第88話 キワミと、成長
「直人、君に話しておきたいことがあるんだよ」
「何ですか? パンドラの話ですか?」
フォールナイトのカウンターで、マキと直人が話している。
いつもは何かしらの飲み物を持っているのだが、今日は二人共手ぶらだ。
「君は五大体術をほぼ極めているだろう?」
「あくまで、「ほぼ」ですけどね。それがどうかしましたか?」
するとマキは口を開く。
「ウチにいる舞姫ちゃんに、五大体術を教えても良いと思うかい?」
それを聞いた直人。彼は僅かに顔を下に向ける。
芳しくない直人の反応を察したか、マキも軽く溜息をついた。
「誰でも理屈だけなら分かってんのさ。五大体術を極めなければ、本当の意味で強者にはなれない。でも、その理屈を受け入れられない連中もいる」
「まさに、その代表例が山宮学園。さらに言えば名家の一族ですものね」
五大体術は、DHになるなら必須スキルだ。
だがしかし、最高峰のDH育成校であるはずの山宮学園では何故か、五大体術は教えることはおろか存在を知らせることすら忌避されている。
「五大体術は『異能術』。厳密な意味では『異能力』ではない。つまり、異能に恵まれなかった人間が異能を使う人間に対抗するために生み出されたのが元祖さ」
「強化術式を使えなかった人間が、それに対抗するために編み出したのがマトイ。
幻術に惑わされ、翻弄され続けてきた人間が編み出したのがハライですからね」
五大体術が生まれた理由は、簡単に言うなら『異能に対抗するため』だ。
異能を使うために必要な生命エネルギーは全員が持っている。しかしそれは言い方を変えると、エネルギーの有無と異能を使えるかは関係がないということでもある。
「エネルギーがあっても量が少なかったり、根本的に体の体質が異能を使うのに向いていない人もいる。そういう人間でも異能に対抗したいと思うのは当然だし、結果的にそういう奴らの異能使いに対する怨念が生んだのが、五大体術さ」
ここでマキはホッと息を吐く。
一瞬酒に手が伸びたが、意識的に右手をベチンと叩いてマキは堪えた。
「ところがいつしか、五大体術の圧倒的な性能と汎用性が異能を上回り始めちまったのさ。生まれた直後こそとても異能に対抗できる代物じゃなかったけど、長い年月で技術が洗練されていくにつれて、逆転現象が起きたってことさね」
「五大体術はエネルギーをなるべく消費せずに、異能力、ひいてはDBに対抗するための手段ですから。燃費を度外視している異能とは汎用性は段違いですよ」
五大体術を極めた人間には、異能力使いでもまともに対抗できない。
それは五大体術が技術として洗練されたことと、少ないエネルギーをより強大な力に変えるべく改善と改良を繰り返した先人の努力の賜物とも言えた。
「だから今では、DHでも五大体術を使うのは当たり前になったのさ。そら異能使いとしてのプライドは傷つくけど、そうじゃなきゃ勝てないからねえ」
「特にA級以上のDBと戦うなら五大体術は必須です。現に、DHの中で五大体術を極めた人間が現れ始めてから、A級DBの討伐数が劇的に増えましたから」
ここでマキと直人は、少しだけ間を開ける。
その後に続く言葉は、二人共同じだった。
「「でも、それを受け入れられない人もいる」」
一瞬、お互いに顔を見合わせる。
「五大体術は異能使いではない人間が生み出した、いわば弱者の戦法。それを良く思わない思想の持ち主は未だに五大体術を激しく忌避しています」
「そして皮肉なことにその典型的な思想を持つ集団が山宮学園なんだよねえ。最近はマシになったみたいだけど、未だにその偏見は根強いらしいねえ」
ここで、二人の間に少しだけ沈黙が流れる。
お互いピクリとも動かない静寂の時間。暫くした後に再び動き出す。
「直人が所属している一学年の担任たちの各々が、五大体術の一分野を極めているのは知っているかい?」
「⋯⋯はい、薄々気づいていました」
一学年の担任、波動、大道、大吹、マコ、そして雪波。
彼らはそれぞれ異なる五大体術を極めているエキスパートだった。
「君の所属しているレベル1の担任の工藤雪波はココロの
そういうマキだったが、その発言とは裏腹に彼女の表情は暗い。
それは暗に、パンドラに対峙する可能性が高い雪波を心配しているようでもあった。
「パンドラの精神破壊に一度毒されたら最後、何をどう足掻いても逃げられません。死ぬまで心の奥底に眠るトラウマが何百倍もの絶望を伴ってフラッシュバックし、毒された人間は眠ることも出来ずに衰弱していきます」
「そして生きることに疲れ自暴自棄になり、最後は自ら命を絶つと。永遠に喜びも感じられず、狂いたくなるような悪夢に悩まされるくらいなら死にたくもなるさね」
重苦しい空気が流れる。
この状況下で、パンドラと戦うことがどれ程の犠牲が生むだろうか。
そんな中、マキは直人に言う。
「⋯⋯ちょっと話は逸れたけどね、アタシは舞姫ちゃんに五大体術を教えたいと思ってるよ」
するとここで、部屋に摩耶が入ってきた。
ここに来てからもうすぐ一か月になる。彼女は着実に力を付けていた。
「早いねえ。もう瞑想が終わったのかい」
「はい。10分もあれば余裕でした」
彼女の手には、満開に咲き誇った小さな桜の木がある。
この桜の木はマキが異能力向上のための訓練器具として開発したもので、気を集中させてエネルギーを桜の木に与えると枝の木々に花が咲くようになっている。
因みに、満開になるまでには本来三時間くらいは必要なはずの難易度設定だった。
しかし摩耶は、訓練を始めて一月ほどでここまで成長してしまったのである。
「因みに舞姫ちゃん、五大体術って聞いたことあるかい?」
ここでマキは摩耶に尋ねる。
しかし摩耶は「それは何ですか?」と首を傾げた。
どうやら彼女は五大体術を知らないらしい。
「ま、今は気にすることないさ。アタシの研究室に、それよりもデカい木があるから今度はそれを使って瞑想してごらんよ」
「はい!」
そう言って摩耶は、マキの研究室に入っていく。
研究室から僅かに彼女の魔力の波が伝わってくるが、一ヵ月前よりも明らかに洗練され、そして力強くなっているのがマキにも直人にも伝わってきた。
「ヤバいね直人。この調子で一年修行してごらんよ、一年後にはゴールデンナンバーズの一角にあの子の名前が載るかもじれないねえ」
無論、五大体術を身に付けてない状態でそれは現実的ではない。
が、マキをしてそう思わせるほどに摩耶の成長は異様に早かった。
「もしあの子が五大体術を身に付けるなら、何が一番良いと思う?」
「現実的に見るなら『サグリ』でしょう。適性という意味なら」
サグリとは、人の気配や魔力の流れを感じ取るための技術だ。
熟練した術者になると、軽く手を翳しただけで人の分布や動きを広範囲にわたって把握することが出来る。摩耶が空間把握に秀でていることから、直人は間違いなく彼女にサグリの適性があると考えていた。
「最初に教えるならサグリだろうね。あの子ならそう時間をかけずに習得できるはずさ。そしてその次に教えるなら⋯⋯」
少しの間の後、二人は声を揃えて言う。
「「キワミ」」
恐らく、摩耶に最も必要とされるであろう能力。
そして同時に、最も習得が困難とされる五大体術である。
「異能力による魔力の消費を大幅に減らし、文字通り異能力の極みに到達するための力。元は魔力の量が少ない人間が無理やり異能を使うために編み出された技術だけど、異能使いがこれを習得すれば超高難度の技が使用可能になるさね」
「しかし、これを修めた人は本当に数えるくらいしかいません。そして山宮学園でこの技術を使えるのはただ一人⋯⋯」
すると呟くようにマキが言った。
「大道和美だね」
するとマキの研究室からポンポンという軽い弾けるような音が聞こえてくる。
どうやら早くも摩耶が、桜の木に花を咲かせ始めているようだ。
「もしあの子がキワミを身に付けて異能力を制御できるようになったら、一体どんな怪物になるんだろうね⋯⋯」
「きっと世界的なDHになるでしょう。今の日本には、世界で勝負できるDHはいませんから」
それを聞いたマキはふと直人に尋ねる。
「羅刹はダメなのかい?」
するとさも平然として、直人は答える。
「はい。今回のパンドラの件で来日している、アレクサンダー・オーディウスと羅刹の間には、如何とも埋めがたい差があると思っていますから」
「手厳しいねえ。ま、世界は広いってことさね」
ヒラヒラと薄いピンク色をした桜の花びらが、僅かな風に乗ってやって来る。
どうやら桜はほぼ満開になってきているようだ。
ここで、マキは少しだけ笑いながら再度直人に尋ねる。
「ところで一つ聞いていいかい?」
「はい。何ですか?」
するとマキは言った。
「現騎士王のアレクサンダー⋯⋯面倒だからアレクでいいか」
そんなことを呟いたのち、彼女は言う。
「アレクと、かつて騎士王だった伝説のDH様、臥龍。どっちが強いと思う?」
ニヤニヤと笑いながら直人の顔を見てそう尋ねるマキ。
対して直人は、白けた表情でそれを見つめている。
「何か言ってごらんよ。難しい問いかけじゃないだろう?」
すると直人は「付き合ってられない」というように席を立つ。
カウンターの椅子を引いて立ち上がると、直人は呟くように言った。
「それは戦ってみないと分からないです。しかし、その結果がどうあれ⋯⋯」
少し間を置いて彼は言った。
「アレクが素晴らしいDHであることに変わりありませんよ」
そして直人は部屋を出て行った。
それを見送るマキ。暫くした後に彼女は言った。
「強者の余裕だねえ⋯⋯」
そう言うとマキは、カウンターに置いてあったジンのボトルに手を伸ばした。
直人は決して直接的な言及はしない。だがマキには分かっている。
彼は、現騎士王にも全く興味を示していなかった。
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