第四節 前線のバンシィ

1.4.1 第一項 死を予告するもの

初稿:2018.04.21 更新:2018.05.10





 常緑樹の森のなかに、木製の柵に囲まれた傭兵団駐屯地はあった。



 腕時計を確認すると、午後四時半。時計合わせをしてあったから四時間半の移動である。


 始めは心地良かった乗馬だったが、さすがに長時間になると体力の消耗が激しい。内腿が擦れて、革パンツではなかったら悶えていたかもしれない。なにより、その内腿の筋肉が今にも攣りそうである。


 入口で警備の傭兵が立ち遮った。


「ルーセント傭兵団か」

「そうだ」


 シルがそう答えると、警備の傭兵は道を開ける。


「聞いている、付いてこい」


 既に連絡が来ているようだ。不思議に思い彼女に尋ねる。


「シル、どうして俺達が来る連絡が来ているんだ」

「伝令鷹だ。鷹を飛ばしてふみを届けているのだ」


 伝書鳩のようなものがあるようだ。ここでは鷹を使っているらしい。



 駐屯地には、大小合わせて十くらいのテントと、ログハウスのような木製の建物がある。中央には、大きめのキャンプファイヤーがあり、火の番をする傭兵が立っていた。


「二人ならここでいいだろう」


 警備の傭兵は、俺達を小さな四角いテントへ案内してくれた。三人ほどがやっと横になれる小さくて簡素な布製のテントだ。


「俺の名前はユーリだ。後で呼びに来るから、それまで休んでいてくれ。『バンシィ』の隣で悪いな」


 ……バンシィ?


 俺はシルと顔を見合わせた。

 バンシィとはたしか、『死を予告する……』なんだっけ……。ゴーストとか幽霊みたいな類のものだった気がする。どちらにせよ、あまり良い呼ばれ方では無い。


「良い馬だな。譲ってくれないか」


 フィーネを見た警備の傭兵ユーリは、彼女へ商談を持ちかける。


「ダメだ。彼女は譲らない」


 即答だ。


「そうか、残念だ。それよりあんた、純粋種のエルフだよな」

「そうだが、問題はあるか?」

「いや、驚いただけさ。ホントに珍しいからな。それじゃまた後でな」

「あぁ、数日だがよろしく頼む」


 ユーリが人懐っこい笑顔を残し立ち去ると、シルはテント前の杭にフィーネの手綱たづなを巻き付けて、優しくさすった。


「フィーネ、ありがとう」


 俺はフィーネに載せていた荷物を降ろし、テント内へ運んでいた。


「レイジ、ちょっと来てくれ。フィーネの飼葉かいばと水を調達する」

「わかった」



 向かった先は資材倉庫だった。

 入口にいる警備に声を掛け、なかへ入れてもらう。


「その木箱を運んでくれ」


 彼女が指した木の構造物は、仕切りが付いた結構大きな物だった。


「これは?」

「片方へ水を、もう片方へは飼葉を入れるんだ」


 持ち上げてみると、これは結構な重量がある。彼女は大きな飼葉かいばを背中に抱えた。

 テントへ戻ると、フィーネの傍に、その大きな木箱を設置した。彼女は飼葉かいばをバラして片方へ入れた。


「レイジ、フィーネの水も頼む」

「分かった」


 駐屯地内の簡易井戸へ向かう。街のものとは違い、簡素な囲いがあるだけである。水質に問題は無く、とても綺麗な水だ。

 俺はそこから水を汲み上げて、桶に入れフィーネの木箱へ運んだ。


 彼女は資材倉庫から持ってきたブラシで、フィーネのブラッシングを始めた。フィーネはとても気持ちよさそうにしている。愛嬌さえ感じる反応だ。


「レイジもやってみるか?」


 シルに促されブラシを受け取りブラッシングすると、フィーネは嬉しそうに俺に頬ずりしてきた。馬は少し怖かったが、フィーネはとても可愛い。


「それじゃ、私達も食事を取って休憩しよう」


 二人で再び資材倉庫へ行き、食料と毛布を四枚、それと屋外用の調理器具を取ってきた。鋼鉄製のその調理器具は、記憶のなかにある簡素なバーベキューセットとは違い、しっかりとした作りだった。ナイフ・まな板・鍋などの調理道具も調達した。


 どうやら、傭兵達はこの資材倉庫から、自由に物資を調達できるようだ。しかし食料はあまり良い物は無い。肉もパンも無いのだ。

 リンゴのような果物を三つと、長い穀物類のようなものを五個、ニンジンに似た野菜を二つ、それに調味料を三種類ほど調達する。調味料の内ひとつは、あの軽食屋で食べた紫色の煉りもの、ガッシュだった。


 彼女は、テントの外の木製のテーブルへ、調理器具を並べた。


「火種をもらってくる。レイジはこれの皮を剥いてくれ」


 彼女はキャンプファイヤーから、燃えさかる小さな木材を持って来て、調理器具のなかへ置いた。その上へ炭を置くと、間もなく引火し赤く光り出した。


 あ、点火用ならジッポライターがあったのだが……。オイルに限りがあるしまぁいいか。


 俺は彼女に頼まれた、穀物と野菜の皮むきをしていた。


 形が異なっているが剥くと判る、これは長いがジャガイモだ。たしか、芽の部分には毒があったはずだ。五個分の芋の皮をむいた後、芽の部分をえぐり取った。続けてニンジンに似た野菜の皮も向いた。


「レイジは料理ができるのか。コルスの芽を取ることをよく知っていたな」


 芋のことはコルスと言うらしい。こっちのニンジンぽいものは何というのだろうか。


「料理はできない……、と思う。だけど、手伝いはしたことがあるみたいだな」

「そうか。傭兵なら料理は必須だ。そうしたらそれを、一口の大きさに切ってくれ」


 俺は言われた通り一口サイズに切る。

 彼女は、赤く燃える炭が置いてある調理器具の上に、鉄の棒を二本通し、水を入れた鍋を置いた。


「ここではあまり良い食事は摂れない。今日はコルスとアーカイムのスープだ」


 鍋に切った野菜を全て入れて茹でた。ニンジンのようなものはアーカイムというようだ。 



 ふと隣のテントに目をやると、一人で調理をしている『バンシィ』と呼ばれた女傭兵が食事の準備をしていた。

『バンシィ』なんて呼ばれるくらいだから、恐ろしい姿をしているのかと思っていたが、とんでもない。とても可愛いらしく可憐な美少女である。


 歳はシルと同じくらいで、やや茶色係った黒髪のセミロングヘア。白のプリーツスカートに黒いロングブーツ、ボタン付のピンクのシャツ。清楚なイメージだ。


 一瞬彼女と目が合うが、すぐに目を反らされてしまった。



 茹で上がったコルスとアーカイムのスープに、シルが調味料とガッシュを加え味見をした。


「こんなものだろう。食べようか」


 彼女が皿に取り分けてくれる、が、三人分分けているのだ。何故だろうと思っていると、彼女はフィーネの所へ行き一皿置いてきた。


 隣の『バンシィ』と呼ばれた美少女の傭兵が、その様子を不思議そうに見ていた。おそらく、馬に同じ食事を与えることは珍しいのかもしれない。


 食事はとても質素なものだったが、味付けは良かった。あの不気味な紫のガッシュは、調味料として使うと、驚くほど美味しい出汁が取れるようだ。

 満腹にはならなかったので、足りない分は果物で満たすしかない。




 食事を終えると、俺達はテントで休むことにした。警備の傭兵ユーリが呼びに来ると言っていたので装備はそのままだ。リュックを枕にして毛布を敷き、もう一枚の毛布を掛布団にした。

 隣に横になった彼女は、俺のてのひらにそっと手を添える。


「レイジ、初任務だ。緊張しているか」

「大丈夫だ、シルがいるからな」


 正直、敵対する『アラジスタ軍』に人がいないか不安だったが、笑顔でそう答えると、彼女は微笑みを返してくれた。

 シルの笑顔で俺は少しだけ不安が取り除かれた気がしていた。



 間もなく警備の傭兵ユーリが来る。


「ルーセント傭兵団、集合だ。隊長のテントへ来い。資材倉庫の隣の大きなテントだ」


 そう言って出て行ったユーリは、隣の美少女の傭兵へも召集を掛けた。


「バンシィ、集合だ、さっさとしろ」


 隣から感じの悪いユーリの声が聞こえて来る。

『バンシィ』と呼ばれた美少女は、随分ひどい扱いを受けているようだ。

 俺は気分が悪くなった。

 シルもやはり怪訝けげんな顔をしていた。




 俺達は隊長のテント――資材倉庫の左側にある一番大きなテントへ行った。

 入口の警備の傭兵にシルが声を掛ける。


「ルーセント傭兵団だ」

「入れ、隊長がお待ちだ」


 警備の傭兵はテントの入口の布を上げる。

 さすがに隊長のテントは立派である。人が横になれば二十人程は寝られるであろう。

 八角形のそのテントは、雨漏りを抑えるため二重構造になっている。内部は三つに仕切られていて、左側が資料室、右側が寝室、中央が執務室兼応接になっていた。

 奥の机に、甲冑を着た男が座り事務作業をしている。そのすぐ後ろで、二十代後半くらいの、露出の高い色っぽい女傭兵が、棚から資料を出していた。


「ルーセント傭兵団です」


 シルが声を掛けると、奥に座っていた甲冑の男がこちらを見て、笑顔で立ち上がった。かなりの大男で、歳は三十五くらい、不精髭でフルプレートアーマーを着ている。


「よう。よく来たな、ルーセント傭兵団。俺がここの駐屯地の隊長、フレックだ。彼女は副官のミレシアーヌ。よろしくな」


 ミレシアーヌは笑顔で小さく手を振った。


「私は副団長のシルフィー、彼が団長のレイジです」


 シルが続けて自己紹介をする。俺も慌てて頭を下げた。


「シルフィーは純粋種のエルフか。珍しいな。まぁ俺達傭兵は種族なんて気にしない。大事なのは背中を預けられるかだけだ」

「そう言ってもらえると助かります」


 フレック隊長は微笑んで続けた。


「レイジ、シルフィー、座ってくれ」


 机の手前にある、応接セットのソファへ案内された。

 副官のミレシアーヌが、すぐにネールを人数分用意して運んでくれる。彼女は赤髪のロングヘアで、露出が高く、豊満な乳房が大きく揺れている。これは正に大人の色気だ。

 その乳房に見とれていた俺に、ミレシアーヌはウインクをした。


 見ていたのがバレたか……。

 思わず目を逸らしてしまった。まるで思春期の子どものようだ。




 フレック隊長が話しを始めた。


「お前たちは今回が初任務らしいな、できるだけ危険の少ないところを担当してもらう予定だが、どうだ、腕に自信はあるか」

「私一人で、ここの傭兵全員を相手にしても構いませんが?」


 シルは挑戦的に、フレック隊長へ返した。驚いて彼女の方を見ると、フレック隊長は愉快そうに笑い出した。


「いいなシルフィー、そういう奴は好きだ」


 フレック隊長は、直後表情を変え、続けた。


「俺たちの任務は、この駐屯地の防衛と前線の支援だ。警備、設営、運搬、管理と仕事は山積みだ。ベイリンガル戦線は主戦場では無くなったが、前線では未だに聖騎士団と死人しびとの戦闘が続いている。明日は前線の傭兵を交代させるんだが、この駐屯地の右翼の警備がいなくなる。お前たち二人には、右翼の警護に入ってもらうぞ」

「了解しました」


 俺が答えた。

 交代させるということは、支援任務の俺達にも前線へ行く命令が下る可能性があるということだろう。


「失礼します」


 あの『バンシィ』と呼ばれる美少女の傭兵が入って来た。彼女は俺を一度見たが、すぐに視線を外した。


「ようアイナ、来たか。座ってくれ」


 フレック隊長の指示で、アイナと呼ばれた美少女は俺の隣に座った。愛想は無いが、近くで見ると驚くほど美少女である。


「アイナ、明日からはルーセント傭兵団と組んで、右翼警備に入ってもらう。その……、大丈夫か?」

「分かりました。何の問題もありません」


 なんだっていいという感じの、投げやりな態度である。


「警備は朝刻から夕刻まで。二交代制だ。明日に備えゆっくり休め」

「はい。失礼します」


 隊長がそう言うと、アイナは、ミレシアーヌが運んでくれたネールに、一口も口を着けずに、さっさと戻って行ってしまった。


「はぁ……。まぁいい。レイジ、シルフィー、明日から頼むぞ」


 溜息を漏らす隊長に一礼し、俺とシルもテントを出た。




 先にテントを出たアイナが見える。


「よぅバンシィ元気か、初任務で、いきなりお前と組まされるルーセント傭兵団は、可哀そうだなぁ」


 他の傭兵に、そう言って揶揄からかわれている。彼女は無視してテントへ戻って行った。




 俺は最初に迎えてくれた、警備の傭兵ユーリのテントへ向かった。

 バンシィと呼ばれる、アイナのことが気になったからである。シルも後ろから付いて来た。


「訊きたいことがあるのだが」


 声を掛けると、ユーリは憐れんだ顔で俺を見た。


「アイナだっけ、彼女に何かあるのか」

「あのな……、バンシィのいた傭兵団は、この間壊滅したんだよ。彼女だけ残してな。俺達傭兵は、仲間の命を何が何でも守る。それが俺達傭兵の繋がりだ。一人だけ生き残ったような奴は信用できねぇだろ。それによぅ、その傭兵団の資産はみんなバンシィのものになったんだぜ」


 アイナは仲間を見捨てたか、それとも謀ったか、どちらかだと思われ、傭兵達からの信頼を失ったようだ。

 それを聞いたシルが、少し声を荒げて言った。


「彼女が仲間を見捨てたとは限らないではないか」


 その勢いにユーリは少し驚いていたが続けた。


「そ、そうだがよ、俺達傭兵は自分達で身を守るしかねぇ。だからげんは担ぐもんだ。不吉なものは排除したいんだよ。だからアイナとは誰も組みたがらねぇ。任務は聖騎士団の支援だって言ってもよ、傭兵なんてものは、ただの使い捨てできる駒でしかねぇんだよ。国はカネで傭兵の命を買って、聖騎士団の被害を抑えてんだよ。だからこそ、傭兵は横のつながりを大切にして、お互いがお互いを守る。その信用関係があるから、仲間として認められる」


 ユーリの言うことは理解はできる。だが、勝手な想像だけで確証も無いことに捕らわれて、まるで学生のイジメのようじゃないか。

 死地からやっとのことで生き延びた、アイナへの仕打ちとしてはあまりにも酷く感じた。


「くだらぬ」


 シルはそう吐き捨て、テントへ戻って行ってしまった。


「分かった、ありがとうユーリ。だけど俺は、自分の目で彼女を見てみるよ」

「おう、右翼警備なら大したことは無いと思うが、気をつけてな。初任務で死ぬんじゃねぇぞ」


 ユーリも決して悪い奴では無い。それが傭兵なのだろう。




 シルを追いかけてテントへ戻ると、彼女はフィーネと話しをしていた。

 俺はシッポライターでテントのランタンに火を灯し、彼女に伝える。


「アイナの所へ行ってみる」

「……あまり余計なことに関わらないほうがいい」


 彼女は止めたが、明日から仕事で組むのだ。パートナーシップという言葉をシルが知っているか判らないが、少しでも意思疎通を図っておいたほうが良い。

 俺は苦笑いを返し、アイナの元へ向かった。



 アイナは、俺が近づくことに気が付いたが、知らん顔で装備の点検をしている。シルは心配そうに後ろで見ていた。


「やぁ、アイナ、明日からよろしく頼む」


 声を掛けるが反応は無い、彼女は黙って装備の点検を続けている。


 ……うぅん、困った。


 俺はもう一度、めげずに声を掛ける。


「俺は初任務なんだ、色々と教えてもらえると助かる」


 彼女はようやく口を開くと、ぼそっと答えた。


「私に関わらないほうがいい。あなたも死ぬことになる」


 そう言う彼女は、とても寂しそうな表情だ。

 一瞬言葉を失うが、気を取り直してもう一度話しかけてみる。


「俺の名前はレ……」

「あなたの名前に興味は無い! もう一度言う、私には関わるな!」


 彼女に大声で言葉を被せられ、遮られてしまい、それ以上続けることができなかった。

 仕方が無く後ろで見ていたシルと合流しテントへ戻る。



 少し切なそうな表情のシル。


「彼女の心は凍り付いてしまっている」

「そうだな……」


 今はどうにもならないだろう。

 だが大丈夫だ。必ずコミュニケーション取れるようになってみせる。

 営業マンだったときの染みついた意識だろうか。なんの根拠も無いがそうできる自信だけはあった。

 その自信は次の日、見事に砕け散ることになるが……。



 テントに入り装備を外した。彼女はいつもの白い下布だ。

 俺とシルは簡易井戸へ行き、今日買った木の枝の歯ブラシで歯を磨いた。ブラシの付いたものとは勝手が違う。時間がかかるし、これは慣れるまで大変そうである。



 歯磨きが終わると、テントへ戻る。

 ランタンの灯りを消し、二人で横になって毛布を掛けた。狭いテントのなかで密着する形となる。荷物があるため、宿屋のダブルベッドの方が広いくらいだ。


「レイジ、明日から初任務となるが、絶対に無茶はしないでくれ」

「あぁ、分かった。ありがとう」

「明日は早い、もう寝よう」

「うん。おやすみシル」

「おやすみレイジ」


 彼女はすぐに寝てしまった。すぐに青い煌めきのマナフェアリーが現れる。

 本当に綺麗だ……。

 マナフェアリーはもちろんだが、彼女も、である。



 腕時計を見ると、ルミブライトの針は九時四十五分。

 明日は初任務だ。朝刻、午前六時に警備の交代に行かなければならない。俺は腕時計のアラームを午前五時半にセットした。

 アイナの様子に多少不安はあるが、敢えて俺を遠ざける言い方をしていた。関わるなと言った理由が、俺が死ぬからだと言ったからだ。絶対に悪い子では無い。

 俺はシルに再び目をやり、美しいマナフェアリーと彼女に見とれながら、眠りについた。






 任務初日の朝。



「レイジ、そろそろ起きろ。時間だぞ」


 シルの声で目が覚めた。腕時計を見ると五時二十分だった。


「……おはようシル」

「おはようレイジ。あまり時間が無い、急いでくれ」


 まだ準備する時間はあると思うのだが、彼女に急かされ、大急ぎで着馴れないレザーアーマーを装備し準備を整えた。




 今日から駐屯地右翼警備だ。いよいよ初任務である。


 隊長の説明によると、警備は二交代制で『朝刻』――午前六時から『夕刻』――午後六時までだ。この世界には正確な時間の概念が無いので勝手にそう判断している。

 労働時間としては結構なものなのだが、この駐屯地は前線が崩されない限り、比較的安全で危険が少ない。警備と言っても敵の襲撃はほとんど無く暇なのだそうだ。

 テントから出ると、ちょうどアイナもテントから出てきたところだ。


「おはようアイナ」


 俺は笑顔で声を掛けるが、やはり返事は無い。


「レイジ行こう」


 アイナが気になったが、シルに促され出かけることにした。


 途中簡易井戸に立ち寄り顔を洗い、資材倉庫で果物を二つ調達した。シルはなぜか急いでいる。朝刻の六時に間に合えばいいと思うのだが。それとも、腕時計がまたおかしいのか。




 担当になった右翼警備の現場へ向かい、夜間警備の傭兵と交代をした。


「初任務がんばれよ、まぁここなら危険は無いと思うがな」


 手を振り傭兵は戻って行った。

 アイナも到着し交代したようである。俺達を確認するとこちらへ歩いてきた。


「そちらは、ここから半分の警備をしてください。私はこちら半分を受け持ちます」


 話しかけられて正直驚いた。任務に必要な最低限のことは話すようだ。


「こちらは二人だが、半分でいいのか?」

「構いません。そちらは初任務なのですから」


 こちらの状況を考え、気遣いをしてくれている。この子は悪い子じゃない。本当は優しくていい子だと思う。俺はそう確信していた。




 警備は実に暇だ。

 一日中ずっと立っているだけである。俺は暇すぎてシルに声を掛ける。


「暇だな」

「そうだな。だが警備は暇な方がいいのだぞ」


 彼女は笑ってそう答えた。それはそうだと納得し、警備に集中することにする。



 昼前、傭兵がやって来て果物を投げて寄こした。


「おつかれ、差し入れのグーフィーだ」


 昨晩と今朝も食べたこのリンゴのような果物は、グーフィーと言うらしい。


 アイナに差し入れは無かった。

 俺は凄く嫌な気分になった。シルにナイフを借りて、グーフィーを半分に切りアイナへ渡しに行った。


「必要無い」


 彼女に拒否されてしまった。俺は大人しく警備に戻る。

 腕時計の調子が変だったのでシルに伝えておいた。


「シル、昼刻を教えてくれ」

「ちょうど今だが、どうした」


 腕時計を見ると午前十一時ちょうどである。


「もうちょいじゃないか」

「いや今だぞ、私の刻は正確だ」


 やはりおかしい。腕時計の調子が悪いのか、彼女の体内時計が間違っているのか。どちらか分からなかったが、ひとまず腕時計を午後十二時ぴったりに合わせた。




 昼刻過ぎに、駐屯地内がやや騒がしくなっていた。

 ここからは確認できないが、前線の交代を終えた傭兵が戻ったようだ。




 やがて夕刻になり、警備の交代の、夜警の傭兵がやって来た。


「お疲れさん、交代だ」


 腕時計を確認したが、少し早い気がする。まぁ早い分にはいいか。

 初日は何事も無く終わった。アイナも交代を済ませると、さっさと帰って行った。




 帰り掛け資材倉庫へ寄って、俺達とフィーネの食糧を調達する。


「今日はブラドールとアーカイムとコルスの煮物を作ろう」


 テントへ戻ると鎧を外し、シルの指示で食材を切る。

 ブラドールというのは、どうやら蓮根のようだ。

 彼女は鍋を火にかけ、ガッシュと調味料で煮汁を作り、俺が切った食材を煮詰める。


「シルは良い奥さんになるな」


 手際の良さに思わずつぶやいた。


「そ、そうか」


 彼女は恥ずかしそうに、少し顔を赤らめた。




 アイナは相変わらず一人寂しく食事をしている。一人だからなのか、グーフィーそのままと、コルスの簡単な芋料理しか食べていない。


「レイジ、アイナが気になるのか?」

「なんか、ね。ようやく生き延びたのに、これじゃ可哀そうだ」

「そうだな、レイジは優しいな。だが本当のことが判らないのも事実だ」


 それはそうだが、俺にはアイナが謀ったりするような人間には見えない。しかし、本人が心を閉ざしてしまっている以上、気にはなるがどうにもならない。



 シルの作った煮物は、想像以上に美味しかった。ガッシュの味にも大分慣れたようだ。

 食事を終えると、俺は彼女に剣術を習った。習ったと言っても基礎の基礎、構え方と二種類の振り方だけである。構えてから、縦と横、構えてから、縦と横、ひとまずそれだけを繰り返した。

 一時間ほど訓練をしてからテントへ戻り、ジッポライターでランタンに明りを灯した。


「その魔道具は便利だな」

「そ、そうだな。簡単な点火ならこれで済むよ。それより風呂に入りたいなぁ」


 俺がつぶやくとシルが説明してくれた。


「浴室は前線から戻った傭兵専用だ。普段は使えない。今日の交代のときは、浴室が使われていたようだ。私も入りたいが仕方ないだろう」


 前線で命を懸けて戦った者へ、褒賞というところか。


「レイジ。アイナが気になるなら、見ていてやることだ」

「うん、そうだな」

「だが、私はあまり面白くは無いぞ」


 そう言って向こうを向いてしまった。


 あ……、もしかしたら、やきもち……、かな。


「そういうのでは無いから……。ただ、俺だったら耐えられないなって」


 正直に答えると、彼女はこちらを向き微笑んだ。



 俺は立ち上がりテントから出て、簡易井戸から桶に水を入れて持って来た。


「シル、身体を拭こう。俺は外にいるから」


 どうしても汚れた身体が気持ち悪かったのだ。

 陽気がちょうど良いとはいえ、やはり汗をかくし、自分の臭いが気になってしまう。それに、彼女は臭くはならないが、女性なのだから綺麗にしていたいだろう。


「レイジ、ありがとう」


 俺は桶をテントに入れ外に出た。


 ランタンの灯りで、彼女の影がテントに映し出されていた。影絵となった彼女の、身体を拭くしぐさが艶っぽい。

 彼女が拭き終わると、交代でテントに入り身体を拭いた。そのあと二人で簡易井戸へ行き歯みがきをしてからテントに戻った。




 ランタンの灯りを消して横になる。


「今日は何事も無く終わってよかった」

「そうだな。俺は暇でどうしようもなかったよ」


 俺の言葉に彼女は笑っていた。


「このまま何事も無く終わるといいのだがな……」


 彼女はそう呟いた後、少し間をおいてから寂しそうに言った。


「レイジ、カネが貯まったらザルツへ行くのか」

「そうだな……」

「私を置いて去るのだな……」


 彼女は背を向けてしまった。


 俺は正直、彼女に心惹かれている。それは自覚しているのだ。出逢ってまだ数日だと言うのに……。

 だが、俺の居場所はここでは無い。ザルツへ行って、帰る手がかりを探さなければならない。このままだときっと別れが辛くなる。そのときまで、このまま距離を取っていた方が良いのだ。


 無言の俺に、向こうを向いたまま彼女は言った。


「明日も早い。もう眠ろう、おやすみ、レイジ」

「うん……、おやすみ、シル」



 青く煌めくマナフェアリーと、彼女の背中を眺めながら眠りについた。

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