貴種流離潭】イクスザース Xs【長編

第一部 第一章

00 無限廻廊




 そこはどこか

 薄暗い場所、


 脆い壁は


 生物の体内が朽ちたあとの

 干からびた形みたいに

 頼りがなくて。


 たった二人


 他に味方もなく

 取り残されたままさまよう。



 突如


 邪悪な何かが

 差し迫ってくる気配。



 淀んだ空気が強くなる、


 じわじわと

 肌で感じる。



「大丈夫。フッソはあたしが守るから」



 目の前に立つ人影の

 顔はよく見えない。


 太ももまで届く

 長い栗色の髪が揺れる。



「絶対守ってみせるから」



 よく通る

 凛とした声は

 まだうら若い少女のもの。



 まったく

 恐怖を感じてはいない

 強く透明な意志を宿し


 振り返る眼差しは


 キリリと

 こちらと見据えていた。



 ギャアギャアと

 耳をつんざく

 けたたましい音、


 四方八方から

 一気に押し寄せてくる闇色、



 彼女が天高く腕をかざし

 何かを叫ぶ。



 そのすべて

 ゆっくりと

 頭の中で再生された。



 ただわかるのは

 今の自分はひどく無力で


 どんなピンチにも

 抗うすべがなくて


 女の子に守られている。


 ただ

 守られている。



 やがて

 何処からともなく現れた

 翼竜に拐われ


 一気に

 上昇する体が

 千切れそうになる。


 あまりの速さに

 息が出来ない。



 眼下に見下ろす

 さっきまでいた場所は


 一瞬で

 闇色に埋め尽くされた。


 飛んで逃げていなければ

 危うくあの闇色に

 飲まれるところだった。




 翼竜にしがみついていると

 目の前で彼女は言った。



「フッソはこのまま外へ」



 出口は上空にある。


 でも

 違和感が口をついて出た。



「何をするつもりですか」



 その声は

 自分のものとは

 到底思えないほどに


 弱く

 丁寧で

 儚い。



 少女が


 ニヤリ、と

 強気な笑みを見せた。


 ──ような気がした時にはもう

 彼女は空に舞い、



 携えた剣を構え

 真っ直ぐに落ちていく


 闇の中心へ。



「あたしは戦う!」



 守られ

 危険を遠ざけられた

 安全な自分。


 自ら

 危険を冒して

 敵に挑む少女。



 何かが

 ミシリと音をたてた。






                  The Xs


                ... 無 限 廻 廊 ...







「ネオンさんんっ!!!」



 腹の底から声を張り上げて叫ぶ、早朝。

 まだ薄闇の空に小鳥たちが飛び立った。


 全身から噴き出す汗と見慣れた天井の景色にフッソは息を飲んだ。



「……あ、れ?」



 思いきり叫んだ声はどこまで響いただろう、


 村中とはいかないまでも、おそらく隣の家には筒抜けだったはず。


 フッソは自分の顔が真っ赤に染まるのを感じた。





 案の定、空もすっかり明るい朝食時に、野菜の入った籠を抱えてやって来た隣の家の住人、ネオンは冷やかな目で出会い頭にフッソを見た。


「ネオンさーん、だって。朝っぱらから恥ずかしいからやめてくれない?」

「べ、べつにお前を呼んだわけじゃねえよ! ちょっと夢見がアレで」



 フッソはふてくされながらも必死に弁明をした。少なくとも夢の中の少女と目の前のネオンが同一人物とは思えないし、思いたくもない。



「お前のことなんか『さん付け』で呼んだりしないって!」

「あらそう。じゃあ一体どこのネオンさんなのかしらねっ」


 盛大な憎まれ口に返す言葉もない。



「フッソ、また怖い夢見たのー?」


 ネオンの後ろを付いてきた小さな男の子がピョッコリと顔を出す。雛鳥の羽毛みたいなふわふわの短髪が、誰しもつい頭を撫でてみたい気にさせる。



「クロム。早く食べて遊び行こう」


 フッソの隣に座るウランがそう急かすとクロムも席についた。



「おばさま、今日の分はこれくらいで足りるかしら」

「ええ、ありがとうネオンちゃん」


 ネオンが野菜の籠をおろして母ネプリと何か談笑しながらスープをよそう。フッソはそんなネオンを納得いかない顔で見ながらパンにかぶりついた。





 ネオンも夢で見た少女と同じ栗色の髪だ。でもその長さは背中の辺りで切り揃えられていて印象は違う。


(っていうかネオンに守られるとか、ありえないし!)


 それはさすがに情けない。



 口やかましいお姉さん風を吹かせていてもネオンはフッソより年下なのだ。


 朝食の手伝いを終えてネオンも席についた。


「それで? 今日はどんな夢を見たの?」

「もうほとんど覚えてねえよ」


 何となく屈辱的な感情は残っていたが夢の内容はいつもすぐに忘れてしまう。



「どうしていつも死の間際みたいな大冒険の夢を見るのかしらね」

「……どうしてかなぁ」


 パンをちぎってスープにひたしながらフッソは考えた。


 小さな頃はそうでもなかったのにここ何年かはずっとそんな夢ばかりを見るのだ。



「もしかするとお父さんに憧れているのかしら?」


 ネプリがサラダを取り分けながらそう言って笑う。


「えー? じゃあフッソ旅に出ちゃうの?」

「僕だって父さん大好きだよ」


 クロムとウランが騒ぎ立てる。


 父アインは今はもう写真立ての中にしかいない。ウランが産まれる前に死んでしまったから家族写真に写っているのはお腹が大きなネプリとアインとフッソの三人だけ。


 アインはフッソやウランと同じ、黒髪で青い色の瞳をしていた。父親似、と言えばそれまでかもしれないがフッソは幼少の曖昧な記憶を手繰る。


 旅人だったアインがこの村へやって来た。病気で旅を続けられなくなっていてここで最期を過ごしたのだ。看病をしていたネプリと恋仲になっていく過程を『知ってる』ということは、自分とアインは血縁関係にはない――ような気もするし、今さらネプリにわざわざ聞くのも気がひける。


 むしろそんなことはどっちだっていいように思えた。




「フッソ。ご飯食べたら今日は果樹園の手伝いに行くわよ」

「は? オレも?」


 ネオンの提言に不服が口をついて出る。


「当たり前じゃない。力仕事なんだからフッソが手伝わなくてどうするのよ」

「そうねぇ。フッソが手伝ってくれたら皆助かるわよね」


 ネプリまでもがそう頷く。


 それもそのはず、ここデダシの村に住むのはそのほとんどが年老いた者。自給自足の村なので本来ならば労働力たる若者がいてほしいところだが、多くは都へと移住してしまったらしい。


 フッソが生まれるよりもずいぶん前の話だから、こうして村に残っているネプリが希少な人材と言える。


 おかげで村のこどもはフッソたち四人だけ。


 ウランとクロムは小さすぎて大した手伝いも出来ないが、ネオンは一日中自分からよく働く。



「今日は母さんも手伝いに行く予定だから、フッソも一緒に行きましょう?」


 普段は仕事を強いられもせず、フッソは勝手気ままに過ごす木偶の坊だった。一人で村の付近を散策して大概は昼寝をする。


 しかしネプリに言われては逃げ出す気になれない。



「フッソだって美味しい林檎が食べたいでしょ」

「ちぇ、」


「僕も行くー。ウラン、今日は林檎の早食い競争しようよ」



 フッソだって別に仕事や手伝いが嫌なわけではなかった。ただ、そうして過ごしていると何か違和感や胸騒ぎに襲われ落ち着かないのだ。今自分がここにいることすら何か違うような、居場所のなさとは別の不一致感が付きまとう。


 村の皆のことは大好きだ。


 だけどここじゃないどこかでやらなくてはならないことがあるような気がしていた。




「だから変な夢ばかり見るんじゃない?」


 枝から林檎をむしって渡すとネオンが籠に入れた。


 今年は気候が良かったから一段と美味しい林檎になったらしい。



「夢を見るからそんな気になるのか。そんな気がするから夢に見るのか」

「今の平和な毎日に満足じゃないの?」


 フッソを見上げるセピアの瞳が真っ直ぐに刺す。


「別に……そういうわけじゃない」

「私は満足よ。ずっとこうして暮らせたらそれで」



 フッソより歳下の少女ネオンは、でもずっと大人びた目をして口数を減らした。


 小さく平和な何もないこの村を退屈だと言う若者が大半だった中、それに幸福を見出すのは大抵他所の土地から渡り来た者たちだ。


 ウランが産まれる頃、ネオンもまたどこかフッソの知らない場所からやって来た。クロムの母であるその人と一緒に。



「私とクロム、フッソとウランとおばさま。村のみんなも。素敵な家族だもの」


 ネオンはニッコリと笑顔を見せてそう締めくくる。


「何も困らないでしょう?」



 ネオンはいつだってそうやって何でも満足をしたように僅かなものを大切にする。本当にそれ以上望みはしないのか、フッソには否定も肯定も浮かばず話に耳を傾けるしか出来ない。


 ところが。


 甲高い声が走り抜けた。



「嫌だよ!」



 フッソとネオンが振り返るそこに小さなクロムが顔を真っ赤にして立っていた。両手に持つ食べかけの林檎もずいぶん大きく見えるほどクロムはまだ小さい。


「どうしたの、クロム。ウランと遊んでたんじゃ――」


 クロムのフワフワの頭に手を伸ばしたネオンはキツく睨まれ動きを止めた。


「母さまと一緒に暮らしたいよ!」



 その言葉だけ吐き捨ててクロムは走り去ってしまった。


 落として行った林檎を拾ってネオンは呟く。



「……そうよね。クロムはまだ小さいものね……」



 汚れた林檎の泥を落とししゃがみこんだままのネオンの背中にフッソは視線を落とす。俯いた肩が小さく鼻をすすった。


「……泣いてるのか?」

「私、クロムの気持ちも考えないで。酷いこと言っちゃった……」



 フッソは枝の林檎に手を伸ばし新たに一つむしると胸元に擦り、音をたててかじりついた。シャリシャリと口の中で甘酸っぱい味が広がる。すべて無くなるまで咀嚼して再び言葉を紡いだ。



「ネオンだって、両親と暮らしてるわけじゃない。別に……クロムだけ我慢してるわけじゃない。それでも今を満足って言ったんだろ」



 世界は何かがどこか間違っていて、上手くいかないことだらけでも、そんな中ネオンのように笑おうとすることはすごいことだと思った。クロムのように本来あるべき姿に正したいと願うことも大事なことだと思った。


 そんな人ばかりじゃない。



     真っ直ぐに在り続ける

     もう残り僅かなものを


     貴方が繋いでいくのです



 いつか夢に見たたくさんの景色、記憶にはなくても心には残った。



     忘れないでください


     この人たちの哀しみを



     いつか始まる

     その戦いが


     何の為かを

     見失わないよう。



     世界は


     貴方が描く色を

     必要とするでしょう――



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