第92話 榊原の野望

「⋯⋯壊されたか」


先程まで鮮明に聞こえていた人の声は、ノイズに変わる。

それが摩耶に仕込んだ盗聴器が、マキによって破壊されたことが原因であるのは明白だった。


「どういたしましょう? 御当主様?」


ここは榊原本家。その名も『田園』である。

ここには榊原家の直系の人間と、分家の関係者。また古来から榊原家に仕えている執事や使用人のみしか入ることが許されていない。


「やはり電脳次元の魔女は一筋縄ではいかんな。どうする爺よ、奴らがいるバーに刺客を送り込んでやるというのはどうだ?」


田園の中心部には、広大かつ豪華絢爛な部屋が一つある。

そしてそこには二人の男がいた。


「武力で奴らを鎮圧するのはお止めになった方がよろしいでしょう。見る影もないほど落ちぶれたとはいえ、電脳次元の魔女はかつてはNO2に名を連ねていた実力者。加えて、あの店は『協定』の範囲内で御座いまする」


中央の椅子に鎮座する男に横からそう進言するのは、眼鏡を掛けた老人だ。

年こそ齢70を過ぎているが背筋は伸び、きっちりとタキシードに身を包んでいる。


「協定。あの店は日本で唯一、伝説の情報屋とやり取りができる場所で御座います。それ故に、あの店を狙う人間は数知れませぬ。しかしその一方で、あの店を利用する多くの要人は店から絶大な恩恵を受けているがゆえに、店への襲撃を目論む勢力に対して昔から憂慮しておりました」


フォールナイトは、裏の世界の住民ならほぼ全員が知っている。

何故ならこの場所は、世界の真理を全て知っているとすら言われる伝説の情報屋とコンタクトを取れる唯一の場所であり、その希少性は計り知れないからだ。


すると中央にいた男は口を開く。


「だから日本のほぼ全ての闇の勢力は、あの店に対しては暗黙の紳士協定を結んでいる。フォールナイトは絶対的な中立地点として確立されており、如何なる理由があれど戦争することは許されない。もしその協定を破って店を襲撃しようものなら⋯⋯」


すると老人は微笑を浮かべて、自分の首を掻き切るような仕草を見せる。


「襲撃犯は、翌日の朝日を見ることなく海に沈められるでしょうな。無論我々の力をもってすれば返り討ちにも出来ましょうが、そこまでのリスクを負ってまで摩耶様を取り戻す必要性など御座いますまい」


「私も同意見だ。盗聴器を破壊されたのは癪に障るがな⋯⋯」


そう語る男の名は、榊原さかきばら龍璽りゅうじ

まるで獅子を思わせるような彫りの深い顔立ちに、視線だけで人を睨み殺しかねない程の覇気を纏った男。現榊原家の当主にて、摩耶の父でもある。


そしてその横に居る老人は、扇原おうぎばら李靖りせい

永く榊原家の使用人として仕えてきた男で、榊原の頭脳とも呼ばれる男だ。


「摩耶様が、それを御存じであの店に逃げ込んだのなら大した御方ですな。電脳次元の魔女の庇護下で、しかも闇の勢力に知られることなく生き延びることが出来るのは日本、いや世界でもあの場所しか御座いますまい」


そう言って笑う李靖に対して、龍璽はフンと鼻で笑う。


「真司と違い、摩耶は悪運が強かったということだ。それにビーコンを通じて送られてきた異能係数の数値も御覧の通りだ」


すると龍璽は、横の李靖に机に搭載されていたディスプレイからとある数値を見せる。それを覗き込んだ李靖の表情に驚きの色が映った。


「何と、異能係数『1100』とは。信じられませぬ」


「予想外の成長だ。既に『替え玉』の手配は進めておったが、見直すことも念頭に入れても良いかもしれんな」


そんなことを言ってデイスプレイを閉じる龍璽。


「このことは分家も含めて、誰にも言ってはならぬぞ。分かったか?」


「了解しました。誰にも漏らしませぬ」


念を押すように言う龍璽に対して、李靖は答える。

それから龍璽は李靖に別のことを尋ねた。


「S級異能の再試験は、どうなっている?」


すると李靖は答える。


「万事良好で御座います。既にプログラムの修正は完了しており、後は適正を持つ『器』を探し出してプロトタイプを作成するだけですな」


ほう⋯⋯と小さく呟く龍璽。

だが彼はクルリと椅子を反転させると外の景色を見ながら言った。


「だが、その器を探すのが非常に面倒だ。金で解決できることでもなく、上手く『使い捨て』に出来る人材もそう多くはないのでな」


しかしここで李靖は言った。


「御当主殿、それが見つかったのです。幼いころから異能力の高度な訓練を受け、ストレージにも余裕があり、そして多少の手荒な実験でも外部に漏れることの無い、秘匿性の高い人材が⋯⋯」


ここで、李靖は部屋の入り口にいる使用人に合図を送る。

すると使用人は固く閉じられた部屋の扉をゆっくりと開けた。


「ほう、久々の客人か」


すると部屋に一人の女性が入ってきた。

顔は黒いベールで隠しており、体のラインが強調された黒いドレスを着ている。


誰も音を発さない中、コツコツと黒いハイヒールの音が部屋に響いた。


「御当主殿にご紹介いたします。こちらは、赤城原あかぎばら柘榴ざくろ殿です」


すると柘榴は、ゆっくりと優雅にお辞儀をする。

しかしそれ以上に龍璽はその彼女の名前に違和感を覚えたようだった。


「赤城原だと⋯⋯!!」


凄まじい視線で、目の前の柘榴を睨みつける龍璽。

並の人間なら反射的に逃げ出してしまいそうな程の覇気だ。


「李靖よ、貴様が榊原と赤城原との間にあった確執を知らないはずがないな?」


返答次第では覚悟しろとでも言うかのような龍璽の言葉だが、李靖は軽く龍璽に詫びのお辞儀をすると言葉を返した。


「しかし御当主殿。柘榴殿が今回我らに持ちかけられた話は、今後の榊原家の繁栄を考えるならば受け入れるべきで御座います。詳しくは彼女が全て話すでしょう」


すると言葉を繋ぐように柘榴が口を開いた。


「お初にお目にかかります。私は赤城原柘榴と申します、今後末永い関係になれることを願い、この田園に参りました」


しかし龍璽の表情は硬い。

というより、今すぐにでも彼女を追い出したいという様な様子だ。


「用件は単純明確に言え。貴様をここに長居させたくない」


すると柘榴は、彼の要望通りに用件を短く言った。


「ひまわり園の子供たちをご自由にお使いくださいませ。彼らは皆、優れた異能適性を持ち、優秀な異能力研究者に管理された至高の人材ですわ」


「ひまわり園⋯⋯?」


聞き慣れない単語を聞いた龍璽は、横の李靖に視線を向ける。

するとそれを見た李靖は龍璽に言った。


「ひまわり園とはかの有名な闇の戦士、コードゼロに殺害された者たちの子供を育成している孤児院で御座います。彼女はそこのオーナーなのです」


すると柘榴は言った。


「ひまわり園の子供たちの多くは、優秀なDHを親に持つ故にか異能適性に優れた子供が多いのです。加えて幼いころからさりげない日常生活の中に異能鍛錬の要素を組み入れる独自育成法で、優秀な金の卵を多数輩出しておりますわ」


それを聞いた龍璽の表情に僅かな変化が現れる。

どうやら少し興味を持ったらしい。


「つまり、そのひまわり園の子供たちをS級異能の実験台にするということだな?」


「その通りです。きっと、最高の成果を得られることでしょう」


すると龍璽は李靖に「どう思う?」と視線で問いかけた。

それに対して李靖は軽く頷いて肯定の意を示す。


「ひまわり園はかの有名な中村椿を始め、山宮のレベル5など優秀な人材を多く輩出しております。その実績を考えれば彼女の言葉に偽りはないでしょう」


それを聞いた龍璽は、柘榴に尋ねた。


「因みに、その子供たちの育成にはいくらかかった?」


「それほど金額はかかっておりませんわ。少なく見積もっても、せいぜい一人当たり5000万前後でしょう」


その金額がどういう意図で発された言葉かは不明瞭だ。

しかし龍璽はそれに対して「安いな」と言うと小切手を切る。


龍璽はそこに『100,000,000』と書き込んだ。


「明後日までに子供を一人送れ。早急にだ。その額は期待値も込めている、結果次第では更に金額を上乗せしてやろう」


そして柘榴は小切手を受け取った。


「李靖よ、S級異能のプログラムを子供に植え付けるにはどれ程かかる?」


「半日もあれば可能で御座います。それにしても御当主殿、随分と急がれているようですが、何か考えておられるのですか?」


すると小切手の束を机に仕舞って龍璽は言った。


「一週間後に、日本にS級DBが来るのは知ってるな?」


「それは無論、存じておりますが⋯⋯」


するとここで李靖は気づいた。

龍璽が考えていること。そして企んでいることを。


ニヤリと笑う龍璽は、机の上で手を組んで言った。


「良いデモンストレーションになると思ってな。あと一週間後に来るS級DBパンドラに対して、我らのS級異能がどれ程役立つかを内外に知らしめてやろうぞ」

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