第一章 白銀の巫女と双剣の騎士

第一節 一角獣と乙女

1.1.1 第一項 白の乙女と黒の騎士

初稿:2018.04.21 更新:2018.05.09





 森はかなり大きい。どこまで走っても暗闇の森である。


 長時間走るのは、あまり得意では無いようだ。すぐに息が切れ、身体中に疲労が溜まる。俺はほとんど運動をしていなかったのだろう。

 しばらく全速力で駆けた後、脹脛ふくらはぎに激痛が走り、俺は再び転倒した。肉離れを起こしたのだ。

 痙攣する脹脛ふくらはぎを抑えながら、頭に来て男へ叫んだ。


「なんなんだよあんたは。俺があんたに何かしたのか」


 追いついてきた薄汚れた男は、俺と同様に肩で息をしているが、背後に立つ黒いローブの男は息一つ乱れた様子が無い。

 薄汚れた男は下品な笑みを浮かべ、転倒した俺に向かって再び斬りかかる。慌ててバッグで防御態勢を取った。



 次の瞬間……。



 白いローブを着た何者かが、俺の目の前に立ち塞がり男の剣を弾いた。

 甲高い金属音が、暗闇の森のなかに消えていく。


 ふわりと白いローブのフードがめくれる。


 金髪ショートボブの美しい少女。

 端整な顔立ち、透き通るような白い肌。額には、銀製の豪華な装飾が施された額金。白いローブの隙間から見える白銀の美しい甲冑は、月明りに照らされ薄っすらと光っている。その甲冑姿が、彼女に凛とした印象を与えた。


「間に合ってよかった」


 そう言って彼女は振り返る。

 暗くてよく見えないが、まだ幼さの残る異国の少女だ。歳は十七くらいだろうか。彼女の香りに、刹那、意識を奪われた。


 薄汚れた男は、突然現れた白いローブの少女に驚き怯んでいた。

 後ろで見ていた黒いローブの男が腰の剣を抜く。


「もうよい、後は私がやる」


 そう命令されると、薄汚れた男は愛想笑いを浮かべ黒いローブの後ろへ下がった。相変わらず下品な顔で笑いこちらを見ている。

 彼女は左手に持っていた剣を、鞘ごと俺の前へ放り投げた。


「剣を取れ。来るぞ」


 俺は白いローブの少女の顔を見上げて驚いた。彼女の耳が、人のものより明らかに長かったからだ。


「急げ。私だけでは止められ無いかもしれぬ」


 彼女の言葉で我に返り、目の前に投げられた剣に視線を送る。


 ……剣なんて、俺に使えるのだろうか。


 戸惑っていると、彼女は聞いたことの無い言葉を呟き始め、直後、彼女の持つ細身の剣が青く輝いた。

 黒いローブの男は、ゆらりと僅かに身体を沈ませ、凄まじい速度で踏み込む。彼女は細身の剣を斜めに構え、男の斬撃を受け止めた。


 高い金属音が、再び暗闇の森に消えてゆく。


 彼女と黒いローブの男は、剣を重ねたままつば迫り合いとなった。彼女は両脚で大地を掴みこらえているが、今にもねじ伏せられそうである。

 剣術のことは判らないが、黒いローブの男の方が手練れであることは明白だ。

 黒いローブの男は少女を見て僅かに笑う。


「よくぞ我が斬撃を止めた、エルフの女」


 ……エルフ? この白いローブの少女は、エルフなのか。


 驚く俺に、彼女は、黒いローブの男の力にこらえながら、剣を拾えずにいる俺を振り返る。

 我ながら情けない。恐怖にすくんでしまっているようだ。


「大丈夫。あなたならできる。勇気を……、持て……」


 黒いローブの男は、身体をくるりとひるがえし彼女の剣を下へ弾く。続けざま、がら空きになった身体へ横一閃。

 彼女は高く飛び上がり、それを見事にかわす。対して黒いローブの男は、再び鋭く踏み込み彼女へ襲い掛かった。

 着地を狙われた彼女は、黒いローブの男の斬撃を、まともに食らってしまった。


 短い悲鳴と共に血しぶきが舞い、俺の顔にまだ生暖かいソレがかかった。


 目の前で崩れ落ちる白いローブの少女。


「け、剣を……」


 彼女はそう言って動かなくなった。


 黒いローブの男は、彼女が動かなくなるのを確認すると俺を睨んだ。獲物を狙う狩人のような鋭い眼だ。

 背筋がぞっとし、彼女が残した目の前の剣を慌てて拾う。

 剣術なんて知らない俺は、この剣を取ったからといって、どうすることもできないだろう。まして、この黒いローブの男は相当な手練れだ。


「次は貴様の番だ」


 黒いローブの男の低い声。


 やるしかない。どうせこのまま殺されるのだ。


 背中を伝う汗。


 覚悟を決め、剣を鞘から抜き両手で握りしめる。初めて握ったであろう剣は、ずっしりと重かった。

 彼女に視線を送るとまだ息があることが判る。助けてやりたいが、俺はこのまま殺される。だから彼女は助けてやれないだろう。


 悔しい。このまま訳も分からず死ぬことが本当に悔しい。


 死ぬ覚悟を決めた俺のなかには、理不尽な暴力に対する怒りの感情が溢れていた。その怒りは大きくなり、やがて恐怖の感情に勝つ。

 黒いローブの男を睨みつける。


 すると……。


 怒りの感情に応えるように、強く握りしめた剣の刀身が白く輝き、その輝きは次第に大きくなり、暗かった辺りを照らした。

 耳鳴りと頭痛。

 そして全身の神経網と、握りしめた剣が繋がった感覚と共に、膨大な数の見たことも無い魔法陣が、瞬時に脳内を駆け巡っていった。

 目の前が真っ白になるほどまばゆく輝いた直後、刀身の光は一瞬で消えて無くなる。


 辺りは再び、暗闇の森に戻った。


 黒いローブの男は、一旦構えを解く。


「ほう。『聖剣ガルディア』が応えたか。やはり貴様が適合者か」


 俺のなかには、感じたことの無い不思議な力と勇気が溢れていた。


 ……戦えるかもしれない。


 そう感じるのはまぎれもなく、先ほど流れ込んで来たこの剣の力のおかげだ。


「適合者ならば容赦はしない、全力でゆくぞ」


 黒いローブの男は、着ていた金刺繍の黒いローブを脱ぎ捨てると、ローブの下に、禍々しいほどの漆黒の全身鎧をまとっていた。黒いローブの男改め黒騎士である。

 黒騎士は、ゆらりと僅かに身体を沈ませ一気に踏み込む。少女を血で染めたあの斬撃だ。

 俺は捨て身で踏み込み、黒騎士へ向かって剣を突いた。


 ……勝ちたい。力を貸してくれ。


 刹那、一度だけ心臓がどくんと大きく鼓動し、景色が歪んだ。

 そして見たことの無い魔法陣がひとつ脳内に浮かび、少女を斬った黒騎士の鋭い斬撃が、次第にゆっくりに変わってゆく。



 ――時は停止する。――



 何が起こっているのか解らないが、これなら俺の剣でも届く。いけええ!


 黒騎士めがけ、渾身の力を込めて剣を突く。

 黒騎士の剣は、俺の左肩に突き刺さり深くめり込んだ。骨が砕ける鈍い音が聞こえ、同時に経験したことの無い凄まじい痛みが襲う。

 俺の放った一突きは、黒騎士の漆黒の鎧を貫き脇腹へ突き刺さっていた。肉を切り裂いた気味の悪い嫌な感触がてのひらに残る。



 ――時は動き出す。――



 黒騎士は吐血し膝を着くと、俺の眼を睨みつけた。


「我が剣撃を上回るとは……」


 黒騎士は俺の剣の刀身を掴み、ゆっくりと自分の身体から引き抜いた。同時に自分の剣を俺の左肩から引き抜と、お互いの身体から、多量の血液が溢れ出した。

 黒騎士はよろりと立ち上がる。


「今は引こう。貴様がその剣、『聖剣ガルディア』の適合者ならば、いずれまた相見あいみまえることになろう」

「ま、待て……」


 黒騎士は後ろに立っていた薄汚れた男の喉元を一閃。男は声も無く崩れ落ち、すぐに絶命する。

 黒騎士はローブを拾うと、暗闇の森へ消えて行った。


 暗闇の森は静けさを取り戻す。


 俺は助かったのか……。

 痛みと失血で意識が朦朧もうろうとしている。


「彼女は……」


 血が溢れ出る左肩を抑え、ふらつきながら、白いローブの少女の元へ近寄った。

 彼女は白いローブごと白銀鎧の右肩部分を裂かれ、肩から腕にかけて大きく斬られていた。肉が見えており、今なお失血している状態だ。


 ……どうすればいい。

 ……どうすれば助けられる。

 ……彼女を助けてやりたい。


 強くそう想うと、再び不思議な力が湧き上がってくるのを感じた。再び魔法陣が脳内に浮かぶ。今はもう、この力の正体がはっきりと解る。


 この暖かい力は、『治癒』だ。


 彼女を抱き締め、『治癒』の力を彼女の身体へ送る。斬り裂かれた彼女の腕は、その不思議な力で少しずつ縫合された。


 ……助けられる。頼む、助かってくれ。



 繰り返し続けるうち、意識が遠のき、俺は彼女の身体の上に崩れ落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る