第2話 禁忌の研究
純潔を表すような真白き宮殿が青い空を背景に神々しくそびえる。
その真下に広がる城下町に住まう民は、生涯関わることのないであろう宮殿の王族貴族に畏敬の念と憧れを抱きながら日々の生活を営んでいた。
だがとある昼下がり、そんな宮殿の裏からこっそりと抜け出す者の影があった。
手慣れたように宮殿を背に城下町へと向かうこの女は、実はこの宮殿に住まう一人の伯爵であった。
――マーキュリー女伯爵。
急逝した先代の跡を若くして継いだ彼女は立派に職務を務めながらも、たびたび息抜きと称して城下町へと躍り出ていた。好奇心旺盛な彼女にとって宮殿での暮らしというのは退屈以外の何物でもないのだろう。
身分を偽り、名前を偽り、彼女は医者の娘マリーとして城下町では通っていた。公爵としてではなく、一人の人間として扱われる城下町は彼女の心のオアシスだった。
そして、何度も城下町へと来ているうちにひとりの気の合う友人ができた。それというのも中央街から離れた寂れた通りに住んでいる怪しげな娘だった。夜空のように黒い髪が印象的な彼女と出会ったのは、町はずれの夜の墓場であった。
そもそも何故、女公爵が夜の墓場などに来ていたのか。それを語るには彼女の最大の秘密を明かさねばなるまい。
父が急逝してから、女公爵は先代が密かに着手していた研究の存在を知った。初めは戸惑いを覚えた彼女だったが、その研究を引き継ぐことを決意。そして知れば知るほど彼女はどんどんその研究にのめりこんでいった。その研究とは、巷では黒魔術などといわれ忌み嫌われている『死者の再生』であった。
墓場にいたのはまさしく、墓暴きをしようかどうかためらっているその時だった。
突然、女公爵の背後に影が立った。
「……まさかこんな時間に人がいるとはね」
ハッと振り向くと、そこにはフードを深く被った一人の少女が立っていた。何故少女だと思ったか。それは、彼女の背が女公爵よりもひと回り小さく、全体的に小柄なシルエットをしていたからだ。
――こんな時間に墓場に子供がいるなんて……
その異様な状況に女公爵はゾッとした。
「お、お嬢ちゃん。どうしたの?こんな時間に……」
それを聞くと少女は静かにフードを脱いで、月光のもとにその顔を晒した。
「はあっ!?あたしのどこが“お嬢ちゃん”なのよ!?どう見ても大人でしょうがっ‼」
語気を強めてそう言う彼女はどう見ても子供にしか見えなかった。だが本人が大人だという以上それを信じるしかない。いきなり怒鳴られた女公爵はびくびくしながらも彼女に聞き返した。
「ご、ごめんなさいね……それより、どうしてこんな時間に墓場になんているの?」
「それを聞きたいのはあたしのほうよ。なんであんたはこんな場所にいるのよ。墓参りなら昼間にしなさいよ」
ごもっともだった。しかし女公爵は墓参りに訪れたわけではない。研究に用いる死体を回収しにやってきたのだ。だがそんなことを今あったばかりの見知らぬ人に言えるはずもない。
「……ったく。研究材料を取りに来ただけだっていうのに。また日を改めるしかないか……」
ぼそっとつぶやいて少女はその場を去ろうと背を向けた。
「ちょ、ちょっと待って‼今なんて言ったの!?」
思わず女公爵は声を上げていた。聞き間違いでなければ彼女は今、“研究材料を取りに来た”と言った。もしかして……と思い女公爵は彼女に歩み寄った。
そこからは早かった。言いづらそうにする少女に女公爵は自身の目的を告げた。すると少女の顔はぱっと明るくなった。二人を導き合わせたのは神の悪戯かはたまた偶然か。目的は同じだったのだ。意気投合した二人はそのまま少女の家に行き、探り合うように互いの研究について語り合った。
少女の名前はシャアイというらしく、ここから離れた土地の子爵と友人関係にあるのだそうだ。しかしそれも研究資金を提供してもらうためというのが大きいらしく、『利用し利用され』という関係らしい。シャアイは笑いながらそう語ったが、女公爵は「素性がバレたら私も同じように使われるのだろうか」と内心冷や汗をかいた。
だが研究に対する思いや熱意は概ね女公爵と一致し、二人は研究者仲間として互いに手を取り合うことを誓った。
………
……
…
さて、話は序盤に戻る。
久々に城下町へとやってきた女公爵は真っ直ぐに寂れた通りにあるシャアイの家へと向かった。
「……死んだかと思った」
女公爵の顔を見るなりシャアイは毒づいた。数か月間顔を見せなかったことを怒っているようだった。おそらく彼女なりに心配していたのだろう。
「ごめんなさいね、ちょっと仕事が忙しくてなかなか離れられなかったのよ」
申し訳なそうに謝る女公爵を見てシャアイはため息を吐いた。そのため息が安堵によるものか、怒りによるものかはわからない。だが彼女は扉を大きく開けると女公爵を家に上げた。
「……あれから、進んだ?」
部屋に入るなりシャアイは尋ねた。
「いろいろ試したんだけど、どうしても操り人形みたいな不自然な動きしかできないのよ」
困り顔でそう言う女公爵にシャアイは不敵な笑みを浮かべた。
「……あたしは、喋らせることに成功した」
「えっ‼本当に!?」
飛びつく女公爵にシャアイははにかみながら地下へと続く階段を指さした。
「見せてあげるよ」
――冷気の漂う実験室の中央には椅子に座らされた一体の死体があった。石造りのその部屋はまるで墓穴の中にいるような錯覚を覚えさせる。シャアイは一直線に壁際に設置されている複雑な機械の前に向かうと、何やら操作を始めた。その様子を見つめる女公爵の額には汗がにじんでいた。
シャアイは面白そうにその様子を見ながら再び機械を操作した。すると、沈黙していた死体はしわがれた絞り出すような声を発した。たどたどしい言葉だったが、それは確実に生きている人間の声だった。
その後、女公爵が興奮したのは無理もない。シャアイが発声のメカニズムを説明している間、女公爵は一心不乱にメモを取っていた。禁忌の研究だ。そのメモさえも完全な隠語で書かれ、傍目に見ればただの料理のレシピにしか見えなかった。そうして二人は今後の展望を語り合い、その場は解散した。
寂れた通りを歩きながら、女公爵は必死に笑いを堪えていた。
――喋れる死体。
女公爵にとってはそれだけで十分だった。本願が叶うのだ。動く必要はない。喋りさえすれば、誰も彼もがその死体を“生きている”と認識する。
青く澄み渡っていた空には暗雲がかかり始めていた。
月夜の晩に @hoshii_shiho
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