第2章ー15話 船上のライオン 2

――もう疲れた……。


 ルナには悪いが、心底そう思っていた。

 あの後、言葉にはしたくないようなことが立て続けに起き、船上は戦場に場面転換を余儀なくされた。その後、紆余曲折を経て目的地に何とかゴンドラは停泊し、縄がかけられる。それだけでも、揺れが多少マシになった。


 付いた場所は、森の中にある船着き場。それなりに立派な船着き場だから全く使っていないということはあり得ないだろうが、場所からして俺たちのような部外者がおいそれと来るような場所ではなさそうだ。船着き場からは石畳となった道が伸びている。その端に、馬車が止まっている。あれに乗って進む予定だったのだろう。


 だが……、


「…………ご、めん。乗り物、もう無、理」


 チラリと、前の席に視線が行ったのは当然だろう。俺の前では、雨宮の膝枕の上で浅い呼吸を繰り返すルナがいた。無論その顔は真っ青。何度か同じ目に遭ったからその気持ちは良く解る。いくら用意してもらったとしても、たしかに、この状態でもう一度乗り物に乗りたいとは思えない。


「わたしが背負う」そう言って雨宮は、足取りがおぼつかないルナを持ち上げて下船した。そのままルナの身体を担ぎ上げ、背中に乗せる。いつの間にか袋の処理を終えてきたジュードが、ルナに酔い覚ましの薬を渡していた。本当に、何から何まで申し訳ない。家のメンバーがとんだ粗相をしてしまって。


「……………なんだよ」


「別に」


 その時、キッというきつい目線で雨宮が睨んできた。もしや、俺が思っていることを読み取ったとでもいうのだろうか。あの雨宮のことだから、そういうことを本気でできそうで怖い。これ以上、ルナのことを考えるのは止めた方が得策だろう。


 だけど、言っても何の解決にならないし、ましてルナには何の責任もないって解っているけれど。せめてこれくらいは思わせてほしい。


 …………もう疲れた。


「着きましたよ。ここが、私のお勧めする場所です」


 視界が開けた先にあったのは、かなり広めの緑地だった。

 等間隔に物見やぐらのようなものが設置されているだけで、他に目につくものは何もない。地面は裸の空地ではなく、隙間なく草が生え、なおかつきれいに刈り揃えられた明らかに手入れされているもの。なにか目的があるのは明らかだ。


「ここ……ですか?」


「はい。見た目は少々アレですが、それには目をつぶっていただきたい」


 そして、俺たちの目の前にあるのは、この場で唯一といっていい建造物。平屋になった、それなりに大きい建物だ。


 かなり前からあるのか、屋根には苔が生えているし、壁一面にはツタが伸びている。ツタからは何かの花が咲いていて、壁を可愛らしく彩っている。だが、窓ガラスはきれいに磨かれているし、表に出ている巨大な看板はどこも欠けてはいない。ということは、これはグリーンカーテンなのだろうか。


「『ガリン工房』……?」


 横で、雨宮がそう呟いた。


 すると、

 ギィィ……という音を立て、正面の扉が開いた。


「ああ、ジュードさん! お待ちしておりました!」


 出てきたのは、細身の少年だった。短い茶髪にそばかすの、俺たちよりも少しだけ年下に見える背と顔立ちの少年。


「こちらが、お話を通していただいたお客さんですね? こんにちは! ケニーと申します。この工房で見習いをしています。どうぞ良しなに」


 少し高めの声を張り上げ、油で黒く汚れた頬をぬぐってはにかんだ。かなり明るく、純粋そうなきらきらとした瞳をしている。俺たちも、それぞれ自己紹介をする。背中にいるルナのことも、ついでに自己紹介しておく。雨宮の背中でルナがうめいた。多分だが、「よろしく」と聞こえた気がする。


 多分、最初からずっと気になっていたんだろう。チラチラと視線を向けていたルナことを、おずおずとケニーが尋ねた。


「……えっと、そちらのお嬢さんはどうなさったんです?」


「……………………………………乗り物酔い」


 蚊の鳴くような声で、ルナが言う。


「ああ、なるほど。ビーテで酔ったんですね。僕もアレは苦手で……横になる場所を用意しましょうか?」


「そうしてあげてください。案内は私が承りましょう」


「はい! すぐに用意いたします」


 気持ちいいほどはきはきとした口調で返答し、ケニーは踵を返す。しかし、不意に立ち止まり、こちらを向いた。



「おっと、言い忘れていました――――



〝技術開発所〟ガリン工房へようこそ!」

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