第176話 壁に立つ男

二人はひたすら進み続ける。

まるで体に染みついた動作をひたすら繰り返すかのように、淡々と刀を振り、そしてもう片方は銀色の鞭を振りまくる。

そして往く手を阻むDBをなぎ倒し続けていた。


「何体倒しましたか?」


「ざっとC級を60体ってところだろうね。直人は?」


「100体⋯⋯いや、もっとかもしれません」


暗いダンジョンの中を、直人とマキはひたすら突き進む。

彼らの通る後には霞と化したDBの残骸、ブラックミストがふよふよと漂う。するとその黒い霧を後ろに控える摩耶が異能で生み出した風で吹き飛ばした。


「その調子だよ舞姫ちゃん。アタシらからはぐれないようにしっかりついてきな」


二人のしんがりを務めるのは、マキのお古のDHスーツを着た摩耶だ。

黒のジャケットに黒のパンツ、そして白のブラウス。一見すればごく普通の正装に見えるが、実はいずれも頑丈な防刃繊維で編まれたもので並大抵の攻撃では体にダメージを通さない仕様になっている。また火にも強く魔力にもなじみやすいため、DH達は全員これを着ていれだけで十分な装備になっているのだ。


もう三十分はずっとこうして敵を倒し続けているだろうか。

時折マップを見て居場所を確認しながら、3人は下方向に傾斜が続くダンジョンの中をひたすら進み続ける。一瞬でも視界にDBが入れば、長いリーチを誇るマキの鞭が敵を打ち倒し、鞭の攻撃を生き残ったDBは後に待つ直人の剣の前に散る。


「すごい⋯⋯!!」


後ろから見る摩耶も、それがいかに凄いことかが分かっていた。

何より敵が現れてから倒すまでの速度が、今まで彼女が知るDHの誰よりも早い。


直人は刀による補正があると考えても、その揺るぎない胆力は間違いなく戦い慣れている人間のそれで、しかもその動きもそれに対応できる肉体があってのものだ。


またマキは日本でも有数のそれこそゴールデンナンバーズ相当の実力者なのではないかとすら思えるほど、その動きは洗練されている。


もしかしたら今まで同居していた人たちは、想像以上に凄い人たちなのかもしれない。そんなことを思う摩耶。


するとここで、マキが足を止める。


「どうやらアタシらはここを飛び降りなきゃいけないみたいだ」


見下ろすと底が見えない、また向こう側も見えない幅広の谷が目の前にあった。

もし摩耶が光異能で辺りを照らしていなかったら、そのまま気付かずに落ちてしまうかもしれなかったほどに、その谷は暗闇に同化している。


「他に道はないね。でも、ここを飛び降りればアタシらは最深部まで直行できるみたいだよ」


マップでダンジョンの構造を再度確認すると、それを袋に仕舞うマキ。

しかし、パラシュートもない状態でこの谷にダイブするのは自殺行為に等しい。直人なら可能かもしれないが、少なくともマキと摩耶は難しいだろう。


「崖を掴みながら降りていくのはどうですか?」


「それじゃ舞姫ちゃんが付いて来れないし、アタシも出来ればやりたくないね」


するとマキは袋から小型の折り畳みグライダーを取り出した。

しかも同じ型のものがもう一つ袋に入っていた。


「コイツで下まで滑空するよ。問題はコイツを誰が使うかだけど⋯⋯」


エンジンが内蔵されていない、揚力のみで滑空するタイプのグライダーであり、また二人分の体重を耐えられるほどの強度もない非常用のものだ。

懸垂の要領でしがみつくための金属の持ち手があり、そこにぶら下がった状態で下まで降りるような形になっている。


「三つなかったんですか?」


「生憎、二つしかないね。一つは舞姫ちゃんのために取っておくとして、残りの一つは⋯⋯」


その瞬間、直人は刀を置き、マキは鞭を置く。

そして拳を握ると二人揃えて言った。


「「ジャンケンポン!!」」


直人はチョキ、マキはグー。

勝者はマキ。手ぶらで下に降りるのは直人になった。


「まあまあ、キミだったら歩くのも壁をよじ登るのも大差ないだろ?」


してやったりの顔でグライダーを広げるマキ。

横の摩耶にグライダーの使い方を教える一方で、直人は溜息をついてダンジョンの壁にある突起や質を確認しながらロッククライミングの準備を始める。


「それじゃアタシと舞姫ちゃんはまったり空中遊泳を楽しんでくるとするかね。直人はせいぜい落ちないように気を付けるんだよ」


「落ちても君なら死ぬことは無いだろうけどね」と囁くように付け加えて、マキはグライダーを広げると摩耶と共に谷底へと飛び立った。

直感的な操作が可能なように設計されているだけあって、摩耶も初見ながらすぐに飛ぶ要領を掴んだようだ。彼女の運動神経が人並み以上なのも助けたようで、二人はあっと言う間に谷の底の最深部に向けて飛んでいった。


「⋯⋯さて、行くか」


誰も居ない、暗いダンジョン。

あるのは異能を使えない直人のためにマキが置いていった小さなランタンだけだが、五大体術の一つ『サグリ』を極めている直人は、目を瞑っていても周りの様子は全て漏らすことなく把握することが出来る。


サグリは、人の気配や周りの建物の構造や環境を捉えるための力だ。

これを極めると無数の群衆の中から探し人を見つけたり、複雑な建物を容易に脱出したりすることなどが可能にある。また隠れている人間の居場所も分かる。


特にこの力はダンジョンの構造を把握するのに非常に重宝される。

時には時間経過によって構造が変わることもあるダンジョンに対応するために、サグリを使えるDHをダンジョン攻略に呼ぶのは定石と言えるほどだ。


ランタンを腰元に下げ、刀を口に咥えると直人は崖を降りていく。

ダンジョンの崖は、硬質化したブラックミストの材質がざらついているおかげで握りやすく、直人にとっては何の造作もなくしがみつくことが出来た。


地を踏みしめて歩くが如く、悠々と下に下っていく直人。

時間にして5分ほど、直人は降り続けただろうか。


「そろそろマキさんたちは最深部に着いたかな」


そう呟く直人。

しかし彼は、ずっと心に疑問を抱いていた。


フォールナイトに送られてきた厄石は、その辺の人間が悪戯で送れるようなものではなかった。望み通りのダンジョンが形成するために計算され尽くした上に、爆発させるタイミングもまるで狙ったように完璧だった。


しかし厄石を送った人物は、一体何を考えてこんなことをしたのか。

このタイミングということは、恐らくアニイに関連した何らかの意図があったのだろう。だがその人物のアニイに関する意図とは一体何なのか。


ここで直人はピタリと手を止める。

そしてダンジョンの遥か上を見上げた。


「誰かが来る」


直人の鋭敏なサグリが自身の遥か上から誰かが近づいてくるのを感じ取った。

ダンジョンの発生を知ったDHだろうか、いやそれにしては来るのが早すぎる。

何より近づいてくるそれは、飛んでいるにしてはスピードが遅く、崖を掴んで降りているにしては異様なほどにスピードが速い。


そして遂に、直人が感じ取ったそれの正体が分かる時が来た。


「ヘイ! こんなところで何してるんだい?」


この状況下をむしろ楽しんでいるかのようなフランクな声。

何より直人は、彼の異様な姿に目を見張った。


「壁を、歩いている?」


「歩いてないよ、ここまではずっと『走って』きたのさ」


金髪を揺らし、不敵な笑みでこちらを見下ろす大柄な影。

何より異常なのが、垂直にぶら下がっている直人が下から見下ろすように見ている中、その人物は直人から見て立っているように見えるのだ。

つまり垂直な壁を文字通り足の指の力だけ掴み、腹筋の力で上体を起こすことで立っているのである。


「騎士王ならそれくらい出来ないとね。それよりもキミ、ダンジョンの発生に巻き込まれたのかい?」


彼を直接見たことは無い直人。

しかし目の前の人物が誰なのか直人は直ぐに理解した。


現れた彼は騎士王、アレクサンダー・オーディウスだった。


「それとも、君はこのダンジョンを攻略しに来たDHなのかな?」


直人の持つ刀と、壁にぶら下がっている身体能力を見てそう感じたのだろうか。

しかしアレクは足指の力だけで垂直の壁を降りていく超人技を見せている。

それはまるで、直人とアレクの力の差を見せつけるかのような様子だった。


「おっと、自己紹介が済んでなかったね。僕は騎士王、アレクサンダー・オーディウス。このダンジョンを攻略しに来た世界最強のダンジョンハンターさ」


自信満々にそう言うアレクだが、直人は一抹の不信感を抱いた。

何故この地域近辺に常駐しているDHよりも早くアレクがここに来ることが出来たのか。流石の騎士王でも明らかに来るのが早すぎる。

だが間髪入れずにアレクは、直人の持つ黒刀を見て言った。


「ところで、君の刀は珍しい色をしているね。噂で聞いたガリュウというDHが使っている刀に似ているけど、もしかして君は彼のファン? それとも⋯⋯」


するとアレクは直人をまじまじと見ながら言った。


「ガリュウ本人だったりするのかな?」


肯定も、否定もしない直人。

するとアレクは腹を抱えて笑いながら言った。


「そんな訳ないか。君は若すぎるし、ガリュウは6.3フィートくらいある大男だって聞いたけど、君は明らかに小さいよね」


「ガリュウのコスプレかい?」と尋ねるアレクを無視して直人は手を再び動かす。

相手が誰であれ、直人はこれ以上アレクと言葉を交わす気がなかった。


直人にとっては、アレクなど所詮自身がかつて背負っていた名を成り行きで受け継いだだけの存在にすぎない。元々、栄光や名声の類に露ほどの興味も示さなかった直人にとっては騎士王の看板すらあっても無くても構わない物だったのだから。

しかしアレクはなおも直人にペラペラと話しかける。


「ここに来るまでに人を見なかった? 僕はこのダンジョンの発生に巻き込まれた人たちの救出に来たんだ」


無言で首を横に振る直人。

うっとおしい。そんな直人の本音が漏れ出るような不愛想だ。


「この僕が何でこんなに早くこのダンジョンに来ることが出来たのか、知りたくはないかい?」


「興味がない。俺は、この奥にいるDBを倒せればそれでいい」


するとそれを聞いたアレクは突然ニヤッと笑う。それは、悪戯を仕掛ける小学生のような無邪気さを感じさせる笑みだった。


「このダンジョンが誰かによって意図的に造られたものであり、僕はダンジョンが生まれるタイミングをこの国に来る前から知っていた、と聞いたら君は驚くかい?」


悪戯であるならただの妄言だ。

しかしここで直人の視線がようやくアレクに向く。恐らく直人の体に備わった第六感が、その言葉を聞き逃すべきではないと伝えていたのだろう。


「まさか、このダンジョンを仕掛けたのは⋯⋯」


「それは僕じゃない。けど僕は、このダンジョンが人為的に造られたものだということを知っているし、ここには強力なDBが『二体』いることも知っている」


二体。それはダンジョンの最深部にいるDBとは別の何かがいると暗に伝えている。

そして直人は、アレクが暗に揶揄しているそれが何なのかをすぐに理解した。


「けど、一つだけ君に教えておくよ。このダンジョンが仕掛けられた理由はダンジョンで人を殺したり物を破壊したかったからじゃない、言うなら壮大な実験なのさ」


「実験?」


「そう。人間の皮を被り続ける怪物が、果たしていつまで『人間のふりをしていられるか』のね」


直人の目が僅かに大きく開かれる。

本当にごく僅かだけ、直人に無とは別の感情が見えた。


「おっと、これ以上は言えない。これはこれ以上部外者にそう易々と話せるような話じゃないからね。じゃあ僕はこれで失礼するよ」


その瞬間アレクは飛んだ。

崖の壁から指を放し、まるで暗闇の奥底に飛び込んでいくように。

重力に逆らうことなく、彼はそのままダンジョンの最下層へと消えていった。


「⋯⋯⋯」


アレクは間違いなく何かを知っている。

恐らく厄石を仕掛けた人物も、その背後にある背景も。

だが何よりも直人は、一刻も早く最下層へと行かなければならないと悟った。


直人は靴を投げ捨て、壁に足を付ける。

そして指の感覚で突起を掴むと壁を持っていた手を離した。


「⋯⋯できた」


目の前に広がる谷底は、ついさっきまで直人の足下で広がっていたはずのものだ。

アレクがやっていた壁に立つ芸当を、直人も再現することに成功していた。


そして一歩、また一歩と壁を歩き出す直人。するとすぐにそれが想像していたよりも簡単であることに気付いた。


「急ぐか」


そして、猛スピードで走り出す。

重力をも味方につけ、直人は一直線にA級DBが待つ最下層へと向かっていった。

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