第108話 アレク vs パンドラ

「ハアアアッ!!」


振り下ろされる白刃を浴びたパンドラから、黒い霧が吹きだす。

どうやらパンドラは切り傷が刻まれたことに動揺しているようだ。


「今の内に君は逃げるんだ。転送装置は用意しているよ」


その隙に生じた僅かな時間で、アレクは抱える雪波に小さなスイッチを手渡した。


「ここに居たら戦いに巻き込まれる。ワープする座標は君たちが乗ってきた船に設定してあるよ」


それはどうやら転移術式が付加されたスイッチのようだ。

彼はこれで雪波にこの場を去れと言いたいようだ。


しかし、雪波は首を振る。


「しかし、私はパンドラを海底都市の真上まで⋯⋯!」


だがそれを聞いたアレクは、言葉を続けた。


「スクーターがない状態でどうやって任務を遂行する気だい? それに、君の様な勇気ある美しい女性が死ぬのを黙って見てるほど、僕は気長じゃないんだ」


「それに⋯⋯」と付け加えるようにいうアレク。


「封印案なんてゴミ箱に捨ててしまうんだね。何故なら、封印なんてするまでもなくこの僕が、今ここでパンドラを倒すのだから!」


ここで、パンドラがアレク目掛けて飛び掛かる。

一瞬の間に音速を超えるパンドラの跳躍から繰り出されるキックを受ければ、並の人間ならパンドラが接近してきた事実すら認識できずに死を迎えるだろう。


「この程度かい? 君の本気は!!」


だが、アレクはそれを完璧に見切った。

キックを紙一重で躱すと、返しのローキックがパンドラの下腹部を捕らえる。


まるで水切りのように、海上を滑りながら飛んでいくパンドラ。

アレクは雪波を抱えた状態でも、パンドラと互角に戦っている。


いや、むしろアレクの方が優勢にも映る状況だった。


「パンドラを倒すレベルの異能力を使えば、君にダメージが入ってしまうかもしれない。だから、ここは一度撤退してくれ」


「しかし⋯⋯!」


だがこれ以上雪波がここに留まるのをアレクは許さなかった。

優しく彼女の手にスイッチを握らせると、彼は自分からそのスイッチを押す。


「すぐに終わらせるよ。そして、君は間違いなく英雄だ」


そんな言葉を雪波にかけるアレク。

雪波はまだ何かを言おうとしたが、口を開く前に彼女の姿は消えた。


「さて、ここからは君と僕の決闘だね」


気が付いた時、吹き飛ばされたはずのパンドラは彼の前に立っていた。

見ると海上の数センチ上を、空中浮遊している。飛んでここまで戻ってきたようだ。


「面白いトリックを使うんだね。僕にも教えて欲しいな」


そんな軽口を言うアレクに、パンドラは苛立ちを覚えたのだろう。

その途端パンドラの手が再び変形する。そして黒光りする小型大砲の様なものが現れた。


「おっ、ハンドガンかい? いいね、来なよ!」


パンドラはガンをアレクに向ける。

そして、黒いエネルギーで包まれた巨大な砲撃を放った。


なお、この砲撃の威力は羅刹の超新星滅殺砲スーパーノヴァを上回る。

過去にはこの一撃によって、大国の数多の軍艦が沈められているのだ。


だがそれを見るアレクは余裕綽々だ。


「僕のマトイは、そんな技じゃ破れない!!」


そしてアレクに、黒い砲弾が直撃した。

辺りを揺るがす振動と、発散される魔力。衝撃波が海を撫でて波ごと削り飛ばしていく。まさにこの世の地獄の様な光景である。


がしかし、その爆発点のど真ん中で彼は立っていた。


「あつつ⋯⋯ちょっと無理しちゃったかな」


着ていたTシャツはボロボロに裂け、ズボンも一部が焦げている。

だがしかし、その男アレクにダメージは殆ど見られなかった。


着ていたシャツを海に放り投げると、アレクは日本刀を構える。

そして露になった肉体はまさに個の極。天から恵まれた溢れんばかりの才能と、鍛錬によって磨かれた肉体美は芸術作品をも思わせる。


「余興はこれくらいにしよう。これから僕は、君を斬る」


今までの全てを『余興』と呼んだアレク。

対してパンドラはそんな余裕の態度を見せるアレクに対して困惑に近い雰囲気を醸し出していた。


「今までこんなに余裕で君に対面した人間はいなかったから、困っているのかい? だがそれも仕方ないさ。何故なら、僕は君が戦ってきた誰よりも強いんだから!」


次の瞬間、アレクは目にも止まらぬ速さで斬撃を飛ばした。

ズバッ!!という音と共に、大量の黒い霧がパンドラから噴出される。


そして、切断されたパンドラの左手も同時に宙を舞った。


「僕のカグツチの切れ味はどうだい? 今更、逃げようったって無駄だけどね」


ほんの一瞬、後ずさりするようなアクションを見せるパンドラにアレクは言った。

飛ぼうが走ろうが、パンドラはもうアレクの斬撃からは逃げられない。


「ウオオオオオオッッ!!」


木霊するパンドラの咆哮。

負の瘴気と精神汚染の強大なパワーを秘めた咆哮が辺りを揺るがした。これを聞けば常人であれば、たちまち意識を失って二度と目覚めることはない。


だがそれでも、アレクの余裕は全く変わらなかった。


「いい声だね。君はオペラに向いてるんじゃない?」


欠伸交じりにそんなことを言うアレク。

精神汚染も負の瘴気も、アレクの前には何の意味も成していなかった。


「つまらない小細工は無しでいこうよ。それとも、そんなに姑息な手を使わなければ勝てない程、君は弱いのかい?」


カチャリ、と刀を構えるアレクはいよいよ本気になりつつあった。

今まで誰にも倒せなかった怪物をこの手で仕留められる。その喜びが体を満たす。


「はっきり言うよ、君は弱い。少なくともこの僕には勝てないね!」


そしてアレクは右手にエネルギーを集約させる。

白いエネルギーが渦を渦を巻くように彼の右手に集まると、それが白い白銀の剣となって彼の手に現れた。


「僕の『真の』愛刀、その名もデュランダルさ。カグツチは僕の二番武器だからね」


そう言うと彼は手に持っていたカグツチを、パンと手を叩いて召喚した異能で作った特殊な収納スペースに格納する。


「光栄に思えばいいと思うよ。僕がデュランダルを訓練以外の実戦で使うのは初めてだ。その理由は君に分かるかい?」


大きくデュランダルを振り被るアレク。

その瞬間、周りを圧迫するような強い魔力の波動が沸き起こる。


「答えは簡単。余りにもデュランダルが強力過ぎて、この剣の一撃に耐えられるDBが一体もいないからさ!!」


そしてアレクは、渾身の一撃をパンドラ目掛けて振り下ろした。

ブウーンという唸るような音と共に、白い光が辺りを包む。そしてパンドラに向かって、天から降り注ぐような極大の白い刃が放たれた。


「オオオオオオオッッ!!!!」


辺りを劈くパンドラの咆哮。

それはデュランダルの一撃が確実にパンドラに叩き込まれたことを意味していた。


「命中したね。これで、終わりだ」


デュランダルから放たれた一撃は、見事にパンドラに命中した。

パンドラの断末魔が辺りを包む。眩い白い光の間から、パンドラの黒い瘴気を纏った体が崩壊していくのが見えた。




===================




パンドラの断末魔は二人のみならず、そこから遠く離れたDH達の耳にも届いた。


「⋯⋯やったか?」


そう言うのは一人の老人。


小さな船の中で小刀を持っている、櫟原進十郎だった。


「信じられん。あのパンドラを倒してしもうた!!」


あれ程の強さを誇るパンドラが、アレクによって倒された。

その事実だけが今、目の前にある。


「作戦は⋯⋯終わりじゃな」


自分が命を絶つ必要がなくなった。

それは確かに喜ばしいことではある。


だが、何故なのだろう。

本当にこれで終わりなのか?


これで本当に、良いのだろうか?

進十郎は、何とも言えぬ強い胸騒ぎを覚えていた。


するとここで、彼の元に電話が入る。

遠くに見える白い光を見ながら、進十郎は電話に出た。


『よーっす! 進十郎はまだ死んでないの?』


「この声は⋯⋯コードワン殿!?」


『うん。ちょっと言い忘れてたことがあってさ』


電話の相手は、伝説の情報屋ことコードワンだった。

朗らかな様子で彼女は話し始めた。


『実はね、パンドラはそんなに強くないんだよ。きっと羅刹が無理でも、ワールドDHランキングの上位者なら倒せちゃうと思うよ』


「⋯⋯!? そ、それはどういうことですかな!?」


『言葉の通りだよ。精神破壊はヤバいけど、そこを何とか克服すれば倒すことはそんなに難しくないし、人海戦術で倒すことも可能かもね』


しかしそれは、聞いていた内容とやや異なる話だ。

何よりそこまで強くない相手なのなら、何故コードワンは封印などという手段を使うように進言したのか。


『でもね、じゃあ何で20年前の封印計画であれ程の犠牲者が出たと思う?』


20年前の封印計画では、世界屈指のDHが数多くパンドラに殺された。

そして最強のDH、騎士王も右手を失う重傷を負った。


「それは⋯⋯パンドラがそれだけ強かったからではないのですかな?」


『確かにパンドラは強いよ。けど、それは直接的な原因じゃないんだ』


するとコードワンは、声を潜めて言った。


 『20年前に当時の騎士王はパンドラと戦い、そして何とか勝ったんだ。彼はパンドラの体を6つに切り裂き、ズタズタにして勝利したの』


つまり、騎士王はパンドラに一度は勝っていたのだ。

では何故、そこから一転して多くの犠牲を生む事態になったのか。


『でもね、そこで初めて彼らは知ったのよ。パンドラが持つ最後の能力にして、最も恐ろしい特性。それを知らなかった彼らは、大惨事に見舞われることになったの』


「そ、その特性というのは⋯⋯」


少しだけコードワンが間を開ける。

それはこれから告げられる内容が、絶望に近い内容であることを暗に告げていた。


そして、彼女は言う。


『彼らが見舞われた悲劇。それは『6体』のパンドラと戦う事態になったことよ』


「ろ、ろ⋯6体?」


『さっきウチは言ったよね? 騎士王はパンドラを『6つに切り裂いた』って』


「6つに切り裂いた⋯⋯」


その時、進十郎は気づいた。

コードワンが言わんとしていることと、パンドラの持つ最後の能力を。


『パンドラは人智を超えた再生能力を持っていたのよ。それは、ほんのごく僅かな肉片であっても簡単に元の肉体を構築してしまうほどで、バラバラにされたパンドラの肉体はものの数秒で各々が独立したパンドラとして再生してしまったの。では、体を丁寧に6つに切り裂いたら、どんなことが起こると思う?』


パンドラは肉塊状態から、元の体を構築できる。

であれば6つになった肉体から生まれるのは⋯⋯


「1体でも凶悪なパンドラが⋯⋯6体」


「そういうこと。幸い、オリジナル以外の分身に再生機能は無かったけど、1体でもギリギリだったパンドラが5体も増えるのは流石に予想外だったわ」


少し間を開けて、更にコードワンは続ける。


『何でウチがパンドラを『封印』するように言ったか分かった? それはパンドラの再生能力を計算に入れないでアレと戦ったら、パンドラを倒すどころか『増やす』事態になりかねないからよ』


その瞬間、進十郎の頭が目まぐるしく動いた。

白い光、あれは恐らく騎士王の斬撃だろう。


「⋯⋯コードワン殿。あくまで仮の話ですがな⋯⋯」


『どした? まさか、パンドラを斬ったりしたんじゃないだろうね?』


白装束は、びっしょり濡れている。

だがそれが海水ではなく、己の汗であることは分かっていた。


「アレク殿の切り札⋯⋯確か⋯⋯」


『デュランダルだね。それがどうした?』


進十郎は感じていた。

遠く見える白い光。だが同時に何かが伝わってくる。


心を凍り付かせるような、明らかに強くなっている負の瘴気を。


「あれをパンドラに使ったらどうなりますかな?」


するとコードゼロは言った。


『アレは絶対にパンドラに使っちゃいけないよ、威力は絶大だけどそれ故にパンドラの体をバラバラにし過ぎちゃうから。あんなのでパンドラの体を砕いたら、それこそ大量の肉片が生まれて、それが全部再生でもしたら⋯⋯』


それを聞いて目の前が真っ暗になる進十郎。

その様子を電話越しにコードワンは感じ取った。


『あちゃー、やっちゃったかあ⋯⋯』


そう言って電話が切れる。

同時に進十郎の手から小刀が零れ落ち、海へと落ちた。




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「グハッ!!!」



それは、幻覚などではなかった。

アレクは目の前の現実を受け入れることが出来ない。


「何⋯⋯で⋯⋯!?」


するとザシュツ!という音と共に、何かがアレクの体を貫いた。

視線を下げるアレク。そこには己の体を貫く何者かの腕がある。


アレクは、ゆっくりと後ろを振り返った。


「何で⋯⋯生きているんだ!?」


そこには、先程倒したはずのパンドラがいた。

アレクを貫くパンドラの左手。しかしよく見ると、色の違いからつなぎ目の様なものが見える。


その時、彼は直感した。


(さっき切り落としたパンドラの左手⋯⋯あれが再生したのか!?)


戦いの中で切り落とした、パンドラの左手。

アレクは理解した。今自分を貫いているのはあの時切り落とした左手だと。


そしてアレクの目の前には、また別のパンドラがいる。

その数は最早、数える気力もない。


「卑怯⋯⋯じゃ、ないか⋯⋯再生なんて⋯⋯」


目の前の海を埋めつくす、パンドラたち。

その数は確実に千は下らない。


ポロリと、アレクの手からデュランダルが零れ落ちる。

そして彼自身の体も海に沈み始めた。


すると、背後のパンドラが片言の英語で言った。


『愚かな⋯⋯ニンゲンめ』


使い慣れていない声帯を使って、アレクにそう言うパンドラ。

しかしアレクはそれを聞くことなくガクリと力尽きた。


そしてパンドラの手を離れた彼の体はそのまま、深い海の底へと沈んでいった。

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