第38話 六角薄雪 1
ドシンッというかなり乱暴な衝撃が、身体を伝う。衝撃ではなく痛みにさえ感じるほどであったはずなのに、いまはそれすら心地よい。後藤が、両腕で俺たちを抱きしめたのだ。おとなしく、左右の肩に顔をうずめ、感傷に浸る。目の奥から、熱い何かが上がってくるような感覚がした。
「お前らぁ……晴香だよなぁ……樹だよなぁ……!」
「はい。そうです……! わたしたちです……!」
耳元で、後藤が嗚咽を上げる声が聞こえる。雨宮が涙をこらえたような声で返事をし、それを肯定するように俺も後藤へと回す手に力を籠める。それを聞くや否や、後藤の嗚咽は噛み殺せないほどのものになっていく。
「そうか、そうかぁ……! よかった! 俺ァてっきり、あのとき死んじまったとぉぉ……‼」
それを聞いた瞬間、俺の目からも熱い雫がこぼれた。もう流さないと決めたはずのものが、際限なく、止めどなく、特大サイズで零れ落ちる。これは喜びの涙なのだからと勝手な理由をつけ、止めることはせず代わりに腕の力をさらに強める。絶対痛いはずなのに、俺たちを抱く後藤の腕は、俺たちを決して離すことはしなかった。
ずっと、死んだものと思っていたのだ。
心の中では生きているはずがないと諦めていた。生きていると言い張ったのは、そうしないと心の均衡を保てなかったから。だが内心、こんな幸運だったのは俺たちくらいしかいないと、勝手に後藤を殺していた。
これが言霊なのだろうか。口に出された言葉は、何らかの結果を伴い発言者の前に現れる。そんなものは単なる気の持ちように過ぎなく、やる気のある人ならば発しなくても叶えてしまうし、やる気がないなら言ったところで無意味に違いないとずっと思っていた。もしかして伝説は、いまこのようなときに生まれるのだろうか。こうやって、いま伝わっているものは生まれ語り継がれてきたのだろうか。
全く非科学的、根拠すらない言い伝えを、いまなら信じられるような気がした。どんなに非科学的だろうが、この結末を知っていたらもしあの時に戻ったとしても、死んでしまったとは口が裂けても言えない。言いたくない。もしかしたら、いまが変わってしまうかもしれないから。
嗚咽を漏らす、男女三人。
その光景は、後藤の親方が通りかかるまで、延々と続いた。
◆◇
いい武器屋なら教えてやるよ!
事情を聴いた後藤は俺たちに、おすすめの武器屋を教えてくれた、聞くところによると、後藤が働いている鍛冶屋がそこに簡単な武器と特殊インゴットを下ろしているらしい。その場所は偶然なのかどうなのか、ミレーナからもらった地図に記された場所と全く同じ。暇があればと後藤が働く鍛冶屋の住所を渡されたのちに、まだ仕事があるからと言った後藤に別れを告げ十数分、俺たちはお目当ての武具店にたどり着く。
「ここ……だよね?」
「一応だけど看板はあるし、ここなんだろ。…………多分」
雨宮も俺も確証はない。それほどその店は判りにくかった。
建物は大きめだが、如何せんそれ自体がボロ家と言っても差し支えないほどの状態。壁には穴が開いているわ、窓は割れているわで、こうやって建物としてまだ存在していることそのものが不思議なくらい。看板も、二〇二〇年代の旧式ノートパソコンほどの大きさ。しかも、それだけが妙にしっかりしていてなおさら怖い。売り子の老婆が言っていた通り看板が極端に小さいため、なんとか「そうかも?」と思える程度だ。看板についた金属片も、一応は《OPEN》となっているし。
あの忠告を聞いていてなお、信じがたい。もし聞いていなければ、間違いなく店を間違えたと思ってしまっただろう。
「…………入るぞ?」
「……うん」
とは言え、ルナとの待ち合わせ時間もあるのだ。ここでもたもたしていても仕方がない。雨宮と目配せをし、錆びついたドアノブを回す。カチリというわずかな引っ掛かりがあったが、それ以降ノブは存外滑らかに動いた。そして――、
ポロリと外れた。
「「………………」」
…………。
…………………。
………………。
……………………………………ちくせう、やってられっか。
「スンマセーン! ノブ・コワレタ・ノブ‼」
「ちょっとぉぉお⁉」
雨宮の制止を振り切り。ノブを投げ捨て、外れた扉をドンドンと叩く。
「クソッ、何で俺ばっかこんなことになるんだよ! こっちはギルドの件で頭いっぱいなんだよ‼ 請求されたら破産確定なんだよ‼ どんな顔してあそこで住めばいいんだよ畜生‼ 知らないからな! 俺、絶対知らないからな⁉」
「待って⁉ 待って‼ ドアも壊れる‼」
雨宮が何か言っている。だが、そんなことを考える余裕なんてもう残ってなんかいなかった。
ギルドの事件だって、いくら不可抗力であったとしても、俺のせいと言われれば否定なんかできるはずもない。実際、俺が壊したことにかわりないのだ。いままでの予想からしてミレーナが支払ってくれるだろうが、そんなことが起ころうものならどうやってあの家に住めばいいのか。居候の身で、居候先に多額の請求を押し付ける俺――なんて疫病神だ!
いくら他人の目を気にしないといっても、この気にしないとは訳が違う。支払わせた本人たちの前で、平然と生活するほど俺の心は図太くない。流石に……というより当たり前にそこら辺を気にするほどの神経はある。どうすればいいんだ本当に! 何で俺ばっかりがこんなことになるんだまったく!
そう言って扉の前で騒いでいると、
「――――あがっ⁉」
突然、目の前で火花が散った。クラリと身体が傾き、雨宮に支えられたのだということを理解するのにさえ数秒の時間を要した。いままでの思考が一瞬リセットされる。ここはどこで、自分が何をしているのかが現在進行形でわからなくなっていく。瞬く間に、頭の中が真っ白になる。身体の感覚すらも、数舜の間ロストする。
目の前の扉に頭をぶつけたのだ。それを理解するのには、体感時間でたっぷり十秒が必要だった。それを理解したとたんに、頭蓋全体に締め付けるような痛みも戻ってきたため、「おぉぉ……」という変なうめき声をあげてうずくまる。
「…………何をやってる。早く入ってこい」
頭の上から、声が降ってきた。
声からして、どう考えても男性だろう。涙目で顔を上げてみれば、案の定そこにいたのは大柄な体形をした浅黒い肌の男性。そして不思議なことに、耳がとがっている。ルナがいることから考えるに、もしかしたらエルフ――それもドワーフという種族だろうか。
「ごめんなさい! ノブが壊れちゃって……」
「……ノブ?」
痛みで喋れない俺の代わりに、雨宮が誤り状況を説明してくれる。雨宮の言葉に首をかしげる男性だが、地面に転がるドアノブを見つけると、ああ、そういうことか、と頷いた。
「別に構わん。そいつはほとんど取れかけてたヤツだ。早く入ってこい」
「落っこちたやつもな」と背中越しに伝え、男性はノブが抜けたことでできた穴に指を突っ込み強引に扉を閉めた。穴からは、室内の光が漏れている。
「…………行こっか」
「悪い、迷惑かけた」
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