月夜の晩に

@hoshii_shiho

第1話 月夜の晩に

星空が煌めく夜、夜風が優しく頬を撫でる。

公子はひとり塔に登っては思いに耽っていた。

まだ未成熟なその精神と肉体に貴族としての運命はあまりに重かった。

彼とて齢十六の少年である。

密かに思いを寄せる相手もいたし、無力な自身への憤りもあった。

だが貴族という肩書きがついて回る以上軽率な発言は許されない。心許せる相手もおらず、公子はただ悶々と思いを募らせていた。


いや、心許せる相手はひとりいた。側近のムーンである。

彼女は王子よりも三つ年上でありながら、公子の側近という重大な任務をしっかりと務めていた。彼女がいったいどのような過去を歩んできたかはわからない。だが公子はそんな彼女に遠い憧れのようなものを感じてた。それが恋心だと気づいたのはつい最近のことだ。

公子は唯一の信頼できる相手に恋をしてしまったのだ。それも側近という許されざる相手と。

公子は理性と感情のはざまで思い悩んだ。考えれば考えるほど思いは募る。ただでさえ、側近となれば四六時中共にいるわけだ。公子はこの問題に早く終止符を打ち、楽になりたかった。


そんな時、不意に後ろから声が響いた。

「アース様、こんなところにいらっしゃったのですね」

彼女の声を耳にした瞬間、公子の心臓は飛び上がった。彼女はゆったりとした足取りで公子の側まで来ると横に並んだ。

「夜も更けてまいりました。明日の業務もありますし、そろそろ……」

遠慮がちにそう言う彼女を横目で見ながら公子は応えた。

「あ、ああ。そうすることにするよ」

月光に照らされる彼女の白い肌は妖しいほどに美しかった。

――このままでは呑み込まれてしまう……

そう思った公子はサッと目を逸らすと、彼女を視界に入れることなく振り返り、塔の階段を降り始めた。

後ろからコツコツと響く彼女の足音さえも今の公子にとっては深く胸にこだました。


答えの出ぬ夜を何度過ごしたことだろう。

公子の心身は確実に憔悴してきていた。そんな彼を周囲の者は様々な噂で囲んだが、実際に話しかけるものはいなかった。だがそんな中、ひとりの女公爵が接触を試みた。

マーキュリー女公爵である。

急逝した父の跡を若くして継いだ彼女は幼少期から公子とは姉弟のように親しく接していた。それゆえ、公子が弱っている姿を見て思うところがあったのだろう。

毎晩、公子が塔に登っているという話を聞いた女公爵はある晩、こっそりと公子のもとを訪れた。


「……あらあら、奇遇ね」

あたかも偶然居合わせたかのように女公爵は公子に話しかけた。驚いた様子だったが、公子は女公爵を迎え入れた。

夜風が二人を優しく包み込む。今晩も星は夜空一面に煌めいていた。


「こうしてアース公子と二人きりで話すのも何年ぶりかしら……」

ぽつりとつぶやく女公爵の瞳はどこか遠い昔を見ているようだった。公子もこの時ばかりは恋心を止めて、女公爵との懐かしい幼少時代を思い返していた。

「……ところでずいぶんと痩せたようね」

不意に女公爵は公子を見やって言った。公子は気まずそうに苦笑した。

暗い空には薄い雲がカーテンのようにところどころかかっていた。

「……マーキュリー公爵はどうしてここへ?何か考えごとですか」

女公爵は「そうね……」と落ち着いた口調で答えた。そして、

「公子も何か考えごとかしら?最近は通い詰めてるようだけど」

その発言に公子はドキッとした。自分がここに来ていることは側近のムーン以外は誰も知らないと思っていたからだ。公子はそこではっと気づいた。


――もしやマーキュリー公爵にこの場所を教えたのはムーンなのではないか。


公子は悩んだ。幼少期からよく知る女公爵にならこの秘めた恋心を打ち明けてもよいのではないか。貴族の中でも信頼に足る人間なのではないか、と。

憔悴しきった公子は藁にもすがる思いで口を開いた。

「……実は――」

公子はそれまで誰にも話したことのなかった胸の内を女公爵に晒した。その間、女公爵は真剣な眼差しで公子の話をただ静かに聞いていた。

………

……


全てを吐き出した公子の胸の内は以前より幾分か軽くなっていた。だが同時に女公爵がどう思っているのかが恐ろしかった。それまで静かに話を聞いていた女公爵がゆっくりと口を開く。


「……萌える…」


「え……?」思わず公子は聞き返した。純真な公子には女公爵の発した言葉の意味が理解できなかったのだ。だがそんなことには構わず、女公爵は続けた。

「側近と主の禁断の恋……素晴らしいじゃないのっ‼私は応援するわよ‼」

公子は女公爵のこの好感的な態度を見て、ほっと胸を撫でおろした。反対の意を示されたり、軽蔑の眼差しで見られることが公子にとっては何よりも恐ろしいことだった。それは公子の真剣な恋心そのものを否定する行為だったからだ。


それからマーキュリー女公爵はアース公子の良き相談相手となった。

他人に話すという行為が幸いして公子の憔悴していた心は急速に回復に向かった。

そして同じくして側近ムーンに抱く恋心も加速的に膨らんでいった。

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