小雨の日と小さな手-2
口に合わなかっただろうかと思ったが、美味しいかと聞いて頷いていたのだからそれはなさそうだ。つまり、気に入ったから大事に飲もうと、そういうことだろう。
今度は、ホットミルクだけではなくミルクティーか何か作ってやろうか。アルコールを限界まで飛ばしたホットワインでもいいかもしれない。
思案しながらカップをテーブルに置き、少女に目を戻す。カップの代わりとばかりに袋を抱えた少女に、フランツは苦笑した。
「また作ってやるから、今は取り敢えず風呂にでも入ろうよ」
「……これは?」
「お前の服。脱ぎ着がしやすくて尚かつ似合いそうなものを独断と偏見とノリで選んできたよ」
開けてみな、とフランツが告げると、少女は首を傾げながらごそごそと袋の中から服を取り出し始めた。
薄桃の袋から出てきたのは、せいぜい袖口や襟にレースがある程度の白いワンピースだった。余計な装飾もなければ、飾り程度の金具も留め具もない。
袋の底に入っていたのは子供用の下着とかそういう類のもので、少女はぱちぱちと目を瞬かせる。
「それでよかった?」
聞いてみると、目を輝かせた少女がこくこくと何度も頷く。その様子に少しだけ安心して、フランツは表情を和らげた。
それでいいのなら、次は風呂だ。正直言ってシャワーの使い方を教えて自分でやって貰いたいところだが、孤児であった彼女にそこまで求めるのは酷だろうか。
この身なりからして、つい最近孤児になったというわけではないだろう。寧ろかなり長い間、それこそ物心着く前からそうなのかもしれない。
だとすればまあよくこの歳まで生きていられたものだ。それは彼女が今まで誰にも見向きもされなかったのだという残酷な事実でもあったが、生命力と運の良さには純粋に感心する。
「じゃあ一旦それ置いて、毛布も置いて着いてきて。風呂入れるから」
「う、うん、あの……えっと……」
「何?」
何か言いたいことでもあるのかと、フランツは首を捻る。
少女は逡巡して、まだ腕に抱いたままの新品の服を一度見てから、汚れた髪の隙間からフランツを見上げた。
「……名前、教えて欲しいなって……」
ぽつり、小さな声で少女が言った内容にフランツは虚を突かれた。そして次の瞬間には思わず噴き出して、くすくすと笑いながら肩を揺らす。
「このタイミングでそういう事訊く?」
まさかそんなことを気にしていたとは思わなかった――自分は気にしていなかったから。だが、そういえばそうだ、初めて出会った相手には、名乗るのが常識だったか。
照れているのか恥ずかしいのか、ふいっと顔を背けた少女の動作にさえ笑いが込み上げてくる。
ここ数ヶ月、こんなに笑った事はなかった気がする。それも誰かを何かを嘲笑うような笑いではなく、楽しさや面白さで込み上げてくるような、そういう理由で。
一頻り気が済むまで笑って、フランツは大きく息を吐き出した。
「俺はフランツ、フランツだよ」
「フランツ、」
誰かに名を名乗るのも久々だった。名乗る必要もない生活ばかりしていたから、自分の名を口にするのが少し気恥ずかしい。
がり、と頭を掻いてその恥ずかしさを追い払い、フランツと名を反芻する少女に手を差し伸べる。
「さて、もういいなら風呂だよ、風呂。流石にシャワーの使い方とか分からないだろうし、教えてあげる。路地裏で生きるよりは簡単だからさ」
出会って丸一日と経たぬ男の声に促されるように、所々皮膚が破れ土で汚れた小さな手がフランツの手に触れた。
その痩せ細った感触を確かめるように、しかし壊さぬように慎重に力を込める。
名も分からぬ少女が、控え目ながら握り返してくれた。
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