第93話 圧倒的な差

「見つからなかったですわね。お侍さん」


素っ気なくそういう凜の横で、露骨過ぎるほどに肩を落としている男がいる。

結局買い物に付き合わされるだけ付き合わされて、彼は櫟原家の邸宅へと戻ってきていた。その横では、これまた紙袋に埋まりそうになっている翔太郎もいる。


「ところで、アレクは普段何をされている方ですの?」


「⋯⋯うん、普段はDHをやってる」


余命を宣告されたかのような表情でそう言うアレク。

どうやら彼は本気で侍を探しに来ていたらしい。


「あら奇遇ですわね。私たちも将来はDHを目指しているのですわ」


「そう、そうなんだ⋯⋯」


ドサリと袋を床に置くアレク。

相当な筋力を持っているだけあって彼は、翔太郎の三倍くらいの量の荷物を抱えていた。しかしまるで苦しそうな気配はなく、終始余裕の様子だった。


「でも妙ですわね? DHなら多少なり魔力は持っておられるはずですのに、貴方からは全くオーラの様なものは感じませんわよ?」


するとアレクは言う。


「僕は『ハライ』を使えるからね。普段は魔力を隠してるのさ」


「⋯⋯ハライ?」


それを聞いた翔太郎は驚いた様子で紙袋を置いた。

対して凜は「ハライとは何ですの?」という様子だ。


「ハライを使えるとは、貴方は相当な凄腕なのでは?」


翔太郎はアレクにそう尋ねる。

ハライという技術は、幻覚を打ち破るほかに己の魔力の痕跡を隠す、いわば隠密的な行動をするうえでも用いられる技術だ。実際翔太郎も少しくらいならハライを使える。


だが自身の魔力を完璧に隠すレベルになると、相当な修練が必要だ。

それこそ完全習得者と言われるレベルにならなければできない芸当である。


しかしアレクはさも当然のように言った。


「ハライなんて、練習しなくても出来るじゃないか。それとも日本ジャパンでは、ハライをわざわざ練習して習得するのかい?」


意味が分からないというように首を捻る凜の横で、翔太郎の息が詰まる。

ハライを練習せずに習得する。そんなバカな話があるのだろうか。


「強がらないでください。ハライを完璧に極めている人など、DH協会全体でも数えるほどしかいないんですよ。それを練習しないでなんて⋯⋯」


だがそれを聞いたアレクは、軽く髪を手で撫でながら言った。


「ああ、君たちは勤勉だからね。練習、礼儀、サムライ、確かに素晴らしいさ。日本が世界に誇れる素晴らしい文化だと思うよ」


その言葉に、何となく挑発的な意味合いを感じ取った翔太郎。


「それは、僕たちが弱いという意味ですか?」


「違うさ。ただ、余りにも非効率的だと思っただけだよ」


その彼の言葉は暗に、練習という概念そのものを否定するものだ。

それに反論しようと口を開こうとする翔太郎。


だがそれを、アレクは遮った。


「勉強、運動、何でもそうさ。出来る人間は出来るし、出来ない人間は出来ない。そこを割り切らずに、努力とか練習とか、明らかな後付けの理由で力を得ようとして失敗する人を僕は何人も見てきた」


アレクの表情は先程とは明らかに違う。

彼の今の目は、まるで捕食者を体現するかのような迫力があった。


「だから、僕は僕自身の力で彼らの幻想を否定してあげようと思うのさ。そして僕という、最強の存在を見せつけることで分からせてあげるんだよ。世の中には君たちがどれだけ背伸びしても越えられない壁があるってことをね」


そのアレクの様子から、凜は明らかに非凡な気配を感じ取っていた。

いや凜に限らずそれを見た人間ならいとも容易く察するだろう。


アレクからは明らかな強者のオーラが滲みだしていた。

すると翔太郎はスウ、と軽く息を吸うと凜に言う。


「凜様。少しだけ、修練場をお借りしてもよろしいでしょうか」


「翔太郎!? まさかアレクと⋯⋯!?」


「彼が何者かは知りませんが、そこまで言うのなら相当な実力者なのでしょう。五大体術を練習無しに体得するその才覚から繰り出される彼の武術を、是非ともこの機会に体験させていただきたいですね」


翔太郎のその言葉には、やや皮肉めいた意味合いもあった。

まるで練習無しに何でもできるとでも言うかのようなアレクの口ぶりと、何より自分の力に対する絶対的な自信が、他者を見下すような侮蔑性も籠っていたからだ。


「まさか自らを絶対的な強者と謳う貴方が、僕程度の弱者の挑戦を受けないなんてことはないですよね?」


そして翔太郎は、体からオーラを噴出させる。

そしてそこから「マトイ」を作り出した。


「貴方が現役のDHだとしても、多少苦戦させられるくらいの力量はありますよ。さあ、僕に教えてください。最強の壁である貴方の力を!」


するとアレクはハア、と溜息をつく。

そして彼は凜を見た。


「ここには修練場があるのかい?」


「え? ええ、ありますわよ」


「どうやら彼は僕と遊びたいみたいだ。折角だから、修練場に案内してくれるかな」


戦う、ではなく遊ぶと表現するアレク。

その言葉からも、彼が翔太郎を敵と認識していない様子が伝わってくる。


そして3人は櫟原家の修練場に辿り着いた。

流石にフォールナイトの地下にあるような巨大な施設ではないが、ちょっとした小学校の校庭くらいのスペースがある広い空間である。


しかしそれを見たアレクは言う。


「本当にここが訓練施設なのかい? 僕の家の裏庭の方が広いじゃないか」


「あまりアメリカンな発想を日本国内に持ち込んでほしくないですね。日本には、郷に入らば郷に従えということわざがあるんですよ」


上着を脱ぐとそんなことを言いながらアレクと対面する翔太郎。

身長174センチほどの翔太郎は、日本人としてはそれほど小柄なわけではない。


だがアレクはおよそ190センチ。加えて肉体もかなり頑強だ。

いざ並んで対峙してみると、翔太郎はアレクに飲み込まれそうになっている。


「さあ、戦いましょう。貴方の強さを教えてください」


そうして臨戦態勢に入る翔太郎。

マトイを発動し、何時でも準備万端といった様子だ。


だがしかし、アレクは全く構えることも無ければ身動きすらしない。

ただずっとポケットに手を突っ込んで、翔太郎を眺めている。


「⋯⋯あれ、来ないの?」


目を大きくして驚いている様子のアレク。

対して翔太郎は、眉間に皺を寄せてアレクに言った。


「ふざけているんですか? 僕は今、マトイを纏っているんですよ?」


「うん分かっているさ。さっさとかかってきなよ」


アレクは魔力を全く放っていない。

当然異能を使っておらず、五大体術も魔力を封印するハライを除けば、全く使っていない。つまり、完全なる丸腰状態だ。


「ああなるほど分かったよ。つまり君はこう言いたいんだね?」


するとここでアレクはポンと手を叩く。

そしてポケットからペンを取り出した。


「まだハンデが足りないと。君はそう言いたいんだろう?」


アレクは自身をグルっと囲むように丸い円を描く。

それも全く余裕のない、ギリギリ体が入るくらいの狭い円だ。


「君の要望にお応えして追加ハンデを与えよう。僕は君と遊んでいる間は、この円の中から一歩たりとも外に出ないと約束するよ」


ブチッ!!という、翔太郎の頭の血管のキレる音がしたような気がした。


「追加⋯⋯!? 僕は貴方にハンデを要求した覚えはない!!」


「仕方ないじゃないか。だって君の力は僕と戦うには余りにも貧弱すぎる、だから異能も五大体術も使わない、生身の状態で君と遊ぶしかないんだ」


「ゴメンネ」と言うアレクのその言葉も、翔太郎の怒りの火に油を注ぐ燃料にしかならない。


「何故僕が弱いと言い切れる!! 貴方とは手合わせもしていないのに!!」


「分かるよ。君のその軟弱なマトイを見れば、全てね」


熱くなる翔太郎に対して、アレクは冷静に言った。


「僕にとっては君のマトイなんて、トイレットペーパーに包まっているみたいに見えるよ。所詮その程度のものなんだよ、君の実力はね」


その言葉に翔太郎は既視感を覚える。

つい最近、誰かにそんなことを言われた覚えがある。


「だったら、受けて見ろ!!」


すると翔太郎はマトイのエネルギーを敢えて右手に集約させる。

体を覆うマトイを全て右手に集めて渾身の一撃を叩きこむ。


相手が生身だろうと知ったことではない。武装放棄した時点で論外だ。


「分からないのか⋯⋯圧倒的な差が」


呆れるようにそう言うアレクに翔太郎は拳を振り上げた。

そしてパンチは、アレクの腹筋目掛けて叩き込まれる。


「何で⋯⋯?」


がしかし、すぐに翔太郎は気づいた。

彼が放った渾身のパンチ、全身全力のパンチに手ごたえがない。


いや正確には、それ以上に巨大なパワーでパンチは止められていた。


「ね、分かっただろう? 君のパンチを防ぐなんて腹筋があれば十分だ」


そのパンチは止められていた。

異能も何もない、生身のアレクの体だけで。それも腹筋だけで。


翔太郎はマトイを使っているはずなのに、アレクは平然と立っている。

常人なら内臓をブチ撒けているはずなのに、彼は苦しいとすら感じていない。


「そして、僕の射程圏内に入った時点で試合終了ゲームオーバーだ」


右手を引き抜こうと翔太郎は力を入れる。

だが腹筋にめり込んだ右手は、アレクの力によって完全に腹筋で固定されていた。


アレクは翔太郎の頭に人差し指を添える。

そしてピンと、軽くデコピンを放った。


一瞬不自然な方向に首が曲がったのちに、真後ろに吹き飛んでいく翔太郎。

ドンと大きな音を立てて吹っ飛んでいった翔太郎だが、一度倒れた後に何とか立ち上がった。


しかし今の一撃でもうフラフラになっている。

無意識に身構えようとするが、もう戦いにならないのは明らかだった。


「もういいだろ。僕は帰るとするよ」


「⋯⋯何処へですの?」


するとここまで、ひと言も話さなかった凜がここで口を開く。

しかし彼女もまた、翔太郎が全く通用しないことに衝撃を受けていた。


「協会? とかいうところさ。僕はある理由で、これから凄いモンスターと戦うことになるからね」


そう言うと、アレクは片手をあげて踵を返す。


「ま、待て!!」


ここで後ろから翔太郎が叫ぶ。まだ試合は終わっていないとでも言うように。

すると、アレクは足を止めると言った。


「グッバイ。君は強くは無いけど、勇敢ではあったよ」


そう言い残して、アレクは去っていった。

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