第53話 爆発した怒り

誰もいないバスの中に乗り込む、7人の人影。

時刻は既に夜の11時を過ぎており、その高速バスには運転手を除けば誰もいない。

山宮学園の制服を着たその一団は、やっとのことでレベル5校舎のあるエリアを徒歩で歩いて脱出してきたのだ。


レベル5クラスの生徒なら校舎を出るバスに乗れるはずなのだが、生憎もうバスは最終便が出てしまっており、そもそもレベル1クラスのこの7人は、来た時同様にそのバスに乗ることなど出来ない。


近隣のホテルを予約して一晩過ごす選択肢もあったのだが、残念ながら彼らにホテルの部屋を予約するような資金はなく、帰るための最終手段として山の麓から午後11時ごろに出る高速バスに乗ることにしたのである。


誰もいない席の一番後ろのスペースにドカリと座ると、グダリと身を傾けるのは、向井新と中村健吾だ。更にその横には新井修太と葉島直人の二人が腰を揃えて座る。

前の空いているスペースにある二人掛けの席には瀬尾真理子と長野ひかりの二人が座り、その横の二人掛けの席を若山夏美が一人で座る。


特に新と修太の二人の疲労の色はかなり濃く、今にも寝付いてしまいそうだ。

男たちに襲われた時の傷は、医務室で異能を用いた自己治癒能力の向上によって無事に治っていたのだが、その際に多くの体力を使ってしまった。

その上、バスに乗るべく山の麓まで夜の暗い道を歩かされたのである。それによる疲労は恐らく相当なものだろう。


「ああ⋯⋯俺も団長に会いたかったなあ」


そんな中、新がポツリと呟く。

新と修太の二人は結局生徒会室に入ることすらできなかった。


だがそれに応える声はない。

口には出さないだけで、他の6人も疲れ切っているのだ。


「11時に出るバスが、着くのは深夜3時。山宮の校舎に着くのに4時間かかるってあり得ないだろ。大道先生の車に乗った時はもっと早かったじゃんか⋯⋯」


「このバスは物凄く迂回するバスなんだ。だから、敬遠されるんだよ⋯⋯」


すると小さな声でそんなことを言う健吾。

彼もまた、今日一日のハードメニューで疲れ切っているようだ。


「でも瀬尾さんが頑張って探してくれた唯一の帰る方法だからね⋯⋯帰れるだけでも瀬尾さんに感謝だよ」


実に時間にして一時間以上、真理子が周辺地図とバスの時間表を探し尽くしてようやく見つけたバスの路線だ。そして当の本人である真理子は、既に寝落ちしている。

そしてその横で、ひかりがトロンとした目で真理子の頭を撫でていた。


7人の中で疲労の色が見えないのは、直人と夏美くらいだろう。

相も変わらず本を読み続ける夏美と、レベル5専用校舎の売店で玄聖に破かれた推理小説を新しく購入して、早速読み始めている直人。二人共に底無しの体力である。


ゆっくりと動き出すバスの感覚を感じながら、7人は思い思いの時間を過ごす。

健吾と新、そして修太の三人はシートに身をもたげて熟睡し、同じく熟睡している真理子の横で、寝付かずに身を傾けているひかり。

そして夏美と直人の体力オバケが二人。


実に時間にして一時間ほど、静寂の時間が流れた。

だが暫くした頃、健吾が身を起こすとポケットから何かを取り出した。


「⋯⋯何で、こんなことになったんだろう?」


小さな声で呟く彼の声は、誰に対してのものでもない。

ただ自分の無力さを嘆くような声は、ある種の虚しさを感じさせる。


「⋯⋯クラスの分裂ってところかしらね」


すると、ここで夏美が口を開いた。

彼女の目は、健吾が持つ紙に向けられている。


それはアンナから渡された例の紙である。

そこにはこんな内容が記載されていた。


『1-5クラスから、11通の退学願が提出されており、既に7通が受理済み。残りの4名は他のDH育成校への転校を検討中。また5名がDH養成コースから他校普通科への転向を山宮学園進路課に希望』


それはつまり1-5、レベル1クラスの生徒たちの内の16名が、山宮学園からの退学と転校、また進路変更を考えているということだった。


「そんな⋯⋯皆、諦めちゃったの?」


ポツリと呟く健吾の声には、無念さが溢れている。

だがそれを聞いた夏美は、冷静に口を開いた。


「いえ、むしろチャンスと捉えたのでしょうね」


「⋯⋯チャンス?」


何を言ってるのかと言うように、目を見開く健吾。

すると夏美は、パタンと本を閉じると言った。


「北野譲二が主任をやっていた時、山宮学園を退学するときは殆どの場合『除名』という扱いにされていたと聞くわ。そうすると、他の学校も迂闊に手を出せないし、大学へ進学する際や就職のときも、それが原因で大きな不利になることもあるわ」


すると一呼吸置いたのち、夏美は続けた。


「でも北野譲二が殺されて、今は代理として大吹が主任をやっている。それはいわば、学校を脱出する絶好のチャンス。『除名』の看板を背負わずに山宮学園から脱出するには、北野譲二がいなくなり大吹が主任をやっている今しかないと考えたのよ」


すると、夏美は端末を操作してある名簿を見せる。

それは山宮学園歴代の『退学者』のその後の進路だ。


「見なさい。名の知れた一般進学校や、山宮以外の有名DH育成校に行っているでしょ。山宮学園で過酷な競争のなか迫害紛いの待遇を受けるくらいなら、他の学校で天下を狙った方が良いと考えているのでしょうね」


端末の電源を落とすと、深々とシートに座る夏美。

だが彼女のその目は厳しい光を放っていた。


「私からすればルーザーの思考だと軽蔑に値するわね。山宮学園は、他の高校でも頭二つ以上抜けたDH育成校。ここでトップを狙う気概がないような人間に、過去も現在も、そしてこれからも負ける気はしないわ」


そう言って、彼女は再び本に視線を戻した。

だが健吾の心には、学校を去ろうとしている人間たちの気持ちも何処か理解できるという思考が沸き上がりつつあった。


夏美は本来レベル1にいるはずがない、正真正銘の実力者だ。

だがこの学校は、本来天才と呼ばれるような人間ですら『クズ』にされてしまうほどの修羅の様な環境なのである。

場所が違えば輝けたかもしれない人材が、山宮の覇権主義で無能のレッテルを押されて追放され、そしてフェードアウトしていく現実も、この学校の闇なのだ。


では、そんな彼らがこの学校を脱出する絶好のチャンスを得たこの状況で、彼らを引き戻すことは果たして彼らのためになるのだろうか?


「⋯⋯でも、まだ7人いる」


するとここで今度は、直人が口を開いた。

考えてみればここで言われているのは16人であるものの、現在クラスで来ていないのは23人である。つまり、7人は何処で何をやっているのかも分からないのだ。


「それなんだけど⋯⋯この紙の最後にこんなことが書いてあるんだ」


すると、紙の最後に小さな文字で何らかの文が書いてあるのが見える。

目を凝らすと、そこにはこんなことが書いてあった。


『なお、1-5クラスの一部生徒が他校とトラブルを起こしたという報告もあり、現在調査中』


「ハア⋯⋯」と溜息をつく健吾。

疲れ切った表情で紙を見る健吾の顔は、二十歳くらい老けて見えた。


「まっ、付いていけない人は放っておくのが正解だったということよ。邪魔になる人は切り捨てておくのが賢いやり方だと実証されただけでも収穫だし、中村君もこれから忙しくなるのなら、余計なことはせずに自分の仕事に専念することね」


夏美がそんなことを言った、その時だった。


「⋯⋯出てけばいいじゃん」


ポツリと聞こえて来た少女の声。


「合宿から帰ってきて何か変わったと思ったけど、結局アタシの思い違いだったみたい。いっつも自分のことしか考えないで、人のこと振り回してさ!!」


声の主は、長野ひかりだった。

その様子は、明らかに夏美に敵意を持っている様子だ。


「いい加減にしてよ! 協調性とか、親から教わらなかったの!?」


突然怒り始めたひかりに、慌てるのは健吾だ。

見ると彼女の声で新や修太、真理子も目を覚まし始めている。


「成績がいいならどこにでも行っちゃいなよ!! レベル5で好きなだけ大暴れすればいいじゃない!!」


しかし、夏美はむしろ「何でコイツ怒ってんの?」とでも言うように、冷めた目でひかりを見つめている。だがそれが、ひかりの癪に触ってしまったようだ。


「大人しくしてよ! それもダメなら、せめてアタシから何も奪わないで!!」


おいおいどうした?と、新が起き上がり、修太は困惑した様子でこちらを見ている。

真理子はある種こうなることを分かっていたように、視線を下に伏せている。


すると、ここで夏美が静かに言った。


「どうしたらいいかしら? せめて怒るなら事の発端の説明と、最低限の冷静さは保っていただきたいのだけど。この人は、それが出来ない残念な人みたい」


スウッ⋯と息を吸うひかり。

煽りに近い彼女の言葉から来る怒りを、ギリギリの所で抑えたようだ。


「まず、私に親なんてものは生まれてからいないわ。あと記憶ある頃から知っているのは、『勝てない人間に存在価値はない』ってことかしらね。協調性なんて甘ったるい物は、真の強者には必要ないとも思うし」


本を片手にパタパタと扇ぎながら、ひかりを見る夏美。

そして彼女はひかりにこう言った。


「それと一つ気になったんだけど、私がいつ貴方から物を奪ったのかしら?」


表情が固まるひかり。

見ると、真理子の表情も目が大きく見開かれている。

彼女は決して触れてはいけない部分に、夏美が触れようとしているのを察していた。


「さっき言ったわね、「アタシから何も奪わないで」と。貴方から私は何か借りたりしたかしら? 考えられるものは⋯⋯まあ特に思いつかないわね」


真理子は知っていた。ひかりは彼らをここまで送ってくれた和美に好意を寄せ始めていることを。そして当の和美は今、目の前にいる夏美に明らかな興味の心を抱いており、それを察したひかりがそれを良く思っていないことも。


するとここで、夏美は言った。


「そういえば、少し前に会った大道とかいう教師はやたらと私にしつこく絡んできてたわね。鬱陶しくて仕方なかったわ」


それを聞くや否や激昂するひかり。


「鬱陶しいって⋯⋯!! アンタ何様のつもりよ!!」


「何様も何も、普通の生徒と教師の間柄でしかないけど。あちらから絡んでくるのだから私が何を思おうと勝手よね?」


だがその時夏美の表情が少しだけ変わった。

それは暗に、「何か」を察した表情とも言えるかもしれない。


「あら、それともあちらが一方的に私が絡んでくるのに、それを快く思わない理由でもあるのかしら?」


「そっ、そんなことは⋯⋯」


「でもそうでしょう? それくらいの理由しか、貴方が放った言葉に対する整合性が取れないもの。ねえ言ってみなさいよ、大道和美が私に近寄ってくることの何が気に入らないの? それとも⋯⋯」


それは火山が爆発する寸前の予兆にも近い雰囲気があった。

一瞬だけ流れた静寂の後、夏美は平然と言い放つ。


「あんな詐欺師紛いの男を好きになったのかしら? だとしたら貴方は、救いようのない阿呆ね」


「ダメです!」という真理子の声。

席を立つ新と修太に、そして健吾。

だがしかし、それでも彼女を止めることは出来なかった。


その瞬間、ひかりは夏美目掛けて飛び掛かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る