2-自称画家と似非の自殺願望
自称画家と似非の自殺願望-1
フランツの願いが雨雲に通じたのか、霧雨と化してしぶとく降り続いていた雨は夜には完全に止んでいた。薄汚れた窓を開けて空模様を窺うと、雲の隙間からほんの少しの夜空と月光が見えて、明日は大丈夫そうだとフランツは胸をなで下ろす。
これで朝起きたらまた天候が悪化していたら――と、考えかけてやめる。その時はその時だ、明日の自分に任せよう。
未来に全てを丸投げしながら、最近閉まりづらくなってきた窓を閉めて鍵をかける。
「ねえ、フランツ」
自分よりも先に食卓について、小さな器に盛られたスープを口に運んでいた少女の声がした。
「……何? それ、美味しくない?」
答えながら、そして質問しながら、フランツも少女と同様に椅子に座る。自分の席に置いておいたスープ皿の中身は、まだ湯気を立てていた。
一応自炊は人並み程度にできるつもりだが、誰かに食べさせた事はなかった。食べさせる相手もいなければ機会もなかったから、他者の評価を貰ったこともない。
だから、自分の味覚が狂っているから自分にとっては美味しいというだけで、他人にとっては生ゴミ同然という可能性も、まあなくはなかった。
一度そう思うと妙に不安で、フランツは眼前の少女を見遣る。
あの後風呂に入れて、使い方を教えてやりながら綺麗にして、新品の服を着せて、伸びっぱなしの髪に櫛を通すだけ通したおかげで、大分“普通の”少女らしくはなっている。
「ううん、そうじゃなくて」
少女は緩く頭を振って、投げかけられた疑問を否定した。
フランツがじゃあ何だと聞き返すよりも早く、少女は不思議な色合いをした瞳で男を見た。
「フランツは、何をしている人なの?」
「へ? 何をしている人なの、って?」
「お仕事とか、そういうの」
「仕事……仕事か……」
無邪気な質問に、少しだけ躊躇する。
「お仕事、してないの?」
「いやしてる」
躊躇はしたが、それだけは間髪入れず言っておく。
定職ではないし、どこかに働きに出ているわけでもなければ自ら経営しているわけでもないが、一応無職ではない。その筈だ。たとえそれが稼ぎなどゼロに等しいものだとしても、ただ無為に日々を消費しているわけではないのだ。
だから自分の職を話すこと対する躊躇いはないのだが、説明をするとなると、少し。少し悩む。
しかし目の前に座っている孤児は目を輝かせてこちらを見つめていて、い逃れはできそうになかった。子供は変なところで鋭いし、下手に誤魔化そうとすれば逆に面倒ごとになりかねない。
まだ温かいスープの具材を口に運び、噛み砕いて飲み込んでからフランツは息を吐いた。
「一応、絵を描いてる」
「絵描きさんなの!?」
「一応、ね」
ぱっと笑顔になった少女が身を乗り出してくるのを手で制して、フランツは繰り返す。
確かに“絵描きさん”ではあるが、彼女が想像しているであろう綺麗なものではない。その題材も描く世界も、その方法も動機も、何もかも。
『絵を描いてる』という発言の裏、そこに何があるかを露ほども知らない少女が、無邪気な笑顔のままでフランツを見上げた。
「ねえねえ、どんな絵を描くの?」
絵を描いている、と言った時点で、この問いが来る事は予測していた。あまりにも予想通りの言葉に、フランツは血色の悪い唇を歪めるように笑う。
「それについては、いちいち喋るより実際に見て貰った方が早いね。だからそれ早く食べちゃいな、案内しよう」
少女の前にあるスープ皿を手で示し、言外に早く食えと促す。
難しい言葉や陳腐な言葉で説明するより、実物を見て理解して貰った方が早い。そもそもフランツ自身、言葉で説明できる気がしなかった。
“それ”を言語化して形容できるのならば、自分は絵で表現などしない。話した方が早いからだ。相手の認識を待つよりも、これはこういうことだと演説する方が余程早い。それを行わないのはひとえに、自分がそれを実行するに値しない人間だからだ。
促されるまま、少女が小さな口にスープを運ぶのを眺めながら、フランツは気付かれないよう小さく頷いた。
食欲があるのはいいことだ。
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