第38話 敗れ去った者
ここはとある大病院。
数千人が入院しているこの建物の最上階に、半ば目につかないように配慮されたような個室がある。人通りも殆ど無く、一般人がこの部屋に入ることはまずない。
何故なら、これらの部屋は彼らのために作られた部屋だったのだから。
その部屋には一人の少年と、もう一人少女がいた。
まるで五つ星ホテルかと思う様な二つの個室には、既に多くの花束と最高級の果物、政府や財政界の要人らから送られた手紙があった。
少年の方は、律義に手紙を一つ一つ呼んでは返事の手紙を書いている。
だがしかし、少女の方は手紙はおろか果物にすら手を付けない。
「光城様。検診のお時間がやってまいりました」
部屋に響くナースの声。病院関係者とのやり取りの多くは、直接ではなくマイクやカメラを介した動画でのやり取りが主だった。
すると目の前のスクリーンに、やや緊張した面持ちの医師の顔が映る。
恐らく、粗相がないようにと強く念を押されているのかもしれない。
「光城様、何か体調に変化はありますでしょうか?」
「いえ、体調に問題はありません。足も良くなりました」
その少年、光城雅樹は医師の問いかけにも穏やかに応じる。
負傷した足は骨折しており、その他にも肋骨や肩などの一部に骨折や重度の打撲があったのだが、異能を用いた懸命の治療によって無事元通りに治癒していた。
魔力もほぼ全快しており、このままいけば明後日にも退院できるだろうとの検診結果だった。
「無事全快されたようで何よりです。ところで光城様⋯⋯榊原様とはお話になりましたでしょうか?」
遠慮がちに、そう尋ねる医師。
それは暗に、彼女の治療が上手く行っていないことを意味していた。
いや正確には、彼女に『治療を受ける気がない』ということでもある。
「榊原さんと話そうとはしたのですが、僕からの応答にも一切対応する気がないようです。やはり、本家の方からのあの言葉が彼女の傷になっているのではないかと」
忘れもしないあの言葉。
テレビ越しに彼女の様子を見ていた雅樹は確かに見ていた。
重篤な状態で病室に運ばれてきた摩耶に対して、病院に駆け付けた榊原家の当主はこう言ったのだ。
『この恥さらしが。汚名を
その瞬間、当主の右手が高々と上げられる。
反射的に目を瞑った雅樹の判断は間違っていなかったかもしれない。
スクリーンの接続が切れる瞬間、パチン!!という音を確かに彼は聞いた。
「⋯⋯榊原さん」
それは死に体に鞭を打つような行動だった。
名家の人間に、敗北は許されていない。武力で成り上がった榊原家は尚更にだ。
雅樹自身も初めての経験だった。自分が何も出来ず、ただ無力に吹き飛ばされるなど。まるで虫を踏み潰すが如く、全てで圧倒された。
あの謎の人物が相当な使い手であることは明白だった。
だがそれでも、名家の跡取り二人が雁首を揃えて倒されるなどあってはならないはずなのだ。今回の件をさほど大きな問題にしなかった光城家はむしろ、雅樹に対して甘すぎると言っても過言ではなかった。
本来なら榊原家の当主の摩耶に対する反応の方が正しいのかもしれない。
するとここで、雅樹の部屋の外から声が聞こえて来た。
「ちょっとダメですよ!! 今ここは大事な方が入院されていて⋯⋯」
「皇帝様だろ? そんなの知っててここに来てんだよ、早く通せや」
「あの⋯⋯せめて光城さんに手紙だけでも渡してもらえないでしょうか⋯⋯」
荒々しいドス声と、控えめな可愛らしい声が表から聞こえて来た。
「おーーい皇帝様よお!! お前からこのババアになんか言ってくれや!」
「バ、ババア!? 失礼な! あまり騒ぐと警備員呼びますよ!」
「おう何でも呼んでこいや。入院明けのいい準備運動になるぜ」
「ちょ、ちょっとやめてくださいよ仁王子さん! ここ病院なんですから!」
聞き慣れた声だ。雅樹はフッと笑う。
手元のマイクを手に取ると、スイッチを入れた。
『仁王子君と、目黒君だね。いいよ、入って」
その途端、ドアが荒々しく開く。
そして外から見上げるような巨体の男と、縮こまった小さい少年が入ってきた。
「よお、早く退院したから見舞いに来てやったぜ」
「大変だったみたいですね⋯⋯お大事にしてください光城さん」
仁王子烈と、目黒俊彦だった。
彼らもまたDBの襲撃に立ち向かい、そして大きな貢献をしたメンバーである。
烈は普段と変わらない様子だが、俊彦に関しては右目に眼帯をしている。
「目黒君の眼はどうしたんだい?」
「えっと⋯⋯もうすぐ取れると思うんですけど、まだいろいろ検査したりしなきゃいけないみたいで⋯⋯」
「特に異常は無かったんだろ? 良かったじゃねえか」
そう言うや、ベッドの横にあったバナナを勝手に手に取るとムシャムシャと食べ始める烈。どうやらこの男、雅樹へのお見舞い品を漁りに来ただけらしい。
「あと、三年生の前田先輩という方から手紙を預かってます」
すると白い便せんの手紙を一通、俊彦が雅樹に手渡した。
「早く良くなるようにとおっしゃってました。本当は榊原さんにも手紙があるそうなんですが、まだ渡せないんですよね⋯⋯」
「あの女には渡す必要ねえよ。どうせ読まずに捨てるのが関の山だぜ」
早速一本平らげた後、今度はブドウに手を伸ばす烈。
するとここで、ふと思い出したように烈が言う。
「そういや、さっきのテレビ見たかよ? 何か、テレビで紹介されてたぜ。生徒会の馬野と中川だったっけか?」
「海野先輩と、健吾さんでしょ。僕がマキさんのメールアドレスを教えたのが、役に立ったみたいですね」
そういうのは俊彦だ。
すると雅樹が驚いたように口を開く。
「マキさんって、あのバーにいた女性のことかい?」
「はい。あの後、僕にメールアドレスを教えてくれたんですけど、マキさんが『直人のクラスメイトにも教えてやってあげてくれよ』と言っていたので、健吾さんに教えてあげたんです。本当は夏美さんにも教えようと思ったんですが、取り合ってもらえなくて⋯⋯」
「若山とかいう女か? 何かアイツ、榊原と雰囲気が似ていて嫌なんだよな」
ブドウを種ごと食べていく烈がふとそんなことを言う。
実は雅樹と俊彦も彼女らの似たような雰囲気があるのは感じていたのだが、敢えて口に出しては言わなかった。
「でも、マキさんの姿なんて一度も見なかったけどなあ⋯⋯何処で何をしていたんだろう?」
すると雅樹の中であることが思い浮かぶ。
「⋯⋯もしかしたら、あの黒いマントを着た人を撃退してくれたのかもしれない」
「⋯⋯? 黒いマント?」
「僕と榊原さんは黒いマントを着た、途轍もない強さの人間に出会ったんだ。僕も彼女も、何も出来ずに倒されてしまったよ⋯⋯恐らく北野先生を殺害したのと同一人物だ」
ヒッ、と声を上げる俊彦に、ほう、とブドウを放り出して雅樹を見る烈。
「今思い出しても、寒気を感じるような力だったよ。何をしても歯が立たない、そう感じるような絶望感だったし、勝てるビジョンすら湧かなかった。何より、あの人物にとって僕らは、殺す価値すら感じない程矮小に映っていたようだったよ」
自虐的に笑う雅樹。
無意識の内に、手に握るトモの手紙が強く握りしめられていた。
「で、でも殺されたらその先だってないんですから⋯⋯見逃してもらえたのは寧ろ幸運だったんじゃないですか!?」
「そう思いたい気持ちはあるよ、でもプライドが邪魔をしてしまうんだよね。ここまで見下されたのは初めてだし、それは榊原さんも同じだと思うよ」
「くだらねえ名家の誇りなんて持ってっから、そんな発想になんじゃねえの? ま、ブチのめされてムカつくのは分からなくもねえけどよ」
すると烈は雅樹の手からスクリーンのリモコンをひったくると、スイッチを押した。
そのスイッチは、摩耶の個室に接続するためのスイッチである。
「で、あの女はボコボコにされて拗ねてるってか? 偉そうなこと言うくせに、随分と軟弱なメンタルだな」
あちらからの応答はない。
最低限の食事は取っているものの、異能による治癒や精神安定のための治療については摩耶が強く断っており、言葉による交渉なども全くできない状態が既に一週間ほど続いていた。
「榊原家から何か連絡はないんですか?」
「その件についてなんだけど⋯⋯」
ここで、雅樹は口を開く。
病院に運ばれてきた直後に摩耶に起きた出来事を彼は話した。
当主から心ない言葉を浴びせられ、そして手をあげられたことも含めて。
「酷い⋯⋯いくら何でも酷すぎます!!」
そう憤慨する俊彦。
彼にしては珍しく、かなり怒っているようだ。
「恐らく、治療を拒む理由は心理的な問題だ。榊原さんは当主殿の言うことに従順な人だし、その当主殿からここまで言われたのがショックだったんじゃないかな」
静寂が流れる病室。
摩耶を何とかしたい気持ちは雅樹にもある。だが、同時に彼は知っていた。
彼女は強い口調で武装こそしているが、実は非常に繊細な人間であることを。
「今はそっとしてあげよう。治療中だし、変に僕たちが動いたら余計に動揺させてしまうかもしれないしね」
一先ず話はこれで打ち止めとなった。
雅樹は二人にもうすぐ退院できる目途であることを伝え、退院し次第に学校にも行くことを告げる。
そんな流れで二人が席を立とうとした時に、ふと雅樹が口を開いた。
「そういえば、君たちは若山さんについて何か知ってるかい?」
「若山さんって⋯⋯あの人に何かあったんですか?」
「実は、彼女もDBの討伐のために外に出ていたんだ。でも、彼女についてはあの後何一つとして情報がないんだけど⋯⋯」
顔を見合わせる俊彦と烈。
雅樹同様に、二人も夏美については知らないようだ。
「喰われたんじゃねえのか?」
「最悪の事態にはなっていないはずだ。ただ、僕らが外にいた時も彼女の姿は全く見なかったし、一体どうなっているんだろうと思ってね」
「案外何もせずに帰ってんじゃね? 別に気にするこたねえよ、どこぞの舞姫みたいに殴られて拗ねるようなタマじゃねえだろ」
そう言って、部屋の扉を開く烈。
手には勝手に取ったメロンが握られているが、雅樹も咎めることはしなかった。
「帰るぞ俊彦。ま、舞姫も暫く食って寝てりゃ元に戻るだろ」
「仁王子さんじゃないんですから⋯⋯じゃあ僕も帰ります。お大事に」
そう言って、二人は帰っていった。
一気に部屋の中が静まり返る。
大幅に減った果物の山からリンゴを手に取ると、雅樹はそのままかぶりついた。
リンゴの果肉を噛みしめながら、雅樹はこの先のことを考える。
本当にこのままで良いのか。今のままであの黒マントを倒せるほど強くなれるのか。
それとも摩耶のように『S級能力』の開発に着手すべきか。
「もう、考えたくない⋯⋯」
そう呟き、彼は顔を伏せる。
彼の脳裏には、あの言葉が焼き付いて離れなくなっていた。
『神は暇ではない』
自分は神と戦ったのだろうか。
将来的にはまた『神』と戦うことになるのだろうか。
「嫌だ⋯⋯怖い!」
人生で初めて感じたリアルな死の恐怖。
それはかつてないほどに強烈なものだった。
そして雅樹には分かっていた。例え、この先努力をしたところであの境地には辿り着けないことを。永遠にあの神を名乗る存在に勝つことは出来ないことを。
「どうしたら⋯⋯いいんだ」
人生で初めての挫折。
それは彼の心に大きな影を落としていた。
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