第26話 最後の勢力と一人の死

その頃、山宮学園では事件が起きていた。

時刻は夜の十時。暗い校舎内を走る人影が見える。


「待て!! このまま逃がすと思っているのか!!」


猛烈な勢いで校舎を走り抜けるのは、工藤雪波。

その後ろは波動義久がピタリと付いている。


「工藤先生!! アレは間違いなく⋯⋯⋯」


「ああ、厄石を持っている!!」


「他の先生方と非番のDH達にも連絡しました! この機会を逃すわけにはいきません!!」


全身を真っ黒なマントで包んだ人影が、二人の前を負けず劣らずの猛スピードで走り続けている。強力な加速能力を用いて追っている雪波と波動ですら、捉えることが出来ない程のスピードだ。

そのマントの裾からは、厄石特有の紫の光が漏れている。


「奴め、私が教室で張っていたとも知らずに姿を見せるとは、犯した犯罪の重大性とは裏腹に随分と脇が緩いようだな!!」


「だからこそここで逃がすのはマズいんですよ!! 我らの目と鼻の先で悠々と逃げられでもしたら、我々のメンツがありませんよ!!」


「分かっている!! 多少手荒なやり方だろうと、あの黒マントは絶対に捉える!!」


雪波は手でピストルの形を作ると、人差し指を前を走る黒マントに向けた。


空気銃エアライフル!!」


圧縮された空気の塊が、マント目掛けて飛んでいく。

が、見えない障壁によって空気の弾は弾かれた。


「チッ、あのマントにも細工がしてあるか! 私の空気銃を弾くとは、相当優秀な異能使いと見える!!」


その時、何者かが窓ガラスを突き破って廊下に入ってきた。


「逃がすわけにはいかないよ!!」


強力な異能力で完璧に保護された太い腕が、唸りを上げてマントに突き刺さる。

高さ二十メートルはあろうかという校舎を飛び越えて参戦した大吹博が繰り出した渾身のパンチを喰らった黒マントは、軽く呻き声を上げて吹き飛んだ。


「今ので、マントに仕込まれた障壁は完全に砕けたねえ。どうする? 工藤ちゃんと波動君、そして僕も纏めて相手に出来る自信があるのかい?」


黒マントは今にも崩れ落ちそうなほどにフラフラだ。


「僕たちは教員をしているけど、これでも超一流のDHなんだよ? たかが教員如き、簡単に撒けるとでも思っていたなら、それは大間違いだねえ」


黒マントに戦う意思があるようには見えない。

むしろ「どうにでもなれ」とでも言うように、無防備な状況だ。


「成程、どうやらそいつは強力な異能を秘めたマントに守られていただけで、実際は我らを相手取れるほどの力はないようだな」


「油断は禁物だよ。そのマントに秘められていた異能はとんでもなく強かったから、まだ何か細工をしてある可能性もあるからねえ」


見ると、大吹の腕に纏われていた強固な強化術式も粉々に砕かれている。

もし、あのマントを無防備に触っていれば、ただでは済まなかっただろう。


「兎に角、顔を見せてもらいましょうか。厄石を持ち、これ程強力な異能を秘めた異能物を所持しているのですから、身分確認はせざるを得ませんね」


波動が、無抵抗な黒マントに近づいた。

大吹と同様に手を保護障壁で覆い、最大限の注意を払ってマントに手を掛ける。


そして一気に剥ぎ取った。


「「⋯⋯⋯⋯!!!!」」


「まさか!!! ありえん!!!」


三人の教師陣の顔に衝撃が走る。


「⋯⋯⋯⋯ダメなんですよ。この力は偽物、あの御方から受け取ったに過ぎない物なんですから⋯⋯⋯」


立ち尽くす教師陣。

誰も、何も言葉を発することが出来ない。


すると、廊下の奥からこちらも臨戦態勢を整えた白野マコが走ってきた。


「遅れました! それで、厄石を持っているというのは⋯⋯⋯」


彼女は、三人の教師陣が集まった一団へと歩み寄る。

そしてその中央にいる、力なく崩れ落ちている人間へと視線を向けた。


「それで、犯人は何処にいるんですかっ!!」


決して彼女はふざけているわけではない。

ただ、分からないだけなのだ。


「白野⋯⋯犯人はここに居る」


「え⋯⋯ここに居るって、居るのは工藤さんと大吹さんと波動さんと⋯⋯」


そして、その人物へと視線を向ける。


「⋯⋯⋯北野主任しかいないじゃないですか」


流れる沈黙。

冷たい三人の教師陣と、その真ん中で小さく蹲る一学年主任の北野譲二。


徐々に、マコの大きい目が更に大きく見開かれる。

遂に状況を飲み込んだのだろう。


「そんな⋯⋯⋯何で!!」


「見ての通りです。1-5クラスに厄石を置き、ダンジョンを作ろうと画策したのはこの私ですよ」


表情を全く崩さず、北野譲二は言った。


「あの御方の計画は完璧です。問題は、それを遂行する能力を全く持ち合わせていなかった私の無力さ⋯⋯⋯」


「な、何を言っているんですか!?」


「あの御方は、これから行われる『処刑式』で山宮の教師たちが非常に厄介な存在になるであろうことを予期しておられた。だから、厄石騒動を起こして貴方方のような強く優秀な教員を、この校舎に留まらせるように私に命じたのです⋯⋯」


「ということは主任、いやお前を操っている黒幕が他にいると言うことか!!」


「どう邪推しようと勝手ですよ工藤先生。どの道私は貴方方には勝てませんし、そもそも対抗できるだけの力もない。山宮学園の学年主任まで成り上がることが出来たのも、元はと言えばあの御方から頂いた異能具の数々を使ったに過ぎないのですから」


ここでマコはあることを思い出した。

入学式の時に、マコが心で思っていたことを北野が心を読んで言い当てたことがあった。


「あれもそうですよ、白野先生。このマントと同じように異能を付加したスーツを着ていましたからね。そんなことでもしなければ、私はDHとして並にもなれない無能な人間なのですから⋯⋯⋯」


昔のことを思い出すように、北野は視線を天井に向けた。


「所詮私は、DHとしては二流。貴方のように有望で、力溢れる人間にはどんなに背伸びをしたって勝てない。白野先生は知らないでしょうが、私はかつて山宮学園の最底辺であるレベル1クラスに在籍していたのですから」


「北野先生が、レベル1クラスの出身!?」


「貴方がまだ生まれる前の話ですよ⋯⋯⋯それはもう酷かった。連日、まるで存在することが罪であるかのように迫害され、徹底的に虐められました。そんな中で、日に日にレベル1クラスでは、他クラスに対する怒りや憎しみが増し、そしてそれが時に爆発してトラブルに発展するときもありました⋯⋯⋯その殆どがレベル5クラスからの異常な挑発によるものでしたがね」


北野の目には、涙が浮かんでいた。

その目の奥には深い悲しみと、そして怒りの念も見える。


「そのトラブルの現場に私はいたのですよ。勿論当事者として。結果はどうなったと思いますか?」


引きつるような笑いが北野の顔を覆っている。

かつて入学式でマコが北野に対して感じた恐怖の念を誘発させるような笑みだ。


「私も含めて、全員が除名処分となりましたよ。そう、『1-5クラスの』関係者全員がね。そして、1-1クラスの人間は一切のお咎めなしで終わりになったというではありませんか!!」


涙が北野の頬を流れ、手は強く握りしめられる。


「理不尽、これぞ理不尽なのですよ。私は一時、DHとしての道を諦め、一般校へと編入しました。あれほどDHを目指して頑張ったのに、私の知識も努力も全てが水の泡になったのです。でも、私は一度諦めたDHの道を捨てることは出来ませんでした。その結果、私はDH協会の事務員から再び長く辛くて険しい研修を積み重ねて、DH予備生となりました⋯⋯⋯」


ここで、北野の声は途切れた。

いつの間にか目の奥の怒りは消え、精気のない意気消沈した男の姿がそこにあった。


「しかし、そこで待っていたのは異能に恵まれ、人間の極みを手中にしかけているほどの高い戦闘力を持った、DH予備生達とのし烈な争いの日々だったのです。私がそんな人間に勝てるほどの才能の持ち主ならば、あんな無残な形で山宮学園を去ることなどなかったでしょう⋯⋯⋯勿論、勝てませんでした。最後のテストを控え、そこで結果が出せなければ、DH予備生の座を剥奪されるという日が来たのです」


するとここで、再び北野の口から低い笑い声が聞こえて来た。


「テスト前日の日、私はある人物と出会いました。白衣を着て、胸にエメラルドをはめ込めたピンバッヂを付けたその人物は、私に一見ごく普通のキーホルダーの形をした異能具を渡したのです。それを身に付けた途端、私の体は恐ろしいほどの全能感と自信に満ち溢れ、私の力は規格外に向上しました⋯⋯⋯」


「エメラルドをはめ込んだピンバッヂ!?」


大吹は驚愕の表情と共に叫んだ。

北野は軽く頷くと、言葉を続ける。


「大吹先生なら知っていると思いましたよ。エメラルドをはめ込んだピンバッヂはあの施設のシンボルですから。そう、あの御方はかつて世界最高のダンジョン及び異能の研究施設として名を馳せた第一研究所の職員でした」


ここで再び、周りを囲む教師陣の表情が驚きの表情に変わる。


「私は余裕でテストに合格し、DHとして活動を始めましたが、神にも近い彼の技術力に魅了され、気が付けばあの御方の僕として生きることが望みになっていたのです。そして、私はあの御方の命であの忌々しい記憶の残る山宮学園に教師として再び戻ることとなりました」


溜息をつくと、北野はその場にいる教師陣全員の顔を食い入るように見つめる。


「不思議なことに、私の心にあったエリートたちへの憎しみは、レベル1クラスの人間たちに向けられるようになっていました。それが、私の心の変化なのか、あの御方の異能具によるものなのかは分かりませんが、今となってはどうでも良いことです。『力がないからこそ迫害される。力がなければ迫害されたとしても仕方がない』とは、あの御方が日頃よく口にされていた言葉ですからね⋯⋯⋯もしかしたら、知らぬ間に洗脳されていたのかもしれません⋯⋯⋯」


話は終わりだ、とでも言うように北野は両手を大きく広げた。


「これが、私の全てです。久々に昔の話が出来てスッキリしました⋯⋯⋯」


すると、雪波が北野の元へ歩み寄った。

そして彼女は、北野の胸倉を乱暴に掴むとそのまま持ち上げる。


「貴様の思い出話などどうでもいい! 黒幕がいるならそいつの名前を言え!!」


「それは出来ませんよ。『ゲーム』が面白くなくなってしまいますからね」


「ゲーム? ゲームだと? 今までの貴様の所業を、かつてレベル1クラスに居ながら、それでもなお迫害を推進させた貴様のしたことがゲームだと!?」


雪波の握りしめられた拳が、北野の顔面に直撃した。


「工藤さん!! ダメですっ!!」


「止めるんだ工藤ちゃん!!」


「黙れ!! この屑野郎がしたことを許せるわけがない!! レベル1クラスの担任として絶対に許せない!!」


慌てて大吹と波動の二人が工藤を北野から引き離す。

北野から引き離されてもなお工藤の強い怒りは収まる気配すらない。


「いいんです。私は誰かから憎まれて終わるくらいが丁度いい人間なのですから。それが、私があの日、あの方の魅力に囚われたその瞬間から背負う業なのです」


北野の前に、今度は波動が歩み寄る。


「北野主任⋯⋯いや、北野譲二。貴方の身柄はこれからDHに引き渡されます。貴方の余罪は恐らく相当なもの⋯⋯魔導大監獄に収監される可能性もあるでしょう」


ここで、北野の表情に再び黒い笑みが浮かび上がった。

それを見た波動は、眉を寄せる。


「いえ、それはありませんよ。貴方もまた私と同じ素質がありそうですね⋯⋯⋯」


「⋯⋯⋯!! お前と一緒にするな!!」


「分かりますよ。匂うんです。いずれ貴方は私の気持ちを理解する日が来ます」


「もういい!! 早く、こいつをDH達に引き渡せ!!」


すると、校舎の向こうから何人ものDH達と、警官の姿が見え始めた。

やっと来たか、というように大吹が溜息をつく。


「遅いじゃあないか。非常事態なんだからもっと早く来てもらわないと」


「い、いやあそれが、何故か以上に学校までの道が長く感じられまして⋯⋯」


「そんな訳ないだろお。道はいっつも同じじゃあないか」


その時だった。

北野の口から再び低い笑い声が聞こえて来た。

それはまるで、勝利を確信しているかのような、そんな笑い声だ。


「遂に、遂に来ましたよ!! お迎えが!!」


「何を言っている。もうお前はおしまいだ大人しく観念し⋯⋯⋯」


工藤の言葉は途中で途切れた。

彼女の体はピクリとも動かない。

それは意識的な物ではなく、強制的な物だった。


『山宮の無力な教師共よ。貴様らの動きは封じさせてもらった』


その瞬間、黒いマントを着た小柄な謎の人間が北野の前に突然現れた。


『ご苦労。素晴らしい仕事だった』


「⋯⋯⋯有難き幸せ!!」


気付いた時、その場にいる全員の体がまるで鎖に縛り付けられたかのようにロックされていた。

それが、突然現れた謎の人物による異能であることは明らかだ。


「何者だ!! 貴様が黒幕か!?」


工藤が叫ぶ、だが、現れた黒マントの人物は反応しない。


『つまらない人間だ、工藤雪波よ。お前の中途半端な善意では何人も救うことは出来ない。私の正体も見抜けぬ貴様では、真実には辿りつけぬ⋯⋯』


そして、黒マントは右手を高々と上げた。


『ご苦労だった、北野譲二よ。最後は我が手で引導を渡してやる』


「⋯⋯⋯!! 止めろおおおおおおおッ!!」


波動の叫びと共に、右手が振り下ろされる。

と同時に、北野の首筋を一滴の血が流れ落ちた。


「⋯⋯⋯⋯有難き⋯⋯⋯」


そこから先の言葉はもう続かなかった。

ゆっくりと頭が倒れ、そして地面に落ちる。


鮮血と共に、北野譲二は首を落とされ絶命した。


『我は神の血を継ぐもの。私は今この瞬間を待っていた。憎き神の天敵にして悪魔の子、臥龍を滅する時が今来たのだ!!』


生の声ではなく、機械音で変成されたその人物の声は無機質かつ冷徹だ。

そして高笑いと共に、黒いマントの姿は姿を消した。


「何だ⋯⋯これから何が起こるというんだ!?」


カオスと化した現場の中で、波動のそんな声だけが虚しく響いた。

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