第142話 本戦初日

その数は十万を下らないだろうか。

朝起きて直人が最初に見たのは、スタジアムに押し寄せる観客たちだった。

スタジアム上空はヘリコプターが飛び、本戦出場者が宿泊しているホテルの周辺にはマスコミ関係者らしき人も何人かいる。


直人はベッドから起きると、軽く伸びをする。

すると端末には、新からのメールが来ていた。


「皆で応援に行くから! 見つけたら手振ってくれ!」


「分かった」とメールを打って返信する直人。

ふと時計を見ると、もう朝食の時間だった。


制服に着替え、朝の朝食会場に行く直人。

するとロビーの所では、雅樹が一人でコーヒーを飲んでいた。


「おはよう葉島君」


そう言う雅樹に軽く手を上げる直人。

だが、会場が開いているのにも関わらず雅樹が一人でいる理由は何なのだろうか。

それが気になった直人だったが、会場から見える食事会場の光景を見るとそれをすぐに理解した。


「ちょっと空気がピりついていてね。入りづらいんだ」


ビュッフェ形式になっている会場だが、言い換えるならそれは試合を目前に控えた一同が一カ所に集まって食事をするということだ。

前日のパーティと違い、言うならそれはプチ冷戦である。

何よりそれは会場の至る所で見える火花の猛烈な散らし合いが物語っていた。


特に直人からは、アンナと瑞希が二人してテーブルに座って朝食を取っているのが見えるが、まるでその一帯だけ地雷原になっているかの如く誰も近寄らない。

きっと彼女らの周辺はさぞ悍ましい魔力の奔流が起きているのだろう。

それだけでなく、些細ないざこざも会場内では起きているようだった。


「僕たち異能力界は、誰が誰とどんな形で繋がっているか分かりづらいからね。利害が一致しているならともかく、人によっては両親同士が宿敵の関係だったりすることもある。ましてや光城家は⋯⋯」


本戦に出場するレベルとなると、両親が高名なDHや有権力者だったりすることもざらだ。すると当然それは、人間関係も大人の汚い思惑も含んだものとなる。

特にそう言った権力界の頂点に君臨する光城家の長男である雅樹にとっては、ああいった環境に自ら入るのは躊躇われるのだろう。


「昨日のパーティは大丈夫だったのか?」


「うん、大丈夫だったよ。何人かと挨拶したくらいだし、後はずっと榊原さんと一緒にいたから」


するとここでタイミング良く摩耶が会場に到着した。

こちらを見て、彼女もやって来る。


「おはようございます。今日はいい天気になって良かったわ」


雲一つない晴天を見ながら、そういう摩耶。

するとここでホテルの関係者らしき人が、雅樹と摩耶の所にやって来る。


「光城家御当主様のご要望により、雅樹様と摩耶様にはプライベートルームにてお食事をご用意しています。では、こちらへどうぞ」


どうやら、こうなることを見越して手配が済んでいたようだ。

なお当然ながら直人には何ら関係のない話である。

直人はVIPではなく一般生徒だ。その違いくらいは直人も分かっている。


「じゃあ、またね葉島君。次はミーティングで会おう」


そう言ってホテルマンについていく雅樹。

摩耶もそれについていこうとするが、ここで少し足を止めた。

そして直人を少しだけ横目に見て、小さく言う。


「お父様は、今日の私を見てくれるでしょうか?」


榊原家当主、榊原龍璽と摩耶は現在絶縁状態になっている。

正確にはブルースの脅しで摩耶が無理矢理榊原邸へ戻されることを止めているのだが、父の暴走の結果とはいえ摩耶には引っかかるものがあるようだ。


「お父様がまた何か良からぬことを考えていたなら⋯⋯」


しかし、後ろから摩耶を呼ぶ雅樹の声が聞こえてくると、彼女はそれ以上は何も言わずに雅樹の後についていった。

踵を返しホテルマンについていく二人。すぐに直人は独りぼっちになってしまった。

すると、彼らと入れ違うようにして今度は別の人影が現れた。


「直人! 君に会いたいと思ってたんだ!」


「前田先輩!」


現れたのは、前田友則ことトモ。

実に数か月ぶりの再開をトモは喜んでくれているようだ。


「合宿の時から、直人は只物じゃないと思っていたよ。本戦出場おめでとう」


トモから差し伸べられた手をガッチリと掴む直人。

合宿の時の自信なさげな様子とは違い、今のトモは自信に満ちていた。


「君に言われてあの後目が覚めたんだ。まだまだ自分は出来る、ってね。直人に会えたから僕は頑張れた。君は僕の一生の恩人だよ」


前田友則は、あの合宿の後に連日猛特訓を重ねた。

そして魔力総量も倍以上に増やし、使える能力もあの時より劇的に増えている。

だが何より一番の成長は、そのメンタルだった。


「実は父さんの知り合いのDHの人に頼んで、もうダンジョンでDBの討伐にも参加してるんだ。卒業後はDH見習いになって、一流のハンターになるために頑張るよ」


もうすでに彼は進路を決めていた。

大学には行かず、そのままDH協会に入るらしい。

するとトモは、手に持っていたトーナメント表を直人に見せる。


「思い出作りで終わるつもりは無いよ。だから、本気で君に勝ちにいく!」


前田友則、の横に書かれた葉島直人の字。

トモの初戦の相手は直人だった。


「おっ、席が空いたみたいだ。じゃあまた、次は試合で会おう!」


そんなやり取りの後に、二人は別れる。

トモは朝食会場に向かい、直人は近くの自販機でコーヒーを買うと自室に戻る。

前もってパンを用意していた直人は会場では食事を取らずにそのパンを食べて食事を済ませた。因みに彼がこういった場で食事を食べないのは、稀に食事に毒を混ぜられていたこともあったDH現役時代の用心深さからくる行動だ。


そして、彼はスーツケースからある物を取り出した。

それは厳重に保管されている一本の黒い日本刀。10キロを越える重量と、いかなるDBであろうと切り捨てる特殊な金属で作られた逸品。


鞘に納められた刀を手に持つと、直人は体にマトイを纏わせる。

この刀のポテンシャルを生かすには、最高レベルのマトイが必要なのだ。

そして、一瞬タメを作った後に直人は目にも止まらぬ居合を放つ。


ピュッという甲高い風切り音と、ピタリと刃先が止まる感覚。

軽く頷く直人。限りなく完璧に近い居合だった。

だが、彼にとってはまだ改善の余地がある。


「悪くないな⋯⋯7割くらいか」


と、呟いて刀を鞘に戻す直人。

するとここで、コンコンと扉を叩く音がする。


「誰だ?」


部屋の中から、そう呼びかける直人。

インターホンのマイクをオンにする。すると声が聞こえて来た。


「直人⋯⋯烈、ここに来てない?」


聞き覚えのある声。

小さな、呟くようなその声が誰のものかはすぐに分かった。


「陽菜か? ここに仁王子は来てないぞ?」


「朝から烈見てない⋯⋯直人、烈と仲いいから来てると思った⋯⋯」


仲がいいかは疑問符が付く直人だったが、どうやら陽菜は困っているらしい。

扉を開けると、そこには心細そうな様子の陽菜がいた。


「一緒に探して⋯⋯」


「分かった。俺も探す⋯⋯」


と言ったその瞬間。

ドカドカドカ!という凄まじい足音と共に、ホテルの非常階段から巨大な人影が現れた。


「おう陽菜。お前、何でいるんだ?」


お探しの男が良いタイミングで現れた。

その男、仁王子烈は朝早いにも関わらず汗びっしょりになっている。


「何やってたの⋯⋯?」


「何って、マトイの練習だよ。あの先公が『マトイは一日でも使わない日があると、感覚を戻すのに一カ月はかかるからねえ』とか言ってたからな」


「マトイ⋯?」と首を捻る陽菜。

それを見た烈は少しだけ「ヤベ」と声を漏らす。


「人には言いふらすなって先公に言われてたんだよな。ようは、俺はもっと強くなれるってことだ」


「じゃあな」というと自分の部屋に戻っていく烈。

どうやら陽菜にマトイのことは詳しく説明していないようだ。


「マトイ⋯、何それ?」


烈の言うことを良く分からない陽菜は、少しだけ寂しそうな様子だ。

烈が自分に対して隠し事をすることは今まで無かったのかもしれない。

いじけているのか、指をチョンチョンと弄っている。すると直人は陽菜に言った。


「五大体術だよ。身体能力を大幅に上げる技術だ」


「直人、知ってるの?」


「ああ。ただ、山宮学園では教えていない技術だ」


すると、陽菜がポツリと言う。


「私も、マトイ、覚えたい⋯⋯」


陽菜をジッと見つめる直人。

本音を言うなら、陽菜にマトイの適性があるとは思えなかった。

マトイはただ覚えるだけではさほど有効な武器にはならない。直人や烈のように身体能力に優れた人間、いわゆる武闘派異能力者が肉弾戦や武器を用いた接近戦を行うのに使われる技術だ。


「陽菜には強力な念動力があるから、マトイを覚える必要性はないと思うぞ」


「でも、私だけ置いていかれるのはイヤ⋯⋯」


直人は困り果てる。

こういう時にどういう言葉を返したら良いのだろうか。『そうだな』と肯定するのか『そんなことない』と否定すべきなのか。それとも『他の方法があるぞ』と言って別の五大体術を勧めるべきか。だが師を持たない陽菜に存在だけ教えて丸投げするのは適切な判断とは恐らく言えないだろう。


などと、自分の不器用を呪いながら心の中でいくつものルートを模索する直人。

するとここで、後ろから声が聞こえて来た。


「もうすぐミーティングだ。お前たちも会議室に来い」


現れたのは八重樫慶だ。

彼は個人戦には出ないが、団体戦には出ることになっている。


「まさか油断しているんじゃないだろうな。出場者の数は山宮が圧倒的に優位とはいえ、蔵王戒坐や瑛星の留学生など強敵はまだまだいるぞ」


念を押すようにそういう八重樫。

踵を返して彼は続けて言った


「特に蔵王戒坐。奴は元木や志納でも情報が完全には収集できていない。それくらい未知数な点が多い敵だ」


その刹那、直人の脳裏に健吾の顔が浮かぶ。

蔵王戒坐が持っていると考えられている王の御前。だが、元々は健吾がその能力を持っていたはずだった。

とすると、それは健吾から奪ったものなのか。はたまたコピーしたものか。

類似している別物の可能性もある。


「詳しい話はミーティングでしよう。二人も早く来るんだ」


「「はい」」


そして直人と陽菜は、ミーティング室に向かった。



====================



そして場所が変わり、直人らがいるホテルから離れた別のホテルにて。

電話で小さな人影が誰かと話していた。


『ドン・ファーザーの居場所が分かった。奴は、スーパー・スターズ・スタジアムのプライベートルームを貸し切ってここに来ている』


「了解♡ サクッと片付けちゃうよ。予言も回収してサヨナラだね」


『あの程度の小者に手間取るお前ではないだろう。それよりも、大事な仕事はもう一つある。くれぐれも、それを忘れるな』


「分かってるよ⋯⋯『勧誘』でしょ?」


『ターゲットは二人。一人は我々にとって重要なピースを持っている男、蔵王戒坐。そして、メインターゲットがもう一人』


すると、暗い部屋の中でその電話を持つ少女はじゅるりと舌を舐める。

彼女がここにいるもう一つの理由。それは欠員補充である。


「ドン・ファーザーの秘蔵っ子、ジャンヌ・ルノワール。あの子を仲間に!」


『言うことを聞かなければ人形にしても構わない。どの道、改造して破壊兵器に変貌させることは変わらないからな』


「アハハッ♡ 楽しみだわあ⋯⋯」


そう言って、電話は途切れる。

するとここで部屋の隅から、泣き叫ぶような呻き声が聞こえて来た。


「もううるさいんだからあ⋯⋯」


それは、口を糸のようなもので縫われ、体を縄でグルグル巻きにされたホテルの従業員だった。少女は机に置いてある拳銃を手に取ると、銃口を向ける。


「お邪魔しました♡」


火を噴く銃口。そしてホテルの白い壁を、赤黒い血飛沫が彩った。

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