01 旅立ち



 フッソの暮らすデダシの村はひっそりとした小さな集落で、平和な大国エナの中でも特に静かで穏やかな場所だと言われている。


 王都に近く位置するが、その住人はほとんどが年老いた者ばかりであり、民家の周りの畑や果樹園以外目ぼしい物は見当たらない。超がつくほど長閑な田舎と言えた。


 そんなのんびりとした午後の陽射しが暖かく包むひだまりの中では昼寝は最高の娯楽である。


 フッソは最適の場所を探していた。



 傍目に見て年の頃は十六ほど。癖のない黒髪に澄んだ青い瞳を持つ他はとくにこれといって特徴もないそんな少年である。


 このデダシの村で歳の近い者などせいぜい隣人のネオンくらい、今頃はきっと昨日収穫した林檎を煮詰めてジャムでも作っているだろう。


 誰とつるむでもないフッソが昼寝を日常に取り入れても何ら不思議ではない。



 やっと一番気持ち良さそうな昼寝スポットをみつけたその時だった。


「フッソ!」


 自然の静けさを台無しに聞きなれた少女の声がフッソの耳に飛び込んだ。条件反射で思わずギクリと身を固くしたフッソはひきつり笑いで声のした方を振り返る。


 走り寄ってくる少女の姿が見えた。栗色の長い髪が少女の背中で左右に揺れている。お馴染みのネオンだ。


 今日くらいは忙しいだろうと踏んでいたが、昼寝ばかりのフッソをわざわざ怒りに来たのだと思ってフッソは苦い顔をした。


「仕事ならちゃんとしたろ。三回も水汲みに行ってもう疲れた!」



 ところが目の前にやってきたネオンは息を切らしながら首を振り、汗ばんだ頬に髪が貼り付いたまま、いつになく取り乱して言った。


「クロムが一人で行っちゃったの!」



 思いがけないネオンの言葉にフッソの表情も変わる、


 頭の中で情報を整理した。



「行ったって。まさか『都』にかよ」

「どうしよう、どうしたらいい? あの子道も知らないで、何も持たないで」



 いつも気丈なはずだったのにネオンは両手で顔を覆ってしまい、今にも泣き出してしまいそうだ。


「と、とりあえず落ち着けよ」


 フッソはオロオロと軽く目を泳がせてから、焦るあまり勢いで口走っていた。


「オレが、探しにいくから」





「昨日からずっと、クロム変だったもの。どうしよう、あの子に何かあったら私」

「大丈夫だって。ウランがきっと何か知ってる」


 フッソたちは急いで家に向かった。他にこどももいないこの村でウランはクロムといつも一緒にいる仲良しだ、何か聞けるはずだった。


 いつもならクロムと辺りを駆けずり回っているが、案の定家には暗い顔をしたウランがいた。


「あらフッソ。おかえりなさい」


 洗い物をしていた母のネプリが振り返って笑うその横に、ウランは膝を抱えて座り込んでいた。



「お邪魔します」


 ネオンは口早に挨拶をしてズンズンとウランに近付く。


 何か言おうとしたネプリもそのただならぬ空気に口を閉ざし、ネオンとウランに目を向けていた。


「僕ちゃんととめたもん」


 ウランはふてくされそっぽを向くと、ネオンと目をあわせないように床に視線を落とし、それからぶつぶつと小さな声で続けた。


「村の外には出ちゃダメなんだよ」



 クロムを止められなかった罪悪感でもあるのか、あるいは単に自分の言葉に耳を貸さなかったクロムに対する不満か、ウランはそっぽを向いたままだ。


 それには構わずフッソは短く言う。


「いつ出た?」


 ハラハラとしているネオンと、じっと話を聞いているネプリ。


 ウランは消え入りそうな声で答えた。


「お昼食べた後すぐだよ」



 息を飲むネオンに、フッソはわざと明るい声で肩を軽く叩く。


「心配すんな、あんなチビ介の足だ。すぐ追い付く」


 クロムの姿が見えないと気付いてからずっと村中駆け回って探していたのだろう。ネオンはすっかり血の気が引いている。


 一人で行こうとフッソは思った。


 すぐにでも行こうとしたフッソを止めたのは母のネプリだった。



「エナは安全な国だと言われているわ。でも村を一歩出れば何が起こるかはわからない」


 他の国ならば凶悪な魔物もいよう、だがエナは違う。一般的には穏やかで安全な土地だとそう言われているが、それでも強い魔物がいない代わりに盗賊や人売りがいるなんて噂もある。


「何があるかわからないのよ」


 繰り返すように呟いてネプリは部屋の奥から荷物を持ち出して来た。


「お父さんが使っていたものよ。きっと役に立つから持って行きなさい」


 ほつれたマントは丁寧に縫い直されていた。使い古されたカバンもしっかり手入れがされていた。中にはナイフや地図が納められている。


「母さん……これ、」

「あなたがいつ村を出ると言い出してもいいよう、準備をしておいたの」



 それから、といってネプリはフッソの首に小さな布の袋の付いた紐をかけた。


「お守りよ。中にはお父さんの着ていた服のカフスが入っているわ。大事にして」


 フッソの首の後ろで紐を結びながら耳元で告げるとネプリはそのままフッソを抱き締めた。


 ネオンはフッソの持っていくカバンに二人分のリンゴとパンを詰めている。こちらを見ていない隙にそっとネプリを抱き締め返してフッソは小さく呟いた。


「色々ありがとう」




 ネオンからカバンと水筒を受け取り壁のランタンを一つ拝借した。ネプリはそれを黙って見ていた。


「気をつけてね」


 不安そうなネオンの前を横切り一度ウランの所まで戻り、黙り込む頭をクシャクシャと撫でた。


「じゃあ、いっちょ探してくる」

「クロムをお願いね、フッソ」

「暗くなったら無理に動かず野宿なさいね」


「わかってるよ」



 何でもないやり取りのあとゆっくり息を吸い込んだ。



「いってきます」




 きっと母さんは知っていた、いつかこうして旅立つことを。


 そして自分も知っていた、きっかけなどなくてもやがてその日が来たことを。



 心が軽い、


 まるで地に足がついていない。


 急がずともはやる。



 フッソは歩き出した。






   「『そうして王子は、使者が迎えに来

   るのを待たず、旅立ちました。伝説は

   少しずつ自我を持ち、運命を力強く歩

   いて行くのです』」



   「王子を迎えに行った使者はどうなるの?」

   「違う旅になっちゃわないの?」

   「誰が王子を守ってくれるの?」

   「お話が変わってしまわないの?」




 まだ小さな頃、そうして話を聞かせてくれたのは一体誰だったろう。


 王都にたどり着く前に陽が暮れてしまい、旅人たちはしばしば、村へと立ち寄る。



(――旅の吟遊詩人か、)




   「安心してください。運命は揺らぎま

   せん。貴方は貴方の想うまま、突き進

   めばいいんです」



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