第96話 オレの勝ちだ 3

「ミレーナさん……どうして」


 こんな時だというのに、真っ先に浮かんだのはそれだった。全く理解できなかった。彼女がここにいる理由が思いつかなかった。


 ミレーナは、俺たちを拾ってから色々と調整を行っていた。いまだって、ミレーナは王都にいるはずだったのだ。王都とここの距離は、一日やそこらで踏破できるようなものじゃなかったはずだ。だというのに何故、ミレーナがここにいるというのか。


「まったく。自分の命を優先しろと言ったはずだが?」


「…………すいません」


 そんな思いなど知る由もなく、ミレーナのジトリとした視線が俺だけに注がれる。しばらくそうした後、心底疲れたように大きなため息をついた。


「ハルカも相当だが……君も大概だぞ」


「雨宮も……?」


「ん? ああ。私をここに引っ張ってきたのがハルカだってことだ。まあ、それは後だ――」


 そこで言葉を切る。ミレーナの視線が、俺からヴィンセント・コボルバルドに移る。


「あいつを何とかしようか」


 ほんの数秒、目を細め、黙って奴を見つめる。彼女から蒸気のように吹き出してくる、威圧にも似た何か。それに俺たちは囚われ、何もできなくなる。見ているのはヴィンセント・コボルバルド。そして、突き刺さった氷柱。


 見つめるその顔は、なぜか何とも苦いものだった。


「あなたにしてはお粗末ですね。さっさと核を狙えばよかったものを」


「解っているくせに」


 声をかけたのは、今まで黙っていたレグ大尉。しかし、それを聞いてもミレーナが振り返ることなく、

 あくまで視線はそのままであった。


「逸れた。瘴気が濃すぎて制御が利かない」


 どよめきが起こった。あのミレーナがと、ここにいる者ほとんどが仰天していた。

 これは、ミレーナに拾われてからかなり後になって聞いた話だ。彼女は、他の追随を許さないほど優秀な魔導士であるらしい。そもそも、『魔導士』という肩書きは勝手に名乗ることができず、かつそう名乗れる人間はほとんどいないらしい。


「魔術師」「魔法士」の二つを合わせその最も上に位置するのが「魔導士」という称号なのだ。地を割り、海を凍てつかせる――そう言った人知を超える力を持つ者が名乗れる称号なのだ。


 本当は、ミレーナが現れた時かすかに期待したのだ。魔導士という称号を持つ彼女なら、俺たちにできないことができるのではないか。この状況を、何とかひっくり返すことができるのではないか、と。


 しかし、先の一言で否応なしに解ってしまった。理解せざるを得なかった。「魔導士」をもってして魔法が逸れる、それが意味することについて。


 彼女ですらもできないことが、俺たちにできるはずがない。


「一度撤退だ。この状況では、私でもどうにもならん」


 ミレーナはそう言って、未だ動けないヴィンセント・コボルバルドに背を向ける。いま叩けば倒せそうな状態であるのに、そんなことは関係ないとでも言いたげな態度。それに反対する人間は、この場には一人もいなかった。この状況では何もできないことを、いち早く察していたのだ。


 俺を除いて。


 皆が撤退の体勢を整え、ゆっくりと後退していく。もう誰も、ヴィンセント・コボルバルドに目を向けることはない。


 しかし俺は、その場に立ち止まったままだった。

 右ポケットに手を入れる。すると、むこうの世界で触り慣れたつるりとした感触が指先をなでる。溶けもせず、何の味もしない、プラスチックの感触。少し揺さぶれば、中で錠剤がころころと転がる振動が手に伝わる。


 ――……これを、使えば……。


 ついさっき、不意にこれの存在を思い出した。

 ひとつだけ、この状況をどうにかできるかもしれない手があった。瘴気の濃度に関係なく、確実にダメージを与えられ、かつ倒せる可能性の高いものが。しかも、俺にしかできないことが。


 問題は、これを使うには一人ではリスキーすぎるということ。どうにかして、ミレーナの支援を得なければ使えない。でも、そのまま話したところでミレーナは却下するはずだ。どうにかして、認めさせなければ。


 このボスモンスターを、倒したいのならば。


「……ミレーナさん」


「ダメだ」


 予想通り。


 振り向きもせず、ミレーナは俺の言葉を切り捨てる。


「瘴気の濃度が高すぎる。こんなところで、これ以上奴に通じるような魔法を使えば、誤爆でこっちが自滅しかねん」


「援護だけでいいんです」


「ふざけるな。わざわざ弟子を死にに行かせるようなまね、させるはずないだろう。それとも何か? 確実に勝てる算段でもあるのか?」


 ミレーナは、俺なんかよりもよっぽど頭の回転が速い。この場面ではったりをかましても、すぐに矛盾点を見つかられてしまうという確信がある。嘘をついても、何のメリットもない。


「確証は……ないです」


「なら却下だ」


 取り繕っても見抜かれる。感情論は問題外だ。もともと、俺は交渉できる立場じゃない。


「だけど、」


 説得以外で、俺の要求を通し、かつミレーナの支援を貰う……俺の作戦を特攻にしなくてすむような方法があるとすれば、思いつくのはこれしかない、


「もしミレーナさんが援護してくれないなら、俺は後三十秒で死にます」


「…………」


 これは、脅迫だ。ミレーナの良心を利用した、一番汚い手段だ。


「それを聞いて、私が何もしないと思うのか?」


「そうされるって解ってて、何もしてないと思いますか?」


 これが、最初で最後のはったりだ。ミレーナにはそれを見破るすべはない、そう見越した上での大博打だ。


 ここじゃなければ、ミレーナは問答無用で俺を組み伏せているはずだ。だがここでは、魔法を打つことそのものがリスクの塊になる。下手したら、気絶させるつもりで俺を殺してしまうかもしれない。いや、ミレーナならばおそらくそんなヘマはしない。例え百回同じこの条件で俺を拘束しても、成功する予感がある。


〝予感がある〟だ。


 失敗する可能性が、ゼロになるわけじゃない。魔導士であるミレーナをもってしても魔法が逸れるこの場所で、俺が用意したという対策。その不確定要素二つを鑑みれば、魔法が失敗する可能性が上がることは自明の理だ。


 魔法制御が不安定な空間、容易に嘘とは断定できない対ミレーナ用手段、そして、それを言っているのは自分の愛弟子――、


 そんな状況だからこそ、こんなことができる。

 この脅迫が、成立する可能性が出てくる。


「三分です。それで無理なら、気絶させてでも止めてください」


 最低限の理性は残っていることを見せる。決して、自暴自棄な特攻ではないことを確信させる。


「…………」


 ミレーナは何を思っているのか、俺にはさっぱり読み取れない。何の感情見とれない、無感情にさえ見える瞳。いや、もしかしたら色んな感情が混ざり過ぎてそう見えてしまうのかもしれない。


 俺を見つめる双眸は、わずかに揺れていた。目を逸らしたら負けだ、何故かそう思ってしまい、俺も黙ってミレーナを見つめる。絶対に譲るつもりはない、そんな決意を込めて。


 思い返せば、どうして俺はここまでこだわっているんだろう。自分の命を懸けてまで、ヴィンセント・コボルバルドを攻略しようと躍起になっているのだろう。


 このタイミングを逃せば、迷宮の攻略が危うくなってしまうから? それはもちろんあると思う。だけど多分、それは付属品に過ぎないんだと思う。あくまで、外面をおおっている部分に過ぎない。根幹にあるのは、そんな気持ちじゃない。


 ここに来てから、ずっとそうだった。

 何故か、思ってしまうのだ。俺自身はこの怪物にも、迷宮にも、接点といえるものは何もない。そもそも、ガルダが来なければ始まりもしなかったことだ。それでも、心のどこかで誰かが叫んでいるのだ。


 これは、オレがやらなきゃいけないことなんだと。


「…………全く」


 永遠にも思える数秒が過ぎたころ、ポツリとミレーナが呟いた。


「どうしてそこまで似ているんだ。君たちは……ッ」


 その声には、はっきりとした苛立ちがこもっていたのが解った。それだけじゃない。ガシガシと、ミレーナは乱暴に頭を掻く。整えてあった髪が見る間にぼさぼさになっていく。


 そして、


「三分が限度だ」


「充分です。ジャストで多分倒れますから」


 それは、事実上の援護宣言。

 そう返し終わる前に、ポケットから錠剤の入ったプラスチックケースを取り出す。中に入っているのは、錬成術――正確には魔法薬学――の知識を用いて作り出した秘密兵器。すぐさまふたを開け、数すら見ず乱暴に手の平へとぶちまける。指先で二つだけつかみ、それ以外はすべて地面にまき散らす。


「……! イツキ、まさか」


 残念。もう遅い。


 何をしようとしているのか、ミレーナはすぐさま理解したのだろう。すぐに静止しようと、俺に声をかける。だが、それすら無視して錠剤をかみ砕いた。


「うえッ⁉」


 その途端、舌が燃え上がるような感覚に襲われる。それでも構わず、唾液と共に一気に飲み込む。胃の中がカアッと熱くなる。数秒もしないうちに、全身を火で炙られているような激痛が襲う。


 カチリ――――ッ。


 身体の中で、何かが外れたような感触がした。

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