第2章ー14話 船上のライオン 1

 そう言って連れられた先に合ったのは、席が七つ付けられたボートだった。

 しかしそれは、全体的にかなり細身で狭く、縦に長いもの。塗装された船体は艶やかな暗めの赤で、頭上から照らす陽光を受けて誇らしげに身体を光らせる。細長く上を向く船首の先には、金色に塗られたカラスのような鳥が船の進む先を見据えている。こう見ると、ボートというよりもゴンドラに近いような気がする。


「わぁー……! きれいっ」


「…………船」


「これに乗るんですか?」


「ええ。これから向かう場所は、街中に通る水路の先にあるのです。ちょうど、あの世界樹の裏側にあたります。せっかくですので、船での旅をお楽しみください」


 キラキラした目をしながら、雨宮は真っ先にゴンドラ――こちらの世界では「ビーテ」と呼ぶらしい――へと乗り込む。続いて、水を恐れる猫のようにルナが乗り込み、雨宮の真横へちょこんと座った。席配置の関係で、俺はふたりと向かい合うように座る。


 向かい合う二人との間には小さなテーブルがあり、窪みのうち三つにはカップが置かれていた。「ご自由にどうぞ」と、いつの間にか選手の方に移動していたジュードが言った。下を見ると、リュックサイズの小箱が置いてある。開けてみると、中には包まれた焼き菓子のようなものが入っていた。


「それでは、出発いたします」


 ぐいっと、ジュードが船着き場を足で押す。反発によってゴンドラは推進力を得、ゆっくりと船着き場から離れていく。オールを操るたび、船は徐々に速度を上げていく。小走りするような速度になったころ、船は湖の出口へと差し掛かっていた。


「ここからは市街地となります」


 出口にある水門をくぐる。途端に、雰囲気が変わる。

 何本も伸びていた水路のひとつ。俺たちが進んでいるこの水路では、日本にいたころは見たことのない不思議な光景が視界両端から迫ってくる。


 木がある。そして、石壁がある。それら自体は何も不思議な材料ではない。不思議なのは材料ではなく、その組み合わせだ。


 木の中に、家があるのだ。樹齢いくらか解らないほどの大樹がそこら中に生え、その一つ一つがくりぬかれていて、中では様々な人が生活しているのが見える。水面から出ているこの石壁も、厳密に言うと大木が生えているのだ。その隙間を、石で補強しているといった方が正しい。


「不思議な街並みでしょう」


 トールを動かし、時に引き上げながら、器用にジュードが顔をこちらに向ける。


「どちらが先に在ったかというと、木が先に在ったのですよ。その地に我々が住み着き、枯れた木の中身をくりぬいて家にした。そう伝えられています」


「ということは、この場所が一番古い……?」


「その通りです。今では、一番古いこの場所は商業エリアとして使用されています」


 気が付くと、ゴンドラは町中に出ていた。狭い水路から大きい本流に合流し、大きく方向転換をする。視界が開け、建物で遮られていた日光が瞳孔をきつく締めあげる。わずかにゴンドラが揺れ、「クエっ……」という音が聞こえた気がした。


「すごい! 市場!」


「実験施設として土地を貸してはいますが、そうは言っても住人の大半はここで生まれ育った国民です。数も多いですから、市場はにぎわいますよ。ちなみに、朝晩の二回行われます」


 ゴンドラが行きかう水路の両舷には、大小さまざまなテントが張られていた。その向こうでは、「安いよ!」とか、「採れたての新鮮だよ!」などといった活気のいい声が聞こえてくる。


 しかも、背中の位置になる俺たちの側の布には大きく店名と商品が書かれている。空き箱の上に、商品を載せている店もある。それは、野菜、果物、魚、肉、古本に魔よけのアクセサリーに護身用の小道具と多種多様。何というか……見ていてすごく楽しい。


「食べ物ばっかりじゃないんですね」


「そうですね。ここに並んでいるモノの大半は入荷したての食べ物の他にも在庫処理の道具などがあります」


「在庫処理って……」


「ですが食べ物同様、新鮮で仕入れたてのものも多いので、掘り出し物が混ざっている可能性はかなり高いと言えるでしょうね。ここで売られる雑貨はそういった目で見ることをお勧めします。帰りは近くの船着き場にお泊めいたしますので、お買い物をお楽しみください」


「あ! 夕方に魔石入荷予定だって!」


 興奮気味に左右を眺めていた雨宮が、目を輝かせたのが声だけで判った。


「ここの魔石は品質がいいって聞くし、帰りに買っていこうよ。色んなものに応用できそう!」


「解ったから、暴れんなって」


「ああ、ご、ごめん。つい」


「ハルカ様は、魔法士でしたね。それならぴったりのものが見つかること間違いなしでしょう」


「そう名乗れるほど技量はありませんよっ」


「ああ、共通国際資格を取ってはいませんでしたか」


「そういうことでもないんです」


 両手を前に突き出し、食い気味に、雨宮は否定する。


「まだまだ修行しなくちゃいけないんです。胸を張れるほど力はありませんから……」


「おや。ミレーナ様からは、魔法士など相手じゃない、自分よりも優秀な弟子と聞いていたのですが」


「……へ?」


 ぽかんと、雨宮の口が開いた。不意打ちを食らったように、動きが停止する。そこまでの様子はまるで、ねじを巻いた人形が動き回って止まったかのように見えた。


「おっと、言ってはいけないことでしたか。お忘れください」


 しまったと苦笑し、ジュードは前方へと顔を戻した。そのまま何食わぬ様子でオールを動かす。しかし、その笑みは苦笑いとはまた別もののように俺には見えた。多分、今のはわざとだ。

 だが、雨宮はそんなことを気にしていられ様子ではなかったようだ。


「ミレーナ、さんが……」


 顔を戻せば、そこには茹でダコのように朱に顔を染めた雨宮がいた。口元は明らかに緩んでいるし、いつもの癖で服の端を指先でつかんでいる。ちなみに、それをするのは照れているときだ。


 ミレーナは、優しいけれど修行には厳しい。弟子だからとか、身内だからとか、そんな理由で甘くしたりはしない、むしろ厳しいくらいだ。それは、この世界で「妥協をする」ということが何を招くのか知っているから。


 だけど、いや、だからこそ、嘘はつかないし、納得のいくレベルまで到達すればしっかりと褒めてくれる。甘くないが、理不尽というわけでも評価しないわけでもないのだ。


 ミレーナがジュードにそう言ったということは、つまりはそういうことだ。嘘をつくのが嫌いなのだから、言葉はそれ以外の意味を持たない。雨宮に言っていなかったのは、本人に伝えるレベルにまでは到達していないということだろうか。それとも、伝えると舞い上がってしまうと思ったからだろうか。


 もちろん、そんなことはミレーナにしか解らない。だが、どっちだとしても、ミレーナが雨宮をそこまで評価していることに変わりはない。なぜだろう、俺まで嬉しくなる。


「素直に受け取ればいいんじゃね? それで舞い上がらないようにすればいいじゃん」


「うん……」


 雨宮から視線を外し、少し中心部を過ぎたマーケットに目をやる。「やった」と、そんな小さな声が聞こえた気がした。


 そのとき、


「………………楽し、そうなとこ、ごめん」


 弱々しいルナの声が、雨宮の隣から聞こえた。

 顔を向けてみれば、そこにあったのは真っ青な顔とうつろな目をしたルナ。その様子は、声から想定したそのままのものだった。


「そん、なに、揺れないから、大丈、夫かと思ったんだけど……」


 弱々しいくせに、喋りはなぜか早口。まるで、ゆっくり喋る訳にはいかない事情があるような――――、

 船+水上+青い顔…………。


「「………………………」」


 つうぅっと、嫌な汗が伝った。


「る、ルナ?」


「おい。まさか、まさかだよな?」


 脳裏には、いまこの状況で一番可能性が高く、一番最悪なシチュエーションが浮かんでいる。

 喉を押さえ、ごくりと、何かを飲み込んで抑えるような動きをした後、ルナがゆっくりと首を縦に振り――、


「………………き、…………………………気持ちわるい」


 泣きそうな声で、泣きたくなる言葉を吐き出した。


「「………………………」」


 フリーズ。

 ホールド・オン・ア・ミニッツ。


 ――再起動。


「お前! ちょっと待て! 吐くな、絶対に吐くなよ⁉」


「お願いだから、もう少し頑張って――――ジュードさぁぁぁん‼ 袋! 袋ありませんか⁉」


「袋でしたら、そちらの小箱の中に――」


「あった! 待て! 広げるからもうちょっと待て‼」


「………………もう、む、り」


「もうちょっと頑張って! 神谷くんまだ⁉」


「あ、こっち逆だ」


「早くぅぅぅぅう‼」

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