定められた、遭遇
息抜きに出ていた散歩を切り上げ、心地よい疲労感を抱えながら、築12年の5階建て賃貸物件の3階へと足を踏み入れる。
ちんっという古典的な音と共に、静かに開かれたエレベーターの扉。直線状に伸びる通路、その最奥に、見覚えの有る姿を捉えた。
「あれ」
「先日はどうも」
待ち受けていたのは、あの幽霊(仮)だった。
「え、鐘刻さん?」
思わず身構える。
「ああ、覚えててくれたんだ」
「この前のことですから。それより、どうしてここに」
扉の前で座り込む鐘刻さんに、自分は訝しい目線を送る。
不採用通知は貰った、もう用はない筈だ。
「ちょっと聞きたいことがあってね」
「聞きたいこと?」
「私の自己紹介をどうぞ」
「鐘刻羽城、28歳。身長165センチ、誕生日は1月8日。趣味は廃屋探検、特技は忘却、好物は日本酒。御魄屋就職は18歳、22歳で副社長就任。基本はウサギと一緒に活動。息抜きでよく日本各地の廃屋を巡ってる、ですよね。今日はウサギと一緒じゃないんですか」
「仕事の時ならね」
「ということは今日は仕事絡みではないんですね。それで、ご用件は自己紹介と何か関係が?」
自分の棘を含んだ物言いにも表情は一切変えず、鐘刻さんは言葉を連ねた。
「2010年6月10日は何曜日?」
「さあ、存じ上げません」
「なら、7日前の天気は?」
「午前は晴れ、午後からにわか雨が降り始めました」
「3日前のデイリージャッジ☆で、山羊座の順位は?」
「11位です」
「8日前の夕食は何食べた?」
「覚えてません」
何が言いたいんだ、この人。
「何が知りたいのかは解りませんが、もういいですか?」
変人。
現すならこの一言に尽きると、そんなことを考えながら、ポケットから鍵を取り出す。
鐘刻さんはその言葉を受け、ようやく重い腰を上げた。
まるで、仕方が無いなと言わんばかりに溜息を吐き出して。
「杜槻彰紘、23歳。身長170センチ、誕生日6月10日。趣味はPWでのルノー稼ぎ、特技は記憶、好物は肉。大学3回生からその優秀すぎる成績と論文によって注目を集めていたが、今や就職浪人生。先日77回目の不採用通知を貰い、当社からの通知にて晴れて78回目の新記録を樹立。今は気分晴らしの散歩から帰ってきた所。現在進行形で就職活動中、で合ってるかな」
「そうですね、おおむね合っているかと」
だから何なんですかと、悪態を吐く。
合っている、そう、言葉通りおおむね合っている。だが、どうやってその情報を仕入れたのかと、言葉にはしないが空気だけは漂わせる。
その剣呑な雰囲気を、察しの良さそうな鐘刻さんは、その仄暗い瞳で捉え、抑揚の無い声で応対した。
「君の特技が本物かどうか確かめにきただけだよ。瞬間記憶力テストだけで信用する訳にはいかないからね。何故テストの結果ではなくて、九九なんかを例に挙げたのかは知らないけど」
「なるほど、自分の事を調べ上げたってことは解りました。それと、九九の件は忘れて下さい」
「察しのいい子は好きだよ」
大あくびをしながら言う台詞ではないと思うが、鐘刻さんは至って真面目なのだろう。態度は不真面目だが、言葉尻は真剣さを帯びている。
「それで、調べてどうするって話なんですか。特技の証明も出来ましたが」
そう、採用不採用を決める為の調査ならば、既に不採用通知が届いている時点でおかしな話となるからだ。
だというのに、目の前の幽霊副社長は事も無げに言い放つ。
「君を調べていて、不思議なことがあってね」
「不思議?」
嫌な予感が胸を過ぎる。
「ファントムワールドで7日以上続けてバイトしていないのはどうしてかな?」
やっぱりか、と嘆息する。
「貴方に話すほどのことではないです」
これ以上話を続ける必要はないと突き放す。不採用を貰っていなければ考えただろうが、採用と言う可能性が失せている時点で、もうこの人と必要以上に関わる必要はないのだから。
決して、幽霊紛いの行為を行っていたことに対しての腹いせでは無い。
「調べはついているんだけどね」
だがしかし、自分の抵抗は無意味だったようだ。
鐘刻さんは、今となっては珍しい、手帳を取り出すと、変わらず抑揚の無い声で話し出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます