第187話 選択

ゴトン、と音を立ててフォールナイト内部にあるマンホールの蓋が開いた。

そして中から直人とアニイの二人が姿を現す。


何とか外の喧騒から逃げきった二人は、バーに続くいくつかの秘密通路の内の一つを使ってここに戻ることに成功した。

あらゆる非常事態にも対応できるように、外には認知されていない抜け道を用意しておいたのが功を奏したようだ。


「⋯⋯マキさん? まだ帰ってないみたいだ」


早く帰ると言っていたマキは、まだバーに戻ってきていない。

人が出入りした気配もなく、恐らく一度帰ってきてまた何処かへ向かったという可能性もないだろうと直人は考える。


「榊原さんもいないな⋯⋯」


さらに摩耶の姿も消えている。

一瞬、第三者がここに侵入して摩耶を連れ去った可能性が頭をよぎる直人だったが、すぐにそれは無いと考え直した。


フォールナイトには数多くの仕掛けが施されており、その中の一つに居住区に不法侵入した輩が居れば、ここの住民であるマキ、直人らが肌身離さず持ち歩いている端末に緊急信号が表示される機能がある。

だがそれが表示されていない。ということは、恐らく摩耶は自分の意志で何処かに出かけてしまったということだ。


「マキさんにバレたら怒られちゃうな⋯⋯」


摩耶にもしものことがあれば、大目玉を喰らうのは直人だ。

だが幸いなことに直人は人の気配を探るための五大体術の一つ、サグリをマスターしている。摩耶もそれほど遠くには行っていないだろうし、探すのに時間はかからないだろう。遠出していなければ陽が沈む前に連れて帰れるはずだ。


「アニイ。ちょっとだけお留守番してくれるか?」


直人がアニイにそう言うと、「うん」と彼女は頷いた。

それを見て直人はフード付きのダウンコートを羽織ると、駆け足でフォールナイトを出ていった。扉が閉まる音とカランカランというベルの音が響く。


そして、今度はアニイが一人バーの中に残される。

するとアニイはふと自分の手首にある拘束具に目を向けた。


亀裂が入ったそれは、今もなおアニイの魔力を封印し続けている。

しかしその拘束具はいつまでもアニイの途轍もない魔力を封印し続けられるわけではない。恐らくもってあと二日だ。


と、ここで微かに「ニャー」と子猫の鳴き声が聞こえてきた。

聞こえてくるのはマキの研究室の中からだ。


アニイは声のする方へ歩いていく。

そして研究室の中に入ると、得体の知れない液体や薬品が至る所に置いてある摩訶不思議な光景が至る所に広がっているが、アニイはそれらに一切目を向けることなくその中央の小さなケージに入れてある小動物に目を向けた。


「コロ⋯⋯もしかして、お腹減ってるの?」


そこにいたのはアニイが捕獲したA級DBで、現在は小型化してしまったコロだった。因みにマキは何とかコロを元の大型DBに戻す方法を模索した結果、『ある程度の魔力を与えてDBの腹を満たせば元に戻るはず』と結論付けていた。


本来DBはダンジョン内のブラックミストを通じるか、もしくは他のDBか人間を喰い殺すことで魔力もといエネルギーを補充する。

しかし今のコロはダンジョンを失い、他の生物から魔力を得ることができないために空腹の状態がずっと続いているのである。

だが元に戻せば巨大なブラックピューマの姿に戻ってしまい、とても研究室内で飼える代物ではなくなってしまうために、コロを満腹には出来ないのだ。


「そっか⋯⋯お腹減ってるんだね」


DBの声を聞き、コロが空腹であることを知ったアニイ。

そしてここで、コロがアニイの魔力を封じている拘束具に興味を示していることに気が付いた。


するとアニイは、ケージからコロを出すとテーブルに乗せる。

そしてスッと腕をコロに差し出した。


するとコロは、亀裂が入った辺りをペロペロと舐め始めた。

よく見ると、心なしか舐めるたびにコロの毛色が良くなっていくような気がする。

どうやらコロはアニイの魔力を摂取することで空腹を満たそうとしているらしい。


コロの頭を優しく撫でるアニイ。

まるでミルクを舐めるように、無心でアニイから零れ出る魔力を貪るコロに愛おしさを感じたのだろうか。その手つきは優しく、包容的だった。


「帰ったよーー」


すると、表でマキの声が聞こえてきた。

無断でコロに魔力を吸わせていたことがバレたら怒られてしまう。一瞬あたふたとするアニイだが、コロを隠す間もなくマキが姿を現していた。


「そこで何してたんだい?」


「ちょっとお部屋を見てただけ!」


誤魔化すように言うが、そこには「ニャ―」と呑気に鳴くコロがいる。

一巻の終わりを悟りマキの雷が落ちるのに備える怯え顔のアニイ。


「ふーん、そうかい」


するとマキはあっさりとアニイを許した。

てっきり文字通り雷を落とさんばかりに怒られると思っていたアニイはビクビクしつつも「あれ?」と逆に驚いた様子でマキを見る。


「ところでアニイ。今すぐ、アタシとお出かけしないかい?」


「おでかけ?」


「そうさ。最近あまり外に出てないだろう? ショッピングとか行って、羽を伸ばしたいと思わないかい?」


その言葉にほんの一瞬だけ喜ぶアニイ。

だがここで、アニイの頭が良からぬ『何か』を感じ取った。


「どうしちゃったの? マキ、そんなに外に行きたがるわけないのに⋯⋯」


協会に呼び出された時ですらブーブーと文句を垂れるほどのインドア派であり、自発的に外に出ることなどここ10年で数えるくらいしかないマキが、それもアニイをわざわざ外に出そうなど考えるだろうか?


すると、一瞬だけマキの視線が斜め上を向いた。

まるで何かを思案するように。


「そんなこと言わないでさ。アタシとアニイ、女二人だけでいつまでも家の中にいるのも面白くないじゃないか。だからたまには外に遊びに⋯⋯」


そして半ば強引にアニイの腕を掴もうとするマキ。

しかしここでアニイの感じていた『疑問』が『確信』に変わった。


アニイの直感の精度は人間のそれを大きく超える。

普段はそれをフル活用することのないアニイだが、今回は違った。


「女二人って、直人はいないの?」


そう口にするアニイ。


「摩耶のことも知らないの?」


「⋯⋯⋯⋯」


突然、口を噤むマキ。

その仕草、発言、何よりマキが普段見せないような動揺の色がマキに映ったのを見てアニイは、目の前のそれがマキではないことを理解した。


「マキが直人のこと忘れるわけない!」


「⋯⋯⋯」


アニイは、知らぬ間にマキの視線が無機質になっていることに気が付いた。

マキがそんな目をしているのをアニイは見たことがない。


「⋯⋯誰?」


「誰とは?」


「貴方は誰!? マキじゃないんでしょ!」


すると、マキの顔をしたその人物がフウと息を吐いた。

そしてアニイを侮蔑を感じさせる目で再び見つめ返す。


「直人、摩耶。こちらのデータには記載がない人物だ」


その瞬間、グニグニと顔が変わっていくマキ。

そして身長も体格までもが変わっていき、そして異様な存在が目の前に現れた。


それは言うならマネキンのようなのっぺりとした肌色の顔をした男だった。

顔に特徴はなく、顔は完全なる肌色でまさにマネキンそのもの。それが普通ではないことは否応なしにアニイも即座に理解する。


「私はスライムフェイス。マキという女性は既にこちらで確保させてもらっている」


そして彼はポケットから紙を一枚取り出すと、アニイの足元にそれを投げる。

するとそこには、彼女が拘束されている様子が映っていた。


「ところで⋯⋯その猫は何かな?」


突然、スライムフェイスはコロの首根っこを掴むとアニイからコロを奪い取った。

そしてまじまじと食い入るように猫を睨む。


「DBが猫を飼育するとは、大方食料にでもするつもりなのか」


興味なさげにコロを放り投げようとするスライムフェイス。

しかしここで彼は何かに気が付いた。


「これは猫⋯⋯? いや、目が眩い金色だ。するともしや⋯⋯」


ハッ!!と鼻で笑うスライムフェイス。


「これは驚きだ。まさかDBがDBを飼っていたとは」


その瞬間、スライムフェイスは懐からナイフを取り出した。

ギラリと輝く銀の刃。それはコロの首筋へと向けられている。


「殺す」


だがナイフが振り下ろされるより早くアニイが叫んだ。


「やめて!」


アニイが叫び、スライムフェイスの手が止まった。

まさにコロの首が落とされる寸前で、その刃は停止した。


「S級DBは他のDBを餌としか認識しないと聞いていたが、珍しいことも起こるものだ。DB-S-002よ、お前はこれを食材として飼っていたのではないのか?」


「ちっ⋯⋯違う! その子はアニイの大切な⋯⋯!」


そう絞り出すように言ったアニイと、手元にいるコロを交互に見るスライムフェイス。すると彼はコロを見て言った。


「奇妙だ。DBは人間を見れば無条件に攻撃するはず。なのにこの猫型は私に対して攻撃してこない。つまり、人間に攻撃する習性がないということか⋯⋯?」


そしてアニイを再び見る。

そこでついに彼は、アニイが思う所に気が付いた。


「これはDB-S-002が自分と同じ習性を持つDBを隠していたということか。つまりDB-S-002にとって、このDBはさながら同胞。これ程手厚く匿っていたということは、それだけこの猫型DBは貴様にとって大事な存在だということを示している」


その時、アニイの顔をした彼の顔に影がよぎった。

それは邪悪で、底の見えない闇を感じさせるものだ。


「⋯⋯DB-S-002。一つ、君に提案をしよう」


その瞬間、スライムフェイスはキューキューと鳴くコロの首筋にナイフを突きつける。そして同時にマキの写真も拾い上げて言った。


「DBの存在を隠匿していた罪は極めて重い。本来ならば今すぐこの猫型を殺処分した上で貴様自身も月に強制送還される位にはだ。だが私の主は幸いなことに多少の罪なら揉み消せる力を持つ方である。そこで君に私から二択を与えよう」


人差し指を立てるスライムフェイス。


「この猫型の命か、マキという女性の命。もし君が我が主、ミスターに忠誠を誓うと言うのであればこのどちらかを保証しよう。ただし、選べるのは一つだけだ。どちらかを選べば選ばれなかったもう片方は確実に死ぬ」


だが突然の提案にアニイは思わず叫ぶ。


「そんな⋯⋯! マキは何も悪いことをしてないよ!」


しかしスライムフェイスは続けた。


「ならマキの命を選べば良いだけだ。お前が真に人間を大事に思い、彼女を救いたいと願うなら造作もないことだろう。それともミスターに忠誠を誓うことを拒むか? そうすればお前は誰にも縛られることなく自由を謳歌できるぞ。月の上で」


月の上で。それは地球ではない。

即ち、アニイの居場所は地球にないと彼はそう言っていた。


「いっそ暴れる道を選んでもいい⋯⋯全てを捨て、私をここで殺してしまうのもありだ。それを選べば、どうなるか分かっているだろうがな」


アニイが自由を保障されているのは、人間に対して悪意がないと協会に認められているからで、言い換えるなら悪意の元に人間にとって脅威になったその瞬間、その自由は奪われるということだ。

そうすれば、アニイは人間と戦わざるを得なくなる。そして、秩序を破ったアニイに対して臥龍が自分に味方してくれることはない。それもアニイは分かっていた。


つまりスライムフェイスに手を出した瞬間、アニイは終わる。

それが分かるからこそ、アニイはただ震える手を握ることしかできない。

それを知るからこそこの男はアニイに対して強気に出れているのだ。


「しかし、人間を選べばもう二度と同じ志を持つDBとは会えないかもしれないな」


アニイの心に何かが突き刺さるような鈍痛が走った。


彼女は人間の味方であり、友になりたいと願っている。

ならマキの命を選び、コロを捨てればいいはずだ。

かつて臥龍と共に倒したS級の同胞たちと同じように、コロも殺せばいいはずだ。


なのに何故か、アニイの口からそれを告げることができない。

アニイは分かっているのだ。心の何処かで、アニイは『DBの』友を欲していることに。そしてまた人間に対する愛情が何処から生まれているのかも。


「アニイが⋯⋯⋯」


ずっと臥龍は命の恩人で、何にも代えがたいほど好きだった。

臥龍のためなら何でもしようと思っているし、彼がそれを望むなら死すらも恐れてはいない。彼女は今までも、そしてこれからも臥龍を愛し続ける。


そして、臥龍と同じ種族である人間も⋯⋯


「好きなのは⋯⋯あの人だけ」


認めてはならないことだったのかもしれない。

いつの間にそうなっていたのだろう。アニイにはそれがいつか分からない。


人間を愛していたアニイは、いつの間にか臥龍を愛するようになっていた。

人間を殺さないのも、臥龍に嫌われたくないから。S級DBを殺したのも、臥龍がそれを望んだからアニイはそれに従った。


アニイが好きなのは臥龍であり、人間という種族ではなくなっていたのだ。


「マキは⋯⋯アニイにとって⋯⋯⋯」


それはDBとしての本能がそう考えさせているのだろうか。

アニイにとってマキは『人間』。いや、臥龍以外の人間は皆等しく『人間』だ。

だがコロは違う。種と理念を共有できる同胞であり、本能の内でアニイは人間よりも助ける価値のある存在だとコロを認識しつつあるのである。


マキを見殺せば、臥龍はアニイを嫌うかもしれない。

しかしそれでもマキが人間であることは変わらず、コロの方が助けるべきだと心の中のもう一人のDBとしてのアニイが話しかける。


だがマキを見殺せば、もう人間の世界には戻れなくなるかもしれない。

そして友人であるマキを失った臥龍はアニイを見放してしまうかもしれない。

アニイはどちらを選ぶべきか、分からなくなっていた。


「哀れなものだな。大人しくDBとして生きていれば良かったものを⋯⋯」


スライムフェイスは、指をパチンと鳴らす。

するとそれを合図にして、フォールナイトの壁をブチ破りながら対DB用マシンガンとアニイの腕に装着されている拘束具に似た金具を二人一組で抱えた傭兵たちがバーの中になだれ込んできた。


「抵抗すれば、人間に対する反逆と見做す」


『人間』であることを権利として、アニイを脅迫するスライムフェイス。

アニイが人間に対して脅威ではないという誓約を結ぶ限り、如何なる理不尽にも暴力で返されることは無いと彼は知っている。


そしてアニイの足首、首、そして元からあった手首の拘束具の上から新しい物を被せるようにして、アニイの体を完全に拘束した。


「楽しい人間との時間は終わりだ。これから月に行くか、ミスターの元で永遠の服従を誓うか、どちらかを選んでもらう。お前たち、DB-S-002を連れていけ」


鉄格子を組んで作られた檻に拘束されたアニイを放り込むと、彼女を滑車で連れ去っていく傭兵たち。そしてスライムフェイスはコロを鷲掴みにして誰も居なくなったフォールナイトを一瞥した後、そこから消えていった。

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