第143話 開幕

スーパー・スターズ・スタジアム。


スターズ・トーナメントのためだけに建造された巨大な異能競技施設で、総収容人数は日本最大規模を誇る。あらゆる異能に耐えきる頑丈さと、どこの席からでもパーフェクトな景観を保証する、計算され尽くした構造を持つ近代建築の最高傑作だ。


「うわあ、最高の席だ!」


ここは、スーパー・スターズ・スタジアムの観覧席。

そしてその座席の中でも特に見晴らしの良い観客席に彼らはいた。


「コネ最高! 見晴らし最高! 葉島と健吾の妹に万歳!!」


「ちょ、ちょっと向井君、それ以上大声では言わないで⋯⋯」


巨大なスタジアムを見て大興奮している新を筆頭に、健吾、修太、真理子、そして夏美の5人がスタジアムを訪れていた。


スターズ・トーナメントは異能力を扱う祭典の最高峰。

それだけに多くの人が観戦に訪れ、チケットは争奪戦だ。

普通なら、中々手に入れるのが難しい席なのだが彼らは席のチケットを手に入れることに成功した。入手手段は、山宮学園の出場者関係者枠で直人が彼らの分のチケットを取ったのと、足りなかった分は健吾の妹の椿が大会の監視に来ている分の枠を使ってチケットを確保したのである。


「いいんですか? 妹さんの席まで私たちが使って⋯⋯」


「うん。椿は仕事で観戦できないみたいだから。無駄になるなら皆に使ってもらった方がいいって言っていたよ」


真理子の言葉にそう応える健吾。

スタジアムは、早くも大観衆で9割方が埋まっている。さらに電光掲示板には出場者の名前が記載されており、直人の名前もそこにはあった。

すると新の横の空席だった席に数名の人影が現れる。


「あ、山宮学園の人たちだあ」


横からトロンとした眠たげな声が聞こえて来た。

横を見る新の視線の先には、ニコニコ笑ってこちらに手を振る人影。


「たしかあ⋯⋯レベル1クラスの人たちだよねえ」


手を振ってるのは、瑛星学園の打良木真白だった。

そしてその後ろからひょっこりと顔を出すのは上里みどりだ。


「あっ、皆さんは葉島さんの応援に来たんですか?」


「ウヒッ⋯⋯ここ、いい席」


「ムッ! 拙者の知らぬ方々でゴザルな!」


その後ろには、闇内静と丸井昭雄もいる。

山宮学園レベル1クラスの面々と、瑛星学園で直人と同グループだった一同が、偶然にも隣り合わせの席で遭遇していた。

すると健吾が、みどりに尋ねた。


「もしかして、瑛星学園の?」


「そう! 私達も大会の観戦に来てるの!」


するとみどりが健吾に、連れていた瑛星メンバーの紹介をする。

それが終わった後に、真白がフラフラと手を振りながら言った。


「私のお父さんがこの大会のスポンサーでえ⋯⋯だから席が取れたよお⋯⋯」


どうやら瑛星学園一同のチケットは真白が調達したらしい。

するとカクっと首を垂れ、真白からスヤスヤと穏やかな寝息が聞こえてきた。


「え⋯⋯大丈夫なんですか?」


「大丈夫。この子、すぐに寝ちゃうの」


困惑する健吾に対して、慣れた様子のみどりたち。

するとここで、修太が空席が一つあることに気付く。


「あれっ? 誰かいないみたい」


「赤城原殿なら席を離れておりますぞ。軽食を買いに行かれたようですな」


翔太郎の姿は見えない。今は留守にしているようだ。

健吾が周りを見回すと、健吾たちに限らず至る所に健吾たちと同年代くらいの人たちの姿が見える。本戦に出場できなかった人たちだろうか。


また、健吾たちのいる席のいくつかには黒いスーツを着てカメラを構えている人影も何人かいる。無断で撮影は出来ないのだが、彼らは首に撮影許可証を下げていた。


「あれって、もしかしてスカウトさん?」


不思議そうに彼らを見る新。

するとそれを見た真理子が言った。


「DH協会のスカウトの方だと思います。スターズ・トーナメントの試合内容を見て、力のありそうな高校生に早い段階で目を付けておくことがあるらしいですから」


また、今回の大会は例年にも増して監視の数が多い。

フランスからやって来たドン・ファーザーの警戒のために人員を増やしているのだが、それを知らない健吾たちには緊迫した空気感だけが伝わってくる。


「葉島君⋯⋯大丈夫かな」


するとここで、健吾が心配そうに口を開いた。

スタジアムは、ライトアップが消えて出場者を迎え入れるカウントダウンが始まっている。


「どうしたでゴザルか?」


「ちょっと、葉島君のことが心配なんだ⋯⋯個人戦の出場者の中に、凄く危険な異能力使いがいるのを知っているから」


健吾は、直人が蔵王戒坐と戦わないことを心から祈っていた。

そうなるくらいならせめて早期に敗退して身を守って欲しいと、それくらいの気持ちでここに観戦に来ていた。


「葉島殿は大変にお強い御方ではありませぬか! そう心配なさらずとも、きっと葉島殿なら大義を成し遂げてくれると拙者は信じておりますぞ!」


そう言って、励ますように健吾の肩を叩く昭雄。

するとブザーの音と共に会場の空気が変わった。


「あっ! 始まるみたいだよ!」


ステージを指差してそう言うみどり。


すると、壮大な音楽と共にスタジアム中央の床が開く。

そして一人の人影が現れる。すると消えていたライトが一斉に灯り、虹色の光がスタジアム中央を照らした。


『さあ始まりました、今年最強の学生異能力者を決める祭典、スターズ・トーナメント! 実況は私、マイク・ケンがお伝えします!」


ノリノリの様子で、場内に響く声。

現れたのはテレビで見ない日はない売れっ子司会者のマイク・ケンだ。

するとスタジアム上空に、巨大な飛行船が姿を現した。そして飛行船から細い糸のような白い滑り台がスルスルと現れると、ステージ中央に階段が繋がった。


『全国各地の予選を勝ち上がってこのステージまで登り詰めた、若き異能力者たち! さあ今ここに己の才と叡智、そして珠玉の技を披露するんだ!』


スタジアムの電光掲示板に表示されている出場者の名前。

するとその中の一点が光ると同時に、飛行船と繋がる滑り台から誰かが滑り降りて来た。


毎年スターズ・トーナメント本戦は入場方法が凝っているが、今年は上空の飛行船から、滑り台を使って滑り降りる方式になったらしい。


『おーっと、早速今大会の優勝候補の一人が姿を見せたぞッ!!』


先陣を切って現れたのは、大和橋高校の寺田真だった。

続いて、西宮瑞希も姿を見せる。


『西日本の雄、大和橋高校代表、寺田真! 西宮瑞希! その誇りを胸に熱いバトルを見せてくれッ!!」


「言われんでも分かっとるわ。なあ、西宮」


「そやなあ。でもウチはアンナはんを倒せればそれでよろしいのだけれど」


「山宮に次ぐ永遠の二番手とはもう言わせん。今年の優勝は俺達や!」


彼らを先頭にして、次々と降りてくる本戦出場者たち。

一人一人降りてくるたびに会場から歓声が上がり、場内の熱気はマックスだ。


そして次に滑り降りてくるのは、長身に青ざめた顔をした男。

するとその姿を見るや、一部からはブーイングに似たどよめきが起こる。


『何から何まで得体が知れないッ! 危ない男だ蔵王戒坐!!』


「フン。愚にもつかぬ民の声を聞くのも、王の責務よ」


スタジアムの破壊でヘイトを買っている上に、予選会では多数の負傷者を出した危険性は多く周知されている。そのせいか、一部からは罵声も飛ぶ。

しかしそんなことは意にも介さず、蔵王戒坐はスタジアムに降り立った。

するとその姿を見た健吾が、ウッと小さく声を漏らした。


「アイツだ⋯⋯王の御前で僕を倒した奴だ」


思わず自分の腕を掴む健吾。

彼の異能によって受けたダメージが思い起こされているのかもしれない。


「何か、不気味な感じの人だね。顔色も悪そうだし⋯⋯」


蔵王戒坐の得体の知れない雰囲気を感じ取ったのか、そう呟くみどり。


その後に続いて次々と飛行船から降り立つ本戦出場者たち。

概ね同じ学校でまとまって入場する方式のようだ。

そして次に順番が来るのは、みどりたちの所属高校である瑛星学園だ。


「あっ、先輩たちだ!!」


馴染みのある青い制服の一団が飛行船から降り立つ。

降り立つ出場者たちに「せんぱーい!」と声を出して手を振るみどりと、待ってましたとばかりに意気揚々と瑛星学園の校歌を歌いはじめる昭雄。

みどりたちは彼らの応援に来ていたようだ。


「遂にこの時が来た!! 俺は絶対に優勝してやるぜ!!」


そんな中ステージ上で、一抱えもある巨大な校章旗を掲げる男が一人。

生徒会長としての責務を全うするが如く、本戦入りを果たしていた瑛星学園生徒会長の久崎炎が、声高らかに叫びながらブンブンと旗を振り回している。


「うおおおおお倅よ!! 何としても優勝するのだぞッ!!」


「分かってるぜオヤジ! 俺に任せろ!!」


するとステージ横でこれまた暑苦しく檄を飛ばす瑛星学園長の久崎炎弐の姿がある。

どうやら二人は親子だったらしい。それにしてもまるで彼らの周りだけ灼熱の炎に包まれているかのような錯覚すら感じる。とにかく暑苦しい。


「俺はッ! 勝ってやるぜエエエエエッ!!」


「その意気だ倅よ!! 必ずや覇者の座を山宮の支配から取り戻すのだ!」


『えーっと、盛り上がってるところ申し訳ないですが、後が詰まっているので出て行ってもらえますか?』


マイク・ケンからの注意と共に現れる警備員。

いつの間にか炎弐は興奮しすぎてステージ上に上がりかけていた。

羽交い絞めにされて警備員に連行される炎弐。「離せ!」とか「ワシは最後まで抵抗するぞ!」と叫ぶ抵抗も虚しく、彼は強制退場となった。


すると、その後に白い滑り台を伝って降りてくる人影が一人。

瑛星学園の制服を着たその少女の登場に、会場からはどよめきが起こる。


「あれって、もしかして噂の⋯⋯」


「⋯⋯出たわね」


健吾の呟く横で、そう言ったのは夏美だった。

すると彼女は端末を取り出すと、突然動画を取り出す。


「ちょ、ちょっと若山さん! 許可がないとここで撮影は⋯⋯」


「お黙りなさい中村君。私を負かしたあの女に関するデータは、いくら探しても見つからないのよ。だったらもう、直接ここで動画を取るしかないじゃない」


現れたのは、ジャンヌ・ルノワールだった。

彼女は予選会における女子部門の総合成績では断トツぶっちぎりの1位だった。また、何の事前情報もなく『酒井瀬奈』という名前の元現れたその少女の正体は、今はまだ公には明らかになっていない。ただ分かっているのは、間違いなく優勝の有力候補だということだ。


『海を渡ってやって来た謎の留学生、酒井瀬奈! 突然現れたダークホースは、そのまま優勝トロフィーも持っていってしまうのか!?』


会場の観客に軽く投げキッスをして、軽く手を上げると出場者の列に加わるジャンヌ。彼女の紹介で、山宮学園以外の出場者の紹介は終わった。


そしてここからは、押しも押されもせぬ不動の優勝候補。山宮学園の紹介だ。


すると、滑り台から早速一人の人影が現れた。

現れた女子は、自信漲る様子で白く長い白髪を撫でると観客にお辞儀する。


『昨年準優勝の女子の部、最有力優勝候補、星野アンナ!! 二年連続準優勝のシルバーコレクターが、遂に悲願の個人戦初優勝か!?』


「そう言われるとちょっとムカつくわね。でも、今年は勝つわ!」


山宮学園生の先頭に立つアンナ。

彼女は悲願の個人の部初優勝に向けて燃えていた。

そしてその後に、次々と出場者が降りてくる。志納篝や前田友則などの3年生たちを中心として列に並ぶが、そのほぼ全員が過去にも本戦に出場した経験がある。


そしてそれを見ている健吾の後ろで突然声がした。


「中村。ここで観戦していたのか」


振り返る健吾。

するとそこには目付きの鋭い山宮学園の制服を着た男がいる。

だがその姿を見た健吾は、驚いて言った。


「八重樫先輩!!」


何とそこには、八重樫慶がいた。


「先輩は開幕式に出なくていいんですか!?」


「ああ。あれは個人戦の出場者がメインだからな。団体戦しか出ない俺はおまけのようなものだ。それに、今まで一度も観客として仲間たちを見た経験が無かったのでな、許可を取って抜け出してきた」


1年生の時からずっと個人戦も団体戦でも中心メンバーだった八重樫。

だが今年は個人戦に出ない。それもあってか、彼はどこかゆったりと余裕を持つような佇まいだ。


「いつもこの時期は神経がすり減って仕方がなかった。だが、葉島に負けてからはどこか心に余裕を持って団体戦の対策をすることが出来たな」


「先輩でも⋯⋯緊張とかしていたんですね」


「当然だ。俺はいつも試合前になると緊張で食事が喉を通らなくなっていたぞ」


意外な情報を聞いて驚く健吾。

すると、八重樫はステージに目を向けた。


「見ろ。お前たちの同級生がやってくるぞ」


その言葉を合図にするように、遂に健吾たちの同級生、山宮学園の1学年のメンバーが飛行船から降り立った。彼らの先陣をきるのは光城雅樹だ。

すると彼が姿を現した途端、スタジアムからのフラッシュが大幅に増える。


『今大会最大の注目選手、光城雅樹!! 世代最強の呼び声も高い怪物の力は要注意だ!』


大会パンフレットのモデルにもなっていた雅樹。

中学時代から知名度抜群の雅樹には、それだけ多くの注目が注がれている。

勿論、男子の部優勝候補の一人として名前も挙がっていた。


すると、次に降りてくるのは俊彦だ。


『魔眼を操る稀代のマジシャン、目黒俊彦!! 魔眼から繰り出される幻術に囚われれば、抜け出すのは不可能だッ!!」


ペコペコと周りに頭を下げながら、そそくさと出場者の列に入る俊彦。

穴があるなら入りたいという様子で、彼の顔は真っ赤だ。まさかここまで派手な形で登場させられる羽目になるとは思っていなかったのかもしれない。


すると俊彦に続いて今度は巨大な男の影と、小さな少女が同時に滑り台から現れた。


『これまた優勝候補、仁王子烈!! 天性の圧倒的なフィジカルと青銅の騎士の組み合わせは最凶!! 念動力使いの千宮司陽菜も要注意なダークホースだぞッ!』


自身を誇示するようにノッシノッシとステージを渡り歩く烈に対して、烈の横にピッタリとくっついて身を小さくしている陽菜。

そして二人が列に並ぶと同時に最後の人影が現れた。

無数に並ぶカメラの前に立つ彼女は、動揺の様子を微塵も見せずに立ち上がる。


『榊原本家最高の逸材、榊原摩耶!! 舞姫の異名通りの華麗な御業は必見だ!!』


だが彼女の姿を見た途端、スタジアム全体からさざ波のようにどよめきが起こった。

一瞬、その反応に客席の健吾は戸惑いを見せるが、その反応の理由は横にいるみどりたちの言葉が表していた。


「榊原さんって今、凄く批判されているような⋯⋯」


厳密には、批判の的は摩耶ではなくその父である龍璽だ。

S級DBパンドラの討伐のために榊原家が生み出した異能力、時間爆弾は倫理的に深刻な問題を多く孕んだ非常に危険な異能力であり、かつ小さな少女の命をさも当たり前のように奪おうとした龍璽には世論からの非常に大きな反発を招いていた。


「あと、お父さんと仲が悪くなってるって噂も⋯⋯」


「拙者も聞きましたぞ。何でも、お父上と喧嘩なさっているとの話ですな」


摩耶と龍璽の不仲も、密かに囁かれている。

そのため雅樹を筆頭とした他の出場者と異なり、摩耶は悪い意味での注目を浴びていた。それに加えて、龍璽の娘である摩耶に対する視線が好意的になることもなく、一部では倫理的な問題を踏まえて、彼女を出場させるべきではないとも言われていた。

朝の食事会場を分けられたのも、そういった配慮の元の判断だった。


「くだらないな。実に、くだらない話だ」


しかし、そんな彼らの反応を見た八重樫はハッキリと言う。


「どんな事情があろうと、榊原が実力で勝ち取った個人戦本戦出場の権利。それを下世話で、四の五のと外野が事を荒立てるのは益体やくたいも無いことだ」


ステージに目を向ける八重樫。

ほぼ全員が出そろった山宮個人戦メンバーを見て、彼は呟く。


「俺は彼らを信じている。必ず、山宮に栄光をもたらしてくれると」


「八重樫先輩⋯⋯」


すると八重樫は踵を返す。


「俺はホテルに戻る。団体戦の戦術確認や、相手校の分析が残っているからな」


そして八重樫は去って行った。

するとここで、みどりがあることに気付く。


「あれ? そういえば、葉島さんは?」


すると、滑り台をツルツルと降りてくる人影が一人。

それを見た会場は色めき立つ。


『今大会最大のビッグサプライズを巻き起こしたダークホースの登場だッ!! 最大の優勝候補、八重樫慶を打ち破った一年生、葉島直人の入場です!!』


よりにもよって、まさかの大トリ。


だがそれもそのはずだ。何しろ、最後に降り立つ選手はあの前回大会優勝者の八重樫慶を倒して本戦に出場したスーパールーキーなのだから。

スタジアムの注目が一斉に滑り台の降り口に注がれる。

果たして、どんな怪物が現れるのだろうかと会場の注目度はマックスだ。


そして現れた。

普通以外の感想が出てこない風貌の葉島直人が。


「何か、普通⋯⋯」


「もっと強そうな人だと思ってた」


「私、凄いイケメンだって聞いてたから見に来たのに⋯⋯」


「本当にアイツがあの八重樫を倒したの? 嘘じゃないのか?」


さざ波のように広がっていく、悲しい感想。

他の出場者の多くが非凡な風貌をしてるせいか、直人の普通っぷりが悪目立ちしてしまっている。


なお観衆を死んだ魚の目で見つめた直人は、何も言わずに山宮個人戦メンバーの列に加わった。横ではトモが直人を励ますように、肩をトントンと叩いている。


『以上で、開幕式は終了だ! これから始まる熱いバトルを見逃すな!!」


そして滑り台を仕舞うと、飛び去っていく上空の飛行船。

それを見てマイク・ケンは会場に開幕式の終了を告げ、開幕式は終わった。




==========================



そしてここは、スタジアムの一角。

所謂VIPのみが立ち入ることのできるスイート・ルームである。

壁には中世の貴婦人が描かれたタペストリーが飾られ、豪華に彩られている。


その部屋のスタジアム一帯を展望できる窓越しに、一人の人影がいた。


「やはり、ジャンヌの魔力はあの面子の中では飛び抜けている。そしてあの、蔵王戒坐という男⋯⋯どうやら、王の御前を持っているようだな」


部屋には、気絶させられたDH達が転がっている。

しかもそのうちの何人かは、明らかに致死量の出血が見られる。


そして杖をつく、白髪の老人が窓からスタジアムに並ぶ出場者たちを見ていた。


「そして⋯⋯やはり、やって来たか」


コツコツ、と杖で床を叩く老人はドン・ファーザー。

彼はゆっくりと背後を振り返った。


「親愛なるお嬢さん。茶菓子でも用意して君を歓迎したいところだが、その前にこれ以上私に無実の罪を着せるのは止めてもらえないかね?」


そこにいたのは、血に染まったナイフを手に立つ一人の女性。

濁りきった瞳に、ゆらゆらと不安定な佇まいでドン・ファーザーを見ている。

白いワンピースを着て、只物ではない魔力を放つそれは異様だった。


「私は、人を殺したことは一度もない。『既に死んでいる人形を』倒した経験なら、過去に何度かあるのだがね⋯⋯」


杖をもう一度床で軽くトンと叩いたドン・ファーザー。

その瞬間、杖がレイピアの剣に変わった。


「キミもその一人なのだろう? 哀れな日本のマドモアゼルよ」


あくまで、彼の口調は穏やかだ。

だが同時に、強い緊張感も放ち始める。


「キミのご主人様に言っておいてくれないかね? 『人形を送るだけでなく、少しは自分自身で戦ってみたらどうだ?』と」


それは、やや皮肉めいた言葉だった。

薄暗いシャンデリアの光が、血に濡れたナイフの刃に反射する。


「魔力の残り香、戦い慣れたナイフの持ち方、女性にしてはやや筋肉質な腕。成程、恐らくキミは日本のDHだったのかな?」


ドン!という地面を蹴る音と共に、女性の体が凄まじいスピードで動く。

ジグザグに目で追うことすら難しい速度でステップを踏むその女性は、ドン・ファーザーの喉元を目掛けてナイフの刺突を放つ。


だがそれを、レイピアの剣が受け止めた。薄暗い部屋の中で火花が散る。

マトイを纏ったドン・ファーザーと、明らかに人間のそれではない動きでナイフを操るそれは、純粋な人間が成せる技とは思えない。


「キミを殺したくはない。例え、既に死んでいたとしてもだ」


だが、慈悲を込めたその言葉は届かない。

剣を跳ね除けるようにナイフをはらうと、手に持つナイフを投げつける女性。

しかしそれを、ドン・ファーザーは苦も無く手で掴み取る。


が、それこそ相手の狙った罠だった。

その瞬間、女性がパンと両手を合わせる。


針千本メタルニードル


すると、ドン・ファーザーの掴んだナイフが一瞬で変形する。

そしてナイフがまるで鉄のハリセンボンの様な毬栗状の鉄の球体に形を変え、ドン・ファーザーの手を無数に刺し貫いた。


激痛に思わず後ずさるドン・ファーザー。

その瞬間人外と言う他ない力で放たれた女性の踵落としがドン・ファーザーの肩を粉砕し、その衝撃で彼は剣を落とす。


「私のマトイを貫通する蹴りとは⋯⋯だが、君もタダでは済むまい」


痛みを堪える彼の前には、右足の踵部分が粉砕された女性がいる。

しかし全く痛みを感じていないのか手から零れ落ちたレイピアの剣を手に持ち、丸腰の男を殺そうと目の前に迫ってくる。


そして、女性は剣を振り上げて⋯⋯


影の三銃士マスケティアーズ


だが、それより早く二本の金の剣が彼女を刺し貫いた。

彼女の背後には黒い二体の人形が居る。何の前触れもなく現れた二体の人形たちは彼女の手からレイピアの剣を奪い取ると、部屋の奥の暗がりにいる誰かに剣を差し出した。


「この私が、キミの襲撃を見越さず丸腰で待ち構えるような愚か者に見えるのかね?」


その瞬間、女性の前にいるドン・ファーザーの顔が黒いマネキン人形に変わる。

そしてシャボン玉のように弾け、代わりに暗がりから正真正銘本物のドン・ファーザーが現れた。最初にいた彼は影の三銃士の内の一体による身代わりだったのだ。


「襲撃が、私一人のみの時だったのは幸運だった。愛しいジャンヌの目の前で、生身の人間を原型も留めぬ肉塊にするのは何としても避けたかったのだよ。たとえそれが動いているだけの屍であったとしてもだ」


ギリギリと握りしめるドン・ファーザーの拳に魔力が込められていく。

圧縮されたマトイのパワーによる彼の渾身のパンチが放たれようとしていた。

それを、マトイを持たぬ人間が喰らえばどうなるかは明白だ。


「刺し貫いた程度ではキミは動き続けるのだろう? ならば影も形も無くなるまで潰すしかない」


しかし彼がパンチを叩きこもうとした瞬間に、突如として背後の部屋の扉が開く。

そして何人もの人影が一斉に部屋へと乱入してきた。


「動くな!! ドン・ファーザー!!」


「部屋一帯は完全に包囲している!! 抵抗せずにその場で手を上げろ!!」


なだれ込んできたのは、DHと警察官。

そして彼らの先頭に居たのはドン・ファーザーがここにいることを突き止めてやって来た、刑事の坂上真一と横田成之だった。

部屋に入ってくる全員が完全武装し、彼を捕まえんと完全防備体制を整えている。


「もうすぐ、ゴールデン・ナンバーズも到着する! 逃げても無駄だ!」


そう警告する真一。しかし、それをドン・ファーザーは鼻で笑う。

握り拳を緩めて目の前にいる女性を一瞥すると、パチンと指を鳴らす。

その瞬間、横に控える二体の黒いマネキン人形が一斉に剣を構えた。


「お前たちは、彼らの相手をして差し上げろ。私はおいとまさせて頂く」


「待て!! ドン・ファーザー!!」


だが、それ以上は無駄だった。

強烈な光と共に姿をくらますドン・ファーザーと、その瞬間に剣を構えてDHに襲い掛かる影の三銃士。

目にも止まらぬ速さで放たれた刺突は、そのまま真一を貫かんと迫り⋯⋯


女神の息吹ホーリー・レイ


二発の白い閃光が輝いた。

そして、一瞬で影の三銃士たちが爆散する。


「この程度の相手に何を手間取ってるのよ。それで、ドン・ファーザーはどこ?」


薄暗い部屋の中で燦然と輝く蛍光色の小銃。

それをクルクルと回しながら、金のバッヂを胸に付けたスーツの女性が入ってきた。

そのバッヂに刻まれたNO4の文字。彼女はゴールデン・ナンバーズの一員であるNO4ことアリーシャだった。


「あら、逃げられちゃったのね」


銃を片手に振る彼女は、それを胸元に仕舞うと部屋を見回す。

彼女の目の前には、突然の光に硬直した真一がいた。


「な、何だ今のは!?」


突然黒い人間が剣を振り上げて来たと思えば、一瞬にして爆散した。

そして真一の横を、凄まじい熱を秘めた白い光線が通り過ぎたのを感覚として彼は感じていた。


「坂上さん。もしかして、あの人がNO4じゃないですか?」


そんな彼に、横の横田成之が囁く。


「NO4は銃の形をした異能具を使って、異能で作り出した熱弾を飛ばすって聞いたことがあります。C級DB程度なら一発で消し飛ばす火力らしいです」


「あらあ、私のことよく知ってるみたいじゃない」


成之の言葉に、やや気の抜けた返事を返すNO4。

すると彼女に続くように、部屋に小さな人影が駆け込んできた。


「遅れました! ごめんなさいっ!!」


「遅いわよ椿。ドン・ファーザーはもう逃げちゃったわ」


現れたのは、中村椿だった。

彼女らはこの会場の警備をしていたのである。そこにドン・ファーザー潜伏の報を聞いて急遽駆けつけて来たというわけだ。


「ごめんなさい! 椿が遅れてなければ⋯⋯」


そう言う椿だったが、ここで彼女はふと部屋の中央にいる女性に目を向ける。

自ずと警察関係者やDH、NO4たちの視線もそちらに向いていく。


「加藤⋯⋯さん?」


それは、零れるような椿の声だった。

普段はパリッとしたスーツに身を固め、しっかりと身だしなみを整えている姿しか見たことがない。だからこそ今のようにまるで何年も放浪し続けた流浪人のような風貌は異様だった。しかしその顔は、間違いなく椿の恩人のものだった。


「全然仕事にも来ないし、いなくなっちゃったと思ってたけど⋯⋯」


少しだけ震える椿の声は、安堵によるものかもしれない。

職業柄、突然同僚が姿を消すのは珍しいことではない。その多くは人知れずDBに襲われたり、命の危険に耐えかねて逃げ出してしまったりするケースだ。


「良かった⋯⋯無事でよかった」


そう言って、ゆっくりと近づいていく椿。

そして彼女に手を伸ばそうとして⋯⋯


「グオオオオオッッ!!」


気が付いた時、椿は突き飛ばされていた。

地面に叩きつけられる衝撃と、目の前の女性が異常な跳躍と共に部屋の窓をブチ破る音が轟く。それは人間というより、まるで獣のようだった。


「えっ⋯⋯!?」


「あれが加藤理沙? 私の知ってる人とは別人みたい」


窓を突き破った先は、スタジアム外だ。

まるで野獣の如き咆哮をあげ、外に飛び出していった理沙はそのまま出て行ったきり帰ってこない。まるでそれは彼らから逃げるかのような、またここに留まる理由がなくなったが故の逃亡のように映った。


「追いますか?」と横のDHがNO4に尋ねるが、彼女はそれを止めた。

どの道、追っても無駄だと直感したのだろう。


「仕事のし過ぎでおかしくなっちゃったのかしら。あの様子じゃ、職場復帰なんて無理そうね」


「ち、違います! きっと、何か事情があるんです!」


冷淡にそう言うNO4に、椿が床から起き上がって言葉を返す。

突然突き飛ばされたために受け身も取れ切れていない。だがそれでも椿は痛みを堪えて立ち上がった。


「あんなことをするような人じゃないはずなのに⋯⋯」


「まるで、人が変わったみたいだったわね。人が変わったみたいな⋯⋯」


その時、NO4の言葉が少しだけ詰まる。

まるで思い出したくないことを思い出したかのように。


「⋯⋯私のお父さんみたい」


それは、誰もに聞こえない位の小さな声で零れた言葉。

周りのDHや真一たち、椿にも聞こえない位の声だった。


「行きましょう。もう一度、ドン・ファーザーの居場所を特定するのよ」


「はい!!」


NO4の号令と共に、部屋を出る椿とDHたち。

そして部屋には真一と成之が残された。

すると、真一が小さな声で横の成之に言う。


「⋯⋯嫌な予感がするな」


「刑事の勘ってやつですか?」


「分からない。でも、感じるんだよ。さっきいたワンピースの女からは、人間の様な感じが全くしなかった。検死に立ちあった時の検死体を見た気分だったぜ」


「そんなバカなことあるわけないじゃないですか。ゾンビ映画じゃあるまいし、まさか死んだ死体が僕たちを襲ったってことですか?」


冗談はよしてくださいよ、とばかりに肩をすくめる成之。

それに半ば賛同するように、真一も頷く。が、すぐに口を開いた。


「⋯⋯でも、世の中に『絶対』はない」


「もしそれが本当だったら、異能学の教科書の中身が書き換えられてしまう様な話ですよ? それに、死体を使った異能の研究は絶対的なタブーとして禁じられてます」


「ドン・ファーザーが、そういう悪事に手を染めてない可能性が無いとは言い切れないだろ?」


両者の間で、僅かに沈黙が流れる。

だが暫くした後、悪寒を感じたように成之がブルっと体を震わせた。


「見えない誰かにずっと見られてるような感じがします」


「ああ俺もだ。ここにはあまり長居しない方がよさそうだな、撤収するぞ横田!!」


そして、真一と成之の二人も辺りを警戒しながら部屋を去った。

彼らが感じていた視線とは誰のモノなのか、それはまだ誰も知らない話である。

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