第156話 折れた杖

中村椿は見てしまった。

それは夜の午後11時。深夜の人気の少ない時間の中。


相次ぐ事件を考慮して武装を許されたDH達がスタジアム近辺を見回りしているその時間に、その少女はDH達の指揮をしながら警備を続けていた。

大会の警備、ただそれだけに過ぎない時間の中で彼女がふと見かけた一人の姿。

それはかつて彼女が普段からよく見ていたはずの人物の変わり果てた姿だった。


「か、加藤さん!!」


仕事のことなど一瞬で頭から飛んだ。

他のDH達が振り向くのもお構いなしに彼女は遠く見える人影に駆け寄る。


幾度となく見てきたその姿は、確かに彼女が加藤理沙であると確信させた。

顔色は青白く、普段のスーツ姿とは明らかに異なるワンピース姿。

しかしその顔は間違いなく加藤理沙だった。


「加藤さん! 私です! 中村椿です!!」


その少女、中村椿は大声でそう呼びかけた。

仕事中であることも忘れて、夜の静寂の中そう叫ぶ椿。

背筋を伸ばし、ピンと地面に垂直だったはずの理沙の背はまるで老婆のように丸まり、一定のリズムを刻んでいたはずの足音は千鳥足のようなおぼつかなさだ。


理沙に駆け寄ろうと椿は駆け出す。

椿の目はやっと理沙を見つけられた喜びで潤んでいた。


「戻ってきてください! 加藤さんのことをみんな待ってるんです!」


そう呼びかけると、理沙の顔が椿の方を向く。

しかしここで、それを見た椿の背に僅かな冷たい悪寒が走った。


椿を見る理沙の首は、少し曲がり方が不自然だったのだ。

そして彼女の動作は人間味を感じさせない挙動と視線。

椿も相応の修羅場の経験を積んだDHであり、見た相手が『ヤバい』か『ヤバくない』かの判別くらいなら直感に近い形で行うことが出来る。


心の中で、必死に自らが導き出したはずの直感を握り潰す椿。

それは自身の経験を疑いたくなるほどの、椿の理沙に対する好意ゆえか。


椿の直感は目の前の理沙に対して極大の『ヤバい』のサインを出していた。


「グ⋯⋯ゴァ⋯⋯」


理沙が口を開くと、そこからは得体の知れぬ奇声が漏れ出てきた。

まるで常時首を絞められているかのような声である。それは人間が自発的に出すような声とは明らかに異なっていた。


「加藤さん! しっかりしてください!」


普通なら、そんな不用意なことはしなかっただろう。

だが見知った存在である理沙に対して椿は警戒することが出来なかった。

椿は、理沙に触れようとその手を取ろうとした。その時である。


「グアアアアアア!!」


理沙の指がまるでアイスピックを突き刺すが如く椿目掛けて打ち込まれた。

刺突の形で打ち出されたそれを至近距離で受ける体制になった椿。


「加藤さんっ!!」


しかしそれを椿はマトイで受けきった。

ゴキッという鈍い音と共に理沙の指の骨が砕けたのを知る椿。


「何でこんなことになっちゃったんですか!? 加藤さん!」


呼びかける理沙。しかし、理沙はもう止まらない。

理沙は手を伸ばすと、椿の細い首を両手で掴んだのだ。


「か⋯⋯とう⋯⋯さ⋯⋯!」


恐ろしい力で理沙は椿の首を絞める。

身の危険を感じた椿はとっさに懐に持っていた黒い短刀を取り出した。


椿のお守りであり、憧れの証明でもあるそれを本能的に振り上げようとする。

かつて臥龍が使っていたそれを使えば、そして理沙の腕を切り落とせば、椿は逃れられるはずだ。しかし、椿の手は振り上げたもののそれ以上動かない。

椿は敬愛する理沙に刃を突き立てることなど出来なかった。


そうしている間にもどんどん椿の体から力が抜け落ちていく。

そしていつしか死の冷たい気配が近寄ってくる⋯⋯


「中村ッ! 反撃しろ!!」


だがその時、背後から声がした。

同時に椿と理沙の間に大きな影が割って入る。

闇夜を切り裂くように、二人の間に入って来たのはNO5だった。


「やはり来たか! 俺が加藤を捕獲する!」


「か⋯加藤さんにダメージを与えないでください!」


「まだそんなことを言っているのか中村!」


するとNO5はマトイを全身に纏わせる。

膂力に秀でたNO5は、ゴールデンナンバーズの中でも屈指のパワー系能力者だ。

そのNO5に飛び掛かる理沙。だがNO5 はひらりと躱すと、拳を振り上げて⋯⋯


ズガアアアアッ!!という音と、吹き飛んでいく理沙の体。

NO5の拳が理沙の体もろとも彼女を吹き飛ばしたのだ。


「中村。お前には黙っておこうと思ったが、こうなった以上仕方がない」


NO5の一撃は手加減を全くしていない。

それは、今の一撃を受けた理沙の状態を見れば明らかだった。

NO5のパンチを受けた右腕は二の腕がペチャンコになり、ポタポタと血の雫が落ちている。だが理沙はそれに痛がる素振りも見せずにユラリと立ち上がっている。


「加藤理沙は死んだ。俺たちの間ではそうなっている」


「加藤さんが⋯⋯死んだ!? だって目の前にいるじゃないですか!!」


「なら、その目でもう一度加藤”だったもの”をよく見てみろ。そしてお前のDHとしての直感に問いかけろ。アレが果たして本当にかつての加藤理沙かどうかをだ」


理沙は立って、動いて、声を発して、そして生きている。

だが椿の直感はNO5が直接言わぬ事実を無慈悲に示していた。

あれはもう、椿が知っていた理沙ではないと。


「加藤理沙は死んだ。そして今お前が対峙しているのは、加藤の体を借りた得体の知れない何かだ」


「そんな⋯⋯!」


「戦う勇気がないならここから消えろ。俺達はもう既に、加藤を倒すための陣形を組み立ててここで待っていた」


その瞬間、四方から照明弾が一斉に放たれた。

照明弾は暗い闇夜を一斉に照らし身を隠す影をも飲み込む白夜の如き白光を放つ。

その時椿は確かに見た。辺りを囲む木々の間から、一人、そしてまた一人とDH達が姿を現し始めていることを。

そしてその全員が、理沙に向けて各々の異能具を向けていることを。


「やめてください! まだ、まだ加藤さんは⋯⋯!!」


「これは本部命令だ。我々の意志に関わらず、加藤理沙を倒すことが今の俺たちの使命だ。それとも中村は、あの加藤が他者に害を及ぼさないと断言できるのか?」


それを聞いた椿は、「うっ⋯!」と口を噤む。

あの獣のように椿から去っていった理沙の姿は今も椿の瞼に焼き付いている。

もしあの状態の理沙を野放しにして、そして民間人に死傷者が出たらどんな事態になるのか。DHの信頼は地に堕ちるのは明白だ。


「どけ中村。いずれにせよ、お前にこの仕事をさせる予定ではなかった」


そして理沙と対峙するNO5。

するとここで椿の肩に誰かが手を置いた。


「椿。離れて」


カチャリと音がして、椿の背後から白い熱線が放たれる。

しかし理沙はそれを超人的な反応で躱す。

振り返る椿。するとそこには金髪の美女がいた。


「この辺で不審な女性の目撃情報が多発していたからダメ元で張り込んでたけど、やっぱり加藤さんだったのね」


その言葉に一瞬耳を疑う椿。それは椿も初耳だったからだ。

カチャリとハンドガンから弾倉を取り出し、銃弾を補充するのはNO4だ。

そして再度構えると、今度は外すまいとより正確に狙いを定める。


「そんな⋯⋯何で教えてくれなかったんですか!?」


「全てが遅かったのよ。加藤さんは私にとっても恩人だけど、もう治療して治るようなレベルじゃない。無関係の人たちに危害が及ぶ前に倒さないといけないのよ」


NO4なら止めてくれると椿は思っていたのかもしれない。

だが、NO4は理沙を倒す道を選んでいた。


「何で、何でそんなに非情になれるんですか!?」


その最中、椿は叫んだ。

わなわなと震える手は現実をまだ彼女が受け止め切れていないことを如実に示している。それを見るDH達の目は、ある人は仕方がないというように溜息をつき、また可哀そうだと同情するような視線もある。


「ガアアアアッ!!」


すると再び理沙が飛んだ。

今度は木の影に潜んでいたDH達の一人にだ。


「捕縛しろ!!」


するとDH達は一斉に強化繊維で編まれた網を宙に広げた。

網は理沙を包むと、身動きが取れないようにグルグルに絡まっていく。

まるで網に抗うようにジタバタと身を動かす理沙だが、網は彼女が暴れれば暴れるほど複雑に絡まって強固な縛り縄へと変貌していく。


「⋯⋯中村。お前は知っているか?」


するとその時、NO5が椿に言った。

顔を上げる椿。するとそこには、歯を食いしばって理沙を見るNO5の姿があった。


「加藤は俺の同期だ。そしてNO4 ⋯アリーシャはお前と同じく加藤に教えを受け、そして今ここにいる。ここにいる人間で、加藤をこんな目に合わせたいと思っている人間など一人もいない」


それは、普段滅多に個人の私情を見せないNO5の純粋な気持ちだった。


「今思えば、もっと加藤に気を配るべきだった。そうすればこんな事にはならなかった⋯⋯そう思うと後悔してもしきれない」


その言葉の最後に、ほんの僅かにNO5の声が震えたような気がした。


息を荒立てて獣のような視線をNO5に向けている理沙。

きっとそれを見て彼も悟ったのだろう。彼女はもう手遅れだと。


「だが、一般人に我等異能使いが危害を加えることはどんな事情があっても許されない。私情を挟む余地のある段階は我々も知らぬ間にもう過ぎていた」


それを聞く椿の顔は暗闇に隠れて見えない。

NO5の言うことは恐らく正論なのだろう。

だが、それを「そうですか」と素直に認めることは椿には出来なかった。


するとNO5は網の中でもがく理沙を見下ろしながら絞り出すように告げる。


「捕獲完了。あとは加藤を本部に持ち帰る」


縄を丸太のような腕で掴むと、待機させていた輸送車へと積もうとするNO5。

しかし、その時だった。


『その女性を渡してもらおうか。日本のDHたちよ』


それは殺気か、いや殺気と呼ぶには静かすぎる何かか。

NO4とNO5が、暗闇に響くような声を聞いたのは同時だった。


「何ッ!!??」


NO5の手から、網が消えていた。

いや正確には感覚すら追いつかぬほどの速度で何者かに”強奪”された。


『この女性は私が頂こう。女性のエスコートは無粋な君たちよりも私の方が慣れている』


「お前は⋯⋯!!」


暗闇に一人の男が立っている。

その手には理沙を捕縛した網があり、顔はマスクで隠され杖を持った老人。

男はクルクルと杖を片手で回し、固いアスファルトを杖を強く叩く。


影の三銃士マスケティアーズよ。彼らの相手をして差し上げるのだ』


その瞬間、影を銀の光が横切った。

NO4、NO5、そして椿が反射的に飛ぶのと彼らがいた場所を銀のレイピアの剣が斬撃を飛ばすのはほぼ同時だった。


「ドン・ファーザー!!」


今の今まで、姿を見せなかったドン・ファーザーが彼らの前に立ち塞がっていた。

影の三銃士の黒い姿と暗闇のコンビネーションは凶悪だ。まるで剣のみが宙を舞っているかのように錯覚させるそれは、恐るべき斬撃となって彼らを襲う。


「加藤を連れ去って何をする気だ!」


『カトウ? それがこの日本人の名前か。いや、そんなことはもうどうでもよい。

この女性は私が頂く』


カンッ!と甲高い音をたてて杖で床を突くドン・ファーザー。

すると彼の体から光が溢れ出した。


『では、さらばだ。もう二度と君たちに会うことはあるまい』


「待てエエエッッ!!」


ドン・ファーザーに掴みかかろうとするNO5と、女神の息吹を放つNO4。

しかし二人よりも早く動いていた小さな影がいた。


(間に合って⋯⋯!!)


懐から臥龍の短刀を取り出す椿。

ドン・ファーザーから眩い光が溢れ出す。これはワープの前兆だ。

だが椿はDH達が所在を示すために使うGPSビーコンを短刀に付ける。

そして椿は、ドン・ファーザー目掛けて短刀を投げた。


『グオッ⋯⋯!!』


ブスッ、という鈍い音と同時に光が満ちる。

思わずそこにいる全員が顔を伏せた。


そして光が収まった時、ドン・ファーザーの姿は消えていた。


「しくじった⋯⋯!! まさかここでドン・ファーザーが来るとは!」


NO5は目にも止まらぬ高速連打で影の三銃士の二体を仕留める。

さらに残った一体はNO4の銃が火を噴いた瞬間に爆散する。

するとNO5は後ろにいたDHたちに向けて大声で尋ねた。


「奴にGPSビーコンを付けたものは居るか!?」


「そ、それが余りにも急で⋯⋯そんな余裕は無かったです!」


するとNO5の視線が椿とNO4に向く。


「お前たちは?」


「そんな怖い顔で聞かないでよ。そもそもアタシはビーコン持ち歩いてないし」


「わ、私は⋯⋯」


椿の懐の中で微かに聞こえるピピッという音。

それはビーコンが正常に作動している証の音だ。


「そ、その⋯⋯」


すると、椿はか細い声で言った。


「まに⋯⋯あいませんでした」


ドクドクと心臓が激しく動いている。

自分は今NO5に嘘をついているのだと悟られたらどうしよう、そんな椿の心境を表すかのように。


「⋯⋯分かった。ならば、仕方がない。加藤の捕獲作戦は一旦中止だ」


ピコン、ピコンと椿の胸元に仕舞った端末から音が微かに聞こえる。

反応はビーコンがそれほどここから離れていないことを示していた。

つまりドン・ファーザーも、ここから離れていない場所にいるということだ。

そして間違いなく理沙も、そこにいる。


「俺とNO4は本部に戻って作戦を練り直す。そして中村は⋯⋯」


そうNO5が言うのと、椿が走り出したのは同時だった。


「ごめんなさいっ!!」


虚を突かれたDH達の間を高速で走り抜け、椿は闇の向こうへと消えていく。


「中村! どこへ行く気だ!」


だがその言葉に返答はない。

椿は一瞬でその場から走り去っていく。


背後を一瞬だけ振り返る椿。

NO5が追いかけようとするのが見えたが、それ以上は見なかった。

椿のスピードはDH全体でも三指の指に入る。あの場にいたDHで椿の最高速度についていける存在など居ないと知っていたからだ。


端末を取り出し、ディスプレイを見る椿。

するとここから一番近いビルの一角にビーコンの反応があった。


「待っててください⋯⋯私が絶対に加藤さんを助けます!」


椿はどうしても諦められなかった。

かつての教官であり、恩人である理沙を彼女は助ける道を選んでいた。


目的地のビルが近づいてくるのを確認すると、一瞬深く深呼吸する椿。

そして椿は、まるで忍者の如く監視カメラをすり抜けるとビル内部へと侵入した。


人気は全く無い。まるで、その一帯だけ人払いがされているかのような静けさ。

それが尚更に不気味な雰囲気を醸し出していた。


そして、椿がビルの中へ消えていったその直後。

ビルの前に新たな人影が現れた。


暗闇でも目立つ碧眼に微かに伝わる強い魔力の波動。

豊かな金髪に手には近くのスーパーで買った総菜品が入っている。


「今のは、ツバキ・ナカムラ? パパが送ってくれたデータの子にそっくり」


現れたのはジャンヌ・ルノワール。

彼女は大会が行われているホテルに帰る途中だった。


椿が入っていったビルを見上げるジャンヌ。

それを見るジャンヌの瞳が少しだけ曇った。


先日からこの一帯を漂っている異様な負の魔力。その存在は当然彼女も知っており、それが得体の知れぬ何者かの強い波動によって引き起こされたことも分かっていた。

そして目の前のそのビルからはその負の魔力に酷似した、背筋に冷たい不気味な予感が走るような危険な香りがしたからである。


「嫌な魔力が満ちてるわ。まるで嵐の前触れみたい⋯⋯」


と、その時である。

何かが割れる音と共に暗闇から何かがジャンヌの目の前に落ちてきた。


「これは⋯⋯!!」


落ちて来たのは木の杖だった。

だがその杖は、ジャンヌにとっては大いに見覚えのある物である。


「パパの杖⋯⋯!!」


それはドン・ファーザーが愛用しているものそのものだった。

見間違おうにも見間違いようがないそれが何故見知らぬビルから落ちて来たのか。


ビルの最上階から落ちてきたそれは、見るも無残に真っ二つに叩き折られている。

気が付いたとき、ジャンヌは手に持っていた袋を投げ捨てていた。


「パパ!! 待ってて!!」


一体ビルで何が起きているのか、そして父同然のドン・ファーザーに何が起きたのか。ジャンヌは考えるより先に動いていた。


消えていった椿の後を追うようにジャンヌも建物の中へと入っていった。

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