第159話 終結

失われた左腕があったはずの左肩を見るザラキエル。

痛みに発狂するのかはたまた怒り狂うのか。

だがそれを受けた彼女の反応は奇妙なほどに静かだった。


「自分の血を見るなんて何年ぶりだろ♡」


ペロリと血に染まった指を舐める。

まるでその味を確かめるかのように。


「うん思い出した。20年ぶり⋯⋯」


だが、その言葉は続かなかった。


『遅延斬撃はまだ続くぞ』


ザシュッ!!という肉を引き裂く音が響き、鮮血が宙を彩る。

胴を斜めに薙ぐようにしてザラキエルの喪服が切り裂かれ、さらに三発の斬撃がザラキエルを切り裂いた。


「あれ⋯⋯♡」


まるで目の前で起こる現実を受け止めきれていないかのように、ザラキエルはそれを傍観者の如き様子で見つめる。だがそうしている間にも、黒の喪服はザラキエル自身の赤い鮮血によって赤黒く染まっていく。


「お、おかしいな⋯⋯どんな刃物でもアタシを斬ったり出来ないはず⋯⋯」


『並の実力者ではお前のマトイに傷をつけることすら出来ない。あくまで、並程度の力しかない人間の場合はだが』


ザラキエルの体は強靭なマトイで覆われていた。

ジャンヌの氷花を打ち破ったのも、炎龍風の炎を完封したのもそのマトイがあるからだが、臥龍の斬撃の前には皆等しく無力。

何故なら彼のマトイはザラキエルのそれよりもさらにワンランク上なのだから。

臥龍の黒刀にも彼自身のマトイが纏われており、それによって強化された刀は如何なる金属やDBのボディでもまるで紙を切るかのように切断してしまうのだ。


「アハッ⋯⋯アハハッ♡」


自身の切断された腕を見て、また血の雫が垂れる自身の体を見る。

そして彼女は笑い出した。


「ヒヒッ⋯⋯ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ!!」


その時、臥龍は異変を感じた。

何かがうねっている。いや、途轍もなく危険な何かが近づいている。

臥龍の直感が恐るべき脅威をザラキエルから感じていた。


「ねえ最強クン。キミは『魔法』って知ってる?」


ピクリと僅かに動く臥龍。それは魔法という言葉に対する反応か。

対してザラキエルの口角が少しずつ上がっていく。


「異能じゃないよ。ま・ほ・う♥。アタシが組織に入ったのも、異能なんてちっぽけな『魔法モドキ』じゃない、アタシだけの本当の力が欲しかったから⋯⋯♥」


刀を強く握る臥龍。

ここから先の戦いは今までのそれとは一線を画すものになる。

彼はそれを理解した。


「これはアークテフェス社幹部にだけに許された力。あの方によって授けられた、この世界の覇者となるための正真正銘の最強の力」


その瞬間、世界から音が消えた。

まるで世界から臥龍とザラキエル以外の人間が消えたかのように、辺りを静寂が支配する。だがそれは直ぐに錯覚だと臥龍は気づいた。


『魔法第二形態』


ザラキエルの姿が変わっていく。

黒い魔力が渦を巻き、小さな少女の姿が魔力の渦に覆い隠された。

だが臥龍は刀の柄を握ると、大きく振りかぶって斬撃を放つ。


『させない』


ズガッ、と音を立てて魔力の渦に切れ込みを入れる臥龍の斬撃。

しかし臥龍は直ぐに違和感を感じた。


『斬れてない、か?』


臥龍の斬撃は実体あるものなら全てを斬る。

だが手応えはない。つまり、あの渦の中にあるはずのものは実体がない。

ならザラキエルはどこに消えたというのか。


「何処にも消えていないよ♥ アタシは魔法で姿を変えただけ♥」


すると黒い渦が突如として霧散し、中から何かが現れる。

だがそれを見た瞬間、刀を持つ臥龍の手が強く握り締められた。


「怖い?」


『今のお前を見て、恐怖を感じないヒトがいると思うのか?』


「今のアタシは天使。キミを天国に送る可愛いエンジェル」


だが対峙する臥龍に、目の前のザラキエルを見て可愛いという感想は浮かばない。


『天使は天使でも、その風貌はまるで堕天使だな』


身長はおよそ1メートル80センチくらい。

前の姿よりも大きくなっているが、何より変わったのはその風貌だ。

喪服は修道院のシスターのような服装に代わりその背には翼が生えている。ただしその翼はボロボロで色も黒い。しかし翼で羽ばたいてるわけでもないのに地面から僅かに浮いているのが不気味だ。


そして顔からは、先程までの可愛らしさのある幼さは消えている。

真っ赤な髪が足元まで延び、髪と全く同じの赤い雫が魔眼が消えた黒い瞳から流れ落ちている。今の彼女は赤い血の涙を流していたのだ。

そして手には長さ二メートルはあろうかという巨大な鎌が握られていた。


その鎌が、目にも止まらぬ速さで動いたのを臥龍は見逃さなかった。

跳躍する臥龍。その真下を光の速さで鎌の斬撃が通過するのを気配で感じる。


「仕留めたと思ったんだけどな♥」


臥龍は滅多に焦らない。

だが今その瞬間だけは、ほんの少しだけ冷や汗をかいた。


(コイツのスピード⋯⋯先程とは比べ物にならない程速い)


全ての攻撃がスローモーションに見える臥龍ですら僅かな遅れが生じた。

今目の前にいるそれの攻撃は、変身前のザラキエルとは別物だった。


「神の意志に背くキミに天使の制裁を♥」


そして振り上げられる鎌。

マトイを発動して同じく黒刀を鎌に対するように黒刀を振り上げる。


だがここで臥龍を今まで感じたことのない、”嫌な予感”が襲った。

鎌が迫るほどその予感は大きくなっていく。

その時臥龍は、反射的に横に身を捻った。


そして臥龍の黒刀とザラキエルの鎌がぶつかった。

その瞬間臥龍は、その直感が正しかったことを悟る。


「キミを”刀ごと”斬れると思ったのにな♥」


キン、と乾いた音が響く。

そして臥龍の右手から伝わる刀の重みが先程よりも軽い。

身を捻った臥龍の数ミリ横をザラキエルの鎌が通過した。


「刀が斬られるのを分かって回避したんだね♥」


カラン、と黒い刀の刃先が落ちた。

そして臥龍の手には長さが三分の二ほどになった愛刀がある。

臥龍の刀にはマトイを纏わせていた。だがその刀をザラキエルは斬り折ったのだ。


『俺の刀を斬るとは』


「アハッ♥ キミの刀、簡単に斬れちゃったよ」


臥龍は意識を集中させて、ザラキエルから伝わる魔力の波動を感じ取った。


(さっきまでとは魔力の量まで大きく変わっている。五倍、いや十倍以上魔力が増えているかもしれない)


マトイはその人間が持つ魔力の量にも大きく影響される。

技量ある人間が多量の魔力を使ってマトイを練り上げれば、形成されるマトイもそれに合わせて相応の物へと変貌する。

だが、ザラキエルの魔力の増加幅は明らかに異常だった。


感情によって多少の魔力の変動はあっても、せいぜい倍増すればいいところだ。

このような魔力の増加は普通ではまず起こりえない。

つまり、ザラキエルの今の姿は明らかに普通ではないと分かる。


『今のお前の姿は、異能の常識を超えた力だということか』


「だ・か・ら、魔法だって言ってるでしょ♥」


ザラキエルが笑い、鎌を振りあげるのを臥龍は視界の端で捉える。

刀を折られたことを悔やんでいる暇はない。ザラキエルが放った無慈悲の斬撃を臥龍は全て躱すと、距離を取った。


『何をしてその力を手に入れた?』


「どうだろうねー♥ キミが仲間になってくれるなら教えてあげてもいいかな♥」


臥龍の問いに茶化すようにそう言うザラキエル。

しかし鎌を大きく一回転させると、そのカーブした刃を臥龍に向ける。


「でもキミは仲間にしてあげない♥ だってあの方はキミに消えてほしいって言ってたから。つ・ま・り⋯⋯♥」


猛スピードで宙を飛びながら鎌を振るザラキエル。


「キミにはここで死んでほしいってこと!!」


鎌の一撃がビルの床を抉り、背後の壁が纏めてバラバラに砕かれた。

しかもその一撃が引き金となって建物全体を大きな揺れが襲う。

天井が抜け、コンクリートの塊が宙から降ってくる。その塊のいくつかが、倒れているジャンヌと椿の真上に迫るのを臥龍は見た。

 

彼は目にも止まらぬ速さでステップを踏むと、ザラキエルの鎌を潜り抜ける。

そして彼女たちの上に降るコンクリートを纏めて拳で粉砕した。

するとそれを見たザラキエルが鳥肌の立つような猫なで声で言った。


「あれえ⋯⋯? もしかしてキミ、そのコたちを守りたいの?」


『だったら何だ』


臥龍がそう返すのと、ザラキエルが鎌を振るのは同時だった。


「キミを倒すのは簡単そうだねっ♥」


そしてザラキエルは斬撃を放った。

臥龍ではなく、部屋隅で倒れる椿とジャンヌに。


『貴様⋯⋯!!』


その時臥龍は理解した。

臥龍を倒すのは骨が折れる。だが、臥龍が守るジャンヌと椿を狙えば、彼女たちを守るために臥龍は自分を犠牲にして動くに違いない。

ザラキエルのその作戦は、この状況において非常に有効だった。


臥龍はその斬撃から二人を守るために跳んだ。


「あーあ、あの子たちを見捨てればそんなことにならなかったのに♥」


身を挺して臥龍は二人を守った。しかし、その代償は大きかった。

ボロボロになったスーツ。ザラキエルの攻撃を真正面から受けたそれは、臥龍のマトイを貫通してスーツそのものに甚大なダメージを与えていた。


ヒビが入り、腕と胴を守っていたスーツが崩れ落ちる。

そして中の山宮学園の制服が露になった。


『コードゼロの言ってたことは本当だったんだね♥ 最強クンの中の人は、まだ高校生だって♥』


続いて、足を守っていたスーツ部分にも亀裂が入る。

そしてそれは顔を覆う仮面にも。


『殺してから、その顔を見せてもらおっかな♥』


ザラキエルはとどめの一撃を叩きこまんと鎌を振る。

スーツは失われ、マトイはザラキエルが上回っている。

つまり臥龍にもうザラキエルを倒す術はない。


『サヨナラ、最強クン♥』


そして鎌は振り下ろされ、刃は臥龍の首を跳ね飛ばさんと迫り⋯⋯


形勢が逆転した。


「やっと、本気を出せる」


ザラキエルの鎌が止められた。

鎌の刃先を肌色の少年の手が掴んでいる。


「うそお⋯⋯♥」


ザラキエルの顔から笑みが消えた。

今の彼女の顔には、予想を裏切られたことに対する驚愕の色が映る。


「このスーツが俺の力を増強するための物だと思っていたようだな」


臥龍の魔力が増していく。

ただしザラキエルのように変身したわけでもなく、感情が高ぶっているわけでもない。では何故、臥龍の力が急激に増していくのか。


「俺がスーツを着ている理由は二つ。一つは、俺の素性が誰にも分からないようにするための隠れ蓑」


ピキッ、という音が響く。

ザラキエルの手にある鎌からその音が聞こえてきた。


「もう一つの理由は、すぐに教えてやる」


その瞬間、臥龍の魔力が激増した。

その魔力は余りにも強大すぎて、ザラキエルから発せられる邪悪なオーラが感じられなくなってしまうほどである。


「お、かしいよ⋯⋯♥ こんなの、こんなの⋯⋯!!」


ザラキエルの鎌が砕けた。

臥龍が苦も無く受け止め、そして指二本で平然と砕いてしまったのだ。

それは今の臥龍が纏っているマトイがザラキエルを圧倒している証拠である。


「俺が本気を出すと、その魔力の影響で周辺のインフラを破壊してしまう。それを防ぐためにあのスーツを使って『魔力を制限』しているんだ」


実は今の時点で、周辺の電波や電気機器が全てメチャクチャな数値を計測している。

それは全て、この男の桁違いの魔力で混乱させられているが故なのである。


「だが、ご親切にスーツを破壊してくれたのは有難い。これで俺は、何の苦労もなくお前を倒すことが出来る」


それは最早、勝負をするかしないかの話ではない。

臥龍にとって自身の勝利は既に確定された未来だった。


「はあ? 苦労もなく? アタシを倒せる?」


その言葉はザラキエルのプライドを逆なでした。

今度は感情による魔力の増加が起こり、魔力が更に引き上がる。

だがそれでも臥龍の魔力の前には、まるで象に単身突撃するアリのようだった。


「アタシは最強なのっ♥ アタシは、アタシは⋯⋯!!」


すると、再びザラキエルの手に鎌が復元された。

そして鎌の刃がギラギラと光り始め、白い刃へと変わっていく。


「キミに勝って、あの方に認めてもらうの!!」


それは今までの嘲るような言葉の響きが消え、まるで悲痛さを感じるようなザラキエルの声だった。そして、鎌が振り上げられる。

対して臥龍は、刃先の欠けた短い刀を手元でクルリと一回転させる。


「そうか。だが、それは俺には何の関係もない」


そして再び衝突する鎌と刀。

しかし臥龍も、そして恐らくザラキエルもそこから先の未来を知っていた。


「終わりだ。ザラキエル」


鎌が砕ける。

そして、ザラキエルも。


「アハ⋯⋯♥」


そう言う彼女は、果たして何を思っていたのか。

ザラキエルの肩から腰元を抜けるように斜めの斬撃の跡が刻まれる。

そしてバケツをひっくり返したような鮮血が暗闇を飾った。


「アタシは⋯⋯最強⋯⋯♥」


バタリと倒れる音。

同時に恐ろしい天使の姿は消え、そこには小さな少女がいる。

たが彼女の赤と青の瞳は光を失い、体は血で染まっている。


そして臥龍は、自ら折れた刀を地に置いた。


戦いは終わった。

ザラキエルは、臥龍の前に敗北した。

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