第107話 雪波の過去
スクーターを猛スピードで走らせる雪波。
ヘルメットには、DH達全員の所在位置が表示されている。
その中の一つの点が、猛スピードで移動をしているのを見るに、恐らくその人物が現在パンドラをポイントまで誘導しているのだろう。
そして雪波は、早くも二人目の放心状態の男を見つけた。
三人目に誘導を請け負ったDHのようだが、もう心はここにあらずだ。
「く、工藤⋯⋯気を付けろ。奴に捕まったら⋯⋯」
これまたガクリと首を垂れる。
元々一度しか誘導しない役割だったため、その男が気絶することで計画に大きな支障はない。だが彼は、何十年も第一線で戦い続けていた歴戦の猛者だ。
そんな彼でも、パンドラと対面すればこのありさまである。
(パンドラは⋯⋯やはり戦って勝てる相手ではない!)
純粋な恐怖。種として存在する越えられぬ壁。
海面を戦闘機並みの速度で走り、巨大戦艦を物ともせずパンチで沈め、羅刹の奥義を真正面から受けても傷一つ付かない、人智を超えた耐久性。
逃げるしか策はない。戦えば死ぬのだ。
「工藤! 次はお前だ!」
そんな中、ヘルメット越しに聞こえるDHの声。
遂に雪波がパンドラの誘導を受け持つ時が来たのだ。
すると雪波は言った。
「私の誘導だが⋯⋯先程の奴が気絶してしまった以上、私が奴の分まで誘導を受け持つ。もしものことがあれば、後は頼んだぞ」
「奴の分までって⋯⋯まさか工藤、二人分の誘導を行う気か!?」
「そうだ。私が二人分逃げ切れば問題ない」
「そんなの無茶だ!! もう一度陣形を組み直して再度パンドラの誘導を⋯⋯!!」
だが、そう言いかけたDHの声を雪波は遮る。
「もう一度陣形を組み直した所で、その間にパンドラが逃げれば計画そのものが破滅する!! それに二人目の離脱者が出た以上、もう陣形を組み直すのは不可能だ!」
ただでさえ少ない人数なのに、もう気絶者は二人もいる。
そんな状態で一から再度誘導を行えば、全滅する恐れもあると雪波は考えていた。
「もし私が死んだら、代わりにお前がバックアップを行ってくれ」
「待て工藤! まだ方法があるはずだ⋯⋯!」
だがしかし、雪波はここでマイクを切った。
どうせいくら考えたところで、案など出るはずがない。
何よりパンドラ誘導のミッション下において、迷いは致命的だった。
(すまない、皆。私には、もうこの道しかないのだ!!)
そして、彼女は走り出した。
音速を超え、最高速度のマッハ2で彼女は誘導の受け継ぎポイントまで向かう。
「工藤さん!! 助けてええええっ!!」
ここまでパンドラを誘導してきたのは、若い女性のDHだった。
雪波も十分に若いが、そのDHは雪波の2歳後輩だった。
「よく頑張った。後は私に任せろ!!」
そして雪波は、パンドラに向けて空気弾を撃った。
カチンカチンと、鉄を打つような音と共にパンドラが足を止める。
金の瞳が、遂に雪波の方を向いた。
「私を捕まえてみろ、パンドラ!」
スロットル全開、雪波は走り出した。
それだけではない、彼女はスクーターに加速異能力も同時に付加させる。
(これで、少しは距離を伸ばせるはず!!)
距離を表示するメーターにはマッハ2.5の数値が出ている。
これが今の限界だ。後はどこまで逃げられるかの問題になる。
そして雪波は後ろを振り返った。
(⋯⋯え?)
しかしここで予想外の事態が起きる。
「パンドラが⋯⋯いない」
後ろにパンドラはいなかった
周りを見回しても、パンドラの影も形もない。
「どうなっている!? 確かにパンドラは⋯⋯!!」
と、ここで彼女は人工衛星から伝わるパンドラの座標情報にアクセスした。
宇宙空間からパンドラの現在地を把握している以上、これなら居場所が分かる。
「まさか、私を無視して仲間を⋯⋯!!」
そんな事態が頭を過る。
彼女は海の海図からパンドラの居場所にアクセスした。
そして雪波は、パンドラの居場所を見る。するとそこには⋯⋯
「⋯⋯⋯どういうことだ?」
確かに、パンドラは居た。
しっかりと雪波を追っているし、他のDH達を殺しに行ったわけでもないようだ。
しかしそれなら、何故この地図はこんな表示がされているのだろうか。
「私の⋯⋯真上?」
雪波にピッタリ重なるようにパンドラの座標は、彼女の真上にあった。
それが何を意味しているのか、それはあるアクションを起こせばすぐ分かる。
(まさか、そんな、そんなことは⋯⋯!!)
雪波は自身の真上を見た。
そして彼女は、信じがたい物を見ることになる。
「聞いていないぞ! パンドラが、こんな芸当まで出来るとは!!」
パンドラは走っていた。
ただし海上ではなく、空中を。
雪波はここで初めて、パンドラが空を飛べたことを知った。
まるで無我夢中でスクーターを操る雪波を嘲笑うように、天から彼女を見下ろすパンドラ。見るとパンドラの体表には既に身を守るスライムも復元している。
「端から、我々はパンドラのことを何も知らなかったということか⋯⋯!!」
文献の記載など何の意味も無い。
人類はパンドラについて、余りにも無知すぎたのだ。
「⋯⋯⋯」
何も言わず、金色の瞳を雪波に向けるパンドラ。
すると雪波の視界が少しずつ歪んでいく。
(まさかっ⋯⋯コイツは私のココロを⋯⋯!)
すると音速を超えて走っているはずの雪波の周りを黒い霧が包み始めた。
そして体が少しづつ凍っていくような錯覚を覚え始める。
「これは、第五領域を超える精神汚染か!!」
防護壁とココロで武装しているはずの雪波の精神を、パンドラは汚染し始めた。
これも人類が知らなかったパンドラの更なる力。言うなら第六領域だろう。
「クソッ⋯⋯! 耐えられない⋯⋯!!」
彼女の脳裏に、昔の記憶がフラッシュバックし始める。
そして遥か前に心の奥に仕舞ったはずの悪しき記憶が蘇った。
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『山宮に入ると聞いて期待してみれば⋯⋯レベル1か』
親からも親戚からも、そんな言葉を投げかけられた。
それでも最高峰の学校である山宮学園に行けば、次世代の一流DHの卵たちに会える。そして彼らから学んで、自分にも輝かしい未来が待っていると思っていた。
そして入学してすぐに、彼女は洗礼を受ける。
『レベル1はお断りだ! 俺達に近づくな!!』
雑誌で見るような憧れの先輩たちには、近づけすらしなかった。
ゴミを見るような目で見下され、彼女は入学早々にリンチを浴びた。その理由は至極簡単、『レベル5クラス生に話しかけた』から。
校内にてレベル1クラスの生徒に人権は無い。だがそれでも、彼女は努力でテストで高得点を取り、実技でも良い点数を残した。
そして、それから間もなくのことである。
「貴方、最近目立ち過ぎよ?」
一学年上のレベル3の生徒に呼び出され、そこでも彼女は殴られた。
結果を残して彼女が上に上がることを恐れたのか、『目立ちすぎた』彼女は上級生たちから悪い意味で目を付けられた。
「お前さあ⋯⋯別に頑張らなくていいよ」
何時しか、同じレベル1クラス生にもそう言われるようになった。
彼女の存在は他のレベル1クラス生にも制裁という形で、そして八つ当たり的な形で表に現れるようになっていたのだ。
「俺が昨日殴られたのもお前が目立ち過ぎたせいだろ!」
「貴方が余計なことをするせいで、私たちも虐められるのよ!」
だから彼女は言った。
「だから、上に上がるんだ」と。結果を出して認めさせれば虐められなくなると。
だが、彼女の主張は受け入れられなかった。
「黙れ! お前がいるせいで⋯⋯!!」
「もういい! この子のことは無視しよ!」
そして彼女は孤立した。
一人になり、彼女の後に続く者はいなかった。
(何で、誰も理解してくれないの?)
彼女は表情豊かな少女だった。
どんな時でも喜怒哀楽がはっきりし、笑顔を見せることも多かった。
だがそれでも、心はいつも泣いていた。
人が離れていく。そして誰も、自分の言葉には耳を貸さない。
日に日に増える青アザと、それを疑問にも思わないクラスメートたち。
(皆で、あの人たちを見返してやろうよ! 強くなって見せようよ!)
そう思う心の声は、冷たい鉄拳で封殺された。
そして少しずつ冷え始める心。誰も理解してくれない。
自分はただ、『普通の人間』になりたいだけなのに。
畜生の身分で底辺を這うことに疑問を持っている、ただそれだけなのに。
「もう⋯⋯嫌だ!!」
そしてある時彼女は校舎裏で泣きに泣いて、泣きまくった。
その時に彼女は何かを落としてしまったのかもしれない。
自分の中にあった『枷』を、涙もろとも落としてしまったのかもしれない。
時にして一時間、彼女はひたすら泣き続けた。
そして泣き終えた時、彼女の顔つきは何かが変わっていた。
優しい笑みと、温和で気弱だった彼女は消えていた。鋭い眼光と、鉄仮面のようにカッチリと固まった表情。その瞬間彼女は、新たな人格を形成した。
そしてそれ以降、その少女、工藤雪波が涙を流したことは一度もない。
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気が付いた時、彼女の目の前にそれがいた。
座標では、まさにあと一キロ弱で海底都市の誘導ポイントに到着する。
だがそこに自分が生きて辿り着くことはないと、彼女は察した。
「終わった⋯⋯か」
目の前にはパンドラがいた。するとパンドラの腕が変形し、鎌の様な形を形成する。
そして次の瞬間、パンドラの鎌が雪波の乗るスクーターを一刀両断した。
音速で吹き飛んでいく雪波。その後ろでスクーターが爆発する。
だがその爆発には目を向けず、パンドラは空を飛ぶ雪波を捕捉した。
(すまない⋯⋯皆)
気が付いた時、彼女の目に涙が浮かんでいた。
それが恐怖によるものなのか、己の無力を恥じるが故なのか。
あの時枯れ果てたと思っていた涙が頬を濡らす。
そして、パンドラは雪波に向けて巨大な黒い鎌を振り下ろして⋯⋯
と、その時だった。
「まだ、生きるのを諦めるのは早いんじゃない?」
キラリと何かが煌めいた。
そして銀色の刀が雪波の背後から現れると、振り下ろされる凶刃を受け止めた。
「な、何だと⋯⋯!?」
己の命を奪わんと振り下ろされた刃は、白銀の光を放つ日本刀に止められる。
すると雪波の背後から、声が聞こえて来た。
「命を賭して使命を全うするなんて、本当に素晴らしい女性だ。君のその勇気に僕は心からの敬意を示すよ」
音速で飛ぶ雪波を同速で追いかけると空中で一回転しながら抱きかかえる大きな影。
それだけでなく、その影はパンドラの凶刃を跳ね返すと返しの一太刀を浴びせた。
「ウォ⋯⋯!」
ほんの少しだけ、そんな言葉を漏らすパンドラ。
人間から反撃が来るなど思いもしなかったのかもしれない。
「これがパンドラかい? 聞いていたよりも弱そうだね」
次の瞬間、目にも止まらぬ斬撃がパンドラに叩き込まれた。
体を覆うスライムがまるでリンゴの皮をむくように、あっさりと剥がされていく。
『太刀落とし 第五式』
渦を描くように放たれるドリル状の斬撃。
それがパンドラの胴体を貫いた。
「ガッ⋯⋯!!」
斬撃を受けて吹き飛ぶパンドラ。
見るとパンドラの体からは負傷を示す、黒い霧が現れていた。
「もう僕が来たからには安心さ。君には指一つ触れさせないよ」
右手には日本刀を持ち、鍛え抜かれた肉体を持つその男。
雪波を抱きかかえるその男は、アレクサンダー・オーディウスだった。
彼は何とパンドラと同じく水面に立っている。
「最強がどちらか決めようじゃないか。伝説の大厄災、パンドラ!」
その言葉に応じるように、一度海に沈みかけた体を起こすパンドラ。
パンドラの表情は、目の前の存在が今まで倒した雑魚とは違うことを認識している。
「グオオオオッ⋯⋯!!」
唸りを上げるパンドラ。
そして金色の瞳が、カッと見開かれた。
「このアレクサンダー・オーディウスが君を倒す! かかってこい!!」
遂に、相まみえた両者。
世界最強の騎士王対S級DBパンドラの戦いが幕を開けた。
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