第3話 ギルド
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翌朝、やや遅めに起き出したレイガルは武装を整えると宿を後にした。充分な食事と一晩ゆっくり休んだことで体力はかなり回復し、逃避行の最中では絶望的に重いと信じていた鎖帷子が僅かに軽く感じられる。エクザートを目指して野山を歩んでいた時には数えきれないほど脱ぎ捨てようかと迷った鎧だが、今は一時の困難に流されなくて良かったと思う。腰に下げた長剣と鎖帷子は彼の大事な商売道具だ。これがある限り自分はどこでも生きて行けると確信出来た。
また、戦場で負った顔の傷も化膿することなく瘡蓋が剥け落ちて完治しつつあった。しばらくは傷痕が残るかもしれないが、戦いを生業とする者にとっては、この程度の傷は勲章のようなものだ。こうして昨日を体力の回復と情報収集に費やしただけに、レイガルは再起を掛けるのに万全の体勢を整えていた。
肝心のゴルジアの情勢についてだが、やはり、女将の話は概ねで正しく、この街には〝山羊小屋〟と〝古井戸〟と呼ばれる二つの冒険者ギルドが存在していた。これらの通称は、まだゴルジアが小さな集落だった頃にそれらの近くで遺跡への入口が発見されたことに由来するらしい。そして〝山羊小屋〟は領主の長女、〝古井戸〟はその弟が世継ぎを争う形で管理をしているとのことだった。
レイガルとしては、どちらがより有利な立場にあるのか知りたかったが、それに関する評価はまちまちだ。ある者は、年長者である長女の方に家督相続権があるのは明白であり、彼女を支援する者が多いと主張するが、贅沢好きの長女よりも、学者肌で聡明な弟の方が領主としては相応しいと言う者もおり、実体は知れなかった。このような経緯もあり、レイガルは双方の冒険者ギルドを自分の目で確認するつもりでいた。やはり最後に頼るのは己の審美眼というわけだ。
まずは距離的に近い〝山羊小屋〟を目指して昼前の優しい陽ざしを浴びながら歩むレイガルだが、通りを行き交う荷馬車の多さや軒を連ねる屋台に並べられた商品の豊富さから、彼は街の景気の良さを実感する。富とは不思議なモノで、誰もがそれを手に入れようと必死になるが、簡単には捕まえる事は出来ない。だが、ある所には確実にあるのだ。レイガルは街の繁栄を肌で感じながら、今度こそは勝ち馬に乗りたいと願った。
「まるで砦だな・・・」
話に聞いた場所に辿り着いたレイガルはギルドらしき建物を前にして呟いた。その言葉のとおり冒険者ギルドは、ちょっとした城館か砦を思わせる堅牢な石造りの建物だった。三階建てほどの高さがあり、窓の多くは鉄格子で覆われている。一見すると軍事施設のようだが、看板には確かに『西地区冒険者支援ギルド』と書かれている。これは〝山羊小屋〟の正式な名称と思われた。
慣れていない者ならば躊躇したと思われるが、レイガルはこれまで傭兵として生き抜いて来た猛者である。彼は自分の武装を確認すると、臆せず堂々と入口を潜り抜けた。
もっとも、建物の中はレイガルが思っていたよりも快適な空間だった。広々とした場所に等間隔でテーブルが幾つも並べられており、何人かの冒険者と思われる者達が食事を摂りながら談笑している。どうやら、出入り口に近いこの広間は一般的な宿屋と同じく酒場を兼ねた食堂となっているようだ。
「いらっしゃい!食事なら、燻製肉と卵の炒め物を出せるよ!食べるかい?」
「・・・食事は済ませてあるんだ。ここの契約や報酬について詳しい話を聞きたいんだが、どうすれば良い?」
給仕と思われる少年が声を掛けて来たので、レイガルは調子を合わせて問い掛ける。
「ああ、それならあっちの受付で話を聞くと良いよ。古井戸からの移籍について詳しく説明してくれるさ!」
「・・・なるほど、ありがとう」
給仕の指差す方向に目を向けながら、レイガルは礼を告げる。確かにその先には二つの窓口から、それぞれ冒険者の相手をしているギルドの職員らしき姿が見えたからだ。また、冒険者としては実績のない彼であったが、給仕の指摘には敢えて触れなかった。おそらくは、顔の傷や使い古した鎖帷子の様子から〝古井戸〟で経験を積んだ冒険者が移籍を求めてこちら側のギルドに訪れたと勘違いしたのだろう。自分から経歴を偽るつもりはなかったが、相手が腕利きと勝手に思い込んでくれるなら、わざわざ訂正する気はない。
「ちょっと!どういうことよ!なんでそんなに安いわけ!」
レイガルより一つ前に窓口のギルドの職員と話をしていた女性冒険者が突然声を荒げた。これまで順番を待つ暇つぶしとして彼女の後ろ姿、革鎧に包まれた出るところはしっかりと出て、引っ込むべきところは引っ込んでいる見事な肢体をさりげなく眺めていた彼は、何事かと改めて二人のやり取りに意識を向ける。
「小型の宝石の取引価格は一昨日から下がったのです。これは相場を反映してのことですから、文句を言われても困ります!」
「私が遺跡に潜る前はもっと高く買い取っていたじゃない!」
「だから、一昨日に変更になったのです!さっきからそう説明しているじゃないですか!」
どうやら、報酬の支払いで女冒険者が中年男性のギルド職員と揉めていているようだ。もっとも、この手の問題は傭兵にも良くあることなのでレイガルにとっては目新しくなかった。腹が立つのはわかるが、騒いだところで条件が覆ることはない。ほどほどに怒りを発散させたら引き下がるしかないのだ。
「・・・わかったわよ・・・それでいいから清算してちょうだい!」
女冒険者もある程度は結末を覚悟していたのだろう。しばらくすると渋々ながらも従う様子を見せた。
「なんだ、エスティ。お前まだ一人で潜っているのか?それだから情報に疎いのさ!なんなら、俺達の仲間にしてやってもいいぜ。もちろん、頭を下げて頼んだらの話だけどな!」
「アシュマード・・・あんたには関係のない話よ!引っ込んでな!それに、あんたに頭を下げるくらいなら、ゴブリンのアレをしゃぶる方がまだましだわ。たぶんゴブリンの方が一回りは大きいだろうしね!」
収まりつつあった女冒険者だが、騒ぎを聞きつけたと思われる板金鎧と長剣で武装した男が現れると火に油を注ぐように彼女を挑発する。成り行きを見守っていたレイガルだったが、エスティと呼ばれた女冒険者が振り向きながら反撃の言葉を相手に浴びせたことで、その顔を拝むことになる。
後ろ姿からして美人の素質を備えていたエスティだが、やはり整った顔をしていた。特に切れ長の目の奥にある緑色の瞳が印象的だ。肩のあたりで雑に切った栗色の髪の中から僅かに尖った耳が見えることから、彼女にはエルフ族の血が混じっているのだろう。もっとも、形の良い唇から紡ぎ出された台詞は、場末の娼婦かと思うほど酷かった。
「なんだと、この女!・・・それにお前!何を笑ってやがる!」
エスティの反撃に顔を真っ赤にする男だったが、その怒りの矛先が自分にも及んだことにレイガルは困惑する。どうやら、あまりにも強烈な啖呵であったので意識することなく苦笑を浮かべてしまったようだ。
「その人は関係ないわよ!・・・まあ、あんたとは比べものにならないほど良い男だけどね!」
「なんだと・・・俺より、そんなどこかの馬の骨の方が良いってのか!」
「さっきも言ったでしょ!あんたの萎びれたアレに比べたらゴブリンの方がまだましだって!」
「くそ!」
再度、存在自体が嫌悪感を持って語られる矮小な人型の怪物、ゴブリンと自分の下半身を比べられた男は怒りに身を任せてエスティを捕まえようと手を伸ばす。だが、彼女は素早くレイガルの背後に回り込むようにしてそれを回避した。
「そこをどけ!」
「俺は無関係・・・と言いたいところだが、自分から挑発しておいて言い負かされたら手を出すってのは、みっともないんじゃないか?!」
面倒に巻き込まれているとわかっていたが、レイガルにも自分の腕っぷしだけでこれまで生き延びて来た気概がある。女性、それも美女に頼られたとあっては『どけ』と言われて素直に従うわけにはいかなかった。
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