第95話 オレの勝ちだ 2
――奴は、四方魔法陣が使えます。正確にはそれに似たものですが、その領域内にいたら間違いなく死ぬということだけは確かです。
――四方魔法陣ということは、恐らく、オドの過剰活性が原因だと思われます。だとすれば、その領域から出ていれば死ぬことはないはずです。
違う。全く別物だったんだ。
作戦時に話した言葉がよみがえる。それが、全く見当違いのことを言っていたのだといまさら理解する。あれは、四方魔法陣なんかじゃなかった。それによく似た全く別の何かだ。
今やっと解った。記憶にあったあの場所で起こったのは、四方魔法陣じゃない。もっとずっと単純なもの――瘴気濃度の急激な上昇だったのだ。マスクをしなければ命など数秒で尽きてしまうほどに高濃度の瘴気がまき散らされていたのだ。
「……クソッ」
舌打ちする。これなら、四方魔法陣の方がまだましだった。
四方魔法陣の攻撃は、オドを過活動状態にさせるという効果が瞬間的なものだ。サークルから距離を取ってさえいれば、魔法の影響を受けることは皆無。発動時にその場にいなければ、すぐに攻略が再開できる。再突入したところで、魔法の効果はもう消えている。
だけど、これは違う。これは、ただ単純に瘴気をまき散らしただけなのだ。バケツをひっくり返すように、瘴気という水をぶちまけただけ。ぶちまけられた水は、乾くまでその場に留まり続ける。
瘴気が、消えることはない。
この濃すぎる瘴気じゃ、魔法はまともに発動しない。それに、いま俺たちが生きていられるのはマスクをかぶっているからだ。外した瞬間、瘴気で内臓がイカレてしまう。
魔法支援→なし。
マスクも外せない=回復薬→使用不可。
無い。無い。無いもの尽くし。このままじゃ……、
俺たちは、何もできないじゃないか。
「――ッ」
唇をかむ。唇が裂けたのか、口の中に鉄臭い風味が広がる。
ヴィンセント・コボルバルドは動かない。技を発動した反動だろうか。いまこの瞬間も、あの巨体には目に見える輝線がいくつも浮かんでは消えている。いま全力で攻撃すれば、確実に動きを止められる。腕の一本や二本は確実に斬り落とせるというのに。
突然、
「――――? ケホッ、エホッ!」
喉に違和感が生じた。
思わずせき込む。何かが詰まったときの感じじゃない。もっとこう……煙を吸い込んだ時に感じるあれだ。明らか人体に有毒なものを吸い込んだ時に出る拒絶反応に近い。
いつしかそれは、のどを焦がすような痛みに変わっていた。せき込む。何度もせき込む。しかし、どうやってもこの違和感は取れることなく、どれだけ吐き出しても吐き出した量よりも多いそれが新たに侵入してくる。
その〝何か〟はまるで、ここ一帯すべてに漂っているようで――、
――まさか……ッ。
計測器に(正確には、そこにはめ込まれた晶石)に目を落とす。持っても望んでいない状況が、俺の目に飛び込んできた。
晶石が、黒く変色している。
晶石は、吸収限界まで瘴気を取り込んでしまうと黒く変色する。つまりここ一帯には、主席が一瞬でこうなってしまうほどの瘴気が滞留しているということになる。そんなもの、人体の許容限界までしか測ることのできない計測器じゃ測れるはずない。
それに、計測器にはめ込まれている石は俺のマスクに内蔵されているものを砕いた破片だ。つまり、いま俺がつけているマスクの中は、この石と同じ状態になっている。もちろん、そんな状態でマスクがまともに機能するはずがない。
このままでは、俺はすぐに瘴気中毒だ。
『三番隊、マスクが使用限界。もう戦えない!』
しかも、それは俺だけではなかった。通信機からは、各分隊から連絡が入ってくる。もうあと一押しなのに、もうあと一歩なのに、それができない。
考えろ、考えろ考えろ!
もうあと少しなんだ。あと少しで倒せるんだっ。考えろ。魔法も攻撃もできないこの状況で、ヤツを倒せる一手を。どうにかするための一手を。
考えなくてはいけなかった。
「時間切れです。撤退しましょう」
背中から、その声がかけられた。独特の声。見なくても解かる。声の主は今、無表情で俺を見つめている。
「でも!」
それでも、食い下がる。なぜなら、こんなチャンスはもう二度とないんだから。
いまあいつは、自らの瘴気を出しすぎて動かないだけだ。すぐに瘴気が補充され、動き出す。そうなれば、また最初の状態に逆戻りだ。それに、放置する以上瘴気は再びたまり続ける。もう、いまと同じ強さということはないはずだ。むしろ、いまよりも強くなるだけ戦況は悪化する。装備をもう一度整えるまでに、ここにいる俺たちだけでは確実に手に負えなくなる。
ここで撤退すれば、もうここまで追いつめられることはない。
「私たちにできるのはここまでです」
「…………ッ」
「引き際を見誤るな」
ぴしゃりと、そう言い放たれる。その表情が、無表情を通り越し能面のように無機物的なものになっていく。会話をする意思など、端から存在しないと言わんばかりに。
「いまの装備では、アレを倒しきれはしません」
動けない。何も言い返せない。
あとほんの一撃ですべてが終わる。もう少しで、この迷宮が完全に攻略できる。
冗談じゃなく、今が勝機なのだ。攻略隊の損傷率、ヴィンセント・コボルバルドの受けたダメージ量・核の保有する瘴気の量・攻撃力――どれ一つとってもいま以上に良い状態に持っていくことはもうできない。この瘴気濃度だ、突入可能になるまで時間がかかるはずだ。その間に、奴が強化されてしまうのは確実。
それでも、レグ大尉の言葉には反論できなかった。
俺には、どうすることもできないから。
「………………撤退します」
どうにか、その言葉を絞り出す。通信機の回線をつなぐ。全員に向けて発する「退却」という言葉のために、私情を殴り捨てる。
「全員――――」
響いたのは、人外の絶叫だった。
「……は?」
退却の合図は、間抜けな疑問詞へと変わる
ヴィンセント・コボルバルドが、何者かに縫い付けられたかのように地面へと突っ伏した。巨体に刺さっているのは、俺の身体ほどの直径を持つ氷の杭。それが何本も突き刺さり、貫通して瘴気をまき散らす。
ごうっ! と、突風が吹き荒れた。真後ろから叩きつける突風が、俺たちの周りにある空気と入れ替わるように広間内へと侵入する。さっきまであった痛みが和らいでいく。瘴気濃度が下がっていくのが、計測器を見なくとも解った。
風上はもちろん、広面の入り口。
振り返る。そこにいたのは、よく知った人だった。
この世界で生きる術を教えてくれた、命の恩人。そして、俺がいま一番会いたくない人。
「ずいぶんと苦戦しているようじゃないか」
魔導士ミレーナが、不敵な笑みを浮かべ迷宮攻略戦に乱入した。
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