1.1.3 第三項 純白の獣

初稿:2018.04.21 更新:2018.05.06





 優しい微笑みを俺に向けてから、シルは立ち上がる。



「そろそろレイジのマナは大丈夫だろう。日常生活に影響は無いはずだ。近くに友を待たせている。彼女を迎えに行って、それからベイリンガルの街へ入ろう。その剣は……、しばらくレイジに預ける」


 彼女の柔らかい膝枕と、お別れすることになった。


 俺のなかにひとつの疑問が湧いてくる。

 言葉だ。

 ここはおそらく、俺の記憶に無い異国の地だ。聞きなれない固有名詞が次々に出て来るからである。仕事の内容すら思い出せないが、海外出張中に森に迷い込んだのかもしれない。

 しかし、だとすれば、なぜ彼女と会話することができるのか。『エルフ』という特殊性のせいなのか。


 彼女は既に歩き出していた。俺は、ずっしりと重い『聖剣ガルディア』と呼ばれる剣と、革のビジネスバッグを抱え追いかける。


「なぁシル、どうして言葉が通じるんだ」

「私はアルデアンの言葉も習得済みだ。だから心配はいらない」


 また『アルデアン』か。良く判らないが、彼女は俺の国の言葉を勉強したということだろう。俺に逢えることを長年待っていたくらいだ。

 だが、黒騎士も同じ言葉を話していた。


「あの黒騎士も同じ言葉を話したんだが……」


 不思議そうな目で俺を見る彼女。


「黒騎士? あの黒ローブの刺客のことか……。アルデアンの民なのだから、あたりまえであろう」


 きっぱりと言われてしまった。

 この地域の共通言語は、俺の国と同じ言葉のようだ。どういうことなのか判らなかったが、それ以上訊きづらくなってしまった。


 彼女は黒騎士を刺客と言った。


 なぜ俺は、あんな手練れの刺客に命を狙われたのだろう。薄汚い服の男だけならば、物取りの盗賊だったのかもしれないが、黒騎士は明らかに充分な訓練を積んだ武人だった。


「シル、どうして俺は命を狙われたんだ」

「彼らは『ガルディアの騎士』を、『覚醒』前に亡き者にするために放たれた。ここ数日の間に、『分かつ森』に『現界』することは判っていたからな。私も奴らも、通常ではあり得ない膨大なマナの量を感知し、現場に向かったのだ。この森は広くてな。先に見つけてやれず、すまなかった」


 彼女も黒騎士も、『聖剣ガルディア』の適合者を探していた。

 俺は剣の力を既に使ってしまったのだから、今後もずっと命を狙われることになるのかもしれない。

 ひょっとしたら俺は、何かとんでもないことに巻き込まれてしまったのではないだろうか。



 辺りはすっかり明るくなり、空は高く青かった。



 しばらく森を歩いていると、水が砕け、弾け飛ぶ音が遠くから聞こえて来る。


 シルは、水音がする方向へ歩いているようだ。だんだんとその音は近くなっていき、やがて開けた場所に出た。


 水音の正体は、大きな滝だった。


 虹を作りながら流れ落ちた多量の水が、目の前に大きな滝壺に吸い込まれていく。遥か上にある滝の落ち口は、覆い茂った樹木きぎに囲まれていて確認することはできない。

 森の樹木と滝のしずくが舞い、とても心地よい場所である。


 近くには焚き木の跡がある。彼女はここで野宿――野営をしていたようだ。


 滝壺のほとりには、水を飲む一頭の白馬がいた。

 その白馬には、豪華な銀色の装飾を施されたくらが装備されている。


「レスフィー。待たせたな」


 彼女が声を掛けると、白馬はこちらへ歩いて来る。


 俺はその姿に驚いた。

 レスフィーと呼ばれたその白馬は、ただの馬では無い。額に大きなつのが付いていて、まさしく神話や童話の一角獣そのものである。

 彼女は目の前まで来た一角獣、レスフィーの身体を撫でる。


「ユニコーンのレスフィーだ。よろしくな、レイジ」


 レスフィーは俺の前へ来ると、小さくいななきき角の付いた頭を下げた。挨拶をしているようだ。


『エルフ』の次は『ユニコーン』か……。ファンタジーだな。

 エルフのシルを見た後だからか、驚きはそれほどでは無かった。


「レスフィー。すまないがベイリンガル近くまで、二人乗せてもらえないか」


 レスフィーは彼女へ頬ずりをする。その様子はまるで会話が成り立っているように見える。

 彼女はレスフィーに、笑顔で礼を言い俺に続けた。


「レイジ、乗ってくれ」


 言われるまま俺は、レスフィーのあぶみに足を掛ける。

 体重の掛け方が不味かったのか、レスフィーは少しよろけた。俺は彼女が介助してくれて、なんとか乗馬する。

 どうやら俺は、馬に乗ったことが無いようだ。


 後ろに彼女が乗り手綱たづなを握る。


「レスフィー、頼む」


 彼女がぱちんと手綱たづなを鳴らすと、レスフィーはゆっくり走り出した。森のなかに再び入ると、「加速する」と言ってもう一度手綱たづなを鳴らした。

 レスフィーはそれを合図に一気に加速する。

 足場の悪い森のなかを、凄まじいスピードで駆けていく。

 俺は、恐らく初めてであろう、乗馬の爽快感を楽しんでいた。馬、では無く『ユニコーン』であるが。




 やがて深い森を抜け街道へ出た。

 街道は十メートルほどの幅があるが、舗装はされていない。


「レスフィー、ここでいい」


 彼女は手綱たづなを引き、レスフィーを止め、街道の脇で下馬する。

 俺はというと、あぶみに上手く足が掛からず、滑り落ちてしまった。その様子を見て彼女は笑っていた。レスフィーも、心なしか笑っているように見える。


 ……こんな美少女の前なのに、なんて恰好悪い。


 彼女はレスフィーから馬具を全て外す。


「ありがとう。気を付けて帰ってくれ」


 彼女はレスフィーを優しく撫でると、レスフィーは頬ずりを返し、森のなかへ消えていく。


「この先は人の世界だから、レスフィーは目立ちすぎる。ベイリンガルまではもうすぐだ、後は徒歩で行こう」


 それから『ベイリンガルの街』まで、徒歩での移動となった。



 大きいくらは俺が変わりに持っている。重たそうだと思って申し出たのだが、見た目よりずっと軽いものだった。

 不思議に思ってくらを眺めていた俺に、彼女が説明をする。


「レイジはミスリルを見るのも初めてか? それはミスリル銀。軽くてしなやかで非常に丈夫なものだ。ちなみに、このハーフプレートアーマーもレイピアも、同じ素材でできている」


 ミスリルという言葉は記憶に無い。特殊な銀というところか。細身の剣の名前はレイピアか。聴いたことがあるな……。


「私のミスリル鎧をこうも簡単に切り裂いた、あの黒ローブの男は只者ではない。だが、レイジはあの黒ローブの男を撃退したのだ」


 俺は戦い方なんて知らない、この剣のおかげだっただけだ。


「レイジがどうやって黒ローブを倒したのか、残念ながら見ることができなかった。だが、覚醒したレイジの能力はおそらく本物だろうな」

「倒したんじゃなくて、その……、相打ち、かな。この剣で突いたら、うーんと、景色が歪んで……、黒騎士の腹に刺さってくれたんだ。それで奴は退却した」


 あのときの不思議な現象を、どう説明したらいいのか分からなかった。


「黒騎士か。死体が無かったのだからそうなのだろうな。だが、あの手練れの黒騎士と互角に戦ったのだ。さすが『聖剣ガルディア』の適合者だ」


 彼女は黒いローブの下の、漆黒の甲冑を見ていない。


「私は『ガルディアの騎士』と出逢えたら、アリアフィール帝国で傭兵団を設立するつもりだったのだ。『ガルディアの騎士』は『赤子のように舞い降りる』そうだからな。レイジは『ガルディアの騎士』だ、それは間違いないだろう。それなのに本当に去ってしまうのか?」


 切ない表情で俺を見る。


 赤子のように……、戦闘能力皆無と言う意味だと脳内補完しておいた。


 記憶が無いのだから、故郷を懐かしむという感覚は無い。だが、俺にも俺の生活があったはずだ。仕事だけでは無い、家族とか友人とか人との繋がりもあるだろう。

 それに、傭兵ということは、戦闘に参加するということだ。恐ろしいのは正直ごめんだし、人殺しだってしたくはない。


「すまない。できるだけ早く帰りたい」

「そうか……。『ガルディアの騎士』は、そうだと解って『現界』するのでは無いのだな。私はどうしたらいいのだ……」


 彼女はそのまま考え込んでしまった。俺には掛ける言葉が見つからない。




 街道紀行になってから、もうかなりの距離を歩いている。腕時計の針は午後一時半。


『分かつ森』で気が付いてから、何も食べていない。

 腹の虫が鳴っていた俺に気付いて、彼女はザックからパンを一切れ出して、革製の水袋と一緒に俺に渡した。


「朝食を摂っていなかったな。気が付かず、すまなかった」

「ありがとう」


 礼を言うと、彼女は可愛い笑顔をくれた。


 彼女がくれた、木の実が捏ねられてあるパンは、シンプルだが空腹だったこともありとても美味しいものだった。

 水袋の水がひんやりと疲れた身体に染み渡ってゆく。

 彼女と二人で並び歩きながらの食事は、少しだけ幸せな気分にさせてくれた。



 街道は遥か彼方まで続いている。

 街道沿いの黄色く染まった落葉樹が、この国にも四季があることを教えてくれた。

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