第63話 椿の憧れ
「直人さん! 起きてください!」
どこからか、直人を呼ぶ声が聞こえてくる。
うっすらと直人が目を開けるとそこには一人の少女がいる。
「どうしたんですか!? こんなところで寝て!」
腕の時計に目を向ける直人。
時間は夜の10時を過ぎていた。
「ああ⋯⋯椿を待ってたんだよ」
そう言って身を起こす直人。
変な姿勢で寝ていたせいか、体が所々バキバキになっている。
椿もようやく解放されたらしいが、それにしても遅い。
「オーナーさんの話がかなり長くて⋯⋯きっと陽菜さんと烈さんも帰っちゃいましたよね」
ひまわり園に目を向ける直人。
寝る前まで点いていた部屋の電気が消えている。
人気もない。きっと園長の牧原も、オーナーも既にそこには居ないのだろう。
「帰ろう。確か駅まではそんなに時間かからないよな」
そう言って直人は立ち上がると歩き出した。
直人と椿は二人して駅に向かう。
山の麓にあるひまわり園なだけに、この時間ではすれ違う人もいない。
駅に向かうまでの数分間、静かに二人は歩き続けた。
「オーナーとは、何を話してたんだ?」
そんな中、直人は椿に尋ねる。
周りに人はいない。恐らく盗み聞きされることもないだろう。
少しだけ間を開ける椿。しかし、その後彼女はゆっくりと口を開いた。
「⋯⋯来年の椿の進路についてです。オーナーさんは、椿に山宮学園に行って欲しいと言っていました」
「椿は、行きたいのか?」
首を横に振る椿。
それはハッキリとした拒否の反応だった。
「山宮学園って、凄く格差が激しい学校だって聞いてます。それに、お兄ちゃんがあの学校に行ってから凄く辛そうで⋯⋯」
「それは俺も健吾も、レベル1だからだ。椿はきっとレベル5、最上級クラスに行けるよ。待遇だって最高の物を受けられるさ」
「そんなのどうだっていいです!! お兄ちゃんが⋯⋯あんな目に遭っているのに、そんなところに胸を張って行けるわけないです! それに⋯⋯」
一呼吸置いた後、椿は言葉を続けた。
「実は椿には海外からお誘いの話があるんです。海外の、イギリスにある学校です」
すると彼女は一枚の紙を直人に見せた。
そこには英語で、『Tsubaki Nakamura』と書かれた招待状がある。
「ノース・ロンドン・ハンターカレッジから、奨学金付きで留学のお話が来てるんです。でも、正直迷っていて⋯⋯」
それを聞いた直人は、驚きの表情を浮かべる。
ノース・ロンドン・ハンターカレッジと言えば、過去には騎士王も輩出しているほどのヨーロッパを代表する名門ハンター養成校だ。それも山宮学園とは違い、世界中から有望なハンター候補生を招いている世界的な学校である。
「凄いじゃないか。それに奨学金付きって、アジアでも数人しか枠がないんじゃなかったか?」
しかし、そこから更に口を開く椿の様子は暗い。
「はい。でも、椿がイギリスに行ったらお兄ちゃんと⋯⋯」
「健吾なら、喜んで椿を送り出すと思うけどな。それに、こんなチャンスは滅多にないぞ?」
しかし、直人のその発言は彼女には的外れに聞こえたらしい。
プイっと横を向いて椿はそのまま黙り込んでしまった。
(⋯⋯? 何で怒ってるんだ?)
そんなことを思っている間に、遠くに駅の光が見え始めた。
それほど大きな町ではないのだが、駅周りなだけあってひまわり園の周辺に比べると人通りも多く、店もたくさん立ち並んでいる。
流石に夜なだけあって、その中のいくつかはいかがわしさも感じさせている。
ただ椿は何度も来ているからか慣れたもので、特に気にすることもなく通り抜ける。
「よっ、椿ちゃん! 今日は彼氏さん連れてんのかい?」
すると店の前にいた中年の男が椿に話しかける。
それも聞くや、周辺の人々の目がこちらに向いた。
どうやら彼らと椿は知り合いのようだ。
「おいおい、まさか俺たちの椿ちゃんをこんな奴に取られるとはなあ⋯⋯クソッ、俺があと30歳若けりゃこんな事には⋯⋯」
大げさな素振りで露骨にガッカリする男たち。
ショックに感じてはいるものの、そこまで敵意がある様子ではないようだ。
「直人さんとはそんなんじゃないもん⋯⋯ちょっとした知り合い!」
「おいおい椿ちゃん、いつだって恋は知り合ってから始まるんだぜえ。俺が嫁と結婚した時もそうだった⋯⋯今はちょっと後悔し始めてるけど。あ!ヤベエ!!」
店の奥から、大柄な女性の姿が見えた時はもう遅い。
余計な一言を聞き逃さなかった妻の強烈なダイビングプレスが、男の背中に直撃すると男はそのまま店奥に吹っ飛んでいく。ガチャーン!という音が奥から響いた。
「ほんっと、このバカは⋯⋯椿ちゃんはこんな男に引っかかったらダメよ」
そういう妻の後ろでピクピクと瀕死状態の様相の男。
「死んでんじゃねえか?」という店回りの声が生々しく響く。
「⋯⋯⋯⋯⋯」
ドン引きの椿。
これ以上この光景を見せるのは椿の教育に悪いと判断した直人。椿の両目を手で覆うと、「失礼します⋯⋯」と軽く頭を下げながらその場を退散した。
「幸せになれよーー」という能天気な声が後ろから聞こえてくる。
完全に誤解されているようだが、一先ず二人はその場を立ち去った。
駅に到着すると、直人は券売機があるのを見つけた。
「特急券買ってくるよ。来た時と同じでいいかな」
そう言って券売機で特急券を購入する直人。
椿は既にチケットを持っているため、自分の分のみを購入した。
ホームに行くと、タイミングよく丁度特急列車がホームに入ってくるところだった。
時間が時間のため、今回はあまり人がいない。直人と椿がゴージャスな特級室へと入ると、中には誰もいない空間が広がっていた。
そして列車は走り出す。
夕食を食べていない二人は、暫くの間は部屋にあった備え付きの菓子でお腹を満たすが、その間一言も話すことなく時間が過ぎる。
だが暫くした後、椿がふと口を開いた。
「直人さん⋯⋯確か、前に『計画を白紙にしろ』って言いましたよね」
菓子を持つ直人の手が止まる。
何故直人が椿を夜遅くまで待ったのか。その理由になる話である。
先日椿が直人に言った、DH協会が計画しているあの話。
S級DBダイナを、総動員で討伐するという計画についてだった。
「椿は、絶対に成功すると思ってます。それに他のゴールデンナンバーズの人たちだって皆、ものすごく強いんです。でも、直人さんはダメだって⋯⋯」
「ああ。俺は絶対に失敗すると思っている」
そう一言、簡潔に述べる直人。
「⋯⋯なんで、そう言い切れるんですか? 直人さんはS級を知ってるんですか?」
直人はごく普通の男子高校生。
なのになぜ、この計画に対してここまで強くNOと言えるのか。
「⋯⋯ああ、知ってるよ。俺はS級を知ってる」
「でも、S級DBは世界で十体もいないDBなのに⋯⋯何で知ってるんですか?」
「理由は聞くな。兎に角、S級は今の日本の現役ハンターでは誰であっても倒せない。たとえ『羅刹』であっても、生きて帰って来れれば御の字なレベルだ」
「何でそんなこと⋯⋯」と言いかける椿。
だが直人は軽く口元で人差し指を立てる。
「S級DBは山ほどもある巨大なDBとよく言われているが、実際は全然違う。内包するエネルギーが暴走し、A級からS級に進化する過程で急激に圧縮されることで奴らの体はコンパクトに纏まるんだ」
「えっ⋯⋯⋯」
やはり椿は知らなかったようだ。
なぜS級の居場所を掴むのが難しいのか。その理由を協会上層部は、彼女に全く教えなかったようである。
「しかも莫大なエネルギーは、生まれて暫くしてからはDBの体内に圧縮されて閉じ込められるため力の波動を感知することはほぼ不可能。おまけに体は小さくなり、最終的には人型になるため端から見たら何の変哲もない人間にしか見えない。唯一違うのは、瞳が輝くような金色になってることくらいか?」
驚愕の表情に変わる椿。
S級が人型であることをやはり彼女は知らなかったようである。
「奴らは人間に酷似した体を持ち、そして強さを数値にすれば天文学的なレベルだ。過去の文献では、S級が暴れたことで首都クラスの大都市が壊滅し、住んでいた人間の8割が虐殺されたなんて記録もある。奴らの強さは人智を越えているんだよ。そして何より恐ろしいのが⋯⋯」
一呼吸おいて、直人は言った。
「奴らは人を殺して戦法を学び、殺した人間をブラックミストに変成して吸収することで体内エネルギーを無限に増幅させる。そして指数関数的に強くなっていく⋯⋯ほぼ無制限にな」
それはつまり一つの事実を示していた。
「もしお前らが負けた場合、日本最高クラスのDHのエネルギーをダイナが吸収することになる。そうしたらいよいよ水爆でも使わない限り奴を倒すことは不可能だ」
しかし、それでも椿は諦めずに口を開く。
「で、でも、だったら今こそ倒さなきゃいけないんじゃないですか!?」
しかし直人の冷静を通り越して、冷徹な視線は変わらない。
「君には絶対に知らされていないだろうが、ダイナを裏で操る化物がいる。詳しいことは言えないが、そいつと君が出くわしたら間違いなく負けるぞ。そして君はダイナの餌にされる⋯⋯それと同じことがゴールデンナンバーズでも起こるだけだ」
「でも⋯⋯でも⋯⋯」
「無責任な立場から言うのは気が引けるが、これが現実だ。ダイナをこれ以上強くさせないために、そして君たちの命を守るためにも計画は白紙にするんだ。そしてもし、それでも計画を中止できないのなら⋯⋯」
椿を見て、直人は言った。
「椿、君だけでも逃げろ」
車内を静かな沈黙が流れる。
この話を椿が何処まで信じてくれたのかは分からない。だが、彼女に直人の思う考えは全て伝わったようだ。
そして暫くした後、彼女は口を開く。
「⋯⋯椿はDHです。逃げるわけにはいかないですよ」
直人は、やはり椿ならそう言うであろうと感じていた。
ほんの少しだけ、直人が唇をかむ。
「ねえ直人さん。椿の憧れの人を知ってますか?」
そして彼女は懐から一本のナイフを取り出した。
真っ黒な小型のナイフ。椿はそれを大事そうに抱えた。
「3年前だけど⋯⋯椿は命を救われたんです。お兄ちゃんとピクニックに行った時に椿だけ遭難して、それでDBがいるダンジョンに迷い込んじゃったんです」
思い出すのも苦しいというように、椿はギュッと目を瞑る。
「それで、蟷螂みたいな形のDBに襲われて⋯⋯そしたら目の前で誰かがそれを斬ってくれたんです」
よく覚えている。いや、忘れようがない。
何故なら、それは彼が人生で初めて撃破したB級DBだからだ。
「あの時、その人はこのナイフを落としたんです。あの時はそれが誰だか分からなかったけど、あの後新聞で『臥龍』と呼ばれているDHだって分かりました」
少しだけ間を開けた後、椿は言った。
「椿を助けてくれたあの人は、伝説の人でした。たった一人でS級を二体も倒してるし、間違いなく世界一のDHです! 椿もあんな人になりたい! だから⋯⋯」
「⋯⋯だから?」
直人は敢えて聞き返した。
すると椿は、はっきりと言った。
「臥龍さんに追いつくために、椿はもっと頑張りたいんです! そしていつか臥龍さんに会ってお礼を言うんです! 『臥龍さんのおかげで強くなれました』って!」
直人は、何も言えなかった。
列車は、家の最寄りの駅に到着しつつある。
手早く、椿は自分の荷物を纏めるとペコっと頭を下げる。
「心配してもらえるのは嬉しいです。でも、椿はS級と戦いたい!」
「⋯⋯死ぬ確率が高いと分かっててもか?」
「死ぬつもりで戦う気なんてありません! 生きるために戦うんです!」
ホームに入る列車と、見覚えのある駅の光景が目に入る。
すると椿が小さな声で言った。
「⋯⋯臥龍さんならきっとこんな時でも逃げずに戦うはずだもん」
そして列車は止まる。
プシューという音を立てて、扉が開いた。
「今日は一日ありがとうございました! それじゃ、さよならっ!」
そう言って、椿は元気よく列車を飛び出していった。
そして列車には一人、直人だけが残される。
直人は今、かつてないほどに複雑な胸中だった。
カオスと化した感情と、自分の為すべきことの使命の狭間にある自分の胸中を内心恨むが、それでも彼は自分を見失うことはない。
彼はポケットから携帯電話を取り出した。
そして同時に、携帯に付属しているボイスチェンジャー機能をオンにする。
そして彼はとある人物に電話を掛けた。
『アリーシャ。お久しぶりです』
バリトンボイスに変性された声でそう言う直人。
暫くして相手の言葉を聞いた後、彼は言った。
『こちらもいろいろありましたよ。アークテフェス社の人間からテレパシーを飛ばされたりとかね。でも、まずはその話は置いておきましょう』
その後、彼はゆっくりと言った。
『そちらで検討しているS級討伐計画の件、詳しく教えていただけませんかね』
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