第10話 山岳行進曲

 山を登る。開口一番、後藤が打診したのはそれだった。


「景色からして、俺たちがいるのは山の中腹だ。ここにいたんじゃ反対側が見えない。人がいるのかも解らん。その点、頂上に登ればこの辺り全体を見渡せる。それに、遭難したら頂上に登れってのは山登りの基本だ」


「だけど、なんでいまなんだ? もう少し様子を見ても……」


 当然、集まった者たちの中から疑問の声が上がる。

 ここがどこだか分からない以上、やみくもに動くのは危険では? そんな意見も上がった。


「確かにそうなんだが、そうも言っていられなくてな……長谷川さん」


「はい」


 後藤の指名に、ひとりの女性が手を挙げた。


「食料を管理してる長谷川です。いままでかき集めた災害用非常食の残量は、この人数で割るとせいぜいが三日です」


 集団に、動揺が走る。長谷川女史が説明を始める。

 まず、見つけた非常食の残量があまりないらしい。ここがゲームではないと仮定すると、救助を待つにせよ下山するにせよ、全員分を養うと食料はその前にそこを尽きる。三日分というのは動くことのできるギリギリの量らしい。それ以上減らしてしまうと、万が一の時に逃げられなくなるとのことだ。


「そうはいっても、どのみち後になればリスク冒してでも分配量は減らすだろうからな。まだ余裕があるうちに調べるもんは調べた方がいい。何にも無いなら無いで方針も決まるしな」


 後藤の言葉に、先ほど疑問符を浮かべた者も納得したようだ。他に意見があるか募ってみたが、それ以上の意見は出なかった。


「山登り組は、各時事食料と見つけた装備品をつけて、まず輪を描くように山を歩く。登りやすい道を見つけたら、そこから山頂に向かう。もちろん、参加を強制する権利は俺にはないし、参加する義務もない。参加したい奴だけが名乗り出てくれ」


 パラパラと、数人の手が上がる。少し遅れて手を上げた者を合わせれば、最終的には2/3が手を上げることとなった。


「よし、人数が多いから、二班に分かれることにする。俺たちA班は右回り、B班は左回りだ。あと、こいつを持って行ってくれ」


 そう言って、後藤は小さめのアタッシュケースをそれぞれの班にひとつずつ配布した。A班のものが俺に手渡される。側面を見てみれば、そこには俺がよくネットで見る会社のロゴが……。


「これは………信号弾?」


「救難救助用だ。弾は赤と青、それぞれ六発ずつある。事故が起こったときは青。緊急の場合は、赤を打ち上げてくれ」


 緊急とは何を指すのか、後藤はあえて明言しなかった。だが、何が言いたいのかは全員が悟っただろう。


 すなわち、赤が上がった場合は——、


 ◆◇


 歩き始めて十数分後、後藤の読み通り道が見つかった。山頂へ向かう獣道が一本、はるか下からずっとつながっている。下へはとりあえず後で行くということにして、目印をつけながらひたすら上へ上る。


 登っている途中で、様々なものが見えた。

 いまのところ、大きな猛獣になどは出くわしていない。だが、小さな昆虫や爬虫類らしきものは何度も見ている。


 正直な感想は「?」だ。

 昆虫、植物、植物、どれ一つとっても現実のものとは一致しない。よくわからないものが多いのだ。それらを見ていくうちに、ここはどうやら新技術で造られたフィールド内ではないかという説が、休憩をとっている間に仲間の中で持ち上がり始め、異世界説と拮抗していた。


「ここがゲームか異世界か——神谷くんはどっちだと思う?」


 木の根元に座り炭酸飲料をあおる俺に、隣に座った雨宮がそう尋ねる。


「んー……、論理的に考えれば、まあゲームの中って考えるのが妥当かな」


 少しぬるい炭酸を飲み下し、すこしばかり思考を飛ばしては見る。助けが来ない、という点で見ればどちらも異世界だと括ることもできるが、雨宮の質問意図はそういうことではないのだろう。ならば、やはり答えは揺るがない。


 現実世界ではまず見ることのない生物がいる点から、ここが地球でないことは確実だ。だが、ここを別世界と捉えてしまうと移動手段が不明となる。現在の研究では、別地点にワープするとは可能だが、それを実現するには莫大なエネルギーが必要ということが解っているのだ。だとしたら、どうやってそのエネルギーを作り出したのか、どうやって装置を作り出したのか、どうやって座標を固定したのか——それに加えてなぜ俺たちが普通に呼吸できているのかなど様々な部分が謎に包まれてしまう。


 しかし、ここを新技術で造られたVR空間と捉えてしまえば呼吸の問題はまず解決できるし、この世界もVR空間だからという理由で説明がつけられる。


「——まあ、どっちの方が……てレベルの話だし、かなり強引なんだけどな」。


「そっか、やっぱり神谷くんはそうだよね」


 神谷くんらしいや、と雨宮が笑みを浮かべる。


「そういう雨宮は?」


「わたしも同じ。ここがゲームだって思ってる。でも、神谷くんみたいにロジカルには考えてなくって。正確に言うなら、『思ってる』っていうより『思いたい』っていうのが正しいかな」


 体育座りした両ひざに顎を乗せて、雨宮は笑う。その返答に、背筋を冷たい何かが走る。


 雨宮 晴香は、ひとりの女の子だ。いくらゲーム内で幾度となく死線を乗り越えたといっても、所詮はゲーム。高校に入学し、十六歳になってまだ幾何の時間も経っていない。まだまだ発展途上の、ただの女の子なのだ。


 そんな女の子が、突然わけの解らない世界に飛ばされる。しかもその世界は、助けが来るかも解らず、身の安全も……命の保証すらもしてもらえないというド畜生な世界。ひとりなら俺だって発狂しそうだ。それでもポジティブに生きろなどとは、口が裂けても言えない。


『思っている』ではなく『思いたい』、それは現実から目を背けたいという感情の隠語でしかない。ここが異世界だと思ってしまえば、それは日本に帰ることが不可能だと断定してしまうようなものだ。だったら、出られる可能性が確実にあるゲーム説を信じたい。雨宮がそう言っているように感じてしまった。


 質問を間違えたかと、雨宮から視線を外して足元に向ける。どう声をかければいいのか解らない。どうしても、雨宮の方を向く気になれない。

 しかし——、


「そんなに身構えなくても大丈夫だってば」


 雨宮が苦笑する。不思議とそこには、負の感情は込められていないように感じた。直感が正しければ、それは戸惑いと呆れ、そして少しの喜び。おずおずと雨宮の方へと顔を向ければ、少し苦笑した雨宮と視線が交錯した。


「ごめんね、気を使わせちゃって。でも、もういいの」


 声には、しっかりと一本筋が通っていた。

 その目は揺れ動いてなどおらず、しっかりと前を見ている。表情も昨日のような青いものではない、カリバー・ロンドで攻略を行うときのあの顔だ。一度決めたことは何があっても遂行し達成する、あの鉄の意志がちらつく強い目だ。


「いまは泣いても仕方ないから。それよりも他にやることがあるでしょ? だったら、泣くのは全部終わってからにしようって、そう決めたの」


 この場にいるからこそわかる、断言できる。雨宮は、現実逃避などしていない。

 雨宮は前を向いている。思考を放棄しうずくまるのではなく、身に起きたことを受け入れ、しっかりと前を見据え、これからどうすべきかを模索している。


「強いな、雨宮」


「ううん、全然。割り切っただけだよ、女の子は切り替え速いからね」


「そうかぁ?」


 少なくとも、俺には無理な話だ。

 雨宮が何を思っているのかなんて俺には解らない。なにが雨宮をここまで強くしたのかは知らない。だが、雨宮はもう大丈夫——それが解っただけで、なぜだか心が軽くなった。


 会話が終了する。お互い沈黙がきらいではないため、しばしの静寂が流れる。男性陣の笑い声をBGMに、雨宮も水をあおる。

 不意に、雨宮が立ち上がる。


「どこ行くんだよ」


「ちょっとそこまで」


 そう言って、雨宮は数少ない女性陣の方へと歩いていく。その中の一人に耳打ちし、茂みの中へと消えていく。思えば、雨宮もかなり水分をとっていたしそういうことなのだろう。あまり眺め続けるのもよくないので、早々に視線を外し空へと向け、そのままぼーっと雲を数える。


「ほれ、ジャーキーいるか?」


 上から声が降ってきた。聞きなれた声に視線を向ければ、そこにはニカッと笑う後藤。


 雨宮が席を外すのを待っていたように隣へ座り込み、束になったジャーキーを差し出す。小腹も空いていたため厚意に甘え、一本もらってかぶりつく。少し硬めの肉から、かみ砕くことによって塩気が染み出し唾液の塩分濃度を高める。肉の味が口いっぱいに広がる。安い合成肉ではない、本物の牛肉を使ったお高いジャーキーだ。


「何企んでるんです?」


「俺の信頼ゼロかよ。なんも企んじゃいねーよ」


 朝の件の後、後藤があまり上下関係を気にしないということを自分から明かしたので、軽いジャブを浴びせてみる。冗談だということは表情から伝わったのか、後藤は気分を害した様子もなく気さくに笑う。


「お前、あの娘に何言ったんだ?」


「?」


「お前も気が付いてんだろ? 空気、昨日とえらく違うぜ、晴香ちゃん」


「別に、何か言ったわけじゃないですよ。朝になったらああなってた……ってだけです」


「まあなぁ。お前のアレは落ち着かせはするが、アレでああなるかって言われるとちょっとな」


 帰ってきた雨宮を眺めながら、真剣な顔をして後藤がうなる。ちなみに、アレとは昨日俺が雨宮にしたアレだ。


「後藤さんも、気が付いてたんですね」


「当たりめーだ。あんなもん反応しない奴なんているとすりゃお前くらいだよ」


「なんで俺なんですか……」


「自覚なしか?」


「いえ……ありますけど」


 自覚はしていたため、後藤の言葉に不本意だがうなずく。確かに、いまいる人たちの中では、俺が一番対人スキルが下だと言われればそうかもと思ってしまうため、否定ができない。


 俺は、人の悪意には敏感だと自負してはいるが、好意などその他の感情にはとにかく鈍感だ。過去にも俺に好意を持っていた人がいたらしいが、そのことを知ったのは雨宮にそう匂わされてからだ。もしかすると、鈍感というよりないものとして見ているというのが正しいのかも知れない。


 信頼を向けられれば苦しくなってしまうから、好意を向けられれば気が詰まってしまうから。そしてそれは、人と接触したくない人種にとっては邪魔ものにしか……いやむしろ恐怖にしかならない。周りが無関心なのだと自分に言い聞かせ、その他のものには目を耳をふさぐ。そして、総じてそれは社交性の高い人種に理解されにくい感覚だ。


 話し方や場のつなぎ方からして、後藤の社交性は高いほうに分類されるだろう。それなのに、昨日今日でそれを見抜くとは……。


「よく、人を見てますね」


「そうか? オレの場合は、お前と同じような人を見てるってだけだ」


 後藤は、町工房で金属加工をしているらしい。といっても、祖父を含めた数人で経営している工房で、大企業などに卸す部品ではなく一品物の修理をしているのだという。


 切って、焼いて、つなげて——繊細な作業をしていた祖父は、まさに俺と同じタイプだったらしい。もしかしたら、気を遣う人間関係よりも、物言わぬからくりを相手にしているのが好きだったのかもしれない。なんとなくだが、そう思った。


「結局、あの娘が元気になってくれりゃ、正直理由なんてどうでもいいか」


 雨宮を映す後藤の瞳は、とても柔らかい感情を湛えているように感じた。優しくて頼もしくて……兄貴がいたらこんな感じなのだろうか、なぜだかそう考えてしまう。


「なんか、後藤さんがリーダーやってる理由が解った気がしました」


「買いかぶりすぎだって」


 カラカラと、後藤が軽快に笑う。


「ぶっちゃけ言うと、お俺じゃなくてもいいんだ。俺の知識なんてしょせんネットだからな、信ぴょう性なんてわかりゃしねえ。俺が真っ先に動いた、それだけだ」


 リーダーには、専門知識は必要ないと言われている。専門的なことは部下に任せれば何とでもなるため、無ければ無いで苦労はするが、必ずチームが崩壊するかと言われればそうでもないらしい。むしろ、それより必要なのは素質。


 リーダーが言うのなら、リーダーのためならば……仲間に信頼され、仲間を説得できるという能力の方が大切なのだと。事実、徳川家はそうやって、二六五年の長きにわたる江戸時代を統治した。そう考えれば、彼がリーダーなのも余計にうなずける。本人は否定するだろうが。


「というわけで、リーダーならいつでも代わるぜ?」


「やりませんよ、趣味じゃない」


「そうか? お前は似合うと思うぜ?」


 こういう冗談をだれとでも交わせるところも、そしてそうかもしれないと思わせてしまうところも、後藤の魅力なのだろう。俺は絶対にごめん被るが。

 そのとき——、


 ガサリッ


 茂みが、大きく動いた。

 会話が止まり、全員に緊張が走る。すべて視線が、茂みの一点に向かう。

 茂みの揺れ具合は、それほど大きくはない。せいぜいが、人と同じ大きさの何かだろう。だとしたら、いったい何なのか。


 ガサリッ、ガサリッ、ガサリッガサリッガサリッ……


 パキンッ!


 足を踏み外したのか、坂道を転がってくる。

 細長い足が見えた、柄物のシャツが見えた、それを確認したとたんに後藤たちは走り出す。


「おい⁉ 大丈夫か‼」


 駆け寄った大人たちが、口々に叫ぶ。いつの間にか寄ってきた雨宮が、隣で青い顔をしている。


 ドサッという鈍い音と共に地面へと転がったのは、血だらけの青年。昨日、飯田とともに離脱していったグループの中の一人だった。

 尋常なことではない——この場にいる全員がそう悟った。


「助……え……てくれ……」


 ——パシュン!


 遠くで、破裂音がした。とっさに音のした方向を向く。

 赤い煙が見えた。

 赤い発光体が、同じく赤い煙をまき散らしながら空高くを昇っていた。


 間違えようもない、あれは――、


 信号弾の光だ。



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