1.1.2 第二項 優しい微笑

初稿:2018.04.21 更新:2018.05.13





 気が付くと、美しい少女の顔が目の前にあった。



 透明度の高い澄んだ翠玉色エメラルドグリーンの瞳が、俺を覗き込んでいる。頭の下にはとても柔らかく心地よい感触。


「戻ってきたか。本当に良かった……」

「わっ」

 

 驚いて起き上がった瞬間、くらっと眩暈めまいに襲われた。握られていた左手で、身体ごと引っ張られ、元の場所に戻される。

 どうやら俺は、少女にてのひらを握られ、膝枕で寝ていたようだ。


 空は白み、辺りは大分明るくなっていた。


 優しく微笑む少女は、気品がありとても美しい。


「まだ寝ていて良い。あなたはかなり失血していたし、相当無茶をしたようだ。黒いローブの男がいないということは、聖剣が応え、撃退したのだろうな」


 彼女は、引き裂かれた白銀鎧はそのままだが、腕の傷はすっかり癒えていた。

 少し考え込んでいた彼女だったが、再び俺を覗き込んだ。


「しかし、マナを空にして『精神沈潜マインドダウン』とは……。意識が戻って来られなくなったらどうするのだ」


 ……マナ。あの不思議な力のことだろうか。


 意識が無くなったのは失血のせいだと思っていたが、察するに、治癒の力でマナを使い切り、意識を失ったようだ。


「だが、助かった。だからまぁ、その……、ありがとう」


 彼女は顔を赤らめて目をそらした。

 俺は少女のとても可愛らしい仕草に、すっかり見とれてしまった。


「い、いや、助けてもらったのは俺の方だ。こちらこそありがとう」


 慌てて俺も返礼する。

 彼女は瞳を俺に戻し、微笑みをくれた。


 この少女が現れなかったら、俺はあのまま殺されていた。彼女が持って来た、この剣の不思議な力があったから、俺も彼女も助かったのだ。


「今、私のマナを流している。も、もうしばらく、こ、このままでいてくれ」


 彼女は恥ずかしそうに横を向いた。


「う、うん」


 俺もなんだか気恥ずかしくなったが、その言葉に甘え、もうしばらくこの美しい少女のてのひらの感触と、柔らかい膝枕のお世話になることにした。


「俺の傷はキミが?」

「あぁ、エルフだからな」


 ……エルフ。

 

 黒騎士も彼女をエルフだと言っていた。しかし、エルフが実在するわけが無い。俺は揶揄からかわれているのだろうか。

 だが、目の前の美しい少女は、事実人より耳が長い。この美貌と気品、そして特徴的な長い耳は、俺のなかにある『エルフ』という知識に合致する。


「自己紹介がまだだったな。私の名はシルフィー。『シル』と呼んでくれ。見た通りのエルフの武人だ」


 彼女のその表情は、決して俺を揶揄からかっているものでは無いと判る。だとすれば、俺が知らなかっただけで、エルフは実在していたのだろうか。


「えぇと、シ、シル。キミはその……、本当に……エルフなのか」

「そうだ、エルフを見るのは初めてか。どうだ、美しいだろう」


 シルと名乗った美しい少女は、再び優しく微笑んだ。

 確かにこの端整な顔立ちは、本当に気高く美しい。


「そうか……。そうだな、シル、キミはとても美しいよ」


 俺の言葉に赤らめるシル。


「そ、そうだろう」


 シルは紅潮した顔を背けてしまった。照れる仕草も美しくとても可愛らしい。


「あ、あなたの名は、何と言うのだ」


 少し困ってしまった。答える名前が浮かばない。

 仕方無く正直に答える。


「記憶を失くしたみたいで解らないんだ。……あ、そうだ」


 上着の内ポケットを漁ってみる。ビジネススーツを着ているのだから、名刺を持っているかもしれないと思ったからだ。

 予想通り内ポケットには革製の名刺入れが入っていた。なかから一枚取り出して見てみると、覚えのない社名の下に、『営業部 岡田零慈おかだれいじ』と書かれていた。

 オカダとレイジのどちらを名乗ろうか一瞬考えたが、『シルフィー』はファーストネームだと思い、俺も同じく返した。


「俺の名前は……、レイジと言うらしい」


 名前が分かり少しだけほっとした。記憶が無いということはとても怖いのだ。


「そうか、名が解ってよかったな」


 彼女は再び、優しく微笑んでくれた。


「しかし、レイジは変わった服を着ているのだな」


 エルフは、ビジネススーツを見たことが無いのだろうか。俺から見れば、鎧などを着ている彼女の方が異質である。


「これは俺の仕事着だよ。シルはどうして鎧なんか着ているんだ」

「仕事着か、私も同じく仕事着だな。いくさが仕事の武人なのだからな」


 彼女が持つ気品は、武人というよりも、どこかのお嬢様と言う雰囲気である。

 だが、いくさとはどういう意味だろうか。今時、こんな甲冑鎧を着て戦争をする国などどこにも無い。


「レイジ、……私は、二週間前、国を出立しゅったつし、旅に出たのだ。とても長い旅にな……。その旅には、『ガルディアの騎士』がどうしても必要なのだ」


 彼女は思い詰めた顔で俯いた。そう言えば、あの黒騎士も『ガルディア』という言葉を口にしていた。


「『ガルディアの騎士』って?」

「その聖剣の適合者だ。だがそれは……、今日ようやく見つかったのかもしれない」


 彼女は俺を振り向き、真剣な眼差しで見つめた。


「俺……のことなのか」

「恐らくそうだ」


 彼女は微笑んだ。恐らくと言ったのは、彼女は気を失い、黒騎士との戦いを見ていなかったからだろう。


 俺はただのサラリーマンだ。剣術なんて知らないし、役に立てると思えない。

 名刺には会社名が書いてあったのだから仕事だってあるだろう。家族もいるかもしれない。だから彼女の旅に付き合うことはできない。一刻も早く記憶を戻して、家に帰らなければならない。


「ちょ、ちょっと待ってくれ、なぜ俺なんだ。えぇと……、俺は帰らないと、それにシルの旅の目的も分からない」

「『ガルディアの騎士』は、その剣『聖剣ガルディア』が選ぶのだ。目的は……、すまぬ、まだ明かせない」

「ごめん。俺は帰らないと。記憶は無いけど、仕事があるだろうし、待っている人がいるかもしれない。……そうだ、シル、ここはどこだ」


 シルは寂しそうな顔をしていたが、すぐに答える。


「ベイリンガル地方の『分かつ森』だ」


 東欧州だろうか。地方名を聞いてもピンと来ない。


「えぇと、国の名前は?」

「記憶が無いのであったな。ここは『神聖アリアフィール帝国』領内、西部地区ベイリンガル地方のもっと西の森だ」


 アリアフィールなんて国名は聞いたことが無い。しかも帝国とは……。

 無論全ての国名を覚えているわけでは無い。もしかしたら知らない国なのか、それとも、記憶が欠けていて判らないのか。

 現在地が判らないのであれば、帰る手段を考えることはできない。

 エルフに俺の国の文字が読めるか判らなかったが、名刺の住所を見てもらい、帰る方法を教えてもらうしかないだろう。


「シル、すまない。この住所分かるか? っていうか読めるか?」


 持っていた名刺を一枚渡した。彼女は驚いた表情でそれを見ている。


「これは何だ。印を押した紙のようだが……、とても正確だ。それにこの紙……、素晴らしい製紙技術だ。レイジの国は、とても高度な技術を持っているようだな。一体あなたはどこから来たのだ」

「そこに、俺の仕事場の住所が書かれているんだ。下の方なんだが、その住所分かるか?」

「……すまぬ、私の知識に無い文字だ。『アルデアン』の文字では無い」


 やはりエルフには読めないのだろう。人に会えば読める人が見つかるかもしれない。他の誰かに遭うまでお預けだ。

 しかし、『アルデアン』というのは何だろう。


「アルデアンとは?」


 彼女は驚いた表情をしていたが、すぐに答えてくれた。


「そうだな、レイジは記憶が無いのだ、仕方が無い。『アルデアン』とはこの大陸の名前だ。この国『神聖アリアフィール帝国』は、この大陸の中央にある国だ」


 記憶違いで無ければ、世界の大陸は全部で六つだ。『アルデアン』という大陸に聞き覚えは無いが、記憶があやふやなため指を折りながら確認してみる。


 ユーラシア大陸、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、アフリカ大陸、オーストラリア大陸、南極大陸……。


 やはり、『アルデアン』という大陸は存在しないが、記憶に係わることだけに確信が持てない。エルフだから大陸の呼び方が違っているのか。

 考え込む俺に彼女は続けた。


「レイジ、私は幼いころから、ずっとあなたに逢いたかったのだ。私の全てを『ガルディアの騎士』に捧げる、それが私の運命であり願いだ。ようやく出逢えた私の騎士……。だが……、帰りたいのならば、無理強いはできぬだろう……」


 彼女は俯き、悲しそうな表情を浮かべた。

 彼女の気持ちには応えてあげたいが、長い旅だと言っていた。俺には家族が待っているかもしれない。自分の歳さえも判らないが、ひょっとしたら、妻も子供もいるかもしれないのだ。


「近くに街がある。ひとまずそこに落ち着いて、レイジの帰還方法を考えよう」


 彼女は顔を上げ俺を見つめた。


「シル、ありがとう。ごめんな……」


 謝ることしか出来ない俺に、彼女は力無く微笑んだ。

 



 辺りの暗闇は薄れ、空は青みがかかってる。



 嵌めていた腕時計を見ると、高輝度蓄光塗料、ルミブライトの針は、ちょうど午前五時を指していた。

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