「アイツ⋯⋯本当に人間か!!??」


それを見逃さなかった翔太郎は一人、呆然と呟いた。



=====================



「⋯⋯俺にこんなことさせやがって」


ブツブツと一人そんなことを言っている少年。

背中をアスファルトのざらざらとした道なりが超高速で通り過ぎていく。

そして彼の見る世界は何故か反転していた。


きっと上ではアレクが車を運転しながら摩耶にアプローチをかけ続けているのだろう。まさか車体の下で人知れず張り付いている人間がいるとも知らずに。


一瞬のうちに超人的な身体能力でアクセル全開になったスポーツカーの車体の真下にスライディングして滑り込むと、車にしがみついた一人の少年が居た。

そして今彼は、超高速で疾走するスポーツカーの底面に張り付いている。


「俺も行くに決まってるだろ」


彼はずっとその時を待っている。

アニイを連れ去った敵が潜むアジトに辿り着くその時を。

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