第177話 仲間
ダンジョンの最下層は、数十センチ先すら見通せない程の漆黒に覆われていた。
そしてその漆黒の中に降り立つ二人の姿がある。
「アタシの腕を掴むんだよ。ほんの少しでも油断したら命はないと思いな」
「はい、マキさん」
冷たい空気の中で反響する声。
遂にダンジョンの最深部に到達したマキと摩耶はグライダーを折りたたむと、辺りに注意を払い続ける。
「何か⋯⋯大きな動物の気配がします」
ここで摩耶がそう口にする。
するとマキはチラリと一瞬だけ摩耶を見て言った。
「ああ。アタシも感じるよ」
内心マキは、摩耶の鋭い感性に舌を巻いていた。
マキは直人と同様に気配を察知する『サグリ』を使うことが出来るため、彼女らから少し離れた先に微動だにせずその場に佇む巨大な生物の存在に気付いている。
しかし、摩耶はまだサグリを習得していない。にもかかわらず、既に直感的に気配を察している。それは紛れもなく才能によるものだ。
「A級は怒らせるとヤバい。静かにしている今の間に、不意打ちで仕留めるよ」
マキは両の手をまるで透明な球体を掴むような形にすると、目を閉じる。
「舞姫ちゃん。君はまだ『
マキの手に、白色を帯びた球体が現れる。
幻想的にも思えるそれだが、それが現れた途端摩耶はまるで体中の産毛を逆撫でされるかのような感覚を覚えた。
「アタシくらいの異能力者になるとここぞって時に使う必殺技を持っているものさ。A級を一撃で仕留めるなら、コイツを解禁するとするかね」
それは摩耶が一度も見たことがない異能力だった。
電撃烈波よりも強烈で、伝わってくる魔力も高密度で圧倒的なそれは、摩耶が今まで習った異能のそれとは一線を画す大技だと彼女は直ぐに理解する。
「電気を光エネルギーに変え、それを増幅させてレーザーを生み出す。レーザー系の能力を使う能力者は多いけど、アタシの能力はその中でも間違いなくナンバーワン」
そしてマキは遠くを眺めるようにして、空中に光の球を翳す。
「ブッ殺すことになるけど、悪く思わないでくれよDB君。アタシの家に許可なくダンジョン作ったのが運の尽き⋯⋯」
と、呟き異能を発動しようとしたマキ。
だがここで、摩耶がハッと何かに気付いた。
「マキさん。あそこに!!」
暗い空間を指差す摩耶。
異能の発動寸前だった所を止め、マキは摩耶が指さした方を見る。
「⋯⋯なんてこったい」
するとマキは腕を降ろす。
同時にマキが生み出した白球の光が少しずつ収まっていき、そして消えた。
「ずっと違和感があったんだよ。A級は人の気配に人一倍敏感だ。なのにアタシらが来たのにもずっと反応せずにいるなんてね」
マキと摩耶の視線の先。
そこには巨大な黒い生物と、その横に小さな人がいた。
巨大なそれはゆっくりと前足と後ろ足の四肢を使って立ち上がる。体長はおよそ6メートルほどでA級DBの中では小さく、黒い毛で全身を覆われている。
ジャガーに酷似したDBで、見ただけでも摩耶は強い恐怖を感じた。
が、真に二人の視線を引いたのはむしろその横にいるもう一人の姿。
「アニイ。君がそいつを手なずけたのかい?」
黒い体毛を撫でている小さな姿は、いなくなっていたアニイだった。
しかしそれを見るや摩耶は思わずマキに言う。
「危険です! DBにあんなに近づくなんて⋯⋯!!」
だがマキは軽く制するように摩耶の前に立つ。
摩耶はまだ、目の前の少女が普通ではないことに気付いていない。
するとここで、アニイがポツリと言った。
「この子、凄く怖がってる」
「怖がっている⋯⋯? まさか、DBが怯えてるって言うのかい?」
「うん。いきなり生まれて、何が起きているのか分からないって言ってる」
巨大なDBを撫でながら、「心配ないよ」と口にするアニイ。
摩耶は目の前で行われている会話が何を意味しているのかがまだ完全に理解できていない。だが彼女はここでようやくアニイが異様な存在であることに気付いたようだ。
「これは⋯⋯どういうことなんですか?」
「⋯⋯ここまで見られちゃ、舞姫ちゃんにも話すしかなさそうだね」
するとマキは続けて言った。
「この子はアニイ。またの名をDB-S-002。この子は世界に数えるほどしかいないS級DBなのさ」
「S級⋯⋯? まさか、S級が人間だなんて⋯⋯!?」
「S級は見た目は人間とほぼ同じで、人間の言葉も理解出来るんだよ。ただし人間と決定的に違うのはその強さと、金色に光る瞳さ」
するとアニイは両目のコンタクトレンズを外した。
そして現れるのは先程までの紫色のそれではなく、闇の中でも一等星のように光り続ける金色の瞳だった。
「アタシは訳あってアニイを預かっているんだよ。本当は舞姫ちゃんに教えるわけにはいかなかったけど⋯⋯こうなった以上仕方ないさね」
ピューマに似たA級DBに歩み寄るマキ。
摩耶はそのマキの行動に一瞬息を呑むが、すぐにそれは杞憂だと気づいた。
マキがアニイと同じようにA級の体毛に手を触れても、A級はそれに怯えることも攻撃することもなかったのである。
「⋯⋯この子ね、私と同じみたい」
「まさか、人間に⋯⋯?」
「うん。他の子たちと違って、人間を憎まないし食べようともしてない。きっとこの子は、アニイと同じで人間の仲間になれる子なんだよ」
すると、A級の金の瞳がマキと摩耶に向いた。
怯える摩耶、そしてマキは逆にその瞳を見つめ返す。
「どうやら、アニイの言う通りみたいだね。こんなに穏やかにDBと対面できたのはアニイ、アンタ以来だよ」
「ど、ど、どういうことなんですか!?」
するとマキはA級から手を離した。
そして今度は摩耶に歩み寄る。
「DBにはごく稀に、人間に対して敵対心を持たない個体が生まれることがあるのさ。といっても、データにも殆ど記録されてない位のレアケースだけどね」
「まさか、このA級DBがそのレアケース?」
「その可能性は高いね。それに今の時点でも相当強いし、もしコイツがS級に成長すれば、アニイみたいに人間に協力してくれるかもしれないね」
「協力?」と小さく言って、今度は摩耶がアニイに視線を向ける。
DBが人間に協力するだなんて、今まで一度も聞いたことがない。しかしマキの言葉が真実ならばアニイはS級でありながら人間に友好的だという話だが⋯⋯
「⋯⋯⋯」
「な、な、何かあの子⋯⋯!」
「どうやら、舞姫ちゃんだけは別みたいだねえ」
友好的の欠片もない、敵対の権化のような視線を摩耶に送っているアニイ。
魔力が封じられていなければ今頃、魔力の暴風で摩耶はアニイに倒されていたであろう程の様相だ。
「な、仲良くしましょう? ねっ?」
異種族同士の友好を図ろうと、アニイにそう言って手を差し伸べようとする摩耶。
「⋯⋯チッ」
それに対するアニイの返答は、バキボキという拳の鳴る音と露骨な舌打ち。
「マ、マキさーーん!」
「アニイは舞姫ちゃんとだけは仲良くできない理由があるみたいだね。⋯⋯ま、何となーく理由は分かるけどさっ」
「何でですか!? 私、何もやってません!」
「やってるわよ。この泥棒猫」
ドスの効いたアニイの声が響く。困惑している摩耶はやや涙目だ。
対してマキはそれを面白がる様子である。
だが、アニイもそれ以上摩耶については言う気が無くなったらしい。
フンと鼻を鳴らすと、再び横のA級を優しく撫でた。
「アニイ、この子をS級に育てたい」
それは同族に対する慈悲から生まれた言葉ではないだろう。
同じDBだからこそ分かる、自分動揺に人間に協力できるだけのものがあると彼女の感覚がそう判断したからこその言葉に違いない。
「育てると言っても、今はもうアニイがS級になれた頃の時代じゃない。A級でもすぐ討伐されるし、コイツを隠すにしてもすぐに見つかってしまうだろうさ」
「⋯⋯それでも、アニイ、仲間が欲しい」
ここでマキは、何故このA級にアニイが執着するのかに気が付いた。
きっと彼女は孤独なのだ。自分のように人間に味方するDBなど他におらず、同じ感覚を共有できる仲間がいない。どんなに人間に似ていても所詮彼女はDB、真の意味で人間と同じ感覚を共有することなど出来ない。
だから彼女は、同じ仲間を欲していたのだ。
「なら、奥の手を使うとするかね」
するとここでマキは手に持っていた非常袋から何かを取り出した。
それは銀の塗装に、白のベルトが付いているまるで虫かごのような不思議な箱だ。
「断っておくけど、コイツはアタシもまだ使ったことのない試作品さ。上手くいかなかったとしても文句は言わないでおくれよ」
カチャカチャと箱にあるダイヤルを回すと、パカリと開くマキ。
箱は軽く、中には何も入っていない。
「そいつは、『DB捕獲機』だよ」
「DB捕獲機?」
「そうさ。そいつを捕獲したいDBに向けて開けば、自動で圧縮されて箱の中に収容される優れもの、っているコンセプトでアタシが作ったモンだよ。欠点は、そのDB捕獲機が通用するのがA級DBまでだってことと、DBの生け捕りがDH本部にバレたら大目玉じゃ済まないってことくらいかねえ」
DBは見つけ次第排除するというのがDHもとい世間の絶対原則だ。生きてDBをペット替わりにするなんてことがバレれば大事になる。
するとマキはそれをアニイに渡した。
「やってみな。上手くいくはずさ」
アニイはまじまじと箱を見つめる。そして同じく箱を見つめているA級DBを安心させるようにもう一度撫でた。
「安心して。すぐにこの暗いところから出してあげるからね、コロちゃん」
「コロ⋯⋯」と小さく言うマキ。
比較的小型とはいえ6メートルはあろう黒いピューマの姿をしたA級DBをコロと呼べるのは、アニイくらいなものだろう。
そしてアニイは箱をコロと名付けられたA級に向けた。
するとコロは目にも止まらぬ速さで箱に吸い込まれていき、そして巨大な体躯がそのまま箱の中に納められた後に白のベルトが箱にガッチリと封をした。
と、その時である。
「DBはどこだ? この騎士王、アレクサンダーが仕留めにやって来た!」
ズドン!!という交通事故を思わせるような地響きは、高所から飛び降りたことによる衝撃だ。だが飛び降りた張本人はそれを何とも思っていない。
そしてその声を聞いたマキが、マジックのような手際で袋にコロが押し込まれた箱を放り込んだのは英断だった。
「一足遅かったね。アニイが丁度倒したところだよ」
すると乾いた足音と共に大柄な男の姿が現れた。
現れたのはアレクである。
するとやって来たアレクにマキはそう言う。
最深部にDBがいないことを見て理解したアレクは残念そうに肩を竦めた。
「それは残念だなあ。でも、君が無事で良かったよ。バーテンさんと、あとは⋯⋯」
と、ここでアレクは摩耶の姿を見つける。
どうやら彼は摩耶がこの場にいることを知らなかったようだ。
「ワオ、綺麗な子だね。彼女の名前は何て言うんだい?」
「さ、榊原摩耶です」
「マヤって言うんだね。僕は騎士王、アレクサンダー・オーディウス。アレクって呼んでもらえると嬉しいな。ところで君、明日の夜は時間ある? 昨日美味しいレストランを見つけたんだ。ブルー・オーシャンっていうお店なんだけど、良ければ明日僕と食事でもしないかい?」
流れるように口説き文句まで付けて自己紹介するアレク。
「は、はあ⋯⋯」と摩耶は困っているようだ。
「ちょっと騎士王さん。んなことやってる暇があるなら、今の状況を何とかしておくれよ」
見るとダンジョンが突然揺れ始め、そして崩壊を始めた。
ダンジョンの核になっていたA級DBが箱に収容されたことで、ダンジョンとの結びつきが失われたことが原因だ。
するとアレクはゴソゴソとポッケから紙の札を取り出した。
「ダンジョンの崩壊に巻き込まれたら大変だ。だからダンジョンの外までこれでワープしよう」
それは転移術式が付加された札だった。
そしてマキと摩耶に札を手渡すアレク。
「僕が合図をしたらその異能は発動するよ。準備はいいかい?」
だがマキはアレクを見た後に、続いてアニイを見る。
そこには札も渡されずきょとんとしているアニイがいた。
「ちょっと騎士王さんよ。アニイの分はどうしたんだい?」
が、ここでアレクはアニイを見た。
だがその目は、今までの人懐っこく陽気なアレクの目ではない。
いうならそれは、戦いにおいてDBと向かい合っている時のそれだ。
「⋯⋯3枚しかないんだ。だから、そこの『DB』は置いていく」
彼のその声もまた、いつもの明るい声ではない。
「まさかアニイをここに置いていくなんてそんなこと⋯⋯!!」
しかし、マキのその言葉も太刀切れになった。
「行くよ。『転移』」
マキが言い終えるより早くアレクは指をパチンと鳴らす。
その瞬間に、マキ、摩耶、アレクの姿はワープして消えた。
そしてアニイは、崩れ往くダンジョンの最深部に一人残された。
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