第91話 摩耶の内に秘めるもの

暗い部屋の中で、今日も彼女は瞑想を続ける。

研ぎ澄まされた感覚は、周りの魔力の流れも敏感に感じ取れるほどになっていた。


「⋯⋯ふう」


暫くした後、彼女は目を開ける。

一か月前の自分とは明らかに何かが変わったと、そんな確信が彼女にはあった。


一瞬だけ、彼女は部屋の隅にある異能係数の計測機に目を向ける。

だが彼女は、それを手に取ることはしなかった。何故ならそれに必要性を感じていないからだ。


榊原家で訓練を受けていた時は、一日ごとに計測を行っていた。

当然成長のノルマも課されていて、それをクリアできなければ罰則もあった。


「⋯⋯私は、強くなったのかな?」


そんな言葉が摩耶の口から漏れる。

誰もいない下宿の部屋の隅で、彼女はベッドに寝転ぶ。


『強くあれ。敵に容赦はするな、弱者は淘汰しろ』


摩耶の父、榊原家当主の言葉が脳裏に浮かぶ。

それは榊原家の家訓ともいえる、いわば使命だった。


彼女はこの言葉を事あるごとに聞かされ、そして従うよう命じられていた。そして彼女自身もそれに疑問を持つことなく追従してきた。


なお摩耶には兄弟がおらず、このままいけば彼女が榊原家を継ぐことになっている。

実は過去には兄がいたのだが、その兄は摩耶が小学生の頃に交通事故で死んだ。


「⋯⋯兄さん」


摩耶は、昔の思い出に思いを馳せる。

兄は優しい人だった。そして、当主である父とはあまり仲が良くなかったのを摩耶は鮮明に覚えている。榊原の帝王学に何度も反発し、そのたびに父から殴られていたのはまるで昨日今日のことのように思い出された。


『お前のような榊原家の恥などもう知らん!! どこへでも行くがいい!!』


『ああ、そうですか! だったらお構いなく出て行ってやりますよ!!』


そう言い残して、兄は家を出て行った。

だがしかし、出て行く間際に彼は摩耶にこう言い残した。


『待ってろ摩耶。すぐにお前もあのクソ親父から助け出してやる』


元々兄は異能力にも恵まれていなかったこともあり、当主である摩耶の父は兄よりも妹である摩耶に才覚を見出していた。今考えると、それが兄の家出の一因になってしまった可能性もあるかもしれない。そう思うと摩耶の心は痛んだ。


兄が去ってから間もなく父は、今度は摩耶に対して今まで以上に徹底的な教育を施すようになり、摩耶はそんな榊原家のハードな教育に耐え続けた。


『愚かな兄のことは忘れるのだ。奴は負けた、そして摩耶お前は勝者だ』


何時しか摩耶も、それを真に受けるようになっていた。

兄は彼自身の力量の無さゆえに逃げ出したのだと。そして、彼の跡を継いだ自分は全てを受け入れて成長した強者なのだと。


でも何故なのだろう。今の摩耶は、無性に兄を欲している。

逃げ出した愚か者だと思っていた兄を、無意識の内に求めている。


それは彼女の今の立場が、かつての兄と似た境遇になっているが故なのか。


「舞姫ちゃん。紅茶持ってきたよ」


するとここで、マキが部屋に入ってきた。

淹れたての紅茶を持って入ってくるマキは、普段の白衣姿とは違ってパジャマを着ている。またマキの手には赤いお手製の栄養ドリンクもあった。


「修行に熱心なのは良いけど、あまりやり過ぎも良くないからねえ。まあ、腰を据えて話せる機会もあまりないし、ゆっくり話そうじゃないかい」


ドカリとベッドに座ると、持っているドリンクをグビっと飲むマキ。

暫くして小さくゲップするとグラスを置いて言った。


「榊原家での特訓はどんな感じだったんだい? アタシもあの家の風潮は知ってるけど、さぞスパルタ教育だったんだろうねえ」


すると摩耶はポツリと話し出す。


「⋯⋯榊原家に敗北は許されないと幼いころから徹底的に教え込まれました。敗北者に価値は無く、勝つためなら手段は選ぶなと。それが榊原の理念です」


それを聞くと、今度はマキも言う。


「舞姫ちゃんを責めてもどうにもならないのは知ってるけど、少しやり過ぎだねえ。君のお父さんのことは噂で知ってるけど、あまり良い評判は昔から聞かないよ」


すると摩耶は湯気の立つカップに少しだけ口を付ける。

榊原本家にいるときは、彼女にこのように人と腰を据えて話す機会などなかった。


「それでも⋯⋯私は父のことを尊敬しています。強く、信念を持っていて⋯⋯」


だが、ここで摩耶は気づいた。


「舞姫ちゃん⋯⋯いや、摩耶ちゃん。ちょっと落ち着こうかねえ」


気が付いた時、摩耶の頬には涙が伝っていた。

無意識にか、彼女は自分の頬を抑えている。


何故自分の頬を抑えているのか。一瞬摩耶は分からなかった。

だがすぐに気づく。全てはあの時のビンタだと。


「私は⋯⋯父に殴られたんです。あの時⋯⋯」


忘れもしない。突然現れた黒マントに完膚なきまでに倒されたあの記憶。

あの後運ばれた病院で、傷を負った摩耶に父は言った。


『この恥さらしが。汚名を雪ぐまで、二度と家の敷居は跨ぐな!』


そして殴られ、傷が癒えた頃にはもう榊原に自分の居場所はなかった。

唯一の跡取りであるはずの摩耶を家から追い出したのは、どういう意図なのか。だが当時の摩耶にそんなことを考える余裕などなかった。


「⋯⋯アタシは君の事情を詳しくは知らない。けど一つだけ分かったことがあるよ」


するとマキは摩耶に言った。


「摩耶ちゃんがお父さんを尊敬する気持ちがあるのは事実だろうさ。でも、それは君自身がそれを決めたのではなく、そうなるようにされたからな気がするねえ」


「そうなるように⋯⋯された?」


ポケットからハンカチを取り出すと、マキは摩耶の涙を拭う。

その後は暫く、お互いに飲み物に口を付ける時間が続いた。


数分ほどした頃だろうか、ここで再びマキが話し始めた。


「幼い頃からの苛烈な洗脳教育、徹底した勝利へのこだわり。きっと異能開発も山宮が可愛く見えるくらいのものを受けて来たんだろうさ」


それを聞いて摩耶はコクリと頷く。

するとマキは話を続ける。


「摩耶ちゃんは榊原の最高傑作だってことだよ。だから当主である君のお父さんは、敗北に対して人一倍敏感になってるのさ。何故なら、最高傑作である君が負けるということは榊原そのものに敗北の烙印を押されることと同義だからね」


ピタリと紅茶を飲む摩耶の手が止まる。

その手は少しだけ震えていた。


「つまり、今後私は負けるたびに⋯⋯」


「今と似たような目に合う可能性はあるさね。もし今、榊原本家に戻っても永遠にこのデスループに囚われ続ける。そして、それから逃れる方法は一つしかいない。そう『どんな手段を使っても勝つ』それだけさね」


そうして、当主たちは当主たるメンタリティーになっていく。

自分の身を守るために手段を問わず勝つことに執着し始め、それが何時しか己の生きる道へと変質していく。代々受け継がれてきた榊原の理念の輪廻である。


「でも、摩耶ちゃんはまだそこまでには至っていない。いやむしろ、アタシはこう思っているよ。このまま榊原に身を置き続ければ「壊れる」ってね」


最後に残ったドリンクを一気に飲むと、マキは摩耶の目を見る。


「アタシはね、こんな業界に身を置いているからか不思議と人を見てそいつがどんな奴かは直ぐに分かるようになってんのよ。アタシから見た摩耶ちゃんはねえ⋯⋯」


静かにコップを置くと、マキは言った。


「榊原になりきれていない、むしろ無理をして榊原に合わせようとしてんのが見え見えなんだよ。それが誰の影響なのかは知らないけどねえ⋯⋯」


それを聞いた時、摩耶の脳裏に兄の顔が浮かんだ。

しかし兄はもう何年も前に死んだはずだ。今更兄の存在が彼女の選択に何の影響を及ぼすというのだろうか。


「⋯⋯私の兄は、榊原の理念に反発して家を出たんです」


「へえ、お兄さんがいたのかい。で、今は何をしてるんだい?」


しかし、それから摩耶は直ぐに顔を背けた。

それを見たマキは触れてはいけない部分に触れたことを察したのだろう。


「⋯⋯ゴメンね、聞いちゃいけないことを聞いたかな?」


「いえ大丈夫です。私も兄のことを人に話すのは初めてですから」


それからは摩耶は、かつての兄の姿をマキに話し始めた。


厳しい修行に耐えられなくなった時、いつも兄が励ましてくれたこと。

また家を出るまでの間、幾度となく結果の出ない兄に父は厳しく当たっていたこと。

それでも数少ない休みの日、いつも兄が摩耶を遊びに連れて行ってくれたこと。


そして、頑なに最後まで摩耶の前で弱みを見せようとしなかったこと⋯⋯


「兄は私が小学生の頃に自動車の事故で亡くなりました。家を出た後すぐに、運転していた車が事故を起こして、乗っていた兄は⋯⋯」


摩耶は兄の遺体とは対面していない。だから今も兄がいないという実感がないのだ。

それに兄の葬式は行われなかった。榊原家の人間ではないという判断の元、無縁仏として何処かに埋葬されたと摩耶は聞いている。


「⋯⋯摩耶ちゃん、ちょっと顔を貸して」


するとマキは、軽く摩耶の頬に手を当てた。

そして彼女は少しの間だけ目を閉じる。


暫くした後、マキは目を開けた。


「少しだけ、心を覗かせて貰ったよ」


マキがやったのは、五大体術サグリの応用技術だ。

直接触れている人間の心理状態を探る技術で、マキはこれを得意としていた。


「強い孤独と、自分のあるべき姿に対する疑問。その一方で、さらに強くならなきゃいけないという使命のようなものを感じてるね」


少しだけ、間を開けてマキは再び口を開く。


「アタシは敢えて、摩耶ちゃんの心の奥深くまでは見ていない。それに、きっとそこには口に出して言えないようなものがあるんだろうさ。だけど⋯⋯」


するとマキは摩耶の目をはっきりと見て言った。


「摩耶ちゃん。アンタは、アタシらに隠していることがあるんじゃないのかい?」


「隠している⋯⋯こと?」


「そうさ。アンタの心の奥には途轍もなく強い心の呪縛と、異能の防護壁で守られたメンタルシールドがある。だがその一端をアタシは少しだけ見たんだよねえ」


立ち上がるマキ。

その目は何時になく真剣だった。


「アタシはね、昔異能力の研究をしていたのさ。そのせいで今は、社会から追われてとんだ日陰者になっちまったけどね。でも、現役時代に培った技術は今も衰えていないと思ってるよ」


するとマキは、摩耶の胸に手を当てる。

そして半ば押し倒すようにして、彼女は摩耶をベッドに寝かせた。


「アタシには分かる。アンタの中にある強大な『何か』は、このままじゃ間違いなくアンタの肉体も心も、全てを蝕んでいくだろうね。不完全で、それでいてこんな小さな体に留めて置くには余りにも強力すぎる⋯⋯」


ゆっくりと摩耶の体を指でなぞるマキ。

それは摩耶の体の奥にある何かを探るようでもあった。


だが暫くした後マキは、何かに気づく。


「⋯⋯君の体の中に何かがあるね。異物、機械? 小さな機械があるねえ」


「き、機械ですか?」


小さな声でそう言う摩耶は、明らかに驚いている。

彼女自身、そのことを知らなかったようだ。


「でもこれは、アタシが感じた魔力の揺らぎとは関係ないねえ。だったら、アタシが感じているこの違和感は何なんだい?」


更に摩耶の体全体を手で探るマキ。

その後その手は、摩耶の心臓付近に集中しだした。


「先天性異能? いや、違うね。矯正器具の挿入ならこんなに異常な魔力の波動は起きないはず。なら何なんだい? まさかとは思うけど⋯⋯」


するとマキは、静かな声で摩耶に尋ねた。


「異能、それもS級クラスの代物を無理矢理体に押し込んだんじゃないだろうね?」


「⋯⋯⋯!!!」


摩耶の呼吸が早くなる。

胸越しに伝わる心臓の鼓動の高まりが、マキには確かに伝わってきた。


そしてそれは、マキの言葉が事実だと裏付けるものでもあった。

摩耶の口からそれは言えない。そしてそれを知るのは榊原と光城の関係者のみだ。


「⋯⋯⋯成程、全部分かったよ」


摩耶の体から手を離すマキ。

彼女は摩耶をベッドから起き上がらせると言った。


「何故、自身の跡取りである娘を家から追放し、それでいて何一つ心配することなく余裕で傍観しているのか。それもS級能力を持っている娘を⋯⋯」


「⋯⋯マキさん?」


異変に気付いた摩耶は、マキにそう問いかける。

だがマキは、まるで食い入るように摩耶の胸元を見つめ続けている。


そしてその視線は、明らかな敵意を孕んでいた。


「やってくれるねえ。アタシらのやってたことは全部筒抜けだったってことかい」


その瞬間、マキは突然摩耶の胸元に手を当てた。

しかもその手には、パチパチと弾ける魔力が込められている。


「ま、マキさん!?」


「少し苦しいだろうけど、許しておくれよ。今からアタシは一度、摩耶の心臓付近に電流を流して『それ』をブッ壊す!」


鬼気迫るマキの様子に摩耶は身を仰け反らせて逃げようとした。

が、突然彼女は背後に人の気配を感じとる。


「やっぱり仕込まれていましたか」


「⋯⋯葉島君!?」


全く気配を感じさせず、何時の間に摩耶の背後には直人が立っていた。

「ごめんなさい」と小さく言うと、直人は摩耶を取り押さえる。


「しっかり押さえるんだよ直人。数ミリでもズレれば、アタシの電撃で摩耶の心臓は止まっちまうからねえ」


「ええ、分かってます。それにこれ以上話すのは『聞かれる』可能性がありますよ」


「もういいさ、アタシは今向こうの人間に直接言ってんだ」


何を言ってるのか理解できない摩耶は困惑して逃げようとする。

が、人間離れした力を持つ直人から逃げることは出来ない。


すると、マキの手を包む火花が徐々に強くなっていく。


「取り敢えず電気を流す前に、何が起きているのかだけは説明しておくよ」


涙目になっている摩耶に、マキは呟くようにして言った。


「アンタの体の中に、盗聴器が仕込まれている。それも外科手術では取り出せないような場所にね。それを壊すには、電気で無効化させるしかないさ」


「私の体に⋯⋯盗聴器!?」


「君に知らせるはずはないさ。恐らくそれは君を、不完全なS級能力を持つアンタを監視し、そして次に繋げるための物だからさ」


次に繋げる。この表現の意図を察した直人は、僅かに息を吐く。


「恐らく、榊原さんから得られたデータは然るべき場所に逐一転送されていたのかもしれません。そしてそれを元に、新たな『真の』S級能力を作り出す⋯⋯」


「摩耶ちゃん。ショックかもしれないけどしっかり聞いて欲しい。そして、今もマイクの向こうで聞いているそこのお前にも、警告の意味で伝えておくよ」


マキは、摩耶の胸の向こうにあるであろうそれに向かって強烈な視線を飛ばす。


「S級異能力を与えられた時点で決まってたんだろうね。この娘を、自分の娘をモルモットにすると」


「モル⋯⋯モット⋯⋯?」


「そう。摩耶ちゃんを榊原本家から追放したのは、お嬢がそれによって心理的なダメージを負うことがどれだけS級異能に影響を及ぼすかを調べたかったんだろうさ。そして行動の全てを把握するために、君の胸に盗聴器を取り付けた」


怒りと共に上昇していくマキの魔力。

強烈な火花と、上がり続ける電圧は盗聴器を破壊するべく更に強烈になっていく。


「お前は、本当に血の通った人間なのかい? 聞こえているんだろう?」


エネルギーが充填されたマキの右手は、電撃を発射するのを待つのみだ。

恐怖に身を捻る摩耶を、直人は再度しっかりとホールドする。


「動かないで榊原さん」


「でも⋯⋯でも⋯⋯!!」


「余計なことをしなければダメージはありません。大丈夫マキさんは、熟練した電気系能力者ですから」


その言葉に覚悟を決めたか、摩耶はギュッと目を瞑る。

するとマキは軽く頷いて、摩耶の心臓の上に手を置いた。


「最後に一つ言っておくよ。榊原家当主、榊原さかきばら龍璽りゅうじ


間違いなくその男はマキの言葉を聞いていると、彼女には確信があった。

そして電撃が放たれるその刹那の時の間で、マキは言い放つ。


「この子がここに居る限り、アンタらに手出しはさせないよ。電脳次元の魔女の名に懸けて、必ず守って見せる!!」


それは盗聴器の向こうにいるであろう人物への、明確な意思表示でもあった。

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