第2章ー16話 空中逃避行 1


 屋内は、驚くほどに手入れされていた。

 廊下は綺麗に磨き上げられ、俺たちの靴をぼんやりとだが映している。並べられた機材(のようなもの)も規則正しく積み上げられており、その一つ一つには文字と番号が刻印されている。陽光が窓から差し込み、廊下に暖かな雰囲気を満たす。ワックスがかけられているようで、反射する日光に混ざり、俺たちの靴の縁がわずかだが映っている。


 ルナを寝かせた部屋だって、かなり丁寧に維持管理がされていた。机やいす、ベッドやクローゼットが、新品同様のような状態で配置されていた。しかもそれでいて、人ひとりが過ごすには申し分のない広さの空間が取られている。何よりも、埃ひとつない――そんなこと、普通に考えれば人の手が入っていない状態ではありえない。


 しかしケニー曰く、この部屋は普段物置として使われていたらしい。自分では家具の移動もさせていないし、ましてやベッドのシーツも変えたことはない。それなのに、掃除したての客室のような状態……ますますケニーの言っていることに対しての信頼性が薄れていく。

 その疑問に、


「実は、秘密があるんですよ」


 先導するケニーが、はにかみながらそう言った。


「秘密? お手伝いさんがいる……とか?」


 いや、それは違うか――言葉にしてからその考えをすぐに否定した。

 お手伝いさんがいるのであれば、外があんな風になるまで放っておかないはずだ。それに、この世界でも家政婦という存在は身近らしい。彼・彼女たちのことを秘密というのはいささか大げさすぎるような気がする(ちなみに、敬語は不要と言われたのでお言葉に甘えている)。


 だが、


「はい。そんなところです」


 まさかの正解。だが、完答……というわけでもなかったらしい。振り向いたケニーが浮かべていたのは、(なんとなくそう感じただけだが)悔しさの混じったような苦笑いだ。


「と言いましても、普通のお手伝いさんじゃないんですよね。世話をしてくれているのは妖精なんです。何でも、親方がここに住み着いたころにはもういたらしくて」


「へぇー。どんな姿をしてるんですか?」


 妖精? いま、妖精と申したか? ずいっと、会話に入り込んできたのは雨宮だ。

 妖精といったファンタジーの類が大好きな相棒は、栗色の澄んだ瞳をどこまでも輝かせる。それはまるで、サンタクロースを信じているかのような純粋さ。そのキラキラとした目が何を語っているのかは、すごく簡単に解った。


 会ってみたい。

 多分、こんなところだろう。


 しかし、世の中そう上手くもいかないようだ。


「実は、僕も見たことが無いんですよ。女性だというのは親方から聞いているんですが……どうも僕は、彼女に好かれているわけではないようです」


 申し訳なさそうに、ケニーが笑みを浮かべた。「そうですか……」と、雨宮が肩を落とす。そんなに楽しみだったのか。


 だがひょっとすると、雨宮が見たがっている彼女は予想していたようなファンシーな姿じゃないかもしれないという可能性もある。あこがれていた妖精さんが、実は完全に西洋の図鑑に出てくるような姿であることも十分考えられるのだ。だとすると、夢を壊さなかった可能性もあるというかなんというか……。


 いや、雨宮の場合は見た目なんか気にせず喜ぶような気がする。その次には、見た目で判断するのは良くない! とか言ってオレが怒られるような気もする。


「ですので、もし見えたら僕にも教えてください。――さあ、着きましたよ」


 そんなどうでもいいことを考えていると、いつの間にか、俺たちは廊下の突き当りに来ていた。外から見れば、ちょうど見えていた別棟につながっている部分に当たる。どうやら、ここに親方という人がいるらしい。「親方、お連れしました!」よく通る声を響かせ、ケニーがドアノブをひねる。そのまま勢いよく開き――、


 ドアは、半分ほど空いたところで止まった。

 そして、向こう側ですごい物音がした。


「「「…………」」」


「……あっちゃー、また倒しちゃった。ちょっと待っててください」


 と言って、ケニーは半分ほど空いた隙間から部屋の中に入っていく。すぐに、ゴトゴトという部屋の中から何かを移動させるような音がし出した。まるで、親が急に部屋をノックした時の子供のよう。それが二十秒ほど続き、止まると同時にドアが全開に開く。

 ひょっこりと、ケニーが顔を出した。


「すいません。ここ散らかっているんです。入ってください」


 ◇◆  


 足を踏み入れたそこは、驚くほどごちゃごちゃとした空間だった。

 部屋の形に沿うようにして全方位に棚が置かれ、完全に壁が見えなくなっている。光が入っているのは、窓がある場所にかぶった部分だけ、棚が強引にくりぬかれているからだ。だが、それでもさっきまでの部屋に比べてかなり暗い。多分、元々設計された窓の数は今見えるものよりも多いのだろう。


 棚ごとに様々なものが保管されている。ガラス越しに見えるものは、分厚い本、ホルマリン漬けにされているような何かの標本、小分けされた薬草に色とりどりの鉱物と様々。棚の他にも、何かを削るためと思わしき機械や、棒状に加工された木材の束、ガラスでできた透明な道具などがいくつかある台の上に置かれている。

 とどめに、扉のすぐ近くにたたずみ俺たちを出迎えた骸骨の標本。


 これだけ色々なものがそろっているということは、この場所はおそらく、研究室のようなところなのだろう。もしくは、資材置き場か。どちらにしても、何かを創り出す場所に関係していることは間違いないような気がする。


 何を研究しているのかは、皆目見当がつかないけど。

 それはさておき、


 ――すっげぇきたねえ。


 口に出さなかっただけでも、幾分成長したように感じる。


「すみません、散らかっていて。……親方が、ここだけはお手伝いさんに触らせないんですよ」


「君の親方の掃除下手は筋金入りだね。これでもなんとかなっているのが不思議だ」


 ジュードの言葉に、後ろで崩れた資材の整理を終えたケニーが控えめに笑った。


「それで、君の親方はどこだい?」


「そうだ! 親方どこ行ったんだろ……」


「……ここじゃい!」


 喋った。


「うわっ⁉」


「にぇっ⁉」


 二人そろって、情けない悲鳴が出た。標本がたたずむ場所から、ジャンプ回避で一メートルほど下がる。下がりすぎて、背中に硬いものがぶつかる。痛い。絶対に何か倒した。


 人骨が喋った⁉ 付喪神⁉ だが、現実にそんなことがあるはずもなく。


 標本のさらに後ろ――崩壊した積み荷の中から、一本の短い腕が勢いよく生えた。続いてもう一本。自由になった両腕が崩れた荷物のひとつを掴み、ぐいっと身体を待ちあげる。


 そして、

 スポンと、小柄な上半身が飛び出した。


「何をビビっとるんだ。お前たちは」


 呆れたような野太い声が、頭上から降り注いだ。

 よっこらせ、という掛け声で引っこ抜かれた身体は、ずいぶんと小柄だった。多分、背丈は俺の三分の二くらい。しかし顔は完全に老人のソレで、どう考えても七十はいっていそうな印象を受けた。にもかかわらず衰えたように見えないのは、明らかに慎重に不釣り合いな筋肉、顔半分を覆うとげのような髭の所為だと思う。


「そいつが喋ったとでも思ったか? そんなことあるはずなかろうが……おい、ケニー! 貴様何度言ったら解るっ! 扉を開けるときは慎重にせえ! これで五度目だぞ」


「すみません。親方」


「あまり弟子を責めるものではないよ、ガリン。君が片付ければいいだけじゃないか」


「これでも片付いとるんだ。どこに何があるかはちゃぁんと把握しとる」


 からがらと、荷物を崩しながら滑り台の要領でガリンと言われた老人が下りてくる。危なげなく床へと着地すると、諫めたジュードの顔をまじまじと見つめた。


「……なんだ。少し老けたか?」


「事務作業も疲れるものだよ。一日中こもっていては私も参る。そちらは、相変わらずのようだね」


 挨拶はそれだけだった。興味を失ったようにガリンはジュードから視線を外し、歩き出す。そして、近くにあった振る椅子にどしっと腰を下ろした。


「そんで? こやつらが前に言っとった客か」


「その通り。この方々に色々と見せてもらえるとありがたい」


「そりゃ構わんが……よくもまあ、こんな場所を選んだな」


「君の技術が一番彼らにとって利になると思ったんだ。君のことは、私がよく知っている」


「ふんっ」


 ガリンが、ニタリと笑みを浮かべる。その後立ち上がり、俺たちの方へと歩いて来て右手を差し出した。条件反射的に手を握る。


「お初にお目にかかる、客人。オレはガリン。ドワーフだ。ここで杖の研究をやってる」


「杖?」


「そうだ……と言っても、そうか、それだけじゃわからんか」


 続いて行われた自己紹介に、雨宮が疑問符を浮かべた。それにガリンは頷き、今度は難しい顔をしながらとある一つの棚に向かって歩き出した。


「一つ質問しよう。お前さんたち、魔法使いにとって杖はなぜ必要か知っているか?」


 引き出しになっている部分をごそごそと漁りつつ、後ろを向いたままガリンがそう俺たちに問いかけた。


「それは……事象改変の手助けになるから、ですよね」


「うむ。おおむね正解だな。一から話さんですみそうだ」


 ああ、これだ――そんな呟きと共に、引き出しが閉じられる。

 振り向いたガリンの手には、二本の短い棒があった。そのままガリンは俺たちの方へと近づき、そのまま両手に持ったそれを差し出した。


「嬢ちゃんが言った通り、杖は魔法の助けになる。杖を使わん場合よりも、より精度の高い魔法が使いやすくなる。そしてそれは、良い杖になるほど顕著だ。そこで訊こう。この二本、良い杖はどっちだ?」


 差し出された棒は、三十センチほどの細い杖だった。火力よりも魔法発動の速さを武器にした杖で、室内で使用したり、護身用に好まれたりする小型杖『ライト・アイガー』と呼ばれる種類の杖だ。


 しかし、その外見は大きく異なる。一本は黒光りする表面に、歪みのないまっすぐな姿。対してもう一方は、表面は艶やかで、それでいて雪のように真っ白な色をしている。しかし色はともかくとしても、表面がとにかく歪だ。木の節のような部分がいくつも見えているし、杖の形も少し曲がっていてとてもまっすぐとは言えない。形はどう見ても、加工を失敗したそれにしか見えない。


 普通に見るなら、黒い杖が良質のものだと考えるのが自然だ。それくらい、見た目の違いがある。

 しかし、雨宮の答えは違った。


「白の杖ですね」


「理由は?」


「材質です。そっちは加工してあって判りませんが。こっちは無加工です。無加工でこんなに真っ白っていうことは、この木はシロガネスギですよね? でしたら――、」


「シロガネスギは最高級木材の一つ、それ以上のものは無し、よって白が正解か。合格だ。嬢ちゃんはなかなか優秀だな」


 驚いたようにガリンが目を丸くし、しばたかせる。そして、口元に凶暴な笑みを浮かべ、ガハハと豪快に笑った。


「いまの嬢ちゃんのように、杖の等級ってのは材質で決められる。その理由は、高級な材料ほどマナの伝導率がいいからだ。だがな、それは極論言えばどんな材質だろうと大量のマナの伝導に耐えられるのなら、等級の高い杖になりえるってことでもある。まぁ、普通はそんなもの見てわかるはずもないからこそ、杖の等級は材質で分かれてるっていってもいいが」


「つまり、ガリンさんの研究は……マナの伝導率を上げること?」


「そうとも。坊主も分かってるじゃないか!」


 豪快に笑い、右手に持つ黒い杖でガリンは俺をビシッと指した。そして、目の前で何の気なしに杖をクルクルと回して弄ぶ。


「どんなに悪い材料だろうが、うまく加工しさえすれば伝導率を何倍にも上げられる。それだけでも加工が下手な上級の杖以上の力が出せる。ここは、その加工理論を研究している場所なのさ」


「それで?」と、ガリンは今のいままで沈黙を保っていたジュードの方へと顔を向ける。


「ここに連れてきたってことは、この嬢ちゃんの杖を加工し直せってことでいいのか?」


「できるんですか?」


「無論。だがまあ、試作段階だからな。あまり無茶な改造はしてやれんが……嬢ちゃん、やってみるか?」


「はい! お願いします」


「そうか。じゃあ少しばかり杖を見せてくれ」


 新しいおもちゃをもらったかのような無邪気な雨宮に、まんざらでもなさそうな様子でまたガリンは笑う。雨宮がもっていた杖を受け取ると、それを舐めまわすように観察する。


「材質は強度重視のハガネダケか。長さは一メルタ三十……用途は後方支援用……」


 そう言ったのち、自身の身長ほどあるその杖を、手でつかめるギリギリの位置で握りしめる。


「浮けラパ」


 ひと言、呟いた。


 刹那、木のきしむ音が耳に届いた。

 その音を発しているのは、乱雑に積まれた大小の荷物だ。さっきまで部屋をふさいでいた彼らは、今度はぎしぎしと音を立てて小刻みに揺れている――そう思った直後、


 ものすごい音を立てて、一斉に宙へと放りだされた。


 天井が高いこの空間を、所狭しと荷物たちが占めていく。普通ならば、すぐに床へと叩きつけられるのが常識だろう。だが、荷物たちはまるで意思でも持っているかのように空中に停止し、ふわふわと浮かんでいる。当然これは、自然に起こった現象じゃない。人為的に起こされた超常現象――魔法だ。


「ふさわしい場所へ」


 術者であるガリンが、荷物たちにそう命じる。すると、さっきまで無秩序に宙を舞っていた彼らは、軍隊よろしく一斉に整列し、先ほどの場所へと腰を下ろしていく。それも無計画にではない。大きいものが下になり、その上に小さいものが重なっていく。時々荷物同士はぶつかりながら、それでも順番を破ることなく、規則正しく積み上がっていく。


 たった数十秒。

 それだけで、無秩序に積み上がる荷物の山は正方形のキューブへと形を変えてしまった。


「……うん。いい杖だ」


 それを行った張本人は、そう言って優しく杖へとほほ笑んだ。


「そんじゃ、これは預かっておくぞ。次に来た時までに渡してやる。……さて、問題はお前さんだな」


「俺、ですか?」


「ああ」


 眉間にしわを寄せ、どうしたもんかなぁ、と小声でつぶやきガリンが頬をかく。 


「見たところ、魔法士ではなく剣士だろう? ここは魔法使い用の研究所だからな、お前さんを楽しませるものがあるかどうか……」


 すると、沈黙を保っていたジュードが口を開いた。


「アレを見せてみてはどうだろうか? 彼はオドの保有量が常人よりも多いらしい。もしかしたら使えるかもしれない」


「アレ? ……ああ、〝あれ〟のことか。そいつはいい」


 ジュードの申し出に、一瞬ガリンが宙を見る。だが、すぐに何を言わんとしているのか思い至ったらしく、ガハハと豪快に笑って了承した。


 当事者の俺抜きで。


「坊主、ちょっと暇つぶしをしようじゃないか」


「え? えーっと、何を?」


 思わずそう訊き返す。すると今度は、浮かべていた笑みがニタリという意地悪いものになった。


「まあ安心しろ。さっきの人骨びっくりよりはマシだ」


「…………」


 ……言っておくが、「にぇっ⁉」は雨宮だ。

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